星 新一 殿さまの日 目 次  殿さまの日  ねずみ小僧次郎吉  江戸から来た男  薬草の栽培法  元禄お犬さわぎ  ああ吉良家の忠臣  かたきの首  厄よけ吉兵衛  島からの三人  道中すごろく  藩医三代記  紙の城 [#改ページ]   殿さまの日  ふわりと高く飛びはね、ふわりと地面におり立ち、ふたたび飛びはねる。そんな夢を殿さまは見ている。天狗《てんぐ》の術を身につけたようだなと思いながら、あちこち飛びまわりつづける。そのうち、いつしか霧のなかへと迷いこむ。霧のなかで飛びはねるのも、また面白い。景色がまるで見えないので、ちょうどからだが宙に浮いたままのようだ。ふわふわと白さのなかをただよいつづけている。しかし、不意に不安に襲われる。さっきから地面をけっていない。地面がなくなったのか。まさか、そんなことが。いい気になって霧のなかを進みすぎ、がけのあることに気がつかなかったのか。限りなく落ちてゆく。支えのなくなった恐怖。落ちる、落ちる。ああ……。  その驚きで、殿さまは目ざめる。朝の六時。夏だったら六時の起床が慣例だが、冬は七時となっている。まだ一時間ほど寝床にいられる。そばに時計があるわけでもないのだが、なんとなくそれがわかるのだ。寒い。敷ぶとん三枚、かけぶとん二枚。しかし、ここは北国。きびしい寒さはいたるところにあるのだ。殿さまは足をのばし、湯たんぽをさぐる。陶器製のにお湯を入れたもので、かすかにぬくもりが残っている。あたりはほのかに明るい。そとは晴天で、うすくつもった雪に東の空の明るさが反映しているのだろう。きょうも寒い一日となりそうだ。  ここは城のなかの奥御殿。つまり殿さまの私邸。奥御殿と呼ぶ一画のなかには女たちばかりのいる中奥《ちゆうおく》の棟《むね》もあるが、ここはそうでないほうの寝室。一日おきに、ここへとまるのとむこうへとまるのとを、くりかえすことにしている。べつに意味も理由もないのだが、いつのまにかそんな慣習ができてしまったのだ。  殿さまはかすかに目を開いて、つぎの間を見る。あいだのふすまはあけっぱなし。そのむこうに小姓が二人すわっている。いずれも三十歳ぐらいの家臣、不寝番だ。わたしが寝ているあいだ、彼らは起きてすわりつづけ。わたしは夜ねるのが仕事、彼らは夜おきているのが仕事。そういうことになっているのだ。彼らの前には、わたしの刀が布の上にのせておいてある。もし不意の侵入者があれば、彼らはわたしを起して刀を差し出し、同時に侵入者と戦うことになっている。この泰平の時代にそんなことが起るとは思えないが、絶無とも断言はできない。だからこそ、彼らはそこにいなければならないのだ。  あの小姓たち、わたしがぐっすり眠っている夜中に、わたしの刀をそっと抜いてみたいと思わないかな。思わないだろうな。ひとりだったらそんな気にならないとも限らないだろうが、つねに二人一組ときまっている。冗談にせよ、そんな提案をしたら、もうひとりにとっちめられる。そして禄《ろく》を召しあげられ、家族は食っていけなくなる。わかりきったことだ。だから、そんなばかげたことの頭に浮ぶわけがない。  武士は罪三族におよぶのが原則。なにかしでかしたら、当人はもちろん、少なくともその息子も処罰される。だから、身のまわりの世話をする小姓の役は、妻子のある家臣に限るのだ。元服前の感情の不安定な少年などに任せるわけにはいかない。異性がわりに美少年を連れて出陣した戦国時代とはちがうのだ。  寝がえりをうつと、枕《まくら》にのせてある紙が、ごわごわと肌《はだ》に当る。殿さまは過去のことを回想する。  ……わたしは先代の側室の子として、この城でうまれた。しかし、そのころのことは、ほとんどおぼえていない。赤っぽい花のことが心の片すみに残っているだけだが、それも確実なことではない。わたしは三歳になると江戸へ移され、ずっとそこの屋敷で育てられた。父の正室を母上とあがめて育った。おっとりとしていて気品のある母上。当り前のことだが、父上の正室はわたしの正式の母上。ほかに母のあるわけがない。母上もわたしをやさしくかわいがってくれた。父の子は、母上にとっても正式の子。わたしは家系を伝える存在なのだ。  わたしの父は、国もとのこの城で一年をすごし、つぎの一年は江戸ですごす。そのくりかえしだった。わたしは、父とは一年おきにしか会えなかった。しかし、幼時において、母上とわたしは同じ屋敷のなかでずっといっしょに暮した。だからわたしは、母上に対して、より多くの愛を感じている。  四歳の正月から、わたしは漢字を習わせられた。やせた老人がわたしの前に漢字ばかりの本を開き、声を出しながら細い棒で一字一字をさし示した。それにつづけて、わたしも同じことをやった。どんな意味なのかまるでわからず、なにかの遊びかと思い、最初のうちは面白かった。だが、その単調さに、まもなくいやけがさした。といって、ほかにはなんの面白いこともなく、わたしはそれをつづけた。いつのまにか、いやでもなく面白くもないという、日課のひとつになっていった。そして、ある日、気がついてみると、わたしは漢字をけっこうおぼえこんでいた。床の間の掛軸の字をなにげなく声を出して読み、母上がとても喜んでくれたことをおぼえている。  そのうち、同年輩の遊び相手の男の子が、何人かできた。六歳のころだったか、また原因がなんであったかも忘れてしまったが、そのなかの一人に対し、心から腹を立てたことがあった。わたしが正しいのだ、このままほってはおけない。わたしは負けるのを覚悟で、そいつにむかっていった。純粋そのものだった。しかし、わたしはなんの抵抗も受けなかった。その時のむなしい気分は、しばらくわたしの心を占めつづけた。その気分を持てあまし、つぎにわたしは、こんどは理由もなく遊び相手の一人をいじめてみた。やはり同じ。わたしは抵抗を受けなかった。雲をなぐっているようだった。そんなことを何回かこころみ、それから、わたしは二度とやらなくなった。わたしは彼らとちがうのだ。その意識が心のなかに定着した。いかにむなしくても、どうしようもないことだった。  七歳のころから、わたしは武術を習わせられた。それは技術の習得であり、また自分との勝負だった。他人と勝負を争うことは、わたしには不可能なのだ。そのためわたしは、武術のなかで弓をとくに好んだ。的はわたしに対して、なんの遠慮もしない。そこがわたしの気に入った。しかしやがて、武術の先生はわたしに対し、ひとつのことにばかり熱中するのはよろしくありませんと言った。わたしは心のなかをのぞかれたような気がして、恥ずかしさを感じた。  十歳になった時、江戸屋敷のなかで、わたしは母上とべつな棟で生活するようになった。といっても、いつでも会うことはでき、さびしくはなかった。それに、身のまわりの世話を女たちにやられるより、男たちにやってもらうほうがすがすがしかった。子供あつかいから抜け出せた気分だった。うすぐらいなか、くすんだ金色、おしろいの白さ、きぬずれの音、女たちのにおい、そういったものとわたしは別れた。  おめみえは十三歳の時だった。江戸城へ行き、将軍に拝謁し、家の後継者であることを登録する儀式。その前後は、わけもなく緊張させられた。江戸屋敷にいる家臣たちは、何回となくわたしに言った。おかしな振舞いをすると、お家の評判にかかわるという。しかしわたしは、おかしな振舞いとはどういうものなのか、まるでわからなかった。それを質問すると、家臣は困った表情になった。  そんなふうに盛り上った緊張は、当日わたしが盛装をし、行列を従え、乗り物にのり前後をかつがれて動き出した時、最高潮に達した。江戸城で将軍の前に出たのだが、なにもおぼえていない。教えられた通りにやりおおすことだけに、わたしの心は費やされた。  終ったあと、家臣たちは喜びあっていた。父上に万一のことがあっても、これで、あとつぎがないのを理由におとりつぶしになる心配がなくなったと。父の死を話題に喜びあう光景は奇妙だったが、わたしはもっとべつなことを感じていた。われわれの上にある将軍という強大なものの存在を、はじめて肌で知ったのだ。それまでは頭で知っていただけだったが……。  十七歳の時、わたしは結婚をした。相手は五歳としうえだった。譜代《ふだい》大名の息女。この縁談を成立させるため、江戸の家臣たちは幕府の役人たちにいろいろと運動をした。その正式の許可がおりた時、家臣たちはまたも喜びあった。これによって、お家や藩になにかやっかいなことが起っても、その姻戚の力で穏便におさめてもらえるのだという。わたしもそれはいいことだろうと思った。なにごとによらず、家臣たちのうれしがるのを見るのは、たのしいことだ。しかし、それと同時に、わたしの外様《とざま》大名という家柄と、あの強大な存在につながる譜代大名の家柄、そのあいだにある越えられないみぞを、あらためて感じさせられた。  江戸屋敷のなかに、新しく建物がつくられ、妻がそこへ移ってきた。披露宴がおこなわれ、わたしははじめて妻を見た。気品があったが、どことなくひよわな感じもした。大切にあつかわなければならないなと、わたしは思った。みにくい顔の女でなくてよかった。しかし、みにくかったとしても、わたしはべつに落胆しなかったろう。人を美醜で区別すべきでないことは、それまでに教えこまれていた。また、結婚とはお家安泰のための行事なのだ。  十日ほどたった。妻が実家から連れてきて身辺のことの指揮を一切まかせている女に、わたしは、今晩あたり妻と寝室をともにしたいがどうだろうかと聞いた。すると女は、おからだにあまり無理をさせてはいけないのではないかと答えた。話をするだけならどうだろうと聞くと、それならけっこうでしょう、のちほど用意がととのったらご連絡しますとのことだった。  その夜、わたしははじめて妻の建物に入った。すべて新しく、ふすまの絵も美しかった。ゆらめく灯のほの明るさのなかに、女たちが何人もいた。いいかおりの香がたいてあった。そのなかで、わたしは妻とはじめて言葉をかわした。お菓子を食べ、お茶を飲み、天候のことを少しだけ話しあった。  それからひと月ほどして、わたしははじめて寝室をともにした。しかし、寝床をともにしたわけではなかった。妻は気が進まないと言った。わけを聞くと、かつて妻の姉がとついだ先で出産し、そのあとまもなく死んでしまったことを話した。そのことはわたしも知っていたが、出産による死を妻がそうもこわがっているとまでは気づかなかった。妻は、ここへとついだからには、お家のために死ぬ覚悟はできている、だが出産で死ぬのは気が進まないと言った。わたしとしても、そんなことで妻に死なれては、せっかくの譜代大名とのつながりが薄れ、家のためにならないと思った。わたしたちはその夜、べつべつの寝具で寝た。それらの会話は、半ば開いたふすまのむこうで、不寝番である二人の中年の侍女たちが聞いていた。当然のことなので、わたしたちはなんとも思わなかった。もしそばにだれもいなかったら、妻もわたしもその不安におびえ、どちらからともなく抱きあっていただろう。だが、そんなことはありえないのだ。  わたしは時どき妻の部屋を訪れるようになった。さまざまな話をするようになった。あるとき妻は、侍女のひとりを側室にしたらどうかと提案した。しかしわたしは、父も健在だし、わたしもこの通りだし、あとつぎの心配はまだ早すぎるのではないかと答えた。妻は早く子供が欲しいような表情だった。変化のない日々の連続を、いくらか持てあましているようだった。  二十歳のとき、父が死んだ。国もとから江戸屋敷にそのしらせがもたらされた。その前から、父の重態は知っていた。だが、あととりであるわたしは、母上も同様だが、江戸を出て見舞いに行くことはできなかった。それがきまりであり、きまりは個人的感情に優先する。個人的事情で武士が戦陣からはなれることをみとめたら、建物の土台石を取り除くのと同じではないか。  悲報に接して、わたしは悲しみをあらわさなかった。あたりをはばからず取り乱すのは武将のすることではないし、それだけの心がまえはできていた。感情を形容すれば、それは厳粛の一語につきた。また、悲しみにひたるよりも、わたしに急に加わった重荷に慣れる努力のほうに忙しかった。国もとからの報告は、すべてわたしに対してなされるようになった。  一定の月日がたつと、わたしは江戸城に行き、将軍に拝謁し、相続の手続きをした。わたしは任官し、位をたまわった。任官とは�なんとかのかみ�という称号だが、その地名についての知識は、わたしにはまったくなかった。一生のあいだ、そこを訪れることはないだろう。この称号は京都の朝廷から、将軍を経てたまわるものだそうだ。任官の手続きの時、将軍は威儀を正した。わたしは将軍の上の存在をおぼろげながら感じた……。  ここまで回想した時、廊下を時を告げてまわる係が通りすぎてゆく。殿さまはそれを耳にする。起きるべき時刻。寝床から出ねばならない。出たくないとの思いが心をかすめるが、かすめるだけ。気分が悪いわけではないのだから、病気と称するわけにもいかない。そんなわがままをやったら、だれも冬のあいだ寝床から出なくなる。  枕もとの鈴に手をのばし、それを振る。その音で二人の小姓が入ってきて言う。おめざめでございますか。ああ、と答える。意味のない会話ではない。病気の時は気分がすぐれぬと答えるのだし、湯に入りたい時はその用意をと答えるのだ。きょうはそのどちらでもないという指示。寒い朝は湯に入らぬほうがいい。かぜをひくおそれがあるからだ。それにしても、湯というものは、なぜ朝に入ることになっているのだろう。夜の眠る前に入りたいものだな。しかし、きまりはきまりだ。なにかわけがあるのだろう。あくまで夜に入りたいと主張してみれば、まわりの者が困り、その困り方のようすから、なぜだめなのかの理由を知ることはできるだろう。しかし、たかが湯だ。そんなにまでして、きまりを乱してたしかめてみるものでもない。  殿さまは便所に行き、戻ってきて、つぎの間の座敷に行く。不寝番の小姓が交代し、かわって、お湯の入ったうるし塗りのたらいを持った小姓が入ってくる。それで殿さまは顔を洗う。そばでは、もう一人の小姓が手ぬぐいをひろげて待っている。つぎに歯をみがく。総楊子《ふさようじ》という、木の先端をたたいてくだき、ふさのようにしたもので。  かみゆい係の小姓がやってきて、さかやきをそり、髪をゆいあげてくれる。鋭い刃物がわたしに最も近づくのは、さかやきをかみそりでそる時ぐらいだろうな。そう考えてみただけ。小姓がかみそりで切りつけてくるなど、起りえないことだ。  ひげの部分は、小さなはさみで刈りとってくれる。国もとなので、略式ですませるのだ。江戸にいたり、公式の場合にはそうもいかない。本来なら鼻の下のひげはかみそりを当て、あごのひげは毛抜きで抜かねばならない。もみあげからあごにかけては、かぶとのひもの当る部分。濃くなるとひもが結びにくいので、かみそりを当てないことになっている。武士のたしなみというものだ。夜に湯へ入れないのも、武士のたしなみになにか関連があるのだろうな。  それが終ると、殿さまはしばらく座敷の中央に立ちつづける。小姓たちがねまきをぬがせ、着がえの一切をやってくれる。この、すっかりはだかになる一瞬は、火鉢がそばにあるとはいえ、さすがに寒さがこたえる。それにしても小姓たち、わたしのはだかは見あきたろうな。なにしろ、わたしのはだかについては、わたし自身よりかず多く見ているわけだ。しかし、けさがたの夢については、彼らも知るまい。だからといって、べつにとくいがることもなにもないが。殿さまは夢の話をしてみようかと思うが、口には出さない。なにか言えば、小姓は答えねばならず、とまどうにちがいない。そんなことで困らせるべきではない。家臣を困らせて楽しむ性格と思われてはならない。裏になにか意味のある言葉なのかと、あとまで悩ませても気の毒だ。もともと、なんの意味もないことで。  たらいなどの道具の片づけがすむと、医者がそばへやってきて、殿さまに舌を出させてながめ、つぎに脈をみる。五日に一度の慣習だ。医者は、どこかご気分の悪いところはと言う。どこもないと答えると、さようでございましょう、三十五歳でいらっしゃるが、どうみても二十五歳の若さで、健康そのものですとおせじを言う。おせじを言う武士はいいものでないが、医者にはいくらかおせじのあったほうがいい。医者がぶあいそうだったら、脈だって早くなってしまうのではなかろうか。  祖先の霊をまつってある仏間へ行き、礼拝をする。ほんのわずかな時間ですませる。時間をかけたから効果があるというものでもあるまい。といって、いいかげんな気持ちではない。手を合わせ息をつめる無我のうちに、安泰への祈りをこめる。天候の安泰、領内の安泰、幕府との関係の安泰、将軍に対する安泰。それらへの期待を、祈りの形で出さずにはいられないのだ。祖先の霊も、わかりすぎるぐらいわかってくれているだろう。礼拝に時間をかけると、もっとくだらないことまで祈りたくなり、よくないのだ。  八時。殿さまは食事のための座敷へ移る。だが、料理がさっと運ばれてくるわけではない。いちおう、つぎの間に控えている毒見役の前に運ばれ、そこで点検をうける。その係はきちんとすわり、ひととおり箸《はし》をつけ、しかつめらしく自分の口に入れている。たしかに口に入れたかどうか、それをみとどける小姓もそばにいる。  殿さまはそれを見ながら思う。毒見役はどんな気分であの仕事をやっているのだろう。なにも考えず事務的にやっているのだろうな。そのたびごとに、万一の場合を心に浮べたりしていたら、気が疲れてどうにもなるまい。戦場で死ぬのならはなばなしさがあるが、毒見で倒れるのはぱっとしないな。任務をまっとうした点では同じなのに。しかし、毒見役がその仕事で死んだ例など、聞いたことがない。だからといって、あの役を廃止したら、お家騒動の芽を持つ藩では、たちまち毒殺が発生するわけだろう。いつもは廃止し、お家騒動の傾向がみえた時にだけ置くというわけにもいかないだろうし。役職とはふしぎなものだ。夜に湯へ入れないのも、役職と関連した理由からだろうか。  やっと、食事が殿さまの前にくる。うめぼし、大根のみそ汁、とうふの煮たもの、めし。どれもすっかりぬるくなっている。しかし、子供のころからずっとそうで、殿さまはそういうものと思いこんでおり、なんということもない。料理とは、ぬるくつめたいものなのだ。  ごはんをよそってくれる小姓にむかって、殿さまは、家族は元気かと話しかけ、おかげさまでとの答えがかえってくる。ここは奥御殿、私的な場所で公的なことに関する会話をすべきではない。藩中のうわさ話を聞き出そうとしても、答えはえられないだろう。武士とは他人のうわさ話などしないものなのだ。第一、そんなことがはじまったら、混乱のもととなる。小姓を通じて殿さまへ告げ口をしたほうが得だとなると、他人の中傷がわたしめがけて集中し、それをめぐって城内で切り合いがはじまり、たちまち幕府によっておとりつぶしだ。  食事のあと、殿さまは庭を散歩すると言う。小姓がはきものをそろえ、刀をささげてついてくる。空は晴れあがり、うっすらとつもった雪が美しく輝いている。歩くと足もとの雪が、きゅっと音をたてる。空気のなかには、鋭い寒さの粒がいっぱいに含まれているようだ。遠くの峠も、白いいろどりをおびている。しかし、寒さもいまが絶頂だろう。まもなく梅の花の季節となり、それがすぎると、あの峠を越えて参勤交代《さんきんこうたい》で江戸へ出発しなければならない。  江戸との往復は、これまでで何回ぐらいになっただろうか。二十歳で相続し、いまは三十五歳。年に一回、江戸への旅か国もとへの旅をやっている。だから、江戸への街道を通ったのは、十五回ぐらいになるわけだな。まったく、参勤交代は大変な行事だ。数百人のお供をつれ、何日も何日も旅をしなければならない。宿場と宿場とのあいだは、馬に乗ったり時には歩いたりもできるが、宿場に入る時と出る時は、わたしは乗り物におさまり、お供の者たちは列を正し、堂々たるところを示さねばならない。まさに見世物。見物する側にとっては、さぞ楽しいことだろう。それに、宿場にはかなりの金が落ちるのだし。  しかし、わたしにとっては少しも面白くない。道はきまっていて、変更は許されない。いつも同じ道を通るだけ。どこにどんな山があり、どんな森があるかなど、すっかりおぼえてしまっている。しかし、山のむこう森のむこうがどうなっているかとなると、まるでわからない。これからの一生のあいだにも、それを見る機会はないだろう。  ただ、途中で桜の花を見物できることだけが、唯一の楽しみだ。日程がきちんときまっているので、いつも同じところで満開にであう。あれはきれいだ。桜のながめは江戸からの帰途のほうがいい。花の咲くのを追って北へ進む形になるので、長いあいだ満開を楽しめる。楽しみといえば、それぐらいなものだな。行列とともに移動するだけのこと。胸のときめくような事件にぶつかる可能性もない。もっとも、そんなのにであっても困るわけだが。  ……しかし、最初の一回だけはべつだった。父のあとをつぎ、この土地へお国入りした時のことだ。三歳までここで育ったというものの、まるで記憶には残っていない。はじめて訪れる土地といってよかった。もちろん、江戸屋敷において、家臣たちから国もとの話を、いろいろと聞いてはいた。わたしも理解すべく努力した。しかし、それはあくまで理屈の上のこと。具体的な風景を頭のなかに浮び上らせるのは不可能だった。未知の国への旅。国もとへむかう途中、わたしは地図とまわりの景色とを見くらべつづけだった。  国もとが近づくにつれ、わたしの息苦しさは高まる一方だった。領主の地位についたからには、なにか思い切った方策を断行し、目をみはるような向上をもたらしたい。やらねばならぬことだ。その意欲はふくれつづけるのだが、すぐに、その基礎となる能力への疑念がわき、自信のとぼしさに気づくのだった。父のやった以上のことが、簡単にできるはずがない。おそらく、なんにもできないのではないか。その二種の感情が激しく交代し、旅の疲れとあいまって、わたしはいつしかふるえていたものだった。  そして、旅が終りに近づき、峠を越えた。わたしは思わず声を出し、乗り物をとめさせ、道に立った。領地のすべてが一望のもとに見わたせた。まず、天守閣が目に入った。石垣の上の白い壁、かわらの屋根。それが三重にそびえていた。かわいらしかった。それまでのわたしは、城といえば江戸城しか知らず、それが基準となっていたのだ。この城がかわいらしいのか、江戸城がとほうもなく大きすぎるのか、その判断はすぐにはつけられなかった。  家臣のひとりがわたしに説明してくれた。天守閣をとりかこんで内堀がございましょう。そこに御殿があり、これからのおすまいでございます。さらに、その外側に外堀がございましょう。内堀の外、外堀の内の一帯が家臣たちの住居でございます。そして、外堀のまわりの町並みが城下町でございます。  城下町のそとには田や畑がひろがっていた。川が流れている。作物にみのりをもたらす川であることが、すぐにわかった。川のそばに森があり、そのなかに神社があった。いま立っているところの山すそには、寺院が見えた。新緑の季節。すべてが美しかった。これがわが藩、十万石あまりの土地なのだ。  わたしは江戸屋敷の妻のことを思った。これを見せてやりたいものだと。しかし、それは許されないことなのだ。大名の正室は江戸から出ることができない。それが自由だったら、幕府の人質としての意味がなくなってしまう。もっとも、当主が死んだあとはべつだ。だから亡父の正室、わたしの母上はここへ来ることが可能だ。しかし、もうとしだし、いまさら国もとを見ようという気もないらしい。江戸屋敷で気心のしれた者たちとすごすほうが気楽にきまっている。わたしの妻もこの城を見ることなく、そのような一生を送ることになるのだろう。妻だって、そういうものだということぐらい知っている。城を見たいなどと考えたこともあるまい。妻に見せてやりたいなど、わたしの勝手な感想にすぎないものだった。  峠を下り、町に近づくにつれ、道の両側に並ぶ領民の数がふえはじめた。乗り物のなかのわたしには、すきまを通して彼らを見ることができるが、そとの者たちはわたしを見ることができない。しかし、領民たちの好奇の視線は、容赦なくわたしまでとどいてきた。こんどの当主はどのような人物だろう。よくあってほしいとの期待と、その逆である場合への不安とが、彼らの感情のすべてだった。押しよせるその波に、わたしの心は圧倒された。よくありたいとの希望と、その逆となる不安は、わたしだって同様だ。自分にもわからないことなのだ。  わたしは肩の重荷をあらためて感じた。肩をへたに動かすと、大変なことになる。なにごとも無難を第一に心がけようと思った。初のお国入りの時に、ばかをよそおった殿さまとか、高圧的に出て家臣を恐れ入らせた殿さまとか、そんな話を耳にしたことがないわけでもない。しかし、そんなのは例外中の例外だろう。作り話かもしれない。結果が裏目に出たら、どうしようもなくなる。大部分の大名は、わたしと同様なことを感じたにちがいない。  城下町を通り、外堀の橋を渡って城の門をくぐり、さらに内堀を渡ると、そこに表御殿、すなわち藩庁の建物があった。その裏手の奥御殿は、つまりここだが、わたしを迎えるために内部がすっかり改装されて、新しくなっていた。わたしは亡父のにおいをさがし求めたが、それはほとんど残っていなかった。  初のお国入りにともない、わたしは家臣たちのあいさつを順に受けた。江戸屋敷で会ったことのある者もいたが、大部分ははじめての者ばかり。主だった役職の者の名は頭に入れてきたのだが、顔つきまでは想像もできなかった。まして、性格となるとまるでわからない。先入観をうえつけないようにと、だれも教えてくれなかったのだ。だれそれには軽率なところがございますなど、わたしに告げた者はなかった。武士にふさわしくない行為だからだ。告げた者のほうが安っぽくみえてしまう。問題の人物が軽率でないと判明したら、告げた者の面目がつぶれる。わたしは白紙の状態だった。森のなかに迷いこんだよう。これからのわたしは、それぞれの樹木について知ろうとしなければならない。  お国入りについてきた江戸屋敷勤務の家臣たちは、一段落すると帰っていった。もっとも、一人だけ側役《そばやく》として残された。わたしにとって親しいのはこの者だけとなった。しかし、それに対して親しみを示してはならない。それをやると寵臣《ちようしん》ということになり、統制がとれなくなり、当人だって迷惑しごくのことになる。わざと寵臣を作っておき、ことが起ったとき全部そいつのせいにし、すべて丸くおさめるというやり方もあるのだが、わたしもそれほどの腹芸の持ち主ではない。  国もとの家臣たちの言葉には、なまりがあった。江戸の言葉とかなりちがい、それを聞きわけるのにわたしは苦労した。わからない時に、わたしは江戸からついてきて残った、その側役に聞きただした。国もとの言葉になれると、わたしはその側役をべつな役職に移した。  わたしは藩のすべてについて、勉強しなおすことになった。領民たちの不満、改革すべき点、それらについての意見を知りたかった。しかし、なんの手ごたえもなかった。あせりぎみになって質問をくりかえしていると、家臣のひとりが言った。そのようなことは、おおせにならぬほうがよろしいのではないかと存じます。しばらく、その意味がわからなかった。二日ほど考えつづけだった。そして、朝、湯に入っている時、はっと気づいた。問題の点について遠慮なく意見をのべるということは、わたしの亡父についての批判になる。ずけずけ言えば、わたしを立腹させることになる。家臣として軽々しく口にできないのも当然だった。わたしは顔を赤らめた。湯から出たわたしの顔を見て、小姓は熱すぎたのかと気にした表情をしていた。  すべてこのように、わたしにとっては、はじめての経験ばかりだった。父の存命中、そばについていて藩政を実地に勉強できたら、どんなによかったろうにと思った。しかし、それは幕府が厳重に禁止していることなのだ。あとつぎとしてとどけ出た男子は、江戸から離れることを許されない。領主が死亡するか、隠居するかして、正式に相続しない限りは。早目に隠居し、そばで助言してくれるという形でもいいのだが、それも禁止されている。隠居した大名は江戸に住まなければならないのだ。なんでこんな妙な制度ができたのだろう。なにか理由があるのだろうな、惰性に流れるのを防ぐといった。げんにわたしなども、すべて自分の頭で理解しなおしたわけだった。  家臣たちから報告を聞き、改革すべき点はないかと考え、またべつな家臣から報告を聞く。それをくりかえしているうちに、わたしはすべての問題点のもとにたどりついた。要するに財政がまずしいのだ。まずしいのならまだしも、かなりの額の借金がある。城下、あるいは江戸の商人から借りているのだ。そして、その利息がじわじわとふえつつあるのだった。最初は信じられない思いだった。しかし、家臣の報告も帳簿も、それが事実であることを裏付けていた。  このことに直面し、わたしは期待はずれを通り越して、呆然《ぼうぜん》となった。信じられない幻の世界に入ったようだった。しかし、それが現実だった。こうなっているとは、亡父から聞いたことがなかった。武士たるもの、わが子にむかって金についての愚痴をこぼすわけにはいかなかったのだろう。聞かされてなかったことが、わたしにとってはよかったのかもしれない。少年の時からくわしく知らされていたら、わたしの目つきはおどおどしたものとなり、顔つきはいやしげなものとなっていただろう。しかも、そうなったとしても、あとでなんの役にも立たないのだ。  しばらくは眠れぬ日々がつづいた。自分はこの上なくあわれな運命のもとに生れてしまったのだ。家臣たちの前で感情をおもてにあらわせないから、内心の苦痛はそれだけ激しかった。寝床のなかでひとりため息をついたり、泣いたりしたかったが、それもできなかった。声をあげたら、つぎの間に控えている不寝番の小姓が飛んでくる。やっと眠ると悪夢があらわれた。  だが、まだ半信半疑。わたしはその借金の原因を調べてみた。三代前における、江戸城の修理を命ぜられた時の費用。二十数年ほど前にこの地方を襲った大|飢饉《ききん》の時の領民救済の費用。参勤交代の費用もばかにならない。また、江戸屋敷の費用も、年とともにふえる一方だった。なんでこのように江戸で金がいるのか、そうぜいたくはしていないはずだが、とわたしは言った。わたしの知る限り、亡父は江戸で遊興にふけったりしなかった。担当の家臣は答えた。そういうたぐいの費用ではございません。幕府の役人たちへの運動費でございます。そこに手ぬかりがあると、また江戸城の修理をおおせつけられ、その何十倍という出費をまねきかねません。  わたしははじめて感情を声にあらわして言った。しかし、それにしても、このままだとどうなるのだろうか。これでいいのだろうか。それに対して、家臣の答えは意外なものだった。答える口調が落ち着いているのも意外だったし、内容も意外だった。ご心配なさるお気持ちはよくわかります。しかし、こんなことでよいのではないかと存じます。なぜなら、ほかの藩もほぼこれと似た状態、ここはまだいいほうでございましょう。かりに借金のない大名があれば、幕府はたちまち、なにかの建築か修理をおおせつける。適当に借金があり、へんに幕府の注目をひかないのが、お家の安泰の条件でございます。  家臣の前であることも忘れ、思わず低く長くうなり声をもらした。しかし、わたしが感情をあらわしたのは、その時かぎりだった。空想していた改革の幻影は、すべて頭から消えた。借金との共存に慣れることへの努力をはじめた。なにはさておき、あせらぬことだ。しかし、借金の存在に平然となるのには長い年月がかかった。いや、いまでさえわたしは慣れたと言いきれない……。  時刻を告げる太鼓の音が、城門のほうから聞こえてきて、わたしの思いを中断する。では、そろそろ表御殿へと行くとするか。わたしはつぶやくように言う。座敷に戻ると、小姓たちがはかまをはかせてくれる。きょうは公式的な行事がなにもないので、かみしもをつける必要はないのだ。わたしはすわり、きせるでタバコを一服する。表御殿ではタバコを吸えないからだ。  奥御殿から廊下をわたり、殿さまは表御殿へと行く。表御殿はかなりの大きさの建物。藩政のすべてがここでなされる。各役職のための部屋がいくつもある。だが、殿さまはどこになにがあるか知らず、のぞいたこともない。それは軽々しい振舞いだ。  殿さまは広間に通る。そのはじのほうの、ほんの少しだけ高くなっているところへすわる。ここは公式の場合に使う謁見の間とはちがうので、さほどものものしさはない。そばに火鉢があり、炭がもえている。しかし、殿さまは手をかざさない。寒そうな様子をしては、威厳というものがなくなる。ずっとそうなので、べつに苦痛ではない。夏も同様、扇子《せんす》を使うことはない。忙しげに扇子を使うのは、なにかごまかしているような印象を他人に与える。そもそも扇子とは儀礼用のもので、武士がそれで涼をとるべきではないのだ。  殿さまのあらわれたのを確認し、お側用人すなわち取次ぎの係がやってきて、頭を下げて言う。武具の担当の者が、点検のことについて申しあげたいと言っております。殿さまは、では、これへと答える。いくさのはじまる可能性などまったくない時代だが、いつでも戦える準備だけはととのえておかなければならないきまりなのだ。形式的にも、この報告だけは直接にたしかめておく必要がある。  その担当の家臣があらわれ、武具庫の点検をおこない、さだめ通りの数がそろっていたことを報告する。殿さまは言う。ごくろうであった。武具はきわめて重要である。点検は念には念を入れねばならない。見おとしを防ぐため、ある日数をおき、もう一回やってみる慣習があるように聞いているが、どうであろうか。  家臣は、ははあと頭を下げる。これですべてが通じたのだ。そんな慣習など、これまではない。しかし、あからさまにそれをやれと命じると、叱責《しつせき》した印象を与えないまでも、相手は自分の不注意を感じかねない。すべては質問の形で、それとなく言わねばならない。わたしは事情をなにも知らないのだ。だから勉強しなければならぬ。そのための質問だ、という形をとるのがいいのだ。わたしはそれでずっとやってきた。なんでもいいから質問していると、しだいに事情がわかってくるものだ。また、そうなると、いいかげんな報告はできないと家臣たちも思ってくれる。しかし、とことんまで質問ぜめにしてはならない。家臣の説明がしどろもどろになりかける寸前でやめておく。そうすれば相手の立場も保て、つぎの報告の時は形がととのっている。やりこめるのが目的ではないのだ。  質問できることは、藩主の持つ唯一の特権かもしれない。途中からお国入りしたのだから、知らなくて当然。少しも恥でない。そして、質問のなかに指示を含められる。  もっとも、わたしがこの種の立場になることもある。江戸の城中においてだ。参勤交代で江戸にいるあいだは、毎月、きまった日に登城する。べつになにもするわけでなく、大広間で、ほぼ同格の他の大名たちとあいさつの短い会話をするぐらい。しかし、時たま、幕府の役人に話しかけられる。それがたいてい質問の形だ。くわしく答えなくてもいい内容のことだ。これこれについて注意するようにとの意味なのだ。また、藩政を家臣にまかせきりはよくない、藩中のことはあるていど知っていなければならないとの、忠告でもある。幕府の意向が、それとない形でわたしに伝えられるというわけだ。  そして、わたしは藩の者に、幕府からこんなことを聞かれたが、どう思うかと言う。わたしが将軍や幕府に対して感じているようなもの、それに似たものを家臣たちはわたしに対して感じているのではなかろうか。他人の心まではわからないが、その仮定はまちがっていないようだ。いままでのところ。  お側用人が取次ぐ。城代家老が藩の財政についてご報告したいといっております。この藩の家老は全部で七人。そのうち江戸づめが二人、この城には五人ということになる。城代家老とはそのなかの筆頭であり、殿さまの参勤の留守は全責任者となる。  前へ来て平伏した城代家老に、殿さまは言う。まもなく参勤交代で江戸へゆく時期となる。いちおう財政のあらましを、頭に入れておくほうがいいようだ。城代家老は持参した書類を見ながら、説明をはじめる。直接の担当である勘定奉行を列席させ、それに報告させてもいいのだが、それだと城代の頭を通過しないことになる。城代の口からしゃべらせたほうがいいのだ。城代もここ数日、勘定奉行を質問ぜめにしたにちがいない。  この一年の財政は、まあまあだといえた。大赤字を出してないという意味で、決して黒字ではない。黒字などありえないことだ。借金の額が少しふえた。利息は半分だけ払い、あとの半分はくりのべにしてもらった。ずっとこのような状態がつづいている。殿さまもこれをまあまあだと感じるまでに慣れてきている。  といって、平然たる心境になれるわけもない。だが、赤字をへらすため、家臣の数をへらしたらなどとは、考えたこともない。家臣とは股肱《ここう》、困ったからといって自分の手足を切り売りできるわけがない。また、領内の一部分を隣の藩が買ってくれればいいとも考えたことはない。土地は幕府からあずかっているものなのだ。参勤交代の行列を簡略にしたいとは考えるが、きまりによってそれは不可能。考えてみてもしようがない。  もう少し収入がふえればいいのだがな、と殿さまは言い、それはむりなことだが、とつけ加える。この言葉をつけ加えないと、殿の意志として年貢《ねんぐ》の増加の実行へとつながりかねない。藩の収入はほとんどが米の年貢であり、それを無理に高めようとすると、ろくなことにならない。  五十年ほど前、幕府から修理工事をおおせつかり、その赤字を年貢の引き上げでしまつしようとしたことがあった。たまたま平年作を下まわる凶作でもあり、ひとさわぎがはじまった。農地を捨てて逃げ出そうとする領民もあり、一揆《いつき》も起りかけた。農地を捨てられては、つぎの年から年貢はまるで取れなくなる。そうなったら、泥沼に落ちこんだのと同様だ。一揆となると、もっとことだ。さわぎが大きくなり、幕府に直訴でもされたら、おとりつぶしのいい口実となる。おとりつぶしにならないまでも、お国がえで、もっと条件の悪い地方へ移される。幕府はそれを待ちかまえているのだ。  おとりつぶしになっても、農民たちはつぎの新領主を迎えればいいだけのこと。しかし、家臣一同は一挙に禄を失うのだ。藩の記録によると、その時はみな青くなったという。戦いで落城するのならあきらめもつくが、こんなことで離散では、あわれをとどめる。恥をしのんで城下の商人から金を借り、さらに江戸づめの者が奔走し、江戸の商人からまとまった金を借り、なんとか無事におさめることができた。これが借金のはじまりだった。  一方、一揆の処罰もうまいこと片づけた。おとりつぶしによって発生した他藩の浪人が領内に入りこみ、一揆さわぎに知恵を貸していたことが判明し、その処刑だけですんだのだ。名主や関係者に対しては、おとがめなし。藩の家臣もだれも責任をとらずにすんだ。万事が丸くおさまったのだ。それ以来、領内を通る浪人者には、監視をおこたらぬようというきまりができた。  記録ではそうなっているが、はたして真相はどうだったのかな。時どき殿さまはそのことを考える。浪人たちは、たまたまそこにいあわせただけだったのかもしれない。あるいは現実に、自分の藩がおとりつぶしになった時の話をし、一揆でがんばれば、これ以上に悪くはならぬぐらいは言ったかもしれない。いまとなっては、調べようがないことだ。しかし、いずれにせよ、それを機会に領内の和はとり戻せたのだし、うまい解決だったことにまちがいはない。処刑された浪人たちは気の毒なものだが、お家の安泰にはかえられない。  それ以来、非常識な年貢は課さないことになっている。領民のほうも賢明になった。一揆によって藩主を追い出すことはできても、つぎの新藩主に対しては反抗できないと知ったからだ。その反抗をやったら、幕府の威信にかかわることで、なにをされるかわからない。一揆とは、やりそうなふりをすれば、それでいいのだ。  年貢は、収穫高に応じて無理のない取り立てをする以外にない。その収穫高の査定は、うまくいっているのだろうな。殿さまにとっては最も気になることだ。農民に甘く見られても困るが、あまり厳正にやって働く意欲を失わせても困る。といって、殿さまには農作物のできぐあいは、まるで見当がつかぬ。  その解決策として、収入担当の部門と支出担当の部門とで、人事の交流をしばしばやっている。そのしきたりがいつのまにか確立した。収穫高の査定の手かげんをして農民に人気のある者は、支出を担当する側に移った時、もっと収入をふやせと大きな口はきけなくなる。武士たる者、あまり矛盾した言動はできないのだ。  収入と支出の係を何回かくりかえしているうちに、しぜんと人材がふるいにかけられる。ここで才能を示すことができれば、たとえ家柄がいくらか低くても、そのご他の役職をへて家老に昇進することもできる。げんに、この城代家老もその経歴の持ち主なのだ。けっこう苦労をしたのだろうな、と殿さまは思う。これまでの人生はどんなだったのだろう。しかし、それについては城代も話さないだろうし、かりに話したところで、殿さまには十分の一も理解できないことだ。  城代家老は言う。家老の一人が老齢と病気を理由に、お役ごめんを申し出ております。最年長の家老のことで、先代以来ずっとその職にある。ぐあいはどうなのだと聞くと、あまりはかばかしくないようでございます、と城代は答える。  きのどくなことであるな、と殿さまは言い、回想をする。いつのまにか年月がすぎさっていったな。その老いた家老は、なにかというと先代の殿、つまりわたしの亡父のことだが、それを引きあいにだしてわたしに意見をしたものだ。最初のうちはうるさく感じ、腹の立つ気分にもなったが、そのまま家老をつとめさせた。わるぎがあっての意見ではないのだし、わたしに対する忠告の道を藩内に作っておいたほうがいいと考えたからだ。わたしもなるべく彼が意見したがるようにしむけた。老いた家老はその状態に満足し、いろいろとしゃべったものだった。もっとも、わたしを直接に批難するのではなく、いつも、先代はえらかったとの間接の形をとってではあったが。  その話を聞くことで、わたしは亡父の人となりを知ることができた。父と子とはいっても、江戸では一年おきにしか生活をともにしなかったし、その期間でさえ、藩内のくわしいことは話してくれなかった。父はわたしに、武術と学問と修養のみをやらせた。わたしがもう少し成長したら話すつもりだったのだろうか。だから、わたしは父が国もとでどんなふうだったのか、まったく知らない。  わたしは父の生前のことを知るために、その老いた家老をその職にとどめておいたようなものだ。しかし、もはや知りつくした。老いた家老は何度も何度も同じことをくりかえして話すようになった。そして、ぐちっぽくなった。武勇の気風がうすれたとなげく。また、支出の増加、とくに江戸屋敷の費用の増加については理解できないらしく、むかしはよかったと、なにかにつけて言うようになった。  たしかに、江戸での費用はふえる一方だ。江戸での一般の生活は派手になり、体面を保つための金もそれだけかかる。参勤で江戸にいる時、幕府の役職につけない外様大名は、派手さを示して気分のはけ口とする。たとえば、屋敷およびその近所の火災にそなえ、火消し組を持っているが、その衣装に金をかけたりする。どこかがそれをやると、それに釣り合せないと、体面が保てない。  体面などどうでもいいとは思うが、あまりにまずしげだと評判が落ち、幕府から軽蔑《けいべつ》される。いい家柄との婚儀もととのわなくなる。そうなると、万一の際に見殺しにされるおそれがある。まったく、なんだかだと、江戸づめの家老は苦労している。お家安泰のために、幕府の役人をもてなさなければならぬ。進物、時候見舞い、冠婚葬祭、なにかと金を使わなければならない。赤字財政と知りつつ、それをつづけなければならぬのだ。  商人から借りた金の、返済くりのべの交渉も、手ぶらではできぬ。屋敷に火事が起きたら大損害だから、火消し組を置いておくようなものだ。火消し組の費用がむだだからと廃止したら、より大きな損害の危険をまねくようなことになる。江戸屋敷の人員もふえざるをえない。人員がふえると、つまらぬことで事件をおこす場合がふえる。江戸屋敷の者が他家の者とけんかでもしたら、一大事だ。国もとならどうにでもすませられるが、江戸ではそうもいかない。穏便にすませるため、もみ消しにまた金がかかる。  なにしろ、出費はふえる一方なのだ。わたしが悪いわけではない、だれが悪いわけでもない。わけのわからない世の流れなのだ。たしかに、流れをさかのぼった昔はよかったにちがいない。江戸の生活も質素ですんだし、武事のほうに重点があった。さらにその前の、参勤交代などなかった時代なら、もっとよかっただろう。戦いをやってるほうが、金の心配より楽だったかもしれない。しかし、そんなことを論じてもしようがないのだ。  老いた家老のお役ごめんをみとめることにしよう、と殿さまは言う。亡父のなごりが消え、ひとつの時期の過ぎ去ってゆくのを実感する。城代家老は、後任のことについてはいかがいたしましょうと言う。よきにはからえと答えるわけにはいかない。あの老いた家老のところには、亡父の腹ちがいの弟が養子にいっている。そのことでのわたしへの遠慮から、自動的にそれが推薦されかねない。悪い性格ではないのだが、経験豊富とはいえない。お家のためには、もっと有能な人材をえらぶべきだ。  しかし、老いた家老のあの養子、わたしの叔父といえる者、かりにわたしの亡父が幼くして死んでいたら、いまは領主となっているわけだな。世が世ならと考えたことがあるのだろうか。ないだろうな。だれもがそんなことを考えたら、どの藩もお家騒動の連続で、すべておとりつぶしになってしまう。それに、藩主の生活が決して楽しいものでないことは、藩士ならだれでも知っている。そういえば、わたしだって、もっと別な人生を持てたかもしれないなど、考えてもみたことがない。そういうものなのだ。  殿さまは城代に言う。多くの役職を経験し、大過なく仕事をしてきた者のなかから選ぶのが順当なのではなかろうか。候補者を三名ほどあげてくれれば、そのなかから選べるのではないだろうか。なにも急ぐことはないようだが。  数日中にその答えが出るだろう。だれが見ても順当という一人は、わたしにも想像がつくし、城代も承知のはずだ。その名が第一に読みあげられる。あとの二人は形式上のつけたりだけ。だが、わたしが選んだということで、当人は喜び、それだけ藩のために熱心に働くというしくみなのだ。  これで報告は終りかと思うと、城代家老は頭を下げ、はなはだ申しあげにくいことでございますが、と言う。殿さまがうながすと、さきをつづける。城下の材木問屋の主人が、たまたま仕事のことで、この表御殿に来ている。殿さまがお目通りを許し、お声をかけて下されば、どんなにかありがたがることでしょう。  殿さまは理解する。その店から藩が借金をしているのだな。利息を一部だけ払うことで、借金返済のくりのべをしてもらったのだろう。その仕上げに、わたしへの目通りが必要という意味なのだろう。やむをえないことだろうな。金には敬意を払わなければならない。商人に対してではないのだ。それにしても、あの利息なるものは、だれが最初に考え出したのであろう。年に何分かの割合で、しぜんにふえてゆく。休むことなくふえてゆく。藩でも収入をふやそうと、新しい農地を開墾したり、特産品を作って江戸や他藩へ売る努力もしている。しかし、利息のふえかたに追いつけないのだ。あの利息さえなければ、藩士たちの禄を毎年少しずつでもふやしてやることができるのだが。  殿さまは城代に言う。借金だの利息だのは、いつまでもふえつづけてゆくのであろうか。このままだと、どういうことになるのだろうか。そのへんのことがよくわからぬ。慣れてきているとはいえ、殿さまにとって気になることなのだ。精神的には慣れていても、理屈の上では慣れにくいことなのだ。金銭のことを口にしても、いまや恥ではない。敵を知らなければ、百戦あやうからずと言えない。もっと知っておきたいのだ。  城代は答える。そうご心配なさることはありません。そして、その解説をつづける。江戸づめの家臣には、これについての情勢をとくに注意して報告するよういいつけてある。それによると、どこの大名もかなりの借金を持っている。しかし、借金によってお家が破滅したという藩は、これまでにひとつもない。金を貸している商人たちは、そのことで大名家をおどかすことはできる。おそれながらと幕府へ訴え出ますと、すごんでみせることもできる。しかし、現実に訴え出てまで、貸金を取り立てようとした者はない。訴え出れば、そのお家はおとりつぶしになる。そして、貸した金は消えてしまい、まるで返ってこない。商人はこんなばかなことをやるわけがない。農民一揆なら新領主を迎えることができるが、商人の貸金はだれも引きついでくれない。返済請求の訴えは、一揆よりさらにわりが悪い。  借金でつぶれた藩はひとつもないが、大名に金を貸しすぎてつぶれた商人はたくさんある。どうせ返ってこない金ならばと、貸すより遊びに使おうとする商人もあるが、そういうのは分不相応なおごりということで、幕府に財産を没収されたりする。あるいは、借金のさいそくに腹を立てた譜代大名あたりが、幕府の役人に巧妙に働きかけ、財産没収をやるようしむけるのかもしれない。そうとすれば、きのどくなものです。財産没収を防ぐには、大名からの借金申し込みに、少しずつ応じておかなければならない。このへんが虚々実々のかけひきというところです。  万一、借金のために藩がつぶれはじめたとなると、幕府だって平然としてはいられないでしょう。幕府の役人には、すぐれた人がそろっている。ほうっておくはずがなく、なにか手を打つにきまっています。将来において、借金でつぶれる藩が現実に出るかもしれない。しかし、その最初につぶれる藩にならなければいいわけです。その注意さえしておけばいい。いまのところ、わが藩にその心配はございません。  なるほど、そういうものかな、と殿さまはつぶやく。むかしの武士たちは、敵を恐れず死をも恐れなかった。敵も死も恐るべき対象ではあったが、それをなんとか克服してきた。借金もまたかくのごとし。城代の言うような考え方で克服せねばならぬのだな。しかし、それにしても、なんというちがいだろう。わたしにはまだ実感として克服できない。そのうちまた同じ質問をし、城代は同じ説明をすることだろう。  殿さまは城代家老に言う。その商人とやらには会うほうがいいようだな。お側用人が立ち、商人を連れて戻ってくる。商人は四十歳ぐらいの男。城代のななめうしろのほうにすわり、殿さまにむかって平伏する。いつも見なれている家臣の平伏とは、ずいぶん感じのちがう平伏だな。硬軟の差がある。  城代が商人を紹介し、殿さまは声をかける。いつも藩のために働いてくれているとか、うれしく思っておる。商人は恐縮した身ぶりをしたが、殿さまにはそれがどのていど本心からのものか、見当がつかない。家臣であれば大体のところはわかるのだが、商人とのつきあいはまるでないといっていいのだ。  殿さまはいくらか好奇心をおぼえ、ちとたずねたいことがあるが、と言う。そちは江戸へ行き、さまざまな商人とつきあいがあるだろうが、あの江戸の商人たち、どうやって店を持つに至ったのであろうか。  意外な質問に商人は驚きながら、城代のほうを見る。しかし、城代にうながされ、いちがいにはいえませんがと話しはじめる。知りあいをたどって、十歳ぐらいから店に住みこむ。朝はやくから夜おそくまで、どなられひっぱたかれ、ひっきりなしに使われる。給金も休日もなく、頭の下げつづけ働きつづけ。そうしながら、少しずつ商売をおぼえ、才能がみとめられると、商売をまかされるようになる。そして信用がつくと、やがて、のれんを分けてもらい、自分の店を持てるようになるというわけでございます。  のれんとはなんのことやらわからないが、容易なことではなさそうだな、と殿さまは感じる。まるで別の世界だ。とても武士にはつとまりそうにない。いまの話が本当とすれば、藩主にしろ家老にしろ、商店の主人のようなひどい人の使いかたはしていない。かたくるしい武士をやめ、きままな商人に、とかいう文句があると江戸で耳にしたが、とても武士の割り込める世界ではない。きままなものであれば、武士や農民がわれがちに商人になっているはずだ。だいたい、この世の中に、きままな仕事などあるわけがない。  そういうものであるか、こんごも藩のためにつくしてもらいたい、ごくろうであった、と殿さまは言う。商人はまた平伏し、城代家老とともに退席する。  殿さまはそれを見ながら、ああ、あの話をしておいたほうがよかったかなと思う。江戸で手に入れた植物の種子のことだ。桜桃という果樹の種子だが、長崎を経由して南蛮からわたってきた種類で、味のいい実がなるのだという。城内にその種《たね》をまかせたところ、芽が出て何本か育ちはじめているという。話どおりだったら、やがて美味の実がなることになる。この藩の特産品になるかもしれない。借金の返済に役立つことになろうし、商人も少しは安心したかもしれない。いや、家老か勘定奉行かが、すでに大げさに話していることだろうな。なにもかも借金のいいわけに結びつけ、利用しなければならない時勢なのだ。わたしが話したら、商人は腹のなかで笑ったかもしれぬ。桜桃とやらの苗が育ったとして、実をつけるまでに何年、それの種をまいて育つまでにまた何年、特産品といえるほどの量がとれるまでに合計何年、いっぽう利息のふえかたを計算し、その比較まですぐにやってのけるのが商人というものらしい。商人たちの頭のなかがどうなっているのか、わたしにはさっぱりわからぬ。将来の利息なんて、とれるかどうかわかったものでない。そんな不確実なことの計算をやってみて、どうだというのだ。  それにしても、南蛮というのは、どんなところなのだろう。いや、こんな想像をしてみたところで、どうにもならない。わたしは江戸と国もと以外には行けないのだ。商人の世界すらわからない。南蛮とはそれよりも、もっともっとちがった世界にちがいない。縁のないものだ。しかし、ぜんぜんほうっておくのもどうかな。藩士の子弟の頭のよさそうなのを、長崎とやらに勉強に行かせたほうがいいかな。はたして役に立つのやら、何年ぐらいかかるものやら、これまたわからない。さっきの桜桃の苗と同じようなものだ。おりをみて、家老たちの意見を聞いてみるとするかな。  また、殿さまはべつなあることを思い浮べる。いまの商人、まさか幕府の隠密《おんみつ》ではないだろうな。幕府が各藩の動静をさぐるために使っている連中のことだ。どういうしくみになっているのか、これまたさっぱりわからない。しかし、おそらく各藩につねに駐在している隠密と、定期的に巡回しそれらの報告を集めるのとの、二つから成り立っているのだろうな。それを継続的にやっていれば、各藩のようすのあらましはつかめるにちがいない。そして、なにかこみいった問題が発生しているらしいと思われた時だけ、すぐれた経験者を派遣するのだろう。  その、各藩に駐在している隠密だが、商人をよそおっているのが多いのではないだろうか。そしらぬ顔でその地に腰を落ち着けるには、商人が適当だろうな。かごかきや農民では、記録や報告のための文字を書いてるところを、他人に見られたらおしまいだろう。しかし、あんまり大きな店を持った商人でもぐあいが悪いかもしれない。小さな店を持って商売でもしているのだろうな。だが、任務と商売を両立させるのは大変なことにちがいない。目つきが鋭かったら、お客が寄りつくまい。商売が順調だったら、いつまでも結婚しないでいると周囲に怪しまれる。おれは隠密だからと縁談を断わるわけにもいくまい。  怪しまれないために結婚するわけだろうが、たとえ夫婦のあいだでも、隠密であることは秘密なんだろうな。子供にもそうだろう。うっかりしゃべったら、子供はよそで、うちは隠密なんだぞといばるにちがいない。報告書は、妻子の目を盗んで夜中にこっそり書くのだろうか。一揆さわぎの時には、いっしょになってさわぐのだろうか。けんかに巻きこまれても、おれは隠密なのだといなおることもできないのだろうな。といって、決してけんかに巻きこまれないとなると、これまた、まわりから変な目で見られるのだろうし。どんな生活をし、毎日なにを考えているのか、わたしには想像もつかない。だが、慣れてしまえば、それなりに案外なんということもないのかもしれぬ。巡回の隠密が来た時だけ、異状なしでござると言っておけば、あとはほどほどでいいのだろう。緊張の連続で一生をおくるなど、人間にできるわけがない。  はたして隠密なんて実在するのだろうか。天狗《てんぐ》や鬼婆のごとき伝説上のものではないかと思うこともあるが、なんとなくいるような気もするな。藩内に対して、どこかで幕府の目が光っているようだ。ただの気のせいではないだろう。隠密の話を最初に聞いた時は恐ろしく思ったが、いまではわたしも慣れてきた。借金と似たところがあるな。  藩内があまりに混乱してくると、幕府はお国がえやおとりつぶしを命じる。あまりに景気がいいと、修理工事を命じて金をはき出させる。しかし、さっき城代家老が言っていたように、どこの藩もそうだろうが、ほどよい貧乏さを意識して作りあげているところでは、隠密はどう報告し、幕府はどう感じるのだろう。いやいや、それが幕府の思うつぼなのかもしれない。外様大名は、生かさず殺さずの形にしておくのが、最も望ましいところなのだろう。面白くないが、外様大名にとっても、腹八分目ぐらいの空腹つづきが、お家安泰の秘訣《ひけつ》といえそうだ。  正午を告げる太鼓の音がひびいてくる。お側用人は、きょうはほかにございませんと言い、殿さまは立ちあがる。そして、奥御殿へと戻る。昼の食事のためだ。食事の間の座ぶとんの上にすわり、毒見役を経由してきたひえた料理を、小姓の給仕で食べる。すまし、野菜の煮つけ、いわしのひもの、めし。食事というものには、楽しさなど少しもない。それでも、江戸屋敷での食事は、ここにくらべたらいくらかいいかな。わずかだが種類に変化がある。  たまには変ったものが食べてみたいが、それは無理なことだ。わたしがそう言い出せば、料理係がいままで怠慢だったことになり、責任をとらされる。そんなことで武士に責任をとらせては気の毒だ。また、わたしがそれをやると、藩のなかにその風潮がひろがりかねない。食費がふえれば、それだけ生活が苦しくなる。欲望がふくらみはじめるときりがない。よからぬことで収入をふやそうなどと考える者も出るだろう。ろくな結果にならない。わたしががまんすることで、それが防げているのだ。江戸の風習は、なるべく持ちこまないようにしなければならぬ。  ここの国もとの生活と、江戸での生活と、どっちがいいだろうか。一長一短だな。ここでは自分で藩政をやっているのだとの実感がえられる。江戸では、人質として滞在しているのだとの、ひけめのようなものを感じての生活だ。しかし、江戸においては、わりと自由に外出できる。単独行動はもちろんできないが、下屋敷すなわち別荘に行ったり、遠乗りをしたり、時には親戚《しんせき》の屋敷を訪れることができる。江戸では大名が珍しい存在でなく、それだけわたしも気が楽だ。  江戸の町人たちは舟遊びや芝居見物を楽しんでいるらしいが、どんなふうに面白いのか、わたしにはわからない。やったことがないし、それらは大名にとって許されないことなのだ。おしのびでひそかに楽しんだ大名のうわさは聞いたことがあるが、事実ではないだろうな。舟が沈んで死んだり、芝居小屋でさわぎに巻きこまれてばかな目にあったりしたら、お家はおとりつぶしだ。藩士たち何千人の生活にかかわることだ。江戸屋敷の者が許すわけがない。  わたしは子供時代を江戸ですごしたためか、藩主となって参勤交代をはじめた最初のころは、江戸のほうを好んだ。江戸につくと、帰ったという気分になれた。しかし、このごろは、なんだかこの国もとのほうが好ましく思えるようになった。田園的な素朴な光景がいい。いったい、わたしの故郷はどっちなのだろうか。  いま、江戸屋敷では、江戸家老や留守居役たちが、大過なく仕事をやっている。けっこう大変な仕事のようだ。幕府の役人の人事異動にたえず気をくばり、あいさつをつづけておかねばならぬようだ。他の各藩の評判なども聞きまわっておかなければならない。まあ、わが藩の隠密といったところかもしれぬな。時には、つきあいで派手に遊ぶこともあるようだが、仕事につながっていては、心から楽しむわけにもいかないだろうな。  わたしはまもなく参勤交代に出発し、あとは城代家老にまかせる形となる。これまでのところそれで大過なくやってきたし、これからもうまくゆくだろう。となると、わたしの存在する意味はどういうことになるのだろうか。江戸にいなくても江戸はやってゆけ、藩にいなくても藩はやってゆける。時たまこのことを考えると、むなしくなる。  わたしは渡り鳥のようなものだ。北から南へ、南から北へ、そのくりかえしで人生がすぎてゆく。渡り鳥の故郷は北なのか南なのか。故郷はないことになるのだろうか。江戸ではどことなく自分がやぼったい存在に思え、気がひける。国もとにいる時は、自分があか抜けた存在にならぬよう気を使わなければならぬ。  もしかしたら、藩主などいなくても、すべてはやっていけるのかもしれぬ。しかし、藩主のない状態など、考えられない。お飾りのないお祭りが想像できないのと同じようなことだな。藩主はお飾り。しかし、なぜお飾りが必要なのであろうか。そういえば、さっきの商人は、のれんがどうのこうのと言っていた。のれんとはなんのことやらわからないが、やはり一種のお飾りのようなものではなかろうか。  へんなことを考えはじめてしまったな、と殿さまは思う。お飾りとは、人体における顔のようなものか。顔つきなんてものは、生きてゆく上に絶対に必要とはいえぬ。しかし、顔がなかったら、だれがだれやら区別がつかず、混乱するばかりだ。  顔というより、もっとぴったりの言葉がありそうだが。表徴とか標識とか。そんなところだろうな。なにしろ世の中には、さまざまな職業があり、それぞれに特有の生活様式というか型というか、そういうものがある。それが組み合わさって世の中となっている。いいか悪いかは別として、これが現実。そこで標識が必要となってくる。  みんなが同じ服装だったら、どうなる。なにげなく道でぶつかったとたん、相手が武士に対して無礼だと怒り出したら、目もあてられない。武士なら武士らしく、刀をさしていてもらわなければならない。刀は、武士という身分に属しているとの標識なのだ。  家紋も標識。譜代《ふだい》と外様《とざま》との見分けがつかなかったら、江戸城内で収拾がつかない。医者、坊主、神主などが、同じ服装で同じような建物に住んでいたら、どうにもならぬ。服装や髪形での標識がなくてはならぬ。字の読めぬのが多いのだから、一目でわかるように。  独身でない女は、歯を黒く染めなければならない。これも標識。それがなかったら、ひとの女房をくどいたのどうのと、けんかが絶えない。この城なんてものも、一種の標識といえそうだな。城がなかったら、それこそお飾りのないお祭りだ。形にはなっていないが、正室なんてのも標識のようなものだな。どこと縁つづきだということで、なにかと役に立っている。標識をまるで持たない者はいるだろうか。隠密はそうかもしれないな。罪をおかして処刑される時、おれは幕府の隠密だと叫んでも、だれも信用してくれない。だまって死ななければならないわけだ。標識があるからこそ、世の中がうまく流れてゆく。  世の中における最大の標識はなんだろう。金銭かもしれないな。わたしにはよくわからぬが、商人たちはそれをねらって熱心に利益をあげ、その金を大名たちに貸す。利息がふえ、それをめぐってなんだかだと起るが、けっこうなんとかなってゆく。つぶれる商人がいても、そのあと、べつな商人があらわれ、あとをおぎなう。それなら、それと同じことを金銭という標識なしでもやれるかというと、まあ無理だろう。  標識、お飾り、これはかなり重要なもののようだな。藩主というお飾りであるわたしも、そう考えれば、むなしいどころか、大いに誇りと自信を持っていいはずだ。そうとでもしておかなかったら、どうにもならぬ。  考えごとが終り、殿さまは食事を終える。小姓がタバコ盆を出す。それが慣習になっているのだ。殿さまは江戸で親戚の屋敷を訪れた時、はじめてタバコなるものを見た。それはいかなるものであるかと聞くと、説明をしてくれ、のちほどタバコ道具がとどけられた。それ以来、吸っている。うまいものとは思わないが、煙の流れるのをながめていると、気分がやすらぐ。  そういえば、けさのあけがた、なにか夢を見たようだな。雲だか霧だかのなかを、飛びはねたようなのを。勝手に飛びまわれたら、さぞ楽しいことだろうな。しかし、わたしにはできないことだ。存分に飛びはねようにも、どうしていいのかわからぬ。ひとりで動きまわろうとすれば、霧のなかをさまようようなもので、すぐに足をふみはずすだろう。  殿さまは何服かタバコを吸う。横になりたくても、足をくずしたくても、身のまわりの世話と護衛の役である小姓が、そばにしかつめらしく控えている。それもできぬ。この奥御殿は、わたしにとっては私的な場所だが、小姓たちにとっては公的なつとめなのだ。  もっとも、殿さまはもの心ついてから、ずっと正座のしつづけなのだ。そういうものだと思っているので、なんということもない。  食事のあと一時間ほどたつと、日課である武術の稽古《けいこ》の時刻となる。殿さまはまた座敷に立つ。小姓たちが稽古着に着かえさせてくれる。わたしは自分で着物をきることができるだろうか。できそうな気もするが、自信はない。なにしろ、やったことがないのだから。  まず、弓術。的にむかって矢を射かける。さほど本数が多いわけではない。武術とは毎日休まず、少しずつつづけるところに意味がある。気のむいた時にだけたくさんやるのでは、娯楽になってしまう。それでは上達しないのだ。殿さまは、少年時代に弓に熱中した時のことを思い出す。あれは娯楽だったのだな。見る人が見ると、すぐにわかる。だから注意され、わたしはわけもわからず恥ずかしさをおぼえた。たしかに、的に当てることだけに熱中したものだ。  しかし、いまはそうではない。修養、いやいや、そんな意識もない。ただ弓を引きしぼり、矢をはなつだけだ。的に当てようと思ったからといって、当るというものでもない。心の澄みかたと身体の調和との一致の結果として、的に当る。きょうは、最初のうち矢が乱れる。これではいけない。邪念が残っているからだろう。姿勢を正すようにつとめる。すると、しぜんに邪念が消えてゆく。邪念というやつは、消そうとしても消えるものではない。追い払おうとすればするほど、まとわりついてくる。だが、的にむかって精神を集中し、姿勢を正すと、邪念は薄れていってしまう。ふしぎなものだ。矢がつるをはなれた瞬間に、すでに手ごたえを感じるようになる。いつのまにか、さきほどまで心のなかでもやもやしていたものが、なくなってしまっている。なにをあれこれ悩んだのかさえ、もはや思い出せない。  弓術の指南番が、よろしゅうございます、と言う。へつらうのでもなく、はげますのでもなく、殿さまの調子のととのったのを見きわめ、それを声に出したのだ。殿さまにもそれがわかる。毎日毎日つきあっているのだから、へつらいのたぐいの入りこむ余地はない。この指南番は、わたしの心の動きを見とおしているようだな。  ひと休みし、つぎは槍術《そうじゆつ》。剣術と一日おきの日課で、きょうは槍術の日。さきを布で包んだ稽古|槍《やり》で、指南番を相手におこなう。静と動とのちがいはあるが、弓術と同じく、心のゆるみが最も自戒すべき点。つけこまれるのは、すきがあるからだ。それを防ぐには、相手の動きを一瞬のゆるみなく注視しつづけなければならない。やさしいようだが、これがひどくむずかしい。相手の全体に目をむければ、部分への注意がおろそかになり、部分に気をとられると、全体がおろそかになる。その双方に、かたよらない視線をむけつづけなければならない。そして、相手の動きの不調和を発見したら、ただちに攻撃に移らなければならない。その時にためらったら、それはこっちのすきとなる。  殿さまは幼時からずっとつづけている。家臣の子供なら、最初は面白半分に棒をふりまわすことからはじめるところだ。しかし、殿さまは一流の指南番に、基本から教えこまれた。だから、それだけのちがいはある。はじめて指南番以外の家臣と立ち合った時、殿さまはそれを知った。教えこまれた通りにやり、勝つことができた。むなしさはなく、当然のことという感じがした。  江戸城へ登城する時、大広間で顔をあわせる他藩の大名たち。そのなかにすきだらけの者がいる。おそらく病弱のため、武術の稽古をしていないのだろう。かんがにぶく、威厳に不足している。精神的な贅肉《ぜいにく》がつきすぎている感じ。気の毒なものだなと思ったものだ。しかし、殿さまは武術を習いつづけるうち、他人をそのような目で見るのは、こちらのすきでもあると気づいた。優越感こそ、最大のすきであり、弱点である。そこで、そのような心を押えるようにつとめ、意識せずにそれができるようになった時、剣術の指南番にはじめてほめられた。このところ、一段とご上達なさいましたと。殿さまのほうも、その時はじめて目の前が開けたような気になった。  殿さまはひと休みする。さほど汗もかいていない。寒いせいもあるが、殿さまとは汗をかかないものなのだ。むやみとお茶を飲まないせいだろう。小姓がやってきて言う。雪がとけており、馬場の状態が悪いようでございます。きょうは乗馬をおやめになったほうがよろしいかと存じます。殿さまはうなずく。むりに押しきってやるものではない。むりにやって無事であれば、小姓が恥をかくことになる。むりにやって馬が倒れでもすれば、小姓の責任問題となる。  それならば、きょうは木刀の素振りをしたほうがいいようだな、と殿さまは言う。それをはじめる。参勤交代の道中を除いて、国もとでも江戸屋敷でも、毎日かかさず武術の稽古をするのが原則だ。したがって、指南番をべつとすれば、藩のなかで最もすぐれた使い手といっていい。手合せをしなくても、はたの者にはそれがわかる。  この泰平の世に、武術を現実に使う場合など、まず考えられない。殿さまが刀で切りむすぶことは、ありえない。武術もまた、お飾りのようなものだ。しかし、それが品格を作り、よそおいでない威厳を作る。さっきの城代家老も、武術の稽古をおこたっていない。異例の昇進といっていいほどなのだが、だれも成り上り者とのかげ口をきかず、その威厳に対して心服している。お飾りがあればこそだ。  殿さまは木刀を振りつづける。振りおろす時に木刀の先から、目に見えぬしずくのごときものが飛び散る。心のなかの、もやもやしたものの残り、それが出てゆくのだ。借金のことも、隠密のことも、商人のことも、つぎつぎに抜け出してゆく。鎌で雑草を刈り取る行為のようなものだともいえる。いかに刈り取っても心のもやもやは、夕方になれば、あしたになれば、また育ってくるだろう。生きていて心という土壌のある限り、それはやむをえないことなのだ。しかし、一日に一回は刈り取るべきものだろう。雑草を茂るにまかせておいたら、そこは陰湿な場所となり、よからぬ昆虫や生物のすみかとなる。  それを終え、殿さまはこころよい疲れを感じる。一日中ほとんどからだを動かさない、正座しつづけの生活。それに不足しているものが、ここでみたされるのだ。身心ともにすっきりする。  座敷へもどると、小姓たちが稽古着をきかえさせてくれる。手を洗い、タバコを一服する。この時の一服だけは、やはりうまいようだなという気分にさせてくれる。さすがにのどがかわき、お茶を飲みたいという。毒見役の点検をへたぬるいお茶が運ばれてきて、殿さまはそれを飲む。  そのあと、殿さまは読書をする。机にむかい、本を開く。このところ唐詩の本を愛読しているのだ。べつに読んだからといって、藩主としての心がまえや藩政に役立つものでもない。しかし、あまった時間を埋めるには読書がいいのだ。唐詩なら低俗でなく、殿さまが読んでふさわしからざる本ではない。  何回も読みかえしたので、書いてあることはほとんどおぼえこんでしまっている。しかし、目で文字を読むと、好ましい印象が新鮮さをともなって迫ってくる。この簡潔さがいい。殿さまはかつて和歌を学んだし、自分でも作れるのだが、最近は詩のほうによさを感じている。和歌は感情を表現しなければならない。だが、藩主たるものは、できるだけ感情をあらわさない生活。そんなところに原因があるのかもしれない。詩のなかでは、李白の作がいい。   越王勾践破呉帰 (越王勾践《えつおうこうせん》呉を破りて帰る)   義士還家尽錦衣 (義士家に還《かえ》りて尽《ことごと》く錦衣《きんい》す)   宮女如花満春殿 (宮女花の如《ごと》く春殿に満ちしが)   只今惟有鷓鴣飛 (只今惟《ただいまた》だ鷓鴣《しやこ》の飛ぶあり)  直接に情緒を描写せず、よくこれだけ簡潔にまとめたものだ。越王が会稽山にこもり、臥薪嘗胆《がしんしようたん》、ついに呉を破って凱旋《がいせん》した。武士たちは錦《にしき》を着け、宮殿ははなやかさをとりもどした。そして、最後の一句がいい。だけどそれはむかしのはなし、いまは城跡に山鳩が舞う、といった意味。意外性を示しながら、前の三句を否定するわけでなく、一段と印象を高めている。感情を示す字をひとつも使ってないのに、なにかがぐっとくる。  城。この城ができたころは、どんなだったのであろうか。戦いがおこなわれたのだろうな。勝ったのだろうか、負けたのだろうか。たくさんの血が流れ、命も失われたのだろうな。しかし、家臣たちはそのむかしのことは少しも考えず、藩政の事務を毎日くりかえしている。  殿さまは天守閣にのぼってみようかなと思うが、思いとどまる。小姓に言い、天守閣の係に連絡し、用意をととのえてからでなければできないのだ。思いたったことをすぐやろうとすると、みなに迷惑がおよぶ。  五時ごろになる。夕食の時間。また食事の間へと行く。魚の焼いたもの、そのほか例によって変りばえしない料理だ。食事が終りかけると、給仕の小姓が、お酒になさいますか、甘いものになさいますかと聞く。甘いものとは干し柿《がき》のことだが、それはきのう食べた。きょうは酒にしよう、と殿さまは言う。  やがて、おちょうしがひとつ運ばれてくる。毒見役が杯でひとくち飲む。殿さまはそれをながめて、あいつは甘党だったなと思う。酒の毒見には、そのほうがいいのだろう。酒好きだったら、ものたりなくて、帰宅してから大いに飲みなおすかもしれない。  おちょうしひとつの、ぬるい酒を殿さまは飲む。酔えるほどの量ではないが、いくらかからだがあたたまってくる。だが、これ以上は飲むわけにいかないのだ。殿さまのからだは藩のものでもある。個人的な欲望で、酒のために健康を害してはいけないのだ。食事のあとタバコを何服か吸うと、かすかな酔いもどこかへ消えていってしまう。  しばらくすると、小姓がやってきて、藩校の先生がみえましたと報告する。食後に二時間ほど勉強するのが日課となっている。そのための座敷にゆく。四十歳ぐらいのその先生は、平伏して迎える。殿さまはいつものように机をあいだにむかいあってすわる。これは家老のひとりの兄に当る男。本来なら、この男がその家をつぎ、藩の役職についているべきところだ。しかし、子供の時にあばれて左手を折り、手当てが悪かったためか、自由に動かせなくなった。これでは武士としていざという時にお役に立たぬと、相続を弟にゆずり、本人は勉学の道をこころざした。藩もいくらか金を出し、江戸で学んで戻ってからは藩校の先生になっている。  きょうも今昔物語のなかから選んでお話し申しあげることにいたしましょう、と先生は書物をひろげて言う。むかし、ある男があった。外出さきにて、ふとしたことから盗賊の計画をぬすみ聞きしてしまう。なんと、その目標にされているのは、自分の屋敷であった。  殿さまはうなずきながら聞く。四歳の正月に素読をはじめて以来、ずいぶんさまざまな勉強をしてきた。休んだ日はほとんどない。論語など、何回読まされたことか。最初のうちは字をおぼえるのだけでせい一杯だった。つぎには意味を知るのにせい一杯だった。文の解釈について、何度も聞きかえしたものだ。それがずっとつづき、わたしは世の中で学問といえば、儒学だけかと思いこんでいた。江戸屋敷ではいろいろな学者を呼ぶことができた。そのうち、先生によって話すことにちがいがあるのに気づいた。儒学の理想に重点をおくのと、実践のほうに重点をおくのとの差だった。同じ儒学でも各種あるらしいと知った。そのうち、初歩の軍学を習いはじめたりし、儒学とはまるで別な学問のあることを知った。  習字もやらされたし、和歌もやらされた。万一の場合には、辞世をしたためなければならないからだと言われた。いい気分ではなかったが、あまりにへたくそな字で、へたくそな辞世を作ったのでは、お家の恥となる。たしかにこれは重要なことだ。笑いものになりたくないとの意地で、書と和歌とに熱中したこともあった。そのほか、神道だの、仏教だの、禅だの、さらには茶道だの、あれこれと学ばされたものだ。いつ、どんな時に恥をかくかもしれないからだという。それは個人の恥ばかりでなく、藩の恥にもなる。  しかし、亡父のあとをついで藩主となってからは、むきになって学ぶ気もしなくなった。ここでも江戸でも、学者の話をきき、わからぬ点を質問し、いちおう理解するだけ。世の中にはさまざまな知識や考え方があるということを、知る程度にしている。ひとつの学問に熱中しつづける藩主もあるようだが、危険なことではないだろうか。藩主がそうなると、家臣たちもそれにならう。なにかの際に、それで身動きがとれなくなりかねない。お家の安泰のためにはならないのではなかろうか。  いやいや、わたしはさまざまな変った考え方を知ることに、興味をおぼえているのだ。ただひとつの楽しみ。わたしに許された楽しみは、これ以外にないのだ。しかし、最近は年齢のせいか、あまりに理屈っぽく抽象的なのは苦手になってきた。そのようなわたしの内心を、この先生はそれとなく察してくれているのか、このところ今昔物語の話をしてくれている。  その盗賊の相談を耳にした男のことでございますが、逮捕するため役所に訴えたかと申しますと、さにあらず。妻子をよそへ泊りにやり、召使いに命じて、家財のすべてを近所の家に移し、自分もまた外出した。つまり、家をからっぽにしてその日を待った。  殿さま、またうなずく。大声で感心したり、笑ったりする習慣は身についていない。しかし、面白い話だな。そういう作戦もあるとは。これをおぼえておいて、江戸城の大広間での退屈な時間に、他の藩主に話してみるか。おそらく知らないにちがいない。いや、やめておいたほうがいいだろうな。相手が知らなければ、恥をかかせることにもなるし、知っていたら、とりたてて話したわたしが恥をかく。大声で話すと礼儀をわきまえぬことになるし、小声でささやいたら幕府の役人に怪しまれかねない。話題は時候のあいさつにとどめておくほうがいいのだ。  その今昔物語の話が、さらに面白く発展しかけた時、小姓がやってきて言う。申しあげます。江戸屋敷の者がただいま帰国いたしましたので、そのことをお伝え下さいとのことでございます。  殿さまは先生に、というしだいですので、そのつづきはあすにでもと言い、席を立つ。面白くなりかけたところで先が気になるが、江戸屋敷の者が帰ったとなると、早く報告を聞きたい。なにか変事が起ったのでなければいいが。いつもその不安を感じてしまう。それを表情にあらわすことはないが。  殿さまは表御殿へと行く。公的な報告を奥御殿で聞いてはけじめがつかないのだ。藩政についてはすべて順をふみ、担当の責任者か家老を通じて報告を受けることになっている。しかし、江戸屋敷からの定期的な報告は、特例となっている。江戸には江戸家老がおり、その代理である使いなのだから、直接に報告を聞いても、けじめが乱れるわけではない。もっとも、決裁を要する事項は、城代家老を通じてということになっている。  表御殿の広間へ出ると、江戸からの使いは旅姿のまま平伏して待っている。そして、言う。途中でもう一泊しようかと思いましたが、国もとが近づくとつい足が早くなり、このような時刻に到着してしまいました。お休みのところを申しわけございません。殿さまは言う。いや、いっこうにかまわぬ。少しでも早く知りたい。で、江戸でなにか変ったことが起ったのか。  いえ、すべて無事にはこんでおります。使いのその報告で、殿さまはほっとする。これを聞くために生きているようなものだ。国もとにいる時は江戸のことが気になり、江戸屋敷にいる時は国もとのことが気になる。無事という言葉を聞くと、表情には出せないが、からだのなかを快いものの流れてゆくのを感じる。もっとも、いまこの瞬間にも江戸でなにかが起っているということもありうるわけだが、それを思い悩むのはもう少したってからだ。  幕府からとくに警戒されてはいないとの報告。それでいいのだ。なにしろ、注目されるのはよくない。警戒されるのがよくないのはもちろんだが、変に信頼されるのも不安なものだ。信頼されると、あとでやっかいなことを申しつけられかねないからだ。なるべく目立たないようにするのが上策。名君とはその術を心得ている者のこと。わたしもそうといえそうだな。  商人からの借金は、すべてうまく返済くりのべに成功したという。それもまたよしだ。江戸の者たちはよくやっているようだな、と殿さまは言う。  使いの者はつけ加えた。昨年の台風は西のほうの国を襲ったようでございます。そのため米が値上りいたしました。おかげで当藩の米が高く売れたのでございます。さようか、と殿さまはうなずく。西国の藩は気の毒だが、おかげでこっちは一息つける。しかし、こっちが冷害に襲われたら、それが逆になる。天候とは残酷であり公平なものだな。藩の収入はすべて米であり、財政のためにはそれを売って金にかえなければならない。豊作が望ましいのだが、どの藩も豊作となると米の価格が下り、つまらないことになる。いまみたいなのが最もいい。祖先の霊の守護のおかげだろうか。すべて無事との公的な報告がすみ、殿さまは、そのほか江戸で評判のことはなにかないかと言う。  さようでございますな、と使いは言う。江戸づめの者たちは、他藩の同役の者たちとたえず会合し、さまざまな情報を仕入れてくる。使いの者は、猿を飼うことに熱をあげている藩主の話をする。江戸での退屈をなぐさめようと、だれかが猿をさしあげたら、それ以来やみつきになった。下屋敷に何匹も猿を飼い、町人たちに命じて持ってこさせつづけている。その藩の江戸づめの者たちは心配し、相談しあっているが、幕府がこのようなことに対しどのような意向なのかわからず、みなはなはだしく困っている。  そのようなことがあるかもしれぬな、と殿さまは思う。内心で笑う気にもなれぬ。なんとなく同情したくなる点もある。病弱で武術の稽古をあまりやらぬ藩主かもしれぬ。もやもやしたものを発散させる対象がないのだ。直接に藩政に接することのできる国もとならまだしも、人質意識を感じる江戸で時間をもてあましたら、妙な方向にそれが流れ出しかねない。  それにしても、猿に熱をあげるとは、あまり例のない話だな。そこの家臣たちは、さぞ困っていることだろう。できうれば、やめていただきたいという気分だろうな。しかし、それがいいのかどうか。むりにやめさせれば、なにかべつなことに熱中があらわれるだろう。もっと金のかかることに手を出すかもしれない。神道の一派の変なまじない師に熱中するかもしれない。それらをもさまたげたら、乱心となってあらわれ、もっと危険な結果になるかもしれない。藩主の乱心の話は、時たま耳にする。  猿とはな。幕府の役人としても、前例がなく意向を示しにくいところだろうな。公儀をはばからざる行為ともいいにくい。危険性のあることでもない。どうきめるだろう。しばらくようすを見るだけだろうな。役人とはそういうものなのだ。そのうち、江戸の話題となるかもしれない。猿殿さまという呼称がささやかれるかもしれない。それに親しみの感情がこもっているか、嘲笑《ちようしよう》の念がこもっているか、そこが判定の分れ目だろうな。嘲笑のほうだと、幕府としてもほうっておかないほうがいいとなり、江戸づめの者にそれとなく注意がなされる。隠居ということになるのだろうな。それをめぐって、お家騒動が首をもちあげるかもしれない。  しかし、表面化することなく、おさまることだろう。表面化すれば、おとりつぶしにはならないまでも、ろくなことはない。担当の幕府の役人だって、在職中におとりつぶしを出し、そこの藩士たちを浪人にさせては、いい気分ではあるまい。つねにもてなしを受けてもいる。そんなことで、すべてうやむやのうちに運んでしまうことだろう。いつも派手なお家騒動を期待している江戸の町民たちは、がっかりするだろうが。町民たちは、殿さまの生活をうらやましがっているのではなかろうか。だからお家騒動を期待しているのだろう。現実は少しもうらやむべき生活ではないのに。わたしに町人のことがわからないごとく、彼らには藩主の生活がわからないのだ。  しかし、たまにはお家騒動じみた事件があるのも、悪くないことだ。家臣たちが一つの問題をめぐって心配し、あれこれ論じあう。対立はあれど、同じ運命につながっているのだとの意識を新たにする。生活が楽でないとの不満も、禄を失うよりはるかにいいと、あらためて知る。金を貸している商人たちは、お家がつぶれたらもともこもないと青くなる。一段落したあとは、藩内に活気がとりもどせるのだ。  そこへいくとわたしなど、平穏すぎていかんのかもしれぬな。お家騒動の芽もないし、わたしは奇妙な振舞いをしようとも思わない。情けないというべきか、これでいいというべきか。いやいや、そんな仮定のことを考えるべきではない。現在が安泰であるよう心がけていればいいのだ。それをつみ重ねてゆくのが、最も無難な方法。  最後に江戸からの使いは言う。奥むきのことをここで申しあげるのはいかがかと存じますが、ご正室さま、若君さま、すべてお元気に日をすごしておいででございます。若君さまは昨年おめみえをすませられて以来、一段とごりっぱになられました。  殿さまはまた奥御殿にもどり、タバコを一服する。江戸ですべてが無事と知り、からだじゅうに安心感がひろがってゆく。タバコの味さえわからない。味のわからないのがいいのだ。タバコのうまさだけが唯一の救いというのは、決していい状態ではない。  殿さまは江戸の家族のことを思い出す。母上はだいぶとしをとられたが、健在でいらっしゃる。できるだけ長生きをしていただきたいものだ。妻はわたしより五歳の年長だから、ことし四十歳ということになる。結婚して一年間ほどわたしは妻と会話をかわすだけだったが、やがて寝床をともにし、妻は妊娠をした。だが、喜ぶわけにもいかなかった。つわりが激しく、あまりの激しさにみなは驚きあわて、医者を呼んで子をおろした。妻に万一のことがあっては、実家に対して申し訳のないことになる。子供は側室によって作ることができるが、正室はかけがえない。  そして、妻はこしいれの時に連れてきた侍女のひとりを、わたしの側室に推薦した。その側室とのあいだに男子がうまれたが、生後一年ほどしてかぜのために死亡した。その時、妻はなげき悲しんだものだった。大声で泣くといったはしたないことはしなかったが、沈みがちの日々だった。わが子を失った妻の悲しみは、充分に察することができた。  そんなこともあって、わたしはあとつぎのことを気にし、この国もとに側室を作った。当時、二十歳《はたち》前の女で、家臣の娘。それとのあいだに、まもなく男子がうまれた。三歳に成長し、旅にたえられるようになってから、参勤交代の時にわたしは江戸へ連れていった。江戸屋敷の妻は大喜びし、迎えてくれた。あたしの子ね、ほんとにあたしの子なのね、と。その通りだ。そなたの夫であるわたしの子は、そなたの子にほかならない。  妻は息子をずっとかわいがってくれたし、息子もまた妻をしたっている。わたしが母上に対してそうであったのと同様に。さいわいすこやかに育ち、昨年、将軍におめみえをし、相続者としての登録をすませた形になった。年齢的には少し早すぎるが、相続者を早くきめておいたほうが安心できるからだ。  といって、父が死んでからそれまでのあいだ、わたしの相続の準備が空白となっていたわけではなかった。あとつぎがないとおとりつぶしというきまりが存在するからには、藩として一日たりとも落ち着いてはいられない。かりにわたしが落馬して死亡したら、藩そのものがそれで終りとなる。  そのため、母上の甥《おい》に当るしっかりした若者をひとり、養子の候補者として用意しておいた。つまり、母上の実家である譜代大名の三男という人物だ。万一わたしが死亡した場合、国もとであれば早飛脚《はやびきやく》で江戸屋敷に連絡する。江戸屋敷で死亡した場合は、数日間それをかくす。そのあいだに養子の手続きをとり、将軍へのおめみえをすませ、しかるのちにわたしの死をおおやけにするというわけだ。江戸づめの者は、関係者へのつけとどけをおこたらず、いつでもそれに対応できる態勢をとっていたのだ。  しかし、息子がおめみえをすませた今は、いちおうその不安が解消されている。やはり、わが子に相続させたほうが、周囲もうまくゆく。それにしても、養子の候補者として待機していた形だったあの男、どんな気分でいたのだろうか。その期間中にわたしが死亡していたら、藩主としてここへ来ることになっていたはずだ。しかし、これであの男は、また譜代大名の三男という運命の道へ戻り、ずっと部屋住みの人生を送ることになる。機会を失い、どんな心境だろう。べつに心境なんてものもないだろうな。ほっとしてるというところではないだろうか。心がまえもできてないのに、事情も知らぬ藩の主にすえられ、一日中ひとに見張られて生活するより、部屋住みのほうがいいにきまっている。もっとも、この藩主になったとしても、一時的なお飾り、藩政は家老たちにすべてをまかせ、わたしの息子のおめみえを待って相続させ隠居するという申しあわせになっていた。  なお、江戸屋敷の側室とのあいだには、その後男子がうまれ、いま八歳になっている。それをうむとすぐ、側室は死亡してしまった。気の毒だがいたしかたない。子供は貴重だが、側室はいくらでも作れるのだ。妻はまたかわりの側室を推薦してくれた。  殿さまは、では、そろそろ参るとするかな、と言う。小姓は中奥のほうに連絡がしてあることを報告する。奥御殿に属する別棟《べつむね》の部分、女ばかりがいる建物のことだ。一日おきにそちらへ泊ることになっているので、きまりきった会話。  廊下を伝って歩く。その境目であるお錠口で、わたしの刀を小姓が中奥の女に渡す。双方ともなれた手つきで、事務的なもの。ついてきた小姓は四十歳をすぎた妻帯者。中奥の女も、やはり四十歳ちかいやもめ。藩士である夫に先立たれた女を、なるべくここで使うようにしている。本人も喜んで奉公するというわけだし、武家の出である女は口が固くていい。  きのうの朝この中奥を出てから、丸一日半、女の姿を見なかったことになるな、と殿さまは思う。だからどうだということもないが。殿さまはひとまず、いつもの座敷へすわる。この建物は江戸屋敷の中奥にくらべ規模はかなり小さく、全部で女は五十人ぐらい。女もまた、江戸のに比較してここはずっとやぼったい。妻がこしいれの時に連れてきた女たちにくらべ、ここは国もとなのだから、いたしかたないことだ。それだけわたしも気楽といえる。  四歳になる女の子が入ってきて、あいさつをする。わたしの娘、ここの側室とのあいだにできた娘だ。きせかえ人形を持っている。面白いとりあわせだ。本人は自分で着がえをしたことがない。みなまわりの者がやってくれる。本人こそきせかえ人形なのに。娘はあどけない口調で、江戸とはどんなところなのと言う。だれかが話すその地名に興味を持ったのだろう。そうだな、そろそろ江戸へ連れていったほうがいいのかもしれないな。二人の息子たちも、妹がいたほうが楽しいだろうし、妻も喜んでくれるにちがいない。妻はなかなかの子供好きなのだ。江戸屋敷の妻は、上の息子が成長して別の建物に移ったので、少しさびしがってもいるようだ。  それに、この娘にとっても、江戸で育てたほうが当人のためだ。なにかを習うにしても、江戸のほうがいい先生を呼びやすい。成長して縁づかせる場合も、江戸だと話を進めやすい。幕府の役職につける将来性のある旗本にでも縁づけることができれば、お家のためになるのだがな。いい縁談がなければ、藩から江戸づめになった家臣と結婚させることにでもするかな。  座敷のそとの廊下を、時刻を告げる係の女が、声をあげて歩いてゆく。わたしは娘に、もう寝なければならぬと言う。世話係の女が連れてゆく。  五十歳を越えた女が入ってきて、あいさつをした。父の側室だった女で、わたしをうんだ女だ。しかし、母と呼ぶわけにはいかない。わたしの母上は、江戸にいる父の正室以外にはありえないのだ。元気でおるか、とわたしは言い、そのとしとった女はていねいに頭を下げる。父の側室であり、わたしをうんだ女であっても、正式な家族ではない。藩主と、それにつかえる者との関係で、そのように言葉をかわさねばならぬ。それを乱して親しげな口をきいたら、わたしのつきそいの女たちが中奥を管理する女に報告し、それから、この父の側室であった女に注意がゆく。そのようなことをなさってはいけませんと。それが正しいのだ。側室を家族あつかいしたら、どこの大名もお家が混乱状態におちいりお家騒動が続出するにきまっている。また、実の母と感じてたてまつったりしたら、その縁つづきの家臣がいい気になり、それに遠慮する家臣もあらわれ、きりがない。いまの形が正しいのだ。  そう考えながら、殿さまは前に平伏している女の髪を見る。赤っぽい花のかんざしがさしてある。このことかな。三歳で江戸に移る前のわたしの記憶となると、赤っぽい花のことがかすかにあるだけだ。郷愁のもとはこれかもしれないし、そうでないかもしれない。そのかんざしはずっと前からしておるのか、と聞けば答えがえられるのだろうが、それはやめる。そうだとしても、どうということもないのだ。  殿さまは二人の女につきそわれ、寝所へと行く。その手前の間で立ちどまると、女たちは殿さまの着物をぬがせ、はだかにし、夜着にきかえさせる。いつもくりかえしていることなので、なれた手つきだ。  殿さまは寝床に入る。足をのばすと湯たんぽに触れ、ほっとする。やがて、側室がやってきてつぎの間で頭を下げる。かんざしを抜いて、たらした髪。暗殺防止のため、かんざしをとるきまりになっている。着ているものも、本来なら凶器をかくせないうすもの一枚でなくてはならないのだが、あまりにも寒い季節なので、そうはなっていない。しかし、係が充分に検査しているはずだ。だが、殿さまを暗殺する側室などあるのだろうか。ありえないだろうな。しかし、突然の狂気という可能性もあり、それを考慮してそんなしきたりになっているのかもしれぬな。  これへと言おうか、さがってよしと言おうかと少し考え、殿さまはさがってよしと言う。さっき江戸からの使いから、息子の話を聞いた。また、まもなく娘を江戸に連れてゆくことになる。そんなことを考えたあとでは、これへと言うのにためらいを感じる。わたしの子とはいえ、いずれもこの女からうまれたものだ。息子が立派に成長していることを話すのも、話さないのも、ほんの少しだが気がとがめる。なにも、そんなことを気にしなくてもいいのだが。  子供を作るのが側室のつとめ。毒見役が毒見をするのと同じことだ。子供さえ作れば、側室はこの中奥で一生なにもせずに生活してゆける。  側室は頭を下げ、自分の部屋へと戻ってゆく。あの女も、そろそろ三十歳だな。側室の地位をしりぞかなくてはならない年齢だ。大名家においては、正室も側室も三十歳を越えると寝床をともにできないきまりとなっている。なぜなのだろうか。ひとりの側室が、あまりにたくさん子をうむとさわぎのもととなりかねないからだろうか。しかし、正室はなぜいかんのだろうか。わたしにはわからん。  いまの側室がしりぞいたあと、どんな側室が推薦されるのだろう。この中奥の女たちのなかからわたしが選んでもいいのだが、ここを管理する女から推薦された者をだまって受け入れたほうが無難というものだ。家老を選ぶのと同じこと。若い家臣をわたしの気まぐれで家老に抜擢《ばつてき》すれば、英断ではあるかもしれぬが、さまざまな問題をひきおこし、和を乱すことになる。側室の条件は、あとつぎをうみそうな女でなければならない。それについては、わたしよりはるかに目のきく女たちが、ここにはそろっている。それにまかせておいたほうがいい。江戸での側室の人選は、すべて妻に一任してある。へたな争いはしたくないからだ。  新しい側室がきまったら、子供を作るとするかな。いまは息子が二人。もう一人か二人男子が欲しいところだ。いつどんな病気がはやり、ばたばた倒れるかわからぬ。それにそなえ、こんど男子がうまれたら、しばらく国もとで育てるほうが深謀遠慮というものかもしれぬな。長男以外は江戸に必ずしもおかなくていいのだ。といって、子供を作りすぎるのも考えもの。養子として家臣に押しつけたり、ひと苦労だ。  あとつぎを作ることが、藩主たるものの最大の責任であり義務なのだ。江戸の町民たちは大名の夜の生活に好奇心を持っているらしいが、まるでちがうものだ。お家のため、藩の家臣たちの安泰のため、世つぎを作る。その気持ち以外のなにものでもない。第一、女に対して楽しみを感じはじめると、とめどなくそれにおぼれかねない。健康を害するかもしれず、公的な判断がなげやりになるかもしれず、出費だってかさむ。  いや、すでにこの国もとにおいても、江戸屋敷においても、中奥の費用はかなりのものなのだ。たとえば江戸でだが、妻がおこしいれの時に連れてきた侍女たちがいる。妻は対外的に大切なお飾りであり、侍女たちをへらすわけにはいかない。母上も同様、粗末なあしらいをしたら、親戚筋から文句が出る。側室は主従のあいだがらとはいえ、三十歳をすぎたからといって帰すわけにもいかない。帰してよそで子を作られてもうるさい。一生めんどうをみなければならず、といって雑用にこき使うわけにもいかない。  正室や側室の世話係の侍女たちがふえると、それにともなう仕事をする女たちがふえる。掃除係、せんたく係、ぬいもの係、料理係、お湯をわかす係、夜の見まわり係、時刻を告げてまわる係。さらに男子禁制の場所のため、いざという場合にそなえ、武芸のできる女も必要となる。礼儀作法を指示し、統一させねばならず、それらを監督する係もいるし、外部との連絡係もいる。これで側室を何人もふやしたら、またその世話係がふえ、子供がうまれれば、その世話係もふえる。  これらはすべて、江戸のも国もとのも、お家のあとつぎを作るために存在しているのだ。表御殿における藩政の関係者とくらべて、中奥の重要さは少しもおとらない。藩政の失敗はとりかえしがつかないこともないが、あとつぎが絶えれば、それですべてが終りとなる。  側室とはあとつぎを作るためのもの、と殿さまは思っている。腹は借りものという言葉を聞いたことがあるな。しかしなあ、ということになれば、藩主そのものも借りものといえるかもしれぬな。本物は土地と、それを耕作する農民だけ。藩主や家臣は、幕府がその気になれば、よそへ移してしまうことができる。公的には、藩主は一時的にそこをおさめているだけなのだ。そのあやふやな上にいて、あとつぎという永続的なものに気をくばる。おかしなものだな。いやいや、また変なことを考えはじめたようだ。こういう結論の出ないことに頭を使っても意味はない。  殿さまはかけぶとんを引きあげる。座敷のすみで灯がゆれている。タバコを吸おうかなと思う。枕《まくら》もとの鈴を鳴らせば、つぎの間に控えている女がやってくる。それに命じると、女は座敷のそとの連絡係に伝え、やがてタバコ盆が運ばれてくるだろう。しかし、けっこう時間がかかり、いざとなると吸いたい気分も消えてしまうかもしれない。運ばれてきたタバコを吸わないと、手落ちがあったのではないかと、あとで問題になるだろう。殿さま用の夜のタバコ係という人員がふえるかもしれない。それなら、吸いたいのをがまんしておいたほうがいい。  ほかの殿さまたち、いまごろはどうしているだろうな。国もとにいる者もあり、参勤交代で江戸にいる者もあるだろうが、おそらくわたしと大差ないことだろうな。外様大名というものは、どこもひたすらお家安泰を心がけている。事件など起りようがない。  譜代や直参の旗本をうらやんでいる外様大名はいるだろうか。幕府の役人になれるのは、十万石以下の譜代か旗本に限られている。そのうちの優秀な者は、出世街道を進むことができる。うまくゆけば要職をへて老中にまでなれる。そのあいだに、各方面からつけとどけをもらうこともできよう。しかし、やはり出世するのは大変な競争のようだな。才能があり、頭がよくなくてはだめだ。また、上層部への裏の運動もおこたるわけにいかない。各方面からもらったつけとどけだって、その運動費に消えてしまうことだろう。つねに走りつづけていなければならない。途中でなにか失敗をやれば、いっぺんに転落。かりに老中になれたところで、その地位を息子にゆずるわけにもいかない。あとつぎの息子は、出発点でいくらか有利とはいえ、また最初からやりなおしだ。第一、出世街道を進みそこなう者のほうが、はるかに多いのだ。  それを考えると、わたしのような外様大名のほうが、まだしもいいかな。つねに幕府の役人に気を使い、江戸にいる時は人質としての気分を味わわされ、時にはつまらなくもなるが。  聞くところによると、京都の朝廷もあまりいいお暮しではないらしい。将軍家は豪勢なものだが、ご本人はべつに好き勝手なことができるわけではない。商人はせっせとかせぐが、大名たちに返ってくるあてのない金を貸しつづけなければならない。  みなが好き勝手なことをやったら、どうなるのだろう。考えただけで恐しくなる。だれもが耐えているのだし、それによってこの泰平の世が保たれているわけだろう。耐えるという枠《わく》がはずれたら、どんな形でかはわからないが、戦国時代がふたたび訪れるにちがいない。  廊下を女が、火の用心と小声で告げながら歩いてゆく。殿さまは眠くなってくる。からだがあたたまり、こころよい気分で、目をあけたりとじたりしている。これで一日が過ぎたのだ。べつになにも失敗はなかったようだ。これが今までずっとつづいてきたのだし、これからもずっとつづいてゆく。自由なことのできる日など、一日もないのだ。いや、自由とはどんなことなのか、それすら殿さまは知らない。平均寿命五十歳として、あと何日これがくりかえされることだろう。いや、死んだあとにおいても、あとつぎが同じことをくりかえしてゆくのだ。  殿さまはつぎの間にすわっている二人の女の不寝番をながめ、それから、座敷のすみのちがい棚の上に飾ってある古びた壺《つぼ》に目をやる。領民が新しく農地を開墾しようとして地面を掘っていたら、これが出てきた。なわのあとが模様のようについている土器。おもしろいので藩主に献上すると持ってきたものだ。たしかに、めずらしいもののようだ。素朴な形がいい。ずっとむかし、このへんに住んでいた人が使ったものらしいという。  殿さまはそれをここに飾ることにした。眠る前に、なんということなくながめるのだ。あれを使っていた、ずっと大昔の人たちは、なにを考え、どんな一日をすごしていたのだろう。あわれな生活だったのだろうな。そう想像しかけ、いまの自分の考えをあてはめようとしているのに気づく。あわれだなんて言ってはいけない。昔の人たちは、それなりにせい一杯に生きていたはずだ。それに対していまの考えをあてはめられ、あれこれ批判されては迷惑にちがいない。  ねむけが殿さまをやわらかく包む。人というものは、眠る時と目ざめる時と、どっちが楽しいものだろう。ふとそんなことを思いかけるが、押しよせたねむけのなかに、それは消えてゆく。 [#改ページ]   ねずみ小僧次郎吉  曇った夜。その闇《やみ》にまぎれて次郎吉は塀《へい》を乗り越え、大名家の屋敷へと忍びこむ。なれた動作。動作ばかりでなく、精神的にもなれきっている。何回もくりかえしていると、面白くもおかしくもなくなってくるものだ。  こんなことをはじめてから、もう八年にはなるだろうか。もちろん最初のうちは、刺激と興奮のきらめきを感じたし、緊張でからだがふるえるほどだった。そのため時には失敗もあった。だが、体力の若さがそれをおぎなってくれた。つまり、逃げのすばやさ。二十代の終りになると、やや体力がおとろえたが、それは気力でおぎなうことができた。  そして、いまは三十歳ちょっと。なれがあるだけだ。体力も気力もない。自信という肩ひじを張ったものでもない。惰性とでもいうのか、からだが自然に動き、最も安全な道を選んでいる。どんな仕事でもこんな経過をたどるのではなかろうかと、次郎吉はふと考える。  塀の内側におり、植込みのかげに身をかくす。暗さのなかで目をこらし、建物に近づく。小窓の雨戸を音をたてることもなくはずし、なかへと入る。  上品な香のかおり、髪油など化粧品のにおい、女のにおい。それらが彼の鼻をくすぐるが、べつになんとも感じない。この建物は屋敷のなかの中奥《ちゆうおく》という部分。男子禁制の場所。ここに入れる男性は殿さまと、その子息である幼児以外にない。奥方、側室、それらの侍女たち、奉公人など、すべて女性ばかりの世界だ。  静まりかえっている。どこかの座敷の燭の光が障子ごしに廊下にもれ、くすんだ金色のふすまに反映し、わずかだが明るさとなっている。次郎吉は廊下のはじをそっと歩く。中央を歩くとみしりという音がたつからだ。ふすまの引き手、柱の天井の金具、それらは金ぴかであり、一種の道しるべとなっている。  大名家の中奥の構造には、どことなく共通点があり、どこになにがあるかを、次郎吉はこれまでの体験で知っている。不用意に近づいてはならない場所についても。  それは殿さまの寝所のことだ。殿さまが正室あるいは側室と寝ているのをのぞき見ることは、たしかに好奇心を刺激する。しかし、そこに近よるのは最も危険なのだ。寝所のつぎの間には侍女が少なくとも二人、不寝番として控えている。少しでも不審な物音をたてたら、たちまちさわぎだす。不寝番としてのつとめだから当然だ。それに、その殿さまの護衛役である侍女の強いこと。普通の男など、たちうちできない。  大名家にとって貴重なものは一つしかない。お家の血すじ、すなわち殿さまとあとつぎの生命だ。これに事故があったら、えらいことになる。殿さまが死亡し、あとつぎがなければお家は断絶となる。あとつぎがあったとしても、曲者《くせもの》に殺されたり毒殺されたり、殿さまが不審の死をとげれば、やはり同様。取締り不行届きだの、武士にあるまじきことだの、お家騒動は好ましからずだの、幕府の役人は待ってましたとばかり因縁をつけてくる。そして、おとりつぶしにされたら、江戸屋敷どころか藩の家臣たち何百人が禄《ろく》を失って浪人となる。したがって殿さまの命だけは、なににかえても護衛しなければならぬ。  すべての警備体制は、殿さまのためにある。殿さまという中心にむかって、注意は内側に集中しているのだ。だから、その外側はすきだらけとなる。  このことを実感で知ってしまうと、ばかばかしいほど簡単だ。次郎吉は廊下を進む。時たま、手洗いに行く女、見まわりの女などがあらわれる。しかし、それらはみな手燭を持っている。あかりが動けば、それは人がやってくる前ぶれ。彼にとっては安全のための警報のようなものだ。身をかくすか、光の限界まで戻るかすればいい。  老女のお座敷へ侵入する。中奥の事務長の執務室とでもいうべきところで、夜はだれもいない。だが、あまりに暗い。厚手の布の風呂敷のなかで火うち石を使い、火なわに火をつける。布で音が防げると知っていても、この一瞬だけは神経がたかぶる。  しかし、そのあとはきまりきった作業、錠のついた箱をさがし、細い釘《くぎ》でそれをあけ、なかの金を手にすればいい。きょうの収穫は二十両。商店にくらべて、なんという容易さ。次郎吉はかつて商店に忍びこんで、ひどい目にあった。まず戸締りが厳重すぎる。箱の錠も複雑だし、あけたとたん大きな音をたてるしかけのもある。内部の者の使いこみへの警戒のためかもしれない。物音と同時に、店じゅう、はちの巣をつついたようなさわぎとなりかねない。  商店から金を奪うには、数人で組んだ力ずくでの強盗以外にない。しかも、それだって確実とはいえぬ。金銭は商店の生命。主人や番頭が死んでも、金銭さえあれば店はつづく。もし番頭が死ねば自分が昇格できるかもしれない。その期待と、倒産失業への恐怖から、だれかがそとへ飛び出して大声をあげないとも限らない。そうなったら収拾がつかぬ。また、数人で組むと仲間割れもあるし、発覚もしやすい。強盗などは頭の悪いやつのすることさ、と次郎吉は思う。  二十両を風呂敷に包んでからだに巻きつけ、次郎吉はふところから紙片を出し、箱のなかに残す。〈ね〉の字を書いたもので、ねずみの形にも見える。ねずみ小僧が盗んだのだとの証明。これを残しておかないと、あとで内部のしわざと、だれかが疑いをかけられる可能性もある。奥女中独特の陰にこもった責任のなすりあいがあり、ひとのいい女が犠牲にされたりしては気の毒だ。疑われた女が、身の潔白を示すために屋敷の井戸へ身を投げ、亡霊が出はじめたりしたら、義賊としてのねずみ小僧の名に傷がつく。  引きあげようとし、彼は鼻をぴくつかせた。きなくさいにおいがする。いま消した火なわのにおいともちがう。それをたどってゆくと、あかりのついた座敷があった。のぞくと、火鉢にもたれた女中が居眠りをしている。夜中に殿さまがお茶を飲みたくなった場合の、その係の女かもしれない。退屈のため眠くなったのだろう。読みかけの草双紙《くさぞうし》が火鉢のなかに落ち、くすぶっている。ほっておくと火事になりかねない。ねずみ小僧が犯行をくらますため放火したなどとのうわさが立っては、これまた困る。彼は近づいて肩をたたく。 「もしもし、お女中」  女ははっと目ざめ、くすぶっている草双紙に気づき、あわてて消しとめる。それから、ほっとして言う。 「出火となったら重い罰を受けるところ。ご注意いただき、助かりました。なんとお礼を申しあげたものか。ご恩は決して忘れません。ぜひ、お名前を……」 「ねずみ小僧です」 「ねずみ小僧さま……」  つぶやいているうちに、ねむけと火事への驚きが消え、女の頭は正常に働きだした。黒い布で顔を包んだ男を見て、大声をあげる。 「……あ、泥棒の……」  飛びついて口を押えるひまもなかった。  声は静かさを破り、各部屋でざわめきが起る。泥棒よ、との声が伝わってゆく。だが、あわてることはない。寝巻姿というあられもないかっこうで、女たちが飛び出すわけがない。  服装をととのえた警備の女たちは、十何人かが起きている。そして、くせものの叫びとともに、訓練どおりに行動する。殿さまの寝所の応援に何人かが、奥方や世つぎの部屋へと何人かが。だから、声の発生地へむかってくるのは三人ほど。むしろやっかいなのは、口入れ屋からやとった下働きの女たちだ。寝巻姿も平気だし、賊をやっつけるのが第一と思いこんでいる。なかには次郎吉に飛びついてくるのもある。だが、ねぼけているので身をかわせる。適当にあしらい、雨戸をあけて庭へ出る。内側からなら雨戸はすぐあく。  警備の女が三人、長刀《なぎなた》を振りまわしてあとを追ってくる。逃げまわるが、板塀のところへ追いつめられる。背の高さぐらいの板塀だから、飛び越すのは簡単だ。次郎吉はそうする。しかし、女たちはそこで止らざるをえない。この板塀は中奥と他の部分との境界線。塀を越えれば女人禁制の区域。男の侍が中奥へ一歩でもふみこめば謹慎になるが、それと同様、女もここは越えられないのだ。  中奥と他の建物をつなぐ出入口は、殿さま専用の通路、そこはお錠口といい、ふだんは戸が締めてある。中奥側の女の連絡係が鈴を鳴らし、むこう側の侍に伝え、戸があけられ「曲者が侵入、お出合い下さい」と言い、それからはじめて屋敷じゅうが大さわぎとなる。しかし、その時まで次郎吉がぐずぐずしているわけがない。塀ぎわの木にのぼり、道へと出る。あとはゆうゆうたるもの。家臣の一団がおっとり刀で追ってくるはずがない。そんなことをしたら、深夜に不穏な行動であると、幕府の役人にこっぴどくしかられる。殿さま一族の安泰が判明すれば、これ以上さわぎを大きくしないほうがいいのだ。  次郎吉は帰宅する。「ねぼう屋」という屋号の、小さな古物商。朝っぱらから店をあける必要のない商売。ふざけすぎているかもしれないが、決して他人に警戒心をおこさせない屋号だ。彼は今夜の収穫である金をしまい、酒を飲む。これでまた一仕事おわった。酔い心地のなかで、これまでのことを回想する。  次郎吉は歌舞伎のある一座の木戸番のむすことして生れた。だから、ものごころがついてから、いやその前から、芝居の世界を知っていた。白く美しく顔を作り、きらびやかに装い、たくさんの燭台の光を受け、名文句をしゃべり、演技をし、虚構の宇宙を作りあげ、観客たちをうならせる。幼い次郎吉にとって、魂を奪われるような、あこがれの世界だった。そして、また舞台裏の世界も知った。舞台で緊密なまとまりを示す役者たちも、それがすめば普通の人物。欲望や感情に生きている。そのことを知っても、いや知ってから一層、彼は芝居の世界が好きになった。見事さと平凡さとの、いさぎよい転換。そこがいいのだ。楽屋と舞台とを往復するたびの、役者たちの変身ぶり。どちらが真実なのかわからぬ。そこに彼はあこがれたのだ。  次郎吉はひとりで、あるいは近所の子を相手に、芝居のまねごとをして遊んだ。父親はそれを見て、いい気分ではなかった。変に器用なところがある。木戸番をしていると、高度の批評眼がそなわっている。下手くそでもなく、大物になる素質もない。そういうのが一番しまつに悪いのだ。この子は早く芝居の世界から遠ざけたほうがいい。地道な人生を送らせるべきだ。  そして、次郎吉は建具屋《たてぐや》へと修業に出された。不満ではあったが、父に反抗できる年齢ではない。しかし、親方はいい人だった。星十兵衛という、苗字《みようじ》を許された大名家お出入りの建具屋だ。仕事の上ではきびしいが、人徳のある人だった。次郎吉は修業にはげんだし、器用さもあった。  あるていど技術を身につけると、次郎吉は親方に連れられ、大名屋敷へ行って仕事をするようにもなった。はじめて大きな屋敷のなかを目にし、彼は親方に言った。 「立派なものですね」 「われわれとは身分がちがうものな」  そう親方が答えたのを、いまでも次郎吉はおぼえている。あのころのことが、いま役に立っているというわけだ。大名屋敷のなかがどうなっているのか、くまなく知ることができたのだから。中奥へも入ることができた。女の職人のいるわけがないから、修理する箇所ができれば、男子禁制といってもいられない。もっとも、仕事の時は人払いをし、監督の係の中年女がつきっきりではあったが。  建具屋という仕事のため、雨戸、障子、ふすまなど、自分のからだの一部と同じぐらい知りつくした。暗やみのなかで音をたてずに雨戸をそとからあけられるのも、戸締りの方法を知っているからこそだ。ふすまを見ただけで、軽くあくか音をたてるかわかるし、このような絵のふすまのむこうは、大体どんな座敷でどんな用途かもすぐわかる。仕事に関連し、錠のとりつけもたのまれ、錠前屋ともつきあいができ、その方面にもくわしくなってしまった。  十六歳の時に一人前の職人となり、親方のもとをはなれ、自分で注文をとって仕事をするようになった。腕がよく、あいそがいいので、収入も悪くなかった。  しかし、次郎吉の心のなかには、なにか満たされないものがあった。あまりに平凡すぎ堅実すぎる。あの、幼時にあこがれた芝居の世界とは、あまりにちがう。いくら仕事をしても、雨戸や障子をあけるたびに、おれの名を思い出して賞賛してくれる人などいないのだ。  彼は建具職をやめ、町火消《まちびけ》しの鳶《とび》となった。それを知った父親は、怒って意見をした。 「これまでの修業がむだになる……」  それに対して次郎吉は、あれこれ弁明した。若いうちに各種の体験をしておくのはいいことだ。火災において建具はどうあるべきか、実際に知っておきたい。見聞もひろまるし、友人が豊富になる。父親は言った。 「仕方ない。しかし、二年たったら、またもとの建具屋に戻ることを約束しろ。戻らなかったら勘当するぞ」  かくして、次郎吉は火消しの鳶になれた。もともと身が軽く、動きのすばやいところのあった彼は、その才能を発揮しはじめた。しかも、望んでなった火消し、熱心に練習し、はしご乗りの名手となった。垂直のはしごをかけのぼり、その上で軽業《かるわざ》的な動作をやってのける。正月の出初《でぞめ》式では、その派手なのをやってみせ、かっさいをあび、彼はやっといくらかの満足感を味わった。  火消しには気の荒い、けんか早いやつが多かった。父親が反対した理由のひとつだ。しかし次郎吉は、芝居ごころがあり、周囲の連中とうまくつきあった。けんかをしかけられると、彼はたちまち近くの家の屋根にかけあがる。これでは相手もどうしようもない。  快感をおぼえるのは、現実の火事の時だ。火の粉をあびながら屋根から屋根へ渡り、防火につとめる。刺激があり、生きがいがあり、わけもなくぞくぞくする。消火したあとも気持ちがいい。みなは上を見あげ、働きに対して感謝の声を送ってくれる。そんな時、やはり役者になればよかったと、つくづく思う。役者なら、毎日がこれなのだ。しかし、いまからではやりなおしもできない。  まったく、おやじのおかげで、おれは人生をあやまった。性格にあわない人生を押しつけられた。子供のときから、おやじに怒られつづけだ。あの、こっぴどく怒られた時のことなど、いまだに忘れられない。  まだ建具屋へ修業にやらされる前のことだ。お祭りの日、おれはもらった小遣いを落してしまった。なんにも買えず、にぎわいのなかで、ひとりさびしく物かげで泣いていた。その時、通りがかった若い侍がやさしく声をかけてくれた。 「坊や、どうしたんだい」  おれがありのまま話すと、その人は金をくれた。いくらだったか忘れたが、子供にとってはかなりの額だった。 「ありがとう。おじちゃん、名前なんていうの」 「ねずみこぞうだ」  侍は和泉《いずみ》甲蔵と答えたのだが、次郎吉には、ねずみこぞうと聞こえた。うれしくなって金を使っていると、父親があやしんだ。 「そんな金、どうしたんだ。拾ったのか」  次郎吉は事実を説明したが、父親は信用しなかった。 「拾ったなら拾ったでいい。もらったらもらったでいい。しかし、ねずみ小僧だなんて、ふざけた話をでっちあげることは許せない。親をばかにしている。うそは泥棒のはじまりと言う。よく反省しろ」  母や弟妹の前で、さんざん怒られ、食事抜きで押入れに一昼夜とじこめられた。その悲しさ、くやしさは、金をくれた侍の顔とともに、心の底に焼きついている。  そのあとで、おれは建具屋の親方にあずけられたのだ。あのことがなければ、おれは役者になれてたかもしれない。あそこで人生の道が狂ったのだ。建具屋の親方はいい人だったので、修業中は忘れかけていたが、火消しとなってからは、なにかにつけて次郎吉は思い出し、しきりにくやしがった。  そんな時、ばくちをしないかと彼は仲間からさそわれた。はじめてやったのだが、いくらかもうけることができた。ひとつ景気よく飲むかと思いながらの帰り道で、あわれな子供たちを見かけた。どうやら、火事で焼け出された子供たちらしい。火消しの一人として、気がとがめる。よし、あいつらにめぐんでやるか。  その気まぐれを次郎吉は実行した。腹のすいている子供たちは、喜びを顔にあふれさせ、感謝の視線を集中した。信じられぬほどの親切にとまどった表情。甘美な感覚が、その瞬間、彼をしびれさせた。そして、思わずひとつの言葉が口から出ていた。 「おれは、ねずみ小僧って名だよ」  どうだ、ざまあみやがれ。ねずみ小僧は、いまや確実に存在するのだ。この時を境に、次郎吉の人生が確立した。およそ趣味道楽のなかで、金をめぐむということほど、豪華にして傲慢《ごうまん》、楽しく強烈なものはない。彼はその味をしめてしまった。  ねずみ小僧という、あわれな子供に対して気前のいいやつがいるそうだ。そんなうわさが回り回って、次郎吉の耳に入ってくる。その満足感もまたすばらしい。  しかし、ばくちでいつも勝つというわけにはいかない。勝った時に金をとっておくのならまだしも〈ね〉と書いた紙に包んで、あわれな子供のいる家にほうりこむのだから、たちまち金がなくなる。知りあいから金を借り、それも使ってしまう。  ついに借りる先がなくなり、次郎吉は妹のことを思い出した。このじと言い、大名の前田家の中奥へ奉公にあがっている。面会に出かけたが、門番に追いかえされた。 「だめだ。ここは商家ではないのだぞ。しかも、中奥の女はきめられた宿下りの日以外は、たとえ兄妹でも面会は許されぬ。用件があるのなら、手紙ですませろ」  よし、それなら勝手に会うだけだ。なにしろ、ほかに金を借りるあてがない。次郎吉は夜になるのを待ち、塀を越えて乗りこんだ。火消しの体験で高所も平気になっている。屋根を伝い、前に聞いていた妹の部屋へ行き、そとから小窓をあけて声をかける。 「おい、このじ。おれだ、次郎吉だ」 「まあ、兄さん。よく来られたわね。もっとも、大名屋敷って、内部の警備はわりといいかげんなものよ。で、なにか急用……」 「すまんが、少し金を貸してくれ。困ってるんだ。少しでいい。すぐ返すよ」 「だけど、これ一回きりよ。もう来ないでね。男が入ってきたと知れると、あたし大変な罰を受けるわ」 「わかったよ」  まもなく次郎吉は、父親から勘当される。次郎吉に貸した金を返せという連中に押しかけられ、このじの手紙で兄が屋敷に来たことを知らされ、父親はきもをつぶした。大名家へ侵入したとなると、ただごとではない。発覚すれば知らなかったではすまず、家族まで連座で処罰されることになる。いまのうちに公式に縁を切っておいたほうがいい。債権者への言いわけも簡単になる。  一方、次郎吉はここしばらくつきが回り、順調だった。ある日、ばくち仲間にさそわれた。 「おい、次郎吉。変ったところでばくちがあるが、いっしょに行かないか」 「どんなところだ」 「ある大名屋敷のなかだ。武家屋敷のなかは、町奉行の管轄外。同心や目明しが手入れにやってくる心配もない。絶対安全、ばくちを楽しめる」 「うむ。そういう方法があったのか。ひでえ世の中だが、名案は名案だな」  興味を持って行ったはいいが、その晩、次郎吉はさんざんに負けた。ついに着ているものまではがれ、追い出された。いくらなんでも裸では町を歩けぬし、第一ころがりこむあてもない。勘当と同時に、町火消しもくびになっている。  もう彼はやけだった。せめて着物だけでも取りかえそう。ひらりと塀を越え、さっきの部屋にとってかえす。勝手はわかっている。連中はばくちに熱中していた。手入れの心配もなく、まさか大名屋敷に侵入するやつがあるとも思わず、なんの警戒もしていない。つぎの間には、ばくちのかたに取ったものがつみあげてある。次郎吉はそれらをごっそり抱えこみ、屋敷を抜け出した。  品物を調べると、高価そうな印籠《いんろう》や羽織、財布もあったし、刀もあった。驚いたことに、そのなかに十手もまざっていた。  あれが盗みのはじめだったな、と次郎吉は思い出す。やがておれは小さな古物商を開き、それをかくれみのとし、大名屋敷あらしを専門にし、現在に及んでいるというわけだ。ばくちは、もうほとんどやらない。つまらなくはないのだが、金をめぐむほうがずっと面白いのだ。  盗むのは簡単なことだし、いまや型にはまった行動。しかし、めぐむ方法となると、つねに頭を使わなければならない。第一に発覚への警戒。金をめぐんだことから足がついては、こんなばかげたことはない。第二に、死に金になってはつまらない。たとえば、大酒飲みや女道楽で貧乏になった家に金をやるべきではない。そんなとこへ金をほうりこんだって、酒や女に消えるだけのことだ。  一番いいのは、まじめで貧しい子供にやることだ。このお金で寺子屋へ入り勉強しなさいと書き〈ね〉と署名した紙に包み、条件にあった家へほうりこむ。その調査は大変だが、それなりの効果はあるはずだ。その子供たち、学問をすることのできたのはだれのおかげか、一生忘れまい。  寺子屋の先生たち、収入がふえて喜んでることだろう。いや、困ってるかな。盗みはいかんと教えねばならぬし、その金は奉行所へ届けろとも言えない。苦しまぎれに、学問は大切であり、大名から盗むのは例外だとか声をひそめ、子供の期待と、道徳の原則と、自己の利益とを、むりに調和させた妙な理屈をこねあげてるにちがいない。  しかし、そこまではおれの知ったことじゃない。おれはめぐむこと自体が楽しいのだ。それにしても、どの大名家も被害届けを出さないのには驚いた。お家の不名誉だからだろう。大さわぎを予想していたのに。手ごたえ、つまり行為の確認感がない。これは面白くないことだった。そこでおれは、年に二回、収支の計算書を江戸の数カ所にはりだすことにした。名はあげないが、大名家から何十件の盗みをした。一方、これだけの金をめぐんだと、双方の金額をぴたりと一致させた。この点は良心に誓って真実だ。生活費はどうなってるんだと思う人もあろうが、それはついでに持ち出した物品を売った金さ。  この計算書をはりだすようになってから、ねずみ小僧の人気は爆発的となった。町人たちは、自分たちは安全地帯にいて楽しめるのだと知った。話に尾ひれがついて広まる。口から口への伝達というものは、妙な迫力があるものらしい。伝達する当人も楽しいのだ。おれは満足だった。遊興よりはるかに面白い。金より名声だ。金なんかむなしい。  ついに生きがいをみつけた。しかし、おれは舞台裏だけで演技をする役者だった。舞台の表では、そしらぬ顔をしていなければならない。あこがれていた芝居の世界、それにたどりついてみると裏がえしのそれだった。しかし、まあいいさ。この新形式を完全なものに仕上げる。それは先駆者の喜びでもあるのだ。  大名屋敷に忍びこんで盗みをはたらく時、いつも次郎吉はものなれた動作だった。といって、なにもかもいいかげんにやっていたわけではない。準備には入念だった。目標の屋敷をきめると、侵入の前にくわしく調査をした。塀のまわりを何回も歩き、人通りがたえると飛びあがってなかをのぞきこむ。いつだったか、うろついているのを目明しにとがめられたこともあった。 「おい。さっきから屋敷のなかをうかがってるな。怪しいやつだ。わけを言え」  しかし、次郎吉はあわてない。 「お話ししますとも。しかし、内密にお願いしたい。じつは、あだ討ちなのです。五年前にわが父を討った、にくむべきかたき。それがここに仕官しているのをつきとめた。あとは出てくるのを待ち、名乗って討ち果せばいいのです。こんな町人姿に身をやつし、やっとここまできたわけです。これがその、あだ討ちの証明書です」  物語をでっちあげ、かねて用意の書類を出す。ある大名家で、盗むついでに白紙に印鑑を押してきた。それをもとに作ったものだ。目明しは感心する。 「こういう証明書を見るのははじめてだ。あだ討ちという大望をお持ちとは知らなかった。ひとつ、お手伝いしましょうか」 「いえ、大丈夫です。だが、かんづかれたら苦心も水のあわ。ぜひ、内密に」 「わかってますよ。ご成功を祈ります」 「ご声援、ありがとうござる」  芝居ごころがあるだけに、次郎吉の応答はもっともらしい。調査がすむと実行だが、雨の日だと屋根がすべる、月が明るいと見つかりやすい。天候にも注意する。  侵入の前には、その近所の常夜灯の油をへらしておく。逃走の時に、ちょうど油がきれ消えるようにしておくのだ。  また、道すじの三カ所ほどに、火の用心のチョウチンと、拍子木とをかくしておく。いつでもそれを持ち、夜回りに化けられる。夜道を歩くには、夜回り姿が最もいい。怪しまれないし、夜回りが金を持っているわけなどないから、すれちがいざま浪人者に切りつけられる心配もない。  このような準備があるからこそ、落ち着いて仕事ができるのだ。逃走の手はずなしだったら、不安で気が散り失敗しかねない。  しかし、思いがけぬ不運も、ないことはない。屋敷内を追われ、ひらりと塀の外へ出たはいいが、そこをたまたま目明しが通りがかっていた場合など。これはもう逃げる以外にない。目明しは呼子《よびこ》を吹きながら追ってくる。その音を聞きつけ、加勢が出現するかもしれない。だが、かねて用意の細工によって、あたりの常夜灯が消えはじめる。闇になればしめたものだ。次郎吉はふところから呼子を出して吹く。そして、自分も十手をふりまわし、戻って目明しにあう。 「おい、あっちへ行ったようだぞ。はさみうちにしよう。むこうへ回ってくれ」  相手はまんまとひっかかる。変だなと気づいて戻っても、その一瞬のうちに次郎吉の姿は消えている。そばの武家屋敷の塀を越え、なかにかくれればいいのだ。町奉行所の配下の者には手が出せない。目明しが門に回り、賊が侵入したと注意することはできるが、そのすきにゆうゆう逃げられる。  万一にそなえ、次郎吉は各所のお寺の屋根裏に、飛脚《ひきやく》の服装をかくしておく。数人の目明しに追われ、自宅へ帰れそうにない場合、ひとまずそこに逃げこむのだ。ここも町奉行所の手がとどかない。追手はまわりをかため、寺社奉行の許可か応援を待たねばならぬ。  そのあいだに次郎吉は変装し、暗いうちにそとへ飛び出し、かけだすのだ。大名家が国もとの藩との定期連絡に使う、大名飛脚の姿になっている。そのための手形も盗んで入手してある。どこの関所も通過できる。文箱のなかを見せろなどと強要されることもない。盗んだ金が入っているのだが。  さらにあとを追われたとしても、江戸から一歩そとへ出れば、またも目明しは手が出せない。江戸のそとは代官の支配下で、それは勘定奉行の管轄。ねずみ小僧が逃げたらしいと、町奉行から勘定奉行、そして代官にまで通達がとどくには、けっこう日時がかかる。そのころには、次郎吉は江戸に舞い戻っているというわけ。  多くの大名屋敷のなかには、警備の厳重なのもある。邸内にひそんでいるところを、腕のたちそうな家臣に発見されることもある。しかし、次郎吉は平然と言うのだ。 「じつは、将軍直属のお庭番、隠密《おんみつ》なのです。この家に不穏な動きがあるらしいと、わたしが派遣された。しかし、隠密に証明書などあるわけがない。侵入者として切られても文句は言えない。だが、わたしを殺しても、また、つぎの隠密が派遣されるわけで、きりがないことでござるぞ」  隠密と聞くと、どの大名家もびくりとする。とっつかまえて、本物かどうか問いあわせようにも、将軍直属ではそれもできぬ。へたに殺して、本物だったらことだ。どことなく怪しいが、怪しいからこそ隠密なのかもしれぬ。穏便にすませておいたほうがいいというものだ。 「お役目ご苦労にござる。当家に不穏な動きがあるなど、事実無根のうわさ。将軍家には、なにぶんよろしくご報告を……」  などと、かなりの金をつかまされることにもなる。まったく、みごとな芝居。  そのうち、次郎吉の耳に、こんな評判が入ってきた。 「ねずみ小僧、なかなかやるなあ。痛快です。しかしねえ、大名家あらしばかりとなると、いささかあきてきますな。たまには、景気のいい商店から、ぱっと金を巻き上げてもらいたいものですよ。派手な豪遊をしている金持ち連中、それをへこましてくれると、胸がすっとするんですがね……」  くりかえしだけだと、大衆は満足しなくなるものらしい。なにか変ったことをやってみせぬと、刺激にならない。こうなると、ねずみ小僧としては、人気を高めるために新しいことをやらなければならない。  次郎吉は幕府の要職にある役人の屋敷から盗んだ衣服を着て、大小をさし、めざす商店へと出かける。 「主人はおるか。分不相応のおごりをしているとのうわさがあり、真偽をたしかめるために来たのだ。事実であれば家財没収。だが、商店は信用が大切であろうと存じ、ただのうわさにすぎぬ場合、さわぎを大きくしては気の毒。よって、供も連れずに来たしだいだ。主人に内密にお会いしたい」  主人はあわてて奥へ案内する。 「担当のお役人には、いつもそのための付け届けをしておるはずでございますが。あなたさまは、どのようなお役職で……」 「じつはだな、このところ、各奉行所の縄張り意識がひどすぎ、横の連絡がいいかげんになっている。目にあまるほどだ。そこでこのたび、勘定奉行町奉行連絡評定組という役が作られた。みどもは、その吟味《ぎんみ》取調筆頭の者である。これがその任命書だ」  次郎吉はもっともらしい書類を出す。主人は恐れ入るが、話のわかる役人らしいと察し、いくらか包んで差し出す。その時そわそわして引きあげかけると、かえって怪しまれる。おもむろに印籠をはずして渡すのだ。 「ただ金をいただいては賄賂《わいろ》となる。許すべからざることだ。これはみどもが老中よりいただいた印籠。進呈いたそう。良心もとがめないというわけでござる」  主人は手にとり、高価な品と知る。 「これはこれは、お気前のよろしいかたで。では、手前どもも、さらに気前よくさせていただきませんと……」  と、すごい大金を出された。次郎吉はそれを持ち帰り、あわれな子供たちにばらまき、号外をはりだす。強盗や傷害をやらなくても、かくのごとく商店から金を巻きあげられるのだとの〈ね〉の署名入りのやつをだ。  江戸中がわっと沸く。 「みごとなものですなあ。金持ちがだまされる話ぐらい、痛快なものはない。どこの商店か書いてないが、あそこの店かもしれないと推理する楽しさもある。たしかに新手法だ。このつぎには、どんな事件を起してくれるでしょう。わくわくしますなあ」  新しいことをはじめると、さらに一段とすごいものでなければ、大衆は満足しなくなる。みなの期待が次郎吉をかりたてる。彼は悪循環に巻きこまれはじめた。  そのころになると、ねずみ小僧の人気につられ、何人かの亜流が出現していた。うさぎ小僧、かすみ小僧、しみず小僧など、まぎらわしい小泥棒がうろうろしている。次郎吉は腹を立てた。この手法の義賊は、おれの考案になるものだ。勝手に模倣するのはけしからん。彼はそいつらの家をつきとめ、奉行所に密告した。  亜流の小僧たちは全員逮捕。盗みためた金もろとも、奉行所に運ばれた。亜流とはいえ、これだけの泥棒をいっぺんに逮捕できたのは珍しいこと。奉行所の役人、与力同心目明したちは祝杯をあげた。ほっとした気のゆるみ。それに、奉行所に侵入をくわだてるやつがあるなど、考えもしない。  そこをねらって、次郎吉は忍びこんだ。押収してあった金銭を、ごそっと持ち出す。それを見て、仮牢のなかの亜流小僧たち、声をかける。 「ついでに、おれたちも助け出してくれ。同類のよしみで」 「なにを言いやがる。おれは元祖。きさまらは亜流だ。獄門台で模倣の罪をつぐないやがれ」 「ちくしょう。大声で役人を呼ぶぞ」 「おあいにくだ。老中からと称し、おれがとどけた眠り薬入りの酒で乾杯しあい、みなぐっすりだ。あばよ」  これをまた号外ではりだす。しかし、今回はほどこしをせず、べつな形で庶民のために使うとの予告つき。  その約束は、やがて訪れた川開きの日にはたされた。花火の打ちあげが進んだころ、仕掛け花火が点火された。大きな〈ね〉の字が大川の上に輝く。同時に打ちあげられた大型花火が何十発。すばらしい美しさ。 「いいぞ、ねずみ小僧」 「ねの屋あ」  こうなってくると、幕府もほっておけない。奉行所が荒されては威信にかかわる。火付《ひつけ》盗賊改《とうぞくあらた》めの一隊が出動するらしいとのうわさ。これは重罪犯逮捕のため、管轄にとらわれず活動できる、各奉行所から独立した組織。どこへでも乗りこみ、独自に処刑もおこなえる。その指揮者は鬼のなんとかと称せられる、頭と腕のすぐれた武士。  次郎吉は少しふるえた。いささか調子に乗りすぎたかな。あいつに乗り出されると、これまでのようにいい気分で動けぬ。といって、一方では民衆が期待している。  機先を制してやろう。彼は老中筆頭の屋敷に忍びこんだ。幕府の最高権力者とはいえ、屋敷内の警備のいいかげんさは、他と大差ない。次郎吉は中奥へ忍びこみ、大金を盗みだした。持ち帰るには手にあまるほどの重さ。しかし、ちょっと運ぶだけでいいのだ。つまり、表御殿の来客用の座敷に移しただけ。そこで金を包みかえ、紙の表に火付盗賊改めの責任者の名を書いた。老中が見れば、昇進のための運動費とすぐにわかる外見だ。そして、次郎吉は引きあげて待った。  計画はうまくいった。つぎの日、老中はそれを見てうなずく。そろそろ昇進させてくれとの意味であるな。働きぶりもいいと聞いている。口をきいてやるとするか。中奥ではなにか至急に金がいるとさわいでいる。ちょうどいいから、この金はそれに回そう。江戸城へ登城し、若年寄を呼んで言う。 「そちらの配下の、火付盗賊改めを昇進させてはいかがであろうか」 「は、妥当な人事でございましょう」  老中の意向には従わざるをえない。その交代を知って、次郎吉は喜ぶ。新任者なら仕事になれるまで、しばらくは大丈夫というものだ。どんなやつか、顔でも見ておくか。  しかし、あにはからんや、彼にとってはもっとやりにくい相手。名前は和泉甲蔵。顔をみると忘れるわけのない、子供の時に金をめぐんでくれた武士。おれの今日あるは、あの人のおかげといえる。あの人の在任中、おれが仕事をしてはぐあいが悪い。運動費を使って例の手で昇進させようにも、いくらなんでもすぐにはむりだ。仕方がない。しばらく旅にでも出るとするか。  次郎吉は店を休業にし、西へむかい、気ままな旅に出た。金がなくなっても、彼にとって入手は簡単。京、大坂、長崎まで見物し、高野山はじめ各寺院に自分の供養料を前払いした。そんなわけで、江戸に戻るころには、もはや思い残すこともなくなっていた。 「さて、そろそろ、ねずみ小僧としての人生の最後を飾るとするか。うんとはなばなしくやろう。後世に語りつがれるような形で。なにをやるかな。うん、江戸城がいい。白昼に公然と乗り込み、城内をあばれまわり、討たれて死ぬとするか。おれがはじめて表舞台へあらわれ、それが最後でもある。江戸の町人たち、あっと叫んで手をたたくぞ」  次郎吉はまた武士の服装をし、御門からゆうゆう歩いて入った。外見がきちんとしているので不審に思われなかった。やがて表御殿、すなわち幕府の政庁の建物があった。その玄関からあがりこむ。大ぜいの武士たちが、もっともらしくなにかやっている。そのうち、次郎吉は老人に呼びとめられた。 「みなれないかただが、貴殿はどなたでござるか」 「勘定奉行町奉行連絡評定組の、吟味取調筆頭の者でござる」 「聞いたことのない役職でござるな」 「じつはな、じいさん。おれはねずみ小僧次郎吉ってんだ」 「しっ、小さな声でお願いいたす。ばか話をしていると上役に思われたら、みどもはお役御免になる。せっかくここまで出世したのだ。それが本当の話であれば、なおのことだ。なんにも聞かなかったことにいたす。早くあっちへ行って下され。みどもを巻きこまぬよう、お願い申す」 「ひでえもんだな」  どこへ行っても同じこと。外様《とざま》大名たちの控《ひかえ》の間を抜けても、だれも見て見ぬふり。お家が大事だ。へたにさわがぬほうがいいのだ。次郎吉はさらに奥へ進んでみる。えらそうなやつが見とがめ、注意する。 「このあたりは、そちのごとき身では入れぬことになっている。刀を持ちこんでもいかんのだ。無礼であるぞ」 「なにいってやがる。おれはねずみ小僧次郎吉、見物したいんだ。とめられるものなら、とめてみやがれ」  刀を抜いて見得を切る。背景は金色に絵を描いたふすま。芝居の大道具とはちがって、高級にして本物だ。次郎吉はうっとりとなった。それを見た周囲の連中はきもをつぶした。殿中で刀を振りまわしたのは、浅野|内匠頭《たくみのかみ》以来の大事件。 「なんたること。だれか出合え」  さわぐ者はあっても、いまや文弱の世。殿中の係には、組み付く勇気のある者はない。切られて死んではもともこもない。せめて刀さえあれば、あいつを切ることぐらいはできそうだ。しかし、このへんは刀を持ちこんではいけない場所。まして抜いたりしたら、あとで事情のいかんを問わず切腹ものだ。 「これは一大事。担当者に報告して参る」  要領のいいのは、さっそくその場をはなれ、便所に入る。巻きぞえにならぬのが一番だ。便所はたちまち一杯。だれも入ったきり出てこない。本当に便所に入りたい者は、遠くまで歩いてゆく。  それでも、やっと城中警備の担当者のところへ報告がもたらされる。担当者は飛びあがり、気を静めるために、処世訓の狂歌を書いた紙をふところから出して読む。 〈世の中は、さようでござる、ごもっとも、なにとござるか、しかと存ぜず〉  三回くりかえし、おもむろに言う。 「さようでござるな。一大事とは、まことにごもっとも。なにがどうなっているのでござるか。しかし、なにしろ前例なきこと、前任者からも聞いておらず、しかと存ぜぬしだいでござる」 「そんな場合ではないようでござるが」 「なにをおっしゃる。みどもは老中に属する役職。貴殿の指示で軽々しく動くわけには参らぬ。まず老中の指示をいただいて参れ」  だれかが別な係の前へ、ゆっくりとあらわれる。殿中でかけ足は禁止なのだ。それを破ると、あとで問題にされる。 「早くなんとかすべきではござらぬか」 「みどもは儀式の時に限る警備係。賊にたちむかってもいいが、これが前例になる。その責任は貴殿にあるが、よろしいか」 「いや、それは困り申す。御門番の一隊、お庭番などは動いてくれぬものであろうか」 「御門番の一隊を殿中に入れた前例はござらぬ。お庭番は上さまじきじきの命でなければ動かぬ。貴殿、上さまに伝えたらいかが」 「その取次ぎ係が見当たらぬのでござる。上さまはお昼寝の時刻なれば、あ、あ、なんだか急に腹ぐあいが悪くなり申した。下城して休養いたすゆえ、あとはよしなに」  かかりあいを恐れ、みんな逃げ腰。いつも逃げまわっていた次郎吉、表舞台にあらわれたとたん立場が逆になった。刀を振りまわしながら進むと、奥のほうに広間があった。一段と高いところへすわってみる。将軍以外にすわれないところだ。それを見た者、大声をあげかけ、あわてて口を押える。大声禁止の広間なのだ。それに、飛びかかってふすまに穴でもあけたら、首がとぶ。 「大変でござる、大変でござる」  と小声でつぶやきながら、どこへともなく去ってゆく。その声を聞いても、だれも出てこない。ただただ時が流れてゆく。  次郎吉としては、こと志とちがい、張り合い抜けだった。あたりにはだれもいなくなった。押入れに入り、そこから天井裏にかくれ、しばらく休む。  これからどうしたものだろう。大奥へ行ってみるか。女ばかりの住居は、大名家では中奥だが、将軍の江戸城では大奥と称する。しかし、大奥ほどぶきみなところはないという。年に一度の大掃除に、男と女が顔を合わさぬよう、厳重な監督のもとに鳶の人足が入るが、出てくる時には人数がへっている。このうわさを次郎吉は、火消しにいる時に聞いた。女たちにつかまり、おもちゃにされたあげく、消されてしまうらしい。そんな死にざまでは、ねずみ小僧の印象を悪くする。  ひとまず帰るとするか。天井裏を移動し、玄関近くの座敷にあらわれる。そして、出あった相手に言う。 「くせものはお庭のほうにかくれたようでござるぞ」 「そうでござるか。貴殿、すまぬが御門番の一隊に知らせてくれぬか。お庭なら、御門番が出動してもかまわぬと存ずる」 「かしこまってござる」  次郎吉は御門にむかい、そのまま出てしまう。  家に帰った次郎吉、さわぎの結果を待つが、ちっとも町のうわさにならぬ。みっともないので役人たちがだまっているのだろう。そのうち、幕府で大はばな人事異動があったらしいとわかるが、それで終り。万事うやむやになってしまったようだ。面白くない。  彼は殿中でのさわぎを、おもしろおかしく物語にまとめた。それを持って草双紙の版元へ行く。 「ねずみ小僧を主人公に、こういうものを書いた。売れると思うし、後世まで残るんじゃないかな。出版してもらいたい」  草双紙屋の主人、それを読み、顔をしかめる。 「こりゃあ、なんです。でたらめもいいところ。あまりにばかげてるので、お上も出版禁止にはしないでしょう。しかし、ねずみ小僧は庶民の偶像ですぜ。その印象をこんなふうにぶちこわしたら、わたしゃ、江戸っ子たちにぶんなぐられる。本にはできませんな。ねずみ小僧については、ちゃんとしたものを書くよう、ある作者にたのんであります」  せっかく書いたものは、目の前で破り捨てられた。次郎吉はがっかり。それから数日は、酒びたり。二日酔いつづきでごろごろしていると、そとで叫びながら走る声。 「大変だあ。ねずみ小僧さまがつかまったそうだ」  次郎吉は起きあがる。外出すると、どこでもそのうわさでもちきり。なんでも、浜町の松平|宮内少輔《くないしようゆう》の屋敷に忍びこみ、殿さまの寝所に近づき、護衛役の女たちにとっつかまり、町奉行所の者に引き渡されたという。  なんということだ、と次郎吉はつぶやく。殿さまの寝所に金などあるわけがない。それに、そこが最も危険な場所。おれがつかまらなかったのは、そこを注意して避けたからだ。わざわざつかまりに行くようなものだ。どこのどいつだ、そんな気ちがいじみたことをしたやつは。  しかし、つかまったやつは、気ちがいではなく、わざわざつかまりに入った男だった。大名家出入りの建具屋、星十兵衛のどら息子。両親の死んだあと、家業そっちのけで遊び暮し、店をつぶした。そのあと草双紙の作者となり、でまかせ話を書いてかすかに食いつないでいた。そのうち同情した草双紙屋の主人に、実録物を書きなさい、いま人気のねずみ小僧がいい、売れますよとすすめられ、調査にかかった。  調査しはじめてみると、どうも、かつておやじのところで修業していた次郎吉がくさい。芝居の木戸番の子、建具の修業、火消しの鳶、条件がそろっている。聞きまわると、すごい人気だ。どう物語にまとめようか、訴えたらいくら金をもらえるかなど思案しているうちに、もっといいことを思いついた。おれがねずみ小僧になればいい。物語にしたってうまく書けっこない。おれが主人公になれば、後世に残るというものだ。  そして、松平家の屋敷に忍びこみ、不器用につかまったというしだい。だから、拷問にかけられると、すぐに白状した。大名家からの被害届けはいいかげんだから、その気になればいくらでもつじつまがあわせられる。次郎吉の弟妹が奉行所に呼ばれ、あれが兄かと聞かれた。二人は実の兄が処刑されるよりはと、そうだと答えた。  そして、処刑の日、薄化粧をさせられ、しばられて馬に乗せられ、町じゅう引回しとなる。  通りでの民衆の声はすごかった。 「庶民の神さま」とか「世なおし大明神」 「われわれの光だ」 「さよなら」とか「なむあみだぶつ」 「その仏さまのようなお顔は、決して忘れず、いつまでも語りつぎますぞ」  手を振るやら、ふしおがむやら、泣き出す者やら、老若男女の人の渦。  しかし、そのなかでただひとり、こうどなったやつがいた。 「この大泥棒のばかやろう」  これこそ次郎吉。おれが苦心さんたん、だれも傷つけず、殺さず、火もつけず、亜流をやっつけ、ここまで築きあげた人気と伝説。それをあのにせ者め、さっと盗みとりやがった。  民衆も民衆だ。おれからめぐまれたやつが、いっぱいいる。おれは盗んだ金のことは忘れても、だれにめぐんでやったかはみんなおぼえている。  まわりの民衆が次郎吉をどなる。 「あんた、なんてことを言うんだ。江戸っ子の恥さらしめ。ねずみ小僧さまは立派なかただ。あんた、あのかたから金を盗まれたか。あのかたは、あんたのような人から金を盗むわけがない。このばか。ぶっ殺すぞ」  殺気だったまわりの連中に袋だたきにされながらも、次郎吉は馬の上のうっとりした表情のにせ者にむかって、叫ぶのをやめない。 「この、うすぎたない泥棒やろうめ。あんなやつを出現させるなんて、神も仏もないのか。やい、泥棒。きさまなんか人間のくずだ。犬畜生よりも劣る……」 [#改ページ]   江戸から来た男  江戸からかなりはなれた地方の、ある藩。さほど大きな藩ではない。しかし、よくまとまっており、なにも問題をかかえこんではいない。平穏と無事のうちに日々が過ぎてゆく。  しかし、いま城中の奥まった一室において、藩の上層部の者たちによる会議が開かれていた。会話が盗み聞きされないよう、厳重な警戒の上でだ。上層部とは城代家老と、そのほか三人の家老、さらに町奉行、勘定奉行、寺社奉行、合計七人。藩の要職といえば、このほかに藩主と、江戸づめの家老二人がいる。だが、殿はいま参勤交代《さんきんこうたい》で江戸に出ており、江戸家老もそちらの仕事でいそがしい。つまり、藩の運営の実質的な責任者はこの七人といえた。  年配の城代家老が、手紙を示しながら、しかつめらしく深刻な表情で言った。 「じつは、江戸屋敷から手紙がまいった。内容はこうである。先日、殿が江戸城へ登城した時、幕府の役人から、貴藩はこのところ景気がよろしいようで、けっこうでござる、と話しかけられたとのこと。それに対し殿は、いや、とんでもござらぬ、わが藩でゆたかなのは将軍家への忠誠心のみとお答えになった。このことを殿から聞き、江戸家老はさっそくこちらに報告してきたというしだいだ。どうも心配でならぬ」  若い寺社奉行が発言した。 「そのようなことが、なぜ問題となるのですか」 「景気がいいとなると、藩に対して工事をおおせつけられる。江戸城とか将軍家ゆかりの寺院の修理をだ。それによって藩の力を弱め、幕府に反抗する力を芽のうちにつみとっておこうというのだ。余分な金をはき出させようという計画。あまりよろしい政策とは思えぬが、これが幕府の方針なのだから、いたしかたない」 「幕府の方針への批判は許されていませんからな」 「ここにおられるみなさまだけがご存知のことだが、この城内の金蔵にはかなりの金銭がたくわえてある。長いあいだかかって、節約に節約を重ねてためたものだ。戦国の世は、もはや遠い昔となった。現在、いざという時に役に立つのは金銭だ。金がなければどうにもならない。そのための準備金だ。このことは、われら役付きの者だけの秘密、殿にさえ知らせてない。そして、外面的には地味に地味にしている。貧しさをよそおっているわけだ。時どき領民たちが一揆《いつき》を起しかけさえする。これも巧みな演出。つまらない工事をおおせつかり、ごそっと金を出させられてはつまらないからだ。たくわえた金のことは、ほかに知る者などないはずだ。このなかのだれかが、外部にもらさない限り」  みなは口々に言う。 「役につく時、決して他言はしないと、われわれは武士の名誉にかけて誓った。誓いを破ったら、切腹となり家名は断絶になってもいいと。家族にさえも話してない」  寺社奉行がまた言う。 「それでしたら、心配に及ばないのではないか。幕府の役人は、ただのあいさつとして、殿にそう言っただけなのではないでしょうか。お元気でけっこうとか、いいお天気でとかと同じような意味で」  城代は答える。 「そうかもしれぬ。殿からのまた聞きを、江戸家老が手紙にし、それによってわれわれが知ったことだ。幕府の役人の言葉の裏にある微妙さまでは、わたしにはわからない。殿にくわしく問い合せたいが、それもできぬ。あまりくどく殿に聞くと、不審にお思いになる。そのあげく、秘密の準備金のことが、殿に知られてしまう。そうなると、ことだ。幕府の役人に聞かれた時、ついしゃべっておしまいになるかもしれない」 「殿はお人がよろしいからな」  城代は手紙をながめながら言う。 「あいさつにすぎなければいいのだが、どうも気になってならない。あるいは、と考えると」 「あるいは、なんなのです」 「藩内に隠密がいるのではないかと思う」 「隠密……」  その言葉を口にしながら、みな不安そうな表情になる。そのなかにあって、城代家老はつけ加える。 「しかも、藩内に住みついているたぐいの隠密だ。藩内を通過してゆく旅人はたくさんあり、当然そのなかには隠密もまざっていよう。しかし、通り過ぎるだけなら、城内のたくわえまでは気づくまい。なにしろ、貧しげなようすをよそおっているのだからな。だが、藩内に住みつき、じっと観察している隠密となると、話はべつだ。金のあることを、うすうす察したかもしれない。その報告が幕府にもたらされ、幕府が殿にかまをかけ、あのあいさつとなったのかもしれない。殿は金のあることをご存知ないから、その手に乗らないですんだ形ではある。しかし、金があるという事実をつきとめられ、報告されたら、もう手の打ちようがなくなる。早いところ、その隠密がだれかを明らかにし、なんとかせねばならぬ。まさか、家臣のなかにまぎれこんではおらぬだろうな」  人事担当の家老が言う。 「ここ数十年のあいだに、新しく召抱えた者はありません。怪しげな者はいません。藩を裏切るような家臣はひとりもいないと断言できます。中奥のほうはどうでしょうか」  中奥とは、殿の側室やその侍女たちの住む、女ばかりの一画。藩の外交と儀礼を担当し、さらに殿の側近や中奥の管理をも分担している、最も年長の家老が言う。 「公私の別はあきらかになっている。殿の私的生活に属する中奥のことがわれわれにわからぬごとく、中奥の女たちも公的のことはなにも知らない。そもそも、殿さえ金のことはご存知ないのだからな。中奥を取締る老女はしっかりした女だ。変なそぶりの女がいれば、女同士の嫉妬《しつと》から必ずつげ口があるはずだ。そんな報告が老女からないところをみると、大丈夫と断言してよいと思う。それより、農民の中にまざっているのではなかろうか」  農民はすべて勘定奉行の支配下にあり、その戸籍もできている。勘定奉行は言う。 「他藩から流れてきて住みついた農民も、ここ何十年のあいだありません。そもそも、農民にばけたとしても、農民たちのあいだにとけこみ、心おきなく話ができるようになるのは容易でない。二、三代、すなわち百年近くかかる。また、農民にまぎれていたのでは、城内のことを知りようがない。藩内の年貢《ねんぐ》の合計を聞きまわったりしたら、目立って、すぐに怪しまれる。こうも能率が悪く手間のかかることを、隠密がやるとは思えぬ。ばけるとすれば商人のほうがいい」  商人を監督する立場にある町奉行は言う。 「藩内を通過する商人はたくさんいるが、ここへ住みついて商売をはじめる者は、必ず届け出るようきめてあり、やはりここ数十年のあいだ届け出はない。いままでの同業者が利益を奪われると文句をつけ、それをさせないからだ。可能性として考えられるのは、商人が弱味をにぎられるか買収されるかして、隠密の手先となっている場合だ。しかし、ばれたら処刑され財産没収、その危険をおかしてまで商人がそれをやるとは思えない。隠密のほうでも、商人をそう信用しないのではないか。藩に通報されたら、隠密本人はすぐつかまってしまう。そもそも、城の物品購入係も藩が貧しいと思いこんでいるのだから、そこから秘密のもれるわけがない」 「藩内に他藩の浪人が住みついていないか」 「そういう者たちには、ある期間以上の滞在を許していない。金がなければ、藩外までの旅費を与え、追い出している。なにしろ、浪人にうろつかれると、治安が乱れ、ろくなことはない。ところで、寺社奉行の管轄のほうはどうか」 「それは大丈夫。身もとはすべてはっきりしている。みなこの藩のうまれ。他国へ修行に出た者もあるが、戻ってきた時に他人にすりかわっていたという疑いのある例などもない。他国から藩内の寺に修行にやってくる者はあるが、一年以上の滞在者はいない。第一、修行僧が藩政について聞きまわったら、たちまち話題になってしまう」 「となると、隠密がいるとなると、どんな職業をよそおっているのだろうか」  その城代のつぶやきに、勘定奉行が言う。 「職人ということになりましょう。勘定奉行の管轄ともつかず、町奉行の管轄ともつかず、調査が不充分になっている。腕の修業のためにやってきて住んでいる者もあり、いつのまにか出てゆく者もある。また、藩内に産業をおこすため、指導してくれるよう呼び寄せた者もあり、いろいろだ。産業面で役に立っているわけで、あまりうるさくは取締れない。隠密がいるとなると、このなかだろう」 「なるほど、もっともな意見だ。職人関係を洗いなおしてみるべきだな。そう人数も多くはあるまい。やってできぬことではない。勘定奉行と町奉行とで部下を出しあい、ひそかに調べてもらいたい。藩内にいる他国から来た職人の名を書き出し、怪しくないのを除いてゆけば、疑わしい者が浮び上ってくるだろう。それをやってもらいたい。しかし、内密にだぞ。城内に変なうわさが流れても困るし、隠密に気づかれても困る。うるさい藩だとの印象を与え、職人たちに出てゆかれたら、産業がおとろえてしまうし」  城代家老はこう言い、その日の会議は終った。  つぎの会議の時、その報告がなされた。 「職人の調査をすませました。最近やってきたばかりの者、城下以外に住んでいる者、他藩からやってきて技術を習得するのだけが目的らしい者、これらをつぎつぎに消してゆくと、ひとりだけ残りました」 「それはどんなやつだ」 「庭師の松蔵です」 「なに、あの松蔵……」  みなその名前は知っていた。三十五歳ぐらいの男で、十年ほど前にこの藩にやってきて、なんとなく住みついてしまった植木屋だった。城下の植木屋の親方のところに修業に住みこみ、親方が病死したあと、その幼い男の子を育てながら生活している。親方の妻はその前に死んでおり、幼児をほっておくことができず、仕方なしに住みついたという形だった。無口だが腕のいい庭師。 「で、その松蔵の生国はどこか」 「それが、江戸なのです」 「ううむ。となると、疑わしくなるな。まったく疑わしい」  その意見はもっともだった。腕がいいため、城の庭の手入れもまかせている。名園といっていいほどの、みごとなものに仕上げてくれた。殿の私的生活の場所である奥御殿や中奥の庭も作り、殿からおほめのお言葉もたまわっている。城内に出入りできる、家臣以外の人物となると、松蔵ぐらいなものだ。若い寺社奉行は言った。 「あの男は、ご家老たちのお屋敷のお庭の手入れもしています。盆栽作りの才能もあり、ご家老の夫人がたは、それをお求めになって喜んでおられるとか……」  家老たちはいやな表情になる。城の防備を担当する家老は、弁解をかねて言う。 「そのご心配は無用だ。われら家老は、藩の秘密など、妻子にも絶対に話していない。こうとなったら、面倒なことにならぬうちに、松蔵を切ってしまおう。疑わしい人物を城内に出入りさせておいては、よろしくない」  勘定奉行がそれをとどめた。 「しかし、松蔵が隠密でなかった場合、殺したりしたら大損害だ。いまでは名物ともいえる、わが藩の誇りのお城の名園が、荒れはててしまう。殿も帰国なさってがっかりされるだろうし、中奥のご側室も不快になられるだろう。しかし、それはまあいい。松蔵は肥料にくわしく、農民たちの相談にのってやっており、藩内の農作物の収穫を高めるのに役立っている。また、山のほうで薬草栽培もはじめている。これは藩が依頼してやらせていることだ。やがては藩の産業のひとつになると思われる。いま松蔵を殺したら、将来にかけて藩の財政上、かなりの損害となる」 「それはそうだろうが、もし松蔵が隠密で、その報告により幕府から工事をおおせつかったら、それ以上の大損害となる」 「その点はいうまでもないこと。しかし、隠密でなかった場合の損失、悪人らしからぬ松蔵をなぜ殺したかについてささやかれる藩内のうわさ、それらを計算に入れると、軽々しく切るのは考えものだ。もちろん、なにか疑わしいとの証拠でもあればべつだが」  その議論を城代家老が仲裁した。 「では、さらに調べることにいたそう。だれかを江戸にやり、松蔵の出生地で、本当に町人のうまれかどうかを聞き出してくるのだ。寺社奉行の配下の者に、その仕事をたのみたい。松蔵の先祖の墓のある寺にも当ってもらいたいのだ」  その結論にもとづき、ひとりの家臣が江戸へと旅立っていった。  その結果が、やがて寺社奉行から会議の席で報告された。 「どうにも判断がつかないので、ありのままをお話しする。その町名のところに、たしかに松蔵という男が、かつて存在はした。しかし、なにぶん十何年も前のことなので、人相についても近所の人の記憶もぼやけており、問題の松蔵と同一人物なのかどうか、確認できなかったそうだ。松蔵の人相書きを見せたが、似てるようだと言う者も、別人だと言う者もある。十何年も会わずにいるのだから、かりに本人を見せても、すぐにわかるかどうかだ。それに、この人相書き、へたくそな絵だ。もっとましな絵師をやとうべきだ」  寺社奉行の出した人相書きを見て、だれかが言う。 「わたしが見せられても、似てるような似てないようなとの感想をのべるだろう。しかし、旅の絵師をやとったはいいが、そいつが隠密だったなんてことになったら、えらいことだぞ」 「話を混乱させないでくれ。ところで、江戸の町人たちの言う松蔵は、腕はまあまあの植木職人だった。ところがある日、不意にいなくなったとのことだ。うわさでは、なにかしでかし、江戸にいられなくなったのではないかとの話。金の横領か盗みか、密通か人殺しか、そこまではわからないが」 「なるほど。そういえば、松蔵から身上話を聞いたことがないな。そのたぐいのことをやっていたとすると、発覚すれば死罪。当人は口がさけてもしゃべるまい。江戸から消えた松蔵と、ここのが同一人だったとしてだが」 「それなら、こうしたらどうだろう。もし本人が本当のことを話してくれるなら、当藩が、江戸の町奉行から追及されないよう保障してやると約束したら」 「いや、それは無理だ。話すわけがない。かりに話したとしたら旧悪を知る者が周囲にいることになり、いごこちの悪いことおびただしい。姿を消して他藩に行ってしまうだろう」  また、防備担当の家老が言った。 「どうだ、なにはともあれ、松蔵を呼び出し、問いつめてみるか。おまえは町人のうまれなのかと」 「それも無理だな。町人だと答えるにきまっている。町人なら当然のこと。隠密が、自分は隠密だと言うわけがない。みとめれば、その場で殺される。ただの庭師だったら、疑いがかけられただけでいやけがさし、他藩に移る。当藩の損失だ」  最も年長の、外交と儀礼を担当している家老が発言した。 「わたしは江戸家老を勤めたことがある。だから、幕府の隠密に関していくらか聞いている。隠密とは、お庭番という役職。ふだんは江戸城のなかの庭の管理をやっている。つまり、庭師なのだ。だから、松蔵が庭師であることを考えあわせると、疑わしいように思えてならない。話があう。江戸の松蔵の失踪《しつそう》をいいことに、お庭番の者たちを各藩に出むかせたのではなかろうか。もしかしたら、ほうぼうの藩に、江戸から来た松蔵という庭師がおり、隠密の役をはたしているかもしれない」 「しかし、なあ、話があいすぎるような気もするな。お庭番が庭師では、あからさますぎる。藩に潜入するのに、本職のままでというのは芸がなさすぎる。なにか他の職人に身をやつしたくなるのが、人情ではなかろうか」  防備担当の家老がそれについて言う。 「いや、それを逆手にとるという作戦もあるのです。あからさますぎると、かえって盲点となる。兵学にもよく出てくる。巧妙な侵入者をとらえるのは、なにくわぬ顔で堂々と入ってくる者をとらえるより容易だと。やはり、松蔵の処分は早いほうがいい」 「本当に隠密だった場合、やつを殺せば、そのことが江戸の幕府の耳にいずれは入る。隠密を切ったとなると、幕府は、さてはなにかやましい点があるのだなと思うのではないだろうか」 「では、山の中ででもひそかに殺そう。足をすべらせて谷に落ちて死んだ形にしておけばいい。隠密は事故死や病死をしないものだときまってはいない。やつが隠密だったら、死後かわりの者がやってくるだろう。よく見張っていれば、つぎに当藩に住みついた者が後任者となる。それからは扱いやすくなるぞ」 「名案です。ただし、松蔵が本当に隠密だった場合だけですがね。また、つぎの隠密、もっとすごいやつが、もっと巧妙な手段で潜入してくるかもしれない。松蔵が隠密だったとしても、くわしいことを知られていないのなら、注意しながら、いまのままおいておくほうが得策ともいえる。比較の問題です。それに、庭の手入れにすぐ困る。せめて、親方の遺児が松蔵から技術を学びつくすまで待てればいいのだが」  議論はきまらず、城代がしめくくった。 「もう少しはっきりするまで、判断を待ちたい。信用できる町奉行配下の者を何人か使い、ひそかに松蔵の動きを監視してくれ。隠密の疑いだなどと教えずにな。なんとかうまい理屈を考えて命じてくれ」 「やってみましょう。しかし、中奥での動きまでは監視できませんよ。中奥の庭仕事となると、庭師は老女の監督の下で入れるが、われわれは入れません」  松蔵の動きが調べられ、その報告がなされた。会議の席で町奉行が言う。 「これまでの中間報告というわけですが、松蔵にはあまり友人がいない。趣味といえば、ひまな時に魚釣りをする程度。庭作りとなると、お城とか家老屋敷の仕事が多い。そんなわけで、ほかの職人たちにつきあいにくいやつとの印象を与えているのでしょう。お城や家老屋敷に出入りしていると、言葉づかいがていねいになってしまったりしてね。ほかの職人たちとつきあい、酔ってばかさわぎをしたり、ばくちをしたりすると、お城へのお出入りをさしとめになるかもしれないと、松蔵が気をつけているようでもある。というわけで、やつがどんな性質なのか、だれもよく知らないのです」 「なるほど」 「友人が少ないという点、仕事大事と松蔵が考えての上だったら、やつは怪しくない。しかし、正体を知られたくないためにそうしているのだったら、怪しいといえる。ここは依然としてなぞなのです。やつがどんな性格かは、ご家老はじめ、お城の上役のご夫人がたのほうがくわしいようです。庭の手入れをしている松蔵と話をかわしておいでのはずだ。その方面から聞き出すことはできませんか」 「うむ、弱ったね。女たちから聞き出すとなると、うわさが変にひろがりやすい。夫人たちが下働きの女に、松蔵ってどんな人だねなどと聞いたら、たちまち話題になる。また、松蔵に警戒されることになる。こっちの武器は、やつにまだ怪しまれていない点にあるのだ」  防備担当の家老が言う。 「やはり、このさい切るほうが……」 「切るのがお好きですねえ。しかし、切るとですよ、松蔵が隠密だったということになる。すると、上役たちのご夫人がたが、その手先としてあやつられていた形になる。しこりが残りかねません。われわれの妻子が、気づかなかったとはいえ、利用されていたという点でね。できうれば、殺すのは、はっきりした上でが望ましい」 「ことは少しも進展していない。いったい、松蔵は字が読めるのか。読めるのだったら、隠密と断定してもいい。隠密は字が読めなくてはだめだろうし、ただの庭師なら、学問は不要だろう」  と城代が聞き、町奉行が答えた。 「それもわからないのです。ひらがなで自分の名ぐらいは読み書きできそうだが、それ以上どうかとなると、なんともいえない。松蔵がだまって立札に目をむけているとする。読んでいるのか、ながめているだけなのか、当人以外には知りようがない」 「それなら、ひとつわなをかけてみよう。やつがやってきた時、お城の庭に重要そうな書類を一枚、そっと落しておく。やつがどう反応するか、物かげから観察するのだ。拾いあげてしげしげと見たら、読んだときめていいだろう。やってみることにしよう」 「で、どんな書類を作りますか」 「そうだな。江戸の商人にあてての、借金の返済延期を求める手紙なんか、どうだ。勘定奉行の印を押した、もっともらしいのを作ってくれ」  その計画は実行に移された。松蔵のやってくるのを待ちかまえ、城の庭にその手紙をおき、物かげから見ている。しかし、その時、運が悪いというべきか、とつぜん風が吹いた。あれよあれよといううちに、手紙は高く舞いあがり、どこかへ飛んでいってしまった。手わけしてさがしたが、ついに見つからない。勘定奉行はため息をつく。 「とんでもないことになってしまった。あの手紙、川へでも落ちて沈んでくれればいいが、だれかに拾われたらどうなる。わが藩の恥さらしだ。商人に対して、返済延期を泣きついている文面なのですよ。あの手紙の内容は事実ではないと、城下に立札を出すわけにもいかず。それに、もし万一、あれが本物の隠密の手に渡ったら……」 「その場合なら借金の存在を暗示している文面だから、悪い結果にはならないと思うが」 「いや、そうはいきません。幕府は念のためにと、その商人に会ってたしかめるだろう。商人がその手紙を受け取り、それを証拠に金をかえせと請求してきたらどうなる。勘定奉行の印のあるものを、あれはうそだとも言えない。また、その商人が金など貸してないと答えたら、わが藩への疑惑は高まる一方。隠密どころか、幕府の役人が直接、取調べに乗りこんでくるかもしれない……」  勘定奉行の想像は、悪いほうへとばかり発展する。城代家老がなぐさめる。 「もしそうなったら、貴殿だけの責任にはしない。わたしも城代家老として、いっしょに腹を切る」 「いっしょに切腹していただいても、しようがありませんよ。これが戦場においてとか、なにか悪事をしての死なら、まだ救いがある。しかし、計略のにせ手紙を作っただけのあげくでは、あまりにばかげている。ああ……」  そのあと何日か、みなは書類の拾得者のあらわれるのを待った。しかし、それはなかった。字の読めない者には重要さがわからず、重要さのわかる者は、読んだなと怒られるのを恐れて捨ててしまったのかもしれない。勘定奉行は、手紙がどうなったのかの不安を忘れかね、いらいらしはじめた。  城代家老は言う。 「このあいだは失敗した。もう一回やろう。こんどは風に飛ばされないよう注意してだ」  勘定奉行は首をふる。 「もう、わたしはごめんです。手紙ならべつな人に作らせてください」 「では、わたしが書こう。江戸屋敷においでの殿にあてた辞職願いだ。病気のため城代をやめたいといった文面。内容などどうでもいいのだ。問題は、やつが拾って読むかどうかだ。読んだらその場でひっとらえる。読まなければそれですむ」  またも準備がなされた。松蔵が庭へやってくる。物かげから見られているとは知らないらしく、松蔵は手紙を拾いあげた。さあ、どうするだろうか。松蔵はそれで鼻をかみ、ぽいと投げ捨てた。家老や奉行たちは、顔をみあわせて相談する。 「どう判断したものか。読んだのであろうか、鼻をかむために拾いあげたのであろうか。どっちともとれる動作だった」 「拾いあげて鼻をかむまでの、あの短い時間。そのあいだに内容を理解したとなると、相当な学があることになる。でなかったら、まるで無学、字に無関心ということになる。ゆっくりなら読めるというのでないことだけはたしかだ」 「結局、わからんということだ。こんどは、もっとむずかしい内容の、こまかい字の手紙でやってみるか」 「いや、この作戦はもうやめたほうがいい。歩く道に、いつも手紙が落ちてるとなると、隠密だったら、すぐ変だと気づくだろう」 「だったら、変だと思うかどうか、その態度を観察するというのは……」 「見わけられないのではないかな。読まずに、切った枯枝や枯葉といっしょに燃やしたとする。これを怪しいときめられるかどうか、むずかしいぞ。手紙を上下さかさまにながめたとする。これを怪しいといえるかどうか。なにか、もっとべつな方向から手をつけるべきではなかろうか」  城代が言うと、寺社奉行が発言した。 「そもそも、松蔵が栽培しかけている薬草とは、なんなのです。あれを調べてみたら」 「うむ、そうだ。これは大変な手ぬかりだった。あの薬草は、お城の医師の手をへて、殿の口に入る可能性のあるものだ。ゆっくりと作用する毒性のあるものだったら、一大事だ。殿が変死、不審な死だとのうわさが立つ。そして、お家騒動の件よろしからずと、お家おとりつぶしにならぬとも限らぬ。これにひっかかったら、えらいことだぞ。家臣みな浪人となる。それとなく、医師に聞いてきてくれ。将来の藩の産業計画のために、どんな効用があるのか知りたいとか言って……」  やがて、寺社奉行が薬草を持って戻ってきて報告。 「どうもあの医師、いい加減ですな。たよりないこと、おびただしい。気力をつける作用があるはずだが、薬草の本の図と少しちがう。さらに効果のある改良品種かもしれませんといった答えです。もっといい医師をやとうべきだ。そこで新しいのをやとうと、それが隠密……」 「その議論は、前にもやった。問題はその薬草だ。貴殿、つづけて飲んでみてくれぬか」 「ごめんこうむります。いかに寺社奉行でも、墓に入るのはまだ早い。また、効果があるにしても、わたしは若く、気力があります。薬のききめのためかどうか、見わけにくいでしょう」 「となると、この役は貴殿に……」  城代に言われ、最も年長の外交と儀礼担当の家老は、断われなくなった。その薬草を毎日飲みつづけることになった。これもご奉公のひとつと自分に言いきかせ、それをつづける。しかし、変な味で、毒かもしれないと思うと、不安になる。その家老もいらいらしはじめた。いらいらしてきたのが、薬草のせいなのか気のせいなのか、当人にも第三者にも見当がつかなかった。薬草を手がかりとする調査も、はっきりした結論は出なかった。 「なにか方法はないものか。やつの弱味をにぎって、おどしながら変化を見るとか……」  と城代が言ったが、町奉行は首をかしげる。 「だめでしょう。それがないんですよ。これといったことをやっていない。江戸でやったかもしれない犯罪の証拠でもあればいいんですがね。いや、それがあれば隠密でないと判明するわけでしたね。弱りました」 「しかし、人間というものは、金と人情には弱いものだ。そこをねらって、おどすのと逆の戦法をこころみてみるか。松蔵のこれまでの功績をねぎらい、金をやる。まあ、一種の買収だ。隠密だったとしても、魚心あれば水心で、当藩のためにならぬ報告を、江戸には送らないでくれるのではないだろうか」 「ご城代がご自身の判断でなさるのなら、反対はいたしません。わたしたちは、その反応をかげからのぞくことにします」  金の包みが用意され、松蔵が呼ばれた。城代家老は庭の手入れのよさをほめ、優しくねぎらいの言葉をかけ、金を渡した。松蔵は、頭は何度も下げたがあまり口をきかず、金をもらって帰っていった。城代家老にも他の者にも買収の効果があったのかどうか、よくわからなかった。もちろん、隠密かどうかも。そのうち、だれかが思いついたように言う。 「かなりのお金を渡してしまいました。買収に役立てばいいのですが、逆効果になったらことですよ。いやに景気がいいと思われてしまう。お城の金蔵には大金があるのかもしれぬとの印象を与えてしまう。そうなったら一大事。ご城代の責任となりましょう」 「うむ……」  防備担当の家老が、また例のことを言う。 「こうなったからには、切る以外に……」 「いや、待て。松蔵があの金をどう使うか、ようすを見よう。なにかの手がかりになるかもしれぬ」  それが調べられ、報告がもたらされる。 「あれから松蔵、お寺へ行ったそうです。城代家老から、身にあまるお言葉をいただき、お金をもらったと住職に話し、こんな大金を持っていると不安だから、あずかっておいてくれと……」 「平凡な行動で、また手がかりなしか。散財してくれれば、金めあての強盗をよそおって殺せたのだがな。住職に話して金をあずけたとなると、やつに金があるのを知っているのは、お城の関係者となってしまう。やつをへたに殺すと、住職がわれわれに疑いの目をむけかねない。住職も道づれに殺さなければならないかな」  と防備担当の家老が言うのを、寺社奉行が制した。 「やめてください。そんなことされたら、わたしが寺社奉行として責任をおわされる。第一、お寺の住職が殺されたら、領民たちは不安でさわぎはじめるでしょう」  城代が顔をしかめながら言う。 「だいたい、やつが独身だからいかんのだ。ひとりだと身軽で、いつでも逃げられる。とらえどころがないのも、そのためだ。だれか松蔵に嫁を世話しろ。町奉行、下の者に命じて、それとなく持ちかけさせてみろ」  その計画が実行された。城下の小さな商店の、平凡な娘が松蔵の嫁となった。その女は親方の遺児ともうまく気があったらしく、家庭は順調のようだった。その経過報告が町奉行からなされた。 「部下に命じ、松蔵の嫁にそれとなくさぐりを入れさせたのですが、要領をえません。亭主の正体についてなにも知らないのか、正体を知ったのだが、結婚によって愛情が高まり、口外しないのか、判断に苦しみます。女をしょっぴき、ひっぱたいて問いつめることはできます。しかし、それをやると、松蔵は腹を立て、幕府にむけて、あることないこと、当藩についてあしざまに報告するかもしれない。隠密だった場合ですがね。また無実とわかって釈放してからでは、もう手おくれ。こんな藩にいられるかと、親方の遺児を連れて、消えてしまう。庭園はあれはて、とりかえしがつかないこと、以前にのべた通りです」 「こうと知ってたら、信用できる家臣の娘にいいふくめ、やつの正体を調べる任務を命じて嫁入らせればよかった。といって、いますぐ離婚させるわけにもいかず……」 「あの病死した植木屋の親方、本当に病死だったのだろうか。怪しまれず住みつくために、松蔵が殺したとの仮定も立つ。いまとなっては調べようもないが。しかし、松蔵は遺児の世話をよくこれまでつづけてきた。偽装のためか、良心の呵責《かしやく》のためか、これまた見当がつかない。使命感にもとづく演技ということもありうるし」  反省だの疑惑ばかり出てきて、問題は足ぶみをつづけている。しばらく考えていた防備担当の家老が、こんなことを言い出した。 「先日来、なにか別な解答があるのではと考えつづけだったが、ふと頭に浮んだことがある。松蔵は幕府の隠密ではないかもしれない」 「これは新説。なんだというのですか」 「かたき討ちということもあるぞ。松蔵の肉親が、この藩の家臣、あるいは殿という場合だってある、そのだれかに殺された。そのうらみをはらそうとして、目立たぬようこの藩に住みつき、それとなく機会をうかがっているのかもしれない」 「しかし、職人なんですよ」 「だから、なおさらやっかいだ。やつが武士なら、堂々と名乗って切りかかるだろう。しかし、その実力のない職人なのだ。卑怯だろうがなんだろうが、目的のためには手段を選ばない。どんな巧妙な方法を使うか、予測できませんぞ」  人事担当の家老は、腕組みする。 「わたしの頭を痛める意見が出ましたな。松蔵を呼び、親のかたきを討つのなら手伝って本懐をとげさせてやるともいえない。家臣を見殺しにすることになる。松蔵だって言わないだろう。もし言ったら、藩が当人をひそかに逃がすだろうと思ってるにちがいない。だれがねらわれてるのやら、調べようがないから困る。わかれば手の打ちようもあるのだが。かたきとねらわれるような身に覚えのある者は申し出よ、との指示を出すか。だれも申し出ないでしょうな。周囲から変な目で見られ、昇進にもさしつかえる。ひそかに調べるよう心がけてはみるが、あまり期待しないでいただきたい。時間がかかる。やれやれ、やっかいな仕事をしょいこんだものだ」  そうこうするうち、松蔵をめぐってひとつの事件が突発した。そのことについて、町奉行から報告がなされた。 「部下に命じ、ひきつづき松蔵の動きをそっと観察させていたのですが、昨日、こんなことがおこった。川ぞいの道を、松蔵が悲鳴をあげながら逃げまわっている。追いかけているのは、他藩の浪人らしき男。そこで部下は、思わず飛び出し、松蔵を助けて浪人を切り殺してしまった」 「殺してしまったと……」 「それは仕方ありません。領民を守るのが藩の家臣の役目。また、部下には松蔵に隠密の疑いがあるとは言ってなかったのです。腕のいい庭師だから、他藩からさそいの手がのびるかもしれない。その防止のため、そっと見張れと言ってあった。松蔵がやられたほうがよかったのかどうか。この問題となると議論はきりがありません。浪人を殺してしまったという事実があるだけです。いうまでもなく、その浪人の死体を調べてみましたが、身もとを示すものは、なにもなしです」 「いけどりにできればよかったのだがな」 「いまさら、しようがありませんよ。松蔵は大いに感謝しています。命を助けられたのだから当然のことですがね。しかし、なにごとだと聞いても、答えは要領をえません。川で釣りをしていたら、因縁をつけて切りかかってきたとのことです。話はそれだけです。松蔵の話が事実なのかうそなのか、浪人が死んではたしかめようがない。あの浪人、凶暴性のある気ちがいだったのかどうかも……」 「その浪人、松蔵にうらみをいだいてやってきたのではないかな。松蔵のほうがねらわれる身だったとも考えられる。妻と不義をしたので、成敗《せいばい》してやろうと、浪人に身をやつしてたずねまわっていたのかも……」 「ここのと同一人かどうかは不明だが、江戸から松蔵が失踪した。その原因がわからない限り、なんともいえない。命をねらわれるようなうらみを買っているとなると、本人も絶対に言わぬだろうし」  外交と儀礼担当の家老が口を出す。 「薬草を飲みつづけて妙な気分なのだが、わたしの隠密についての知識によると、こうも想像できる。松蔵という隠密、使命をおびてここに住みついた。しかし、いごこちがよく、家庭もでき、任務をおろそかにした。そういう場合、江戸からべつな隠密がやってきて、処分するらしいのだ」 「それは、ありうることだな。いつかの金と人情による買収工作が成功し、心がこっちに傾いたということになるな。今回は命を助けてやり、ますますいい結果になる。隠密だったとしても、わが藩のためになる人物だ。これからは扱いを変え、もっと大事にしなければなるまい」 「いやいや、必ずしもそうとは安心できぬ。隠密となると、裏の裏まで計画してとりかかるものかもしれない。この一件、松蔵への当藩の警戒心をゆるめさせるための、芝居だったとも考えられるぞ。あの浪人、わずかな金に目がくらみ、その犠牲にされたのかもしれない。身もと不明だなんて、うまくできすぎている」 「ちょっと待ってくれ。さっき、わが藩に寝がえった隠密だから、大事にすべきだとの説が出たが、それはちがうぞ。幕府を裏切った隠密ということになる。その松蔵をわが藩が守ってやるとなると、幕府の心証がはなはだしく悪くなる」 「そうなると、早く松蔵を切ったほうがいいことになるな。しかし、あいつ、武芸がどれぐらいできるのだろう。だれかに切りかからせてみるか。だめだろうな。武芸の達人だったら、ためすために切りかかったのだと察して、平然としているだろう。本気で切りかかって、松蔵がただの庭師だったら、首が飛んで終り。危険な賭《か》けであること、これまでくりかえした議論に戻る。また、武芸がまるでできない隠密だってあるだろうし……」  城代家老が言う。 「いいかげんにしてくれ。きりがない。混乱するばかりで、わたしの頭もおかしくなりかけてきた。二日ほど休んで、冷静な気分になってから、あらためて相談しよう」  つづいて、松蔵に関して、またひとつ報告が入った。旅の武士が道ばたで松蔵に話しかけ、しばらく話しあい、歩み去ったと。町奉行はそれを話し、城代の指示をあおいだ。 「どういたしましょう」 「なにを話しあったというのだ」 「松蔵のいうところによると、植木の手入れ法を聞かれたので教えたのだとのことですが、どこまで本当なのやら」  防備担当の家老が言う。 「その武士を追いかけていって、切り殺すべきだと思う。幕府に報告がとどけられてしまっては手おくれになる」 「わが藩に好意的な報告という場合だってあるぞ。また、殺してしまっては、なぞは解決されずに残る。うむをいわさず殺して、あとで他藩の身分ある武士とわかったら、ことがこじれる」 「その武士をていねいに呼びとめ、いろいろ聞いたらどうであろうか」  外交と儀礼担当の家老が言う。 「みどもは幕府の役人だと名乗られたら、それ以上どうしようもない。わたしの隠密についての知識によると、隠密どうしの連絡は、すべて口頭でなされるとのことだ。密書など持っていたら、言いのがれができないからな。だから、所持品を徹底的に調べても、なにも出てはこないだろう」  町奉行があせった口調で言う。 「ぐずぐずしていると、その武士は関所を通って藩外に出てしまいますよ。手の届かないとこへ行ってしまうのですよ。どうします」 「うむ。どうしたものかな。よし、こうしよう。町奉行の配下で、最も信用できる者をひとり、すぐ旅に出せ。そして、その武士のあとをつけさせるのだ。どこへ行くかをつきとめれば、手がかりがえられるぞ。うん。これはわれながら名案だ」  その指示により、それがなされた。しかし、何日かして帰ってきた尾行者は、途中で見失ってしまったと報告した。町奉行は会議の席でそれを話した。 「まことに残念なことです。旅の用意もそこそこに出発させたので、なにかと不便だったらしい。はかまがほころびたが、針と糸を持参してなかった。旅館でそのつくろいに手間どり、そのあいだに見失ってしまったとのことです」 「なるほど。わたしの知識によると、それは隠密宿というものかもしれない。隠密たちが連絡をとりあうのに使う宿だ。主人もなかまだ。だから、わざとはかまをほころびさせ、そのあいだに逃がしたとも考えられる」  防備担当の家老が言う。 「本当に見失ったのかな。めんどうくさくなったので、切ってしまったのではないかな。あるいは、相手に気づかれ、てむかってきたので切り殺したのでは。切ったはいいが、死体を調べて、他藩のれっきとした武士とわかる。となると、藩に迷惑の及ぶのを防ぐため、その尾行者、自己の責任で見失ったと言いはることになるぞ」 「たしかに、あの部下はお家を思う念が強いからな。ありえないとはいえぬ」  迷いはじめる町奉行に、寺社奉行が言う。 「いや、その武士にうまく言いくるめられ、買収されたとも考えられますよ。まじめな人物ほど、だまされやすい。そのすきにつけこまれ買収されたとなると、帰って事実を報告しにくい。見失ったとでも言うほか……」 「なにを言うのです。わたしの部下はそんな性格ではない」  城代が言う。 「貴殿の責任で断言できるか」 「ええと、そうなると……」 「断言してもらったところで、見失ってしまってはどうにもならない。ああ、またもなぞのままだ。判定を下そうにも、そのもととなる材料が、いまに至るもなにもないのだ」 「そこに隠密側の作戦があるのかもしれません。松蔵は一味のおとり。あいつに皆の注意が集中するようしむけておき、そのすきに、隠密仲間がもっと大きな仕事を進行させているのかもしれない。松蔵はただ目立つように、意味ありげに泳ぎ回っているだけです。現実にはなにもしなくていい。だから、われわれがいかに調べようとしても、なにも出てこないのです。こういう考え方はどうでしょう」 「ううむ。ありえないこととはいえないな。専門の隠密ともなれば、それぐらいの作戦はたてるかもしれない。しかし、そのすきに、どのような大仕事をたくらんでいるというのだ」 「そこまでは見当もつきません。わたしはただ可能性をのべたまでで」 「いいかげんにしてくれ。不安だけが高まり、ますます泥沼にはまりこんでゆく……」  城代家老は悲鳴をあげた。  そのつぎの会議の時、人事担当の家老がこんなことを言いはじめた。 「いままでだれも発言しなかった、あることを思いついた。松蔵は隠密は隠密でも、幕府のそれではないのかもしれない」 「またも新説が出ましたな。で、どこからの隠密だというのです」 「ちょっと言いにくいことですが……」 「気をもたせないでくださいよ。重大問題なのですから」 「つまりです、われらの殿に直属している隠密。殿は参勤交代によって、一年おきの江戸ぐらし。留守中の藩政のことが気にもなりましょう。おざなりの報告文書によらない、その実態を知りたくもなりましょう。留守中、目のとどかないのをいいことに、家臣たちがいいかげんなことをやるかもしれない。その監視役を作りたくもなる。幕府の隠密の私的な小型版です。そのため、庭師を江戸でやとい、ここへ送りこんだのでは。松蔵が江戸を出てここに住みついたのには、なにか理由がなくてはならない」 「ううむ」 「殿だって、藩に金の余裕があるのかどうか、お知りになりたいでしょう。だいたい、今回のさわぎのもとは、幕府の役人に景気がいいそうでと声をかけられたという、殿の話です。本当にそう声をかけられたのかどうか、たしかめようがない。殿がご自分でその話を作り出し、われわれにかまをかけたのかもしれません。これまでの松蔵の報告をもとにです」  みなはうなずく。あれこれ考えすぎると、かえって思考力が失われ、そうかもしれないと考えはじめると、なんだかそれが事実のように思えてくるのだ。 「なるほど、なるほど。ありうることだな。殿がお城の庭を、しきりにほめておいでになる。いまにして思うと、松蔵をお城に自由に出入りさせよ、勝手に処分するな、との意味を含めた殿のお言葉だったともとれる」  だれかが防備担当の家老に言う。 「貴殿は、松蔵を切れ切れと、さかんに主張なさった。切っていたらえらいことでしたぞ。殿の帰国の時、どう説明するつもりでしたか」 「いまさら、そうおっしゃるな。わたしの発言、殿にはぜひ内密にしておいていただきたい。おのおのがただって、松蔵に疑念をおっかぶせたではないか。わたしと大差ないことですぞ」  だれかが思いついたように言う。 「そういえば、松蔵と話した武士を追っていって、途中で見失ったと戻ってきたのがあったな。見失ったのでなく、つかまえて問いつめ、そのことを打ちあけられたのかもしれない。追っていった者、たしか江戸屋敷づとめの経験者だったはずだ。そういう事情となると、のみこみが早いのではないかな。先日は買収されたのかもしれないとの意見が出たが、その逆、殿によろしくと買収をおこなったとも考えられるぞ。自分の昇進をよろしくお伝え下さいとね」  町奉行が言う。 「あいつが昇進するとなると、町奉行になる。わたしはどうなるのだ」 「隠居を命じられるか、家老への昇格か、どっちかしかない。貴殿の才能がどう評価されるかの点にかかっている。もっとも、昇格となると、家老に空席がなくてはならない」  最も年長の外交と儀礼担当の家老が言う。 「わたしはまだまだご奉公できるぞ。しかし、あの薬草、こうなると飲みつづけたほうがいいようだな。松蔵が殿の隠密となると、毒であるわけがない。なんだか気力がでてきた。そうだ、松蔵は城代家老の辞職願の手紙を読んでいるぞ。そのことが殿のお耳に入れば、空席がそこにできる」  そのうち、寺社奉行が口を出す。 「しかしですなあ、殿はご立派なかただ。隠密を使って監視するとは、家臣を信用なさっていないことになる。そんなことを、なさるとは思えない。わたしは、江戸においでの、正室とのあいだにできた世つぎである若君のつかわした隠密ではないかと思う。若君は、正式に相続なさるまで、藩には来られないのが幕府のきまり。しかし、やがては自分が領主となるのだから、その藩の実情について、とらわれない知識を持っておきたいとお考えになるのは当然だ。将来の藩政改革のための材料を集めておいでになるのかもしれない」 「そうでなければ、やはり江戸にお住まいの、家督をいまの殿にゆずられて隠居なさっておいでの、先代の殿の隠密かもしれない。隠居したとはいっても、やはり藩のことは気になる。いまの殿に対して、こんなことでどうすると意見のひとつもなさりたいだろう。それには材料がいる。先代の殿はなかなかの名君でしたからな」  話題が幕府という漠然《ばくぜん》たるものから、身近で現実的なものへと移ったため、会議は活気をおびてきた。  つぎの会議の時、町奉行が防備担当の家老に言った。 「松蔵の監督は依然つづけているのですぞ。部下の報告によると、貴殿は松蔵に庭の手入れをやらせ、大金を払い、なにごとか長い時間にわたって話しこんだとか。これはよろしくない。自分の忠実さを殿か若君に伝えてくれるよう、買収しようとなさったのでしょう」 「いや、決してそんなことはない。松蔵の正体は本当のところなんなのか、それを自分なりに調べようとしたまでのこと。買収だなんて、そんな卑劣なことはいたさぬ」 「しかし、貴殿はさかんに松蔵を切れと主張なさっていた。その穴埋めをしておきたくもなるのではなかろうかな。いちおう、いまのお言葉を信じておきましょう。で、ご自分で調べてみて、なにか判明しましたか」 「それがその、なにもわからぬ」  疑心暗鬼の空気がしだいに濃くなる。会議が開かれるたびに、それは一段とひどくなる。 「松蔵は、殿や若君のではなく、江戸家老のひとりがよこした隠密かもしれない。やがては城代家老となり、藩の実権をにぎろうと考え、いまの家老たちを失脚させる材料を集めさせているとも考えられる。ことのおこりは江戸からの手紙、殿の話ということにして江戸家老が作りあげたものかもしれない。とすると、また対策もちがってくる。われわれは力をあわせ、そのたくらみに当らなければならない。内輪で争いはじめたら、それこそ思うつぼです」 「そうとわかれば、力をあわせましょう。しかし、そうだと判明したわけではないのですぞ。ことはもっと複雑かもしれない。ここの中奥においでのご側室と殿とのあいだのご子息も、いま江戸屋敷においでだ。ここのご側室は、殿のお気に入りだ。ご側室の父は、江戸屋敷で殿のおそばにつかえている。なにか想像したくなりませんか。ご側室、その父、ご側室のご子息、これらが組んで殿をたきつけると、なにがおこるか。ご正室とのあいだの若君をさしおいて、こちらを正式の世つぎになおしかねない。松蔵はその連絡係、中奥に入れる立場にある点が、どうも気になります」  外交と儀礼担当の家老が言う。 「お家騒動だな。となると、あの薬草、じゃま者を殺すための毒の作用を持つものとも考えられる。なんだか急に胸がむかついてきた」 「いずれにせよ、これは大陰謀。殿の判断ひとつできまる賭けです。隠居なさっている先代まで抱きこみ、もしこれが成功したら、松蔵にとりいってた者は、はぶりがよくなるでしょう。しかし、失敗に終ったら、反対に反逆者の一味となって、重く罰せられる。えらい分れ道に立たされてしまった。ご城代はどうなさるおつもりです」 「ううむ……」  と城代家老はうなるだけ。こうこみいってくると、思考がまるで働かないのだ。そのうち、だれかが城代にこう言う。 「こんなことを申していいのかどうかわかりませんが、ご城代は最初からなにひとつ決定を下さない。ただ、みなの発言を聞いているだけ。慎重を期しているともとれるが、そうでないともとれる」 「なにを言いたいのだ」 「じつは、これらすべて、ご城代のしくんだ芝居ではないのですか。みながどう反応を示すか、それをためすための芝居。ことのおこりは、ご城代ですよ。江戸からの手紙ということで、大さわぎに火がついた。あの手紙、ご城代がお作りになったものではありませんか。そんな気がしてきた。そうならそうと、いいかげんで幕にしてくださいませんか」 「いや、決して、そんなことはない」 「しかし、松蔵に金をやったり、嫁を世話したりしている。そうでないのでしたら、われわれをなっとくさせる証拠でもお見せください」 「そんなもの、あるわけがない。わたしは本当に、どうしたものかきめかねているだけなのだ」  会議は開かれるが、しだいにみなしゃべらなくなっていった。相談をつづけてきたが、結論はなにひとつ出ていない。また、へたな発言をしたら、そのむくいがあとでどんな形でわが身にはねかえってくるのか、見当もつかない。こうなると、自分の判断で最悪の事態にそなえなければならない。  城内の各所でささやきがかわされたり、自宅で会合が開かれたりする。仲間や子分を少しでもふやしておこうというのだ。大きな集団となっていれば、どっちへころんでも無事だろう。江戸屋敷へおくり物をとどける者もあらわれる。いろいろな派ができ、それぞれのおもわくで将来に賭けている形だ。二重に賭けたり、三重に賭けたり、裏でひそかに手をにぎりあったり、手をにぎるとみせかけて、いざという場合に他を没落させようとたくらんだり……。  藩政の事務どころではない。会議ではなにもきまらない。城内はがたがた。疑惑とその対策のためだけにだれもが立ち回っている。  城下のようすもどことなくおかしくなり、通過する旅人はふしぎがる。その旅人のなかには幕府の隠密もおり、不審な動きを感じ、帰って報告する。べつな隠密がやってきてみると、たしかにその通り。苦心してさぐらなくても、数日いれば城内の四分五裂はすぐわかる。  それが確認され、幕府は正式に命令を出し、それが藩にもたらされた。 「幕府への反逆の動きがあるとは思えないが、内部の不一致、藩政をおろそかにしている点はあきらかである。お国替えを命じる」  もっと別な地方の、石高《こくだか》の少ないところへ移れという一種の格下げ。この命令は絶対で、さからえない。家臣たちは家族ともども、全員ひっこすことになる。  大変な費用。移ってしばらくのあいだも、なんだかんだと出費がかさむ。城のなかにたくわえてあった万一の場合への準備金は、そのために使われ、なくなってしまった。  かわりに新しい藩主とその家臣たちが移ってくる。庭師の松蔵はつぶやく。 「みな交代してしまった。しかし、おれは武士でないから行かなくていい。ついてゆく義理もない。ここは住みよいところだし、いい気候で、のんきでいい」 [#改ページ]   薬草の栽培法  あかるい燭の灯が並んでいる。金色の上に派手な色彩で絵を描いた屏風《びようぶ》。にぎやかな音曲。かずかずの料理。酒。そして、いいにおいを発散させている、着かざった遊女たち。三十歳の六左衛門は、なまめかしい夢のなかにいるような気分だった。  闇《やみ》の夜も吉原ばかり月夜かな  どこもはなやかさで満ちている。このようなところへ来たのは、はじめてだった。ついさっきまで、こういった世界があるとは知らなかった。  六左衛門は、江戸からかなりはなれた海ぞいの地方にある、五万石ちょっとの藩の家臣。おだやかな気候の土地だった。藩内の状態もまた、おだやかだった。彼は百二十石。約三百名の家臣のなかでは、中級の上といったところの家格だった。  藩内が無事におさまっているのは、ここの城代家老の人柄のせいだった。家柄によって若くしてその職をつぎ、今日におよんでいる。学問や武芸に長じているが、それをひけらかすような性格でなく、人徳があった。もっとも、これはどの藩でも同じことだろう。家老は家老なのだ。それ以上になれるわけでなく、それ以下に落されることもない。あせることなく、その職務をつくせばいいのだ。安定した地位はそれにふさわしい人柄を作り上げる。  領主である殿さまも、名君とはいえないまでも、とくにおろかでもなく、まあまあの人物だった。譜代《ふだい》の家柄でないため、幕府の要職にはつけない。たまに儀礼的な役をふりむけられるぐらい。参勤交代の制度で、国もとの城に住んだり、江戸屋敷に住んだりをくりかえしている。  お家騒動のきざしなどなかった。めったにあることでなく、万一そのたぐいが発生したら、どんなばかげた結果になるか、それはだれもがよく承知している。泰平の世には、目に立つような無茶をしないのが第一。家臣たちはお家大事とつとめている。  六左衛門の少年時代も、そんななかで平凡なものだった。ほかの家臣の少年たちと同様に、文武の道をひと通りおさめ、それに加えて、彼はそろばんを習った。父が勘定方づとめであり、やがてはその職をつぐという必要上からだった。  よく遊びもした。といって、たいした娯楽があるわけでもない。野や山をかけまわり、川で魚を釣り、夏には海で泳いだりした。おだやかな風土のなかで成長した。  しかし、六左衛門には、ひとつだけ平凡でない点があった。非凡という意味でなく、ひけ目を感じなければならない肉体的な特徴のことだ。幼少の時に、ほうそうにかかった。生命は助かったというものの、顔にあばたのあとが残った。  顔つきなど、武士にとってどうでもいいことだ。そう思いこむようつとめたが、思春期ともなると、やはり心のなかの大きな悩みとなった。城下の町を歩いていて女とすれちがう時、女たちの視線は彼を無視した。くやしさで歯ぎしりしたくなる。  同類が多ければ、いくらか救いになったかもしれない。しかし、あばたの顔はあまりいなかった。彼の感染した時のほうそうは悪質で、発病した者の大部分が死んでしまったという。  そのため、命をとりとめただけでも幸運だと言われるのだが、六左衛門には幸運の実感など、まるでなかった。どう考えても不幸だ。あばたのあとの残る自分の顔を、どうしようもなく持てあましている。  やがて父が死に、六左衛門は勘定方の職をついだ。産業や会計をあつかう役だ。  毎日お城へ出勤し、仕事にはげんだ。どうせ女性にはもてないのだ。彼は自己の存在価値をここで示そうと、それだけ職務に熱を入れるのだった。だから、しだいに周囲からみとめられてきた。  領内の耕地をひろげる計画や、特産品の増産など、調べたり、くふうしたり、いちおうの成績をあげることができた。そして、自分なりの満足をあじわう。  そのような六左衛門に、藩の財政関係を担当する家老が目をつけた。ある日、彼を呼び寄せて言った。 「よく働いてくれるな。かげひなたのない仕事ぶりだ。感心している」 「おほめにあずかるようなことではございません。これが家臣としてのつとめ。このところ仕事第一で、武芸の習練がおろそかになっており、それが気になってなりません」 「そんなことは、どうでもいい。もはや、戦乱の世に戻ることなど、ありえない。勇ましさのたぐいなど、なんの役にも立たない。藩をゆたかにすることのほうが大事なのだ。その人材こそ重要である」 「お言葉、ありがたく存じます」 「ところでだ。きょうの話は、役目の上とは関係のないことだ。六左衛門はまだ独身のようだが、すでに約束した相手でもあるのか」 「ございません。仕事が第一と考えております。また、わたくしは女にもてませんので……」  いささかあきらめの心境に、六左衛門はなっていた。それにしても、話の風むきがおかしい。ほめられたり、独身かと聞かれたりだ。家老は言う。 「けんそんすることはないぞ。男の価値は才能にある。どうだ、嫁をもらう気にはならぬか」 「その気はございますが、来てくれる女がおりましょうか」 「心当りがないこともない」 「本当でございますか。どなたです」 「じつは、わしの娘だ。知っての通り、わしには女の子が多い。縁づけるのに苦労しておる。まだ末の娘がひとり残っている。それをもらってはくれぬか」 「まさか……」  六左衛門は冗談か聞きちがいだろうと思った。しかし、財政関係の家老はくりかえして言った。 「ふざけているのではない。わしの娘をもらってほしいと申しておるのだ」 「あ、ありがたいことで……」  家老じきじきの話となると、ことわることはできない。第一、あきらめかけていた結婚が、こんなふうに実現するとは。自分のところへ来てくれる女がいるなど、まったく期待していなかった。飛び上がりたいような気分だった。しかも、家老の娘とくる。どんな女なのかは知らないが。 「ふつつかものだが、よろしくたのむ」  家老としては、六左衛門のような男なら、仕事ぶりはまじめ、浮気もしないだろう、万事好都合だとの判断からだった。一方、六左衛門にとっては、いやもおうもない。この話は成立した。  しかし、予期したほどのいい結果にはならなかった。家老が口にしたごとく、まさしくふつつかな女だったのだ。不美人でもないが、美人でもない。まあ、六左衛門にとってそれはどうでもよかった。自分は、あばたづらなのだ。  問題は性格のほうにあった。結婚してからも、家老の娘ということを鼻にかける。あばたづらのところへ来てやったのだと、なにかにつけて恩着せがましく態度に出す。父に強制され、こんな男のところへ来てしまった。もっと美男と結婚したかった。そのことでの不満のせいかもしれなかった。わがままで、武士の妻にふさわしくなかった。  もっときびしく、しつけておいてくれればよかったのだ。しかし、財政関係の家老となると、家風にそれが薄いのもむりもないといえるだろう。しかも末の娘とくる。甘やかされて育ったにちがいない。  家老が六左衛門に「よろしくたのむ」と言ったのは、再教育をたのむとの意味だったようだ。  ひどいものを押しつけられた。といって、いまさら家老に文句も言えない。なにしろ上司なのだ。妻にむかって「出て行け」と申し渡すこともできない。こうなってみると、独身だったころのほうが、まだ気楽だった。六左衛門は後悔した。  ふつつかな上に、嫉妬《しつと》ぶかいとくる。女性にもてるわけがないだろうと説明しても、なんだかんだとうるさく言う。お城でのつとめをすませ、帰れば悪妻。途中で同僚と酒を飲むこともできない。気をまぎらす時間もなく、いいことはひとつもなかった。悪妻である上に健康で、とても死にそうにない。  だからといって、藩へ辞表を出し、よその藩に仕官するなど、できない時代だ。六左衛門は、そんな状態に耐える以外になかった。内心の不満は、仕事にうちこむことで発散させた。 「あんなまじめなやつは珍しい」  これが彼についての定評となっていった。ひとつの幸運へと発展した。上層部の会議の席で、六左衛門の名が出た。 「あの男のほかにいないだろうな。江戸づめの適任者となると……」 「さよう。江戸という地は、誘惑の多いところだ。うわついた性格の人間だと、たちまちだめになる」 「そういえば、あいつが酒を飲むのを見たことがない。あばたのせいだろうが、色っぽいうわさも聞かない」 「それに、江戸から産業についての新しい知識を持ち帰ってもらわねばならぬ。軍学や武術など、どうでもいいのだ。これからは藩をいかにゆたかにするかが問題だ」 「となると、きまったようなものだな」  かくして、六左衛門は二年間の江戸づめを命じられた。すなわち長期間の出張。しばらくのあいだ妻から自由になることができる。彼女はぶつくさ言ったが、藩の決定はくつがえせない。彼は参勤交代による殿の出府にしたがって出発した。  藩の江戸屋敷。六左衛門はそこのなかの一室に住み、江戸における政治的、経済的、その他の動静を調べ、国もとへ報告するのが仕事だった。なれるまでしばらくの日時を要したが、彼は藩にいた時と同様、まじめにその職務にはげんだ。  ここでも、あいつはまじめだとの定評ができ、江戸屋敷の者はだれも、彼を遊びにさそわなかった。さそってもついてこないだろうし、ついてこられたら座が白ける。  面白い日常とはいえなかったが、六左衛門にとって、うるさい妻がいないだけ心が休まった。  そして、ある日。江戸屋敷へやってきた出入りの商人が、六左衛門にこう話しかけた。 「ご領内の特産品について、いろいろとお話をお聞きしたいのですが……」 「お話しいたしますよ。どんなことを知りたいのですか」 「こみいった話ですので、このようなところではやりにくい。ひとつ、食事でもしながら、いかがでしょう。商人の生活の実際など、直接にごらんになるのも、なにかの参考になりましょう」 「それもそうであるな。見聞をひろめるのは、よいことであろう」  商人に案内され、六左衛門はついていった。にぎやかな町についた。一軒の家に入り座敷へ通される。 「夕刻だというのに、明るく景気のよさそうな家が並んでおるな。このへんは、どのような商売をしているところなのか。夜まで仕事をさせられるのは、気の毒であろうな」 「そんなことおっしゃっちゃ、いけません。ここは吉原でございます。遊ぶところでございます」 「なにをいたして遊ぶのか。鬼ごっこ、碁、将棋……」 「まあ、おまかせ下さい……」  商人は手をたたく。 「……おねえさんがた、よろしくお相手をたのみますよ」  入ってきた女たちに、商人が合図をする。いっせいに花が咲いたかのように、なまめかしい明るさがひろがる。女のひとりが、六左衛門のそばへ来て言う。 「どうぞ、お酒を……」  もちろん、悪い気分ではない。それどころか、夢のなかにいるようなここち。こんなところが、この世にあったとは……。  女はどれも美人だった。 「さあ、もっとお酒を。なんてすばらしい、とのがたなんでしょう……」  そう話しかけてきた女もあった。六左衛門にとって、生れてはじめて耳にする言葉。死ぬまで聞けないのではないかと思っていた言葉。 「なんとおっしゃられた。もう一度お聞かせいただきたい」 「すばらしいかたねと、申し上げたのですわ」 「なるほど、いい文句であるな。だれのことをさしてなのか。あの商人のことか」 「おとぼけになっちゃ、いやですわ。あなたさまのことに、きまってるじゃありませんか。お会いして、ひと目みたとたんに……」  話の内容を頭のなかでくりかえし調べ、自分のことだと知ったとたん、彼の心のなかで驚きが爆発した。 「ま、まさか。み、みどもは、そんな……」  どもりながら、首を振る。 「その、まじめなところがいいのよ。普通の男はみな、うぬぼれが強く、口先ばかりうまくて……」 「お、おせじを申すな」 「一本気なかたね。ほかの男だと、すぐいい気になってしまうのに。そこにほれちゃったのよ。ほんとに毎日でもお会いしたい気分よ……」  その一晩で、六左衛門の人生観は大きくぐらついた。あばたづらのおれを、みとめてくれ、ほめてくれる女が存在したのだ。夢なんかでなく、現実にだ。それからしばらく、江戸屋敷で仕事をしながら、その思いを味わいかえすのだった。  何日かたつと、また行きたいとの衝動にかられはじめた。あの女は、毎日でも会いたいと言っていた。あの女も喜ぶだろうし、おれも楽しい。行くべきだろう。場所もおぼえたし、女の名も忘れていない。  しかし、たずねて行くと、そっけないあしらい。すげなく入口の男にことわられた。 「だめですよ」 「そう申さずに、ぜひ取りついでいただきたい。あの女も、みどもに会いたがっているはずなのだ」 「困ったかたですね。とんでもないことをおっしゃる。だから、浅黄裏《あさぎうら》はあつかいにくい。やぼはいけませんよ」  浅黄裏とは、江戸勤番のいなか武士のこと。手くだとはなんのことだと浅黄裏。ふられてもしゃにむに浅黄かかるなり。かげでどうからかわれても、当人にはぴんとこない。  吉原も江戸初期には武士の遊び場だったが、町人の財力が強くなるにつれ、とってかわられてしまっていた。 「では、どうあっても会わせてくれぬと申すのか」 「いえ、そんなことはありませんよ。持つべきものを持っておいでになれば……」 「はて、どのようなものを持参せねばならぬのか」 「しまつにおえませんね。はっきり言わなくては通じないようだ。いいですか。お金ですよ。お金……」 「さようであったか」  ていよく追いかえされ、六左衛門は金銭の価値をあらためて知った。なるほど、金銭にはこのような効用もあったのか。藩にいた時には、まるで知らなかったことだ。帳簿に数字を書き、収入や支出を計算していた金銭の実体を、まざまざと感じさせられた。衣食住、武具の整備、お城の修理。それら以外に、こんな使用法があったとは……。  それから数日後、ふらりと商人がやってきて言う。 「いかがでしょう。また、このあいだのところへ参りませんか。あの女が会いたがっておりますよ」 「しかし、それには金がいるようだ」 「まあまあ、あなたさまは武士。そんなことに心をわずらわしてはいけません。てまえにおまかせ下さればよろしいので……」  またも六左衛門は、楽しい気分を味わうことができた。酒、美女、耳にこころよい言葉。まったく、いい気分だ。  何回目かに、商人が切り出す。 「いかがなものでしょう。ご領内の特産品の江戸での扱いを、うちの店におまかせ願えませんか。よそより高価に買わせていただきます。これこそ、六左衛門さまの藩への忠節というもので……」 「それもそうだな。なんとかしよう」  六左衛門はとりはからった。江戸屋敷での、まじめな勤務ぶり。国もとからも人柄を保証する文書がとどいている。彼の判断なら妥当なのだろうと、周囲から異議はでなかった。  しかし、商人は利益の範囲内でしか金を使わない。六左衛門の招待は、月一回ぐらいのものだった。遊びの面白さをおぼえた彼は、その程度では満足できない。女たちの美しい姿、あいそのいい話、なまめかしい姿。それらは夢にあらわれ、彼を呼びよせる。いてもたってもいられなくなる。  ついふらふらとでもいうべきか、意を決してというべきか、六左衛門は金を自分でつごうして、女遊びに出かけることにした。つまり、藩の金を流用しはじめたのだ。金を使えば、女たちはちやほやしてくれる。  そばに商人がいないので、さらに楽しい。もちろん、一回だけではすまない。しだいに遊びなれてくる。うそのかたまり誠の情け、そのまんなかにかきくれて、降る白雪と人ごころ、つもる思いとつめたいと……。  やがて、江戸づめの家老が不審をいだいた。六左衛門を呼んで聞く。 「このところ、外泊が多いようだな。それに、金の支出もふえている。そちのことだから信用しているが、なにに使っているのだ」 「果樹や薬草の栽培について、調査をしているのでございます。江戸近郊や房州方面へ出かけております。わたくしは藩内の耕地開拓で、領内の風土をよく知っております。それにふさわしいものをと研究しています。これが成功すれば、藩の財政は一段とゆたかになり……」  と口からでまかせ。遊女とつきあっているうちに、うそもうまくなった。江戸家老は信じこむ。六左衛門をまじめな人物と思いこんでいるせいもあるが、藩がゆたかになるとの言葉は、最大の殺し文句だった。どの大名家も、内情は金に苦しいのだ。 「……その栽培の秘法を聞き出すのに、けっこう金がかかりますが、産業として成功させるには……」 「そうであろう。ごくろうだが、なんとかものにするよう努力してくれ」 「はい。さすがは江戸のご家老さま。ご理解が早い。それでこそ、お家安泰。われわれも忠節のつくしがいがあります。国もとの家臣たちも、みなおほめいたしております」  おせじもうまくなった。あばたづらの、きまじめそうな六左衛門が言うと、なんとなく真実さがにじみ出て、家老もまんざらでない表情。  しかし、果樹と薬草の名目では、使える金にも限度がある。一方、女遊びのほうは、味をしめるととめどがない。そのうち、江戸家老にさいそくされる。 「そちが江戸づめになって、そろそろ二年だ。国もとへ戻って、これまでの研究を産業のために役立ててくれ」 「そのつもりでございますが、じつは、もっとすばらしい問題をみつけ、手がけはじめておりますので……」  六左衛門は帰国したくなかった。悪妻のいる、ほかになんの楽しみのない藩に戻るのはいかなる手段に訴えても、一日でも引きのばしたかった。家老は言う。 「どのようなことだ」 「わが藩は、海に面しております。そこで思いついたのですが、サンゴの栽培を海中でおこなったらどうかと……」  これまた出まかせだったが、江戸家老は目を丸くした。 「あの、美しいサンゴのことか。その栽培が可能となれば、それこそ大変な産業になる。その秘法をものにしてくれ」 「はい。おっしゃるまでもございません。わが国に一冊しかない、オランダ語の本にのっているので、それを見せてもらう謝礼やらなにやら……」 「わかっておる」 「また、本物のサンゴを買って、砕いたりして比較し検討する必要も……」 「それぐらいの費用は、やむをえまい」  許可が出て、またしばらく命がのびた。六左衛門はサンゴの細工品を買って、女のところへ持ってゆく。きみと寝ようか五千石とろか、なんの五千石きみと寝よ。女の魅力の前には、藩のことなど頭から消えてしまう。  しかし、江戸家老もばかではなく、当事者としての責任もある。 「サンゴ栽培法のみこみはどうだ。そうそう金もつぎこめない。みこみがないのなら、いいかげんで打ち切れ」 「いえ、もう少しでございます。これ以上、もう費用のご心配はおかけしません。あとしばらくの日時を……」  とにかく江戸をはなれたくないのだ。もはや江戸屋敷の金は使えなくなった。しかし、女遊びはつづけたい。六左衛門はほうぼうの商人から金を借りた。 「ちょっと国もとへ帰ってくる。いくらか金を貸してくれぬか。みやげ物を知人たちに買って行きたいのだ。江戸へ戻ったら、すぐ返済するから」  借用書を入れ、その金で相変らずの女遊び。いささか、やけぎみでもあった。しかし、この手での金の調達も、たちまちゆきづまる。彼は金を作るあてがなくなった。せっぱつまって、追いはぎを二度ほどやった。  それをもとに、なんとか金をふやそうと、ばくちに手を出した。たちのよくない旗本が、内職として屋敷内で賭場《とば》を開いている。ここなら、町奉行所の力も及ばない。  そこへ出かけたのだ。しかし、ものごと、そううまくもうかるわけがない。たちまち負け、借金を作った。おどかされる。 「金はいつ払ってくれる。返答によっては、ただではすまぬぞ」 「国もとに帰って、金を取ってくる。わが家には、祖先から伝わる名刀が、何本もあるのだ。武士に二言はない。つぎにわたしを見かけ、返済できなかったら、首をはねられても不服はない。それまで待ってくれ」  その場のがれの弁解。一方、追いはぎの詮議《せんぎ》もきびしくなる。人相がきが各所にはり出された。あまり似ていないが、被害者に会ったら、ごまかしきれそうにない。いよいよ江戸にいられなくなった。 「そろそろ国もとへ帰り、さまざまな計画を実行に移したいと思います」  六左衛門は江戸家老に申し出て、出発した。もっともっといたい江戸だが、あれやこれやで、これ以上はむりなのだ。遊女たちと別れて、悪妻のいる藩に戻りたくないが、家臣は藩か江戸屋敷以外には住めない。  帰国した六左衛門は、ふたたび勘定方としてお城づとめ、物産部門の担当者となった。上役の勘定奉行が言う。 「江戸屋敷からの連絡によると、ずいぶんいろいろな研究をしてきたようだな。サンゴの栽培法とはすばらしい」 「お家のためでございます」 「どういうふうにやるものなのか、責任者として見ておきたい」 「はい……」  いたしかたない。上役とともに小舟で海へ出て、六左衛門はぱらぱらとまいた。ただの砂なのだが、もっともらしく錦の袋に入れてあり、外国の字の説明書がついている。勘定奉行は感心する。 「それがサンゴのもとか。育ってものになるまで、何年ぐらいかかる」 「五年ぐらいでしょうか。それからは毎年、美しいサンゴがとれるわけでございます。そのための肥料や管理に、費用がかかります。また、この秘法を他藩に盗まれたら一大事。その警備費用もいります。その点よろしく」 「サンゴがとれるのなら、それぐらいの支出はやむをえまい」  ここでは昔と同じく、六左衛門は信用あるまじめな人物と思われているのだ。金を引き出せた。彼には江戸でのくせが残っている。また、ゆきがかり上、出まかせをつづけざるをえなかった。  そのうち、城下の商人がやってきて、そっとささやく。 「なにやら、すばらしい計画を進めておいでだそうで……」 「どこから聞いた」 「じつは、勘定奉行さまからで」  勘定奉行が藩の金ぐりのため、この商人から借入れをしたらしい。その時、景気のいい話題として、その話をもらしたものとみえる。 「まあ、そういうことだ」 「いかがでございましょう。将来、その売りさばきのほうを、おまかせいただきたいもので……」 「考えておこう」  江戸で商人たちとつきあっていたため、六左衛門の応対もいくらかあか抜けたものとなっていた。魚心あればと、意味ありげに答える。それは相手にも通じた。 「なにとぞ、よろしく」  そでの下が入ってくる。受け取る要領も身についている。しかし、ここでは派手に遊べなかった。江戸なら、旗本はじめ各藩の江戸づめの武士がいて、目立たない。ここはわずか三百人の家臣、あいつは金まわりがいいとたちまちうわさがひろまってしまう。それに妻の目もうるさかった。宝の持ちぐされ……。  しかし、六左衛門は金のありがたみを、身にしみて知っている。これさえあれば、どんな楽しいこともできるのだ。彼は金をひそかにたくわえた。妻にもだまって。  果樹や薬草の栽培計画にもとりかかった。これもやらないわけにいかなかった。勘定奉行が聞く。 「どれくらいで収穫がはじまるのか」 「桃栗《ももくり》三年、柿八年と申します。そのあたりの見当としておいて下さい。薬草はもう少しかかりましょう。大変な薬草なのです」 「なんにきくのだ」 「ほうそうです。その病気のため、わたくしはこんな顔になってしまった。この苦痛だけは、ほかの人に味わわせたくない。それが悲願でございまして……」 「そうであろうな」  勘定奉行も、ついほろりとする。そこへつけこみ、構想をさらに大きく展開してみせる。 「それらが軌道に乗れば、藩の財政は一段とゆたかになります。大商人たちに金を貸しつけ、利息を取るということにもなりましょう。長い目でごらん下さい。たとえばですよ、薬草入りの果実酒など、天下一の特産品となります。将軍家への献上品として、これ以上のものはございません」  資金が支出された。六左衛門は信用がある。それに、財政関係の家老の娘をもらっている。勘定奉行はすっかり安心し、なにもかもまかせてくれた。  平穏な日がすぎてゆく。地方の藩に、そうそう大事件などあるわけがない。また、刺激的な楽しみもない。六左衛門は金をためることにつとめた。それが趣味、それだけが生きがいとなった。ひそかなる満足感。金さえあれば、いつでも美女をものにできるのだ。それを思うと、わがままな妻にも耐えることができた。腹のなかで笑っていられる。  ためた金は床下に埋めてあるのだが、その上で眠ると、よく江戸の夢を見た。めざめてから、時たま、六左衛門はふと思う。ためた金を、いつ使うのだと。  ここにいては使えない。江戸へ出る機会がなくてはだめだ。しかし、好きな時に出かける自由など、家臣にはない。また、江戸へ行ったら、待ちかまえている債権者に取り上げられる。利息もかなりふえているだろう。追いはぎの犯人として、手配されているかもしれない。  しかし、六左衛門は金をためるのをやめなかった。  もともと、地方の藩の家臣にとって、金は無意味なもの。分に応じた地位が保証され、生活は禄《ろく》で保証されている。住居も藩で建ててくれたもの。よくも悪くも、安定のなかに組みこまれている。金をためこもうと考える者などない。  そのなかにあって、六左衛門だけは例外だった。おれはほかの連中とはちがうのだ。それを自分自身に示したい気分だった。彼にとって、金すなわち美女なのだ。かつての江戸での遊びを思い出し、美女を愛するごとく、金を愛した。ためること自体が楽しくなった。  どこかへ行って、商人になりたいとも思う。もっと自由に金をかせげるだろう。しかし、そんなことは許されない。軽輩ならともかく、中級武士となると、やめることはできない。藩の内情をよそにもらすのではないか、なにか理由があるはずだと、徹底的に調べられる。そうなると、ぼろが出てしまう。また、勝手に旅に出れば、脱藩者として追手がかけられる。  金の魅力など知らないほうがよかったのだろうが、六左衛門はそれを知ってしまった。もはや、どうにもならない。なにかにとりつかれたごとく、彼は金をためることに熱中した。  平穏な日がすぎてゆく。しかし、六左衛門にとって、よからぬきざしがあらわれはじめた。勘定奉行にこう言われた。 「江戸でかなり金を使ったそうだな」 「はい。藩のためにでございます」 「そうであろう。そのくわしい報告書を出してくれ。そのうち城代家老へ提出しなければならない」 「すぐにとおっしゃられても困ります。やるべき仕事がたくさんございます。いずれ、ひまをみて書きあげましょう」  二カ月おきぐらいに、さいそくされる。 「江戸での報告書はまだできぬか」  なんとなく雲行きがおかしくなってきた。江戸づめになった後任の者が、不審な点をみつけたのだろうか。女遊びにふけって金を使いこんだことが発覚したら、処罰はまぬがれない。禄をへらされ、格下げとなるかもしれない。  ただならぬ事態は、それだけではなかった。  江戸の商人から、手紙がとどく。ずっとお待ちしているが、いまだにおいでにならない。だいぶ年月がたち、利息もふえている。どうしてくださる、と。  しばらく待ってくれ。来年には江戸へ出られる。その時に返済する。江戸屋敷へ訴え出ることだけはやめてくれ。それをされると、上役におこられ、江戸へ行けなくなる。そちらも損でしょう。  そんな内容の、その場のがれの返事を出しておく。たとえ少額でも、この愛する金を出すのはいやだった。  しかし、ことはそれだけでなかった。ある日、六左衛門は城下町で、町人に声をかけられた。 「もし、内密で重要なお話が……」 「なんのことだ」 「最初におことわりしておきますが、無礼討ちはいけませんよ。そんなことをなさると、秘密の手紙が奉行所にとどけられるようになっている。おたがいのためになりません」 「それは、どんな手紙だ」 「サンゴの栽培はでたらめ。海にもぐってみたが、なんにもない。ひどいもんですな。果樹も薬草も、いいかげんなものだ。さむらい連中はだませても、あっしの目は……」 「だから、どうだというのだ」 「これは物わかりがいい。そうこなくてはいけません。口どめ料として、分け前を……」 「しばらく待ってくれ。考えてみる」 「しばらくのあいだだけですぜ。これが上に知れたら、旦那は切腹ものですよ。城代家老はきびしいかたですからな。そのへんを、よくお考えの上でね」 「そのうちなんとかするから、さわぎたてないでくれ」  またも、その場のがれ。サンゴの件だけなら、水温の変化でとか、上役をごまかせないこともない。  しかし、果樹も薬草もとなっている。江戸での件もある。すべてが表ざたになったら、たしかに切腹ものかもしれない。  防ぎようのない幕切れが、各方面からいっぺんに迫ってきた。といって、いい案も浮かばない。平穏そのものの周囲といい対照をなして、六左衛門の立場はどうしようもなく深刻になってきた。  自分から非を申し出るわけにもいかない。せっかくためた金を取り上げられ、そのうえ切腹だろう。逃走もできない。密告防止のため口どめ料を出せば、町人のことだ、豪遊して怪しまれ、問いつめられてしゃべってしまうにちがいない。  六左衛門は、いまや絶体絶命。首をくくりたい気分だが、金を残してと思うと、死んでも死にきれない。どうしたものだろう。 「早くして下さいよ。あと三日だけ待ちますが、それ以上はだめですよ」  町人からさいそくされた。  その翌日、家臣たちすべてに登城せよとの知らせがあった。  六左衛門も出かけ、みなにまざって広間へ集る。城代家老がしかつめらしい表情で言った。 「江戸より連絡があった。まことに困った、許しがたいことである……」  それを聞いて、六左衛門は青ざめ、息がとまった。さては、なにもかもばれたのか。みせしめのために、みなの前で首を切られるにちがいない。残念だ。せっかく、あれだけの金をためこんだというのに……。  城代家老はつづけた。 「……じつは、殿が江戸城内において、吉良上野介に切りかかった。そのため、即日切腹、お家断絶ときまった。わが藩もこれで終り。おとりつぶしとなる」 「本当でござるか、大石どの……」  と財政関係の家老が話しかけ、それをきっかけに、ざわめきがおこった。不意に悪夢のなかに引きこまれたかのごとく、悲しむ者あり、おこる者あり、さまざまだった。城代家老はそれを静めて言う。 「われわれ家臣は、武士の意地をつらぬかねばならぬ。おのおのがた。覚悟していただきたい。決死で籠城するか、切腹して幕府へ抗議をするかだ。しかし、これは城代家老としての意見で、殿の命令ではない。だから、強制はしない。参加したくない者は、この場から藩外に立ちのいてもいいぞ……」  大混乱のなか、だれも気づくどころではなかったが、にこりと笑った者がひとりだけいた。 [#改ページ]   元禄お犬さわぎ  江戸、といっても町はずれのほう。安徳寺という寺があり、良玄という住職がいた。こういうともっともらしいが、かなりの敷地はあれど、みすぼらしい小さな寺。寺男をひとり使っているだけの、とるにたらないものだ。そこへよく顔を出す、三人の男があった。  山田半兵衛という下っぱの旗本。武士も、禄高が低ければまことにあわれな存在だ。それと、五平という薬の行商人。問屋から仕入れて売りあるく、こまかい商売。もうひとりは吉蔵という寺大工。親方などというたいしたものではなく、道具箱をかかえて寺社の修理をやってまわるといった程度のもの。  いずれも二十歳ちょっとの年齢で、どういうわけか気があった。碁という共通の趣味のためでもある。勝ったり負けたりで、大差のない腕前だった。碁は性格を反映するものだが、おたがい、だれも気のよさがあらわれ、仕事のちがいを忘れて親しめるのだった。 「山田さん、このところお仕事がおひまなようですな」  碁を打ちながら、住職の良玄が話しかけた。山田半兵衛はうなずく。 「いささか、からだを持てあましている形です。それでも、綱吉さまが将軍になられてしばらくのあいだは、けっこう忙しかった。わたしはかくし目付を命じられ、吉原がよいの大名を尾行し、いちいち報告したものです。堂々たる仕事ではなかったが、わたしも十九歳、張り切ってやったものです。そのころでしたな、この寺でよく休ませてもらったのは。それ以来というわけですから、あなたがたとのつきあいは、五年ちかくなりますな」  綱吉は五代将軍となるや、大老を酒井忠清から堀田正俊にかえ、さまざまな改革をおこなった。いちおう片がついている越後騒動の再審査をやり、越後の松平家をとりつぶし、将軍の権威と実力とを示して、大名たちをふるえあがらせた。  江戸をわがもの顔で横行していた、水野十郎左衛門の作った大小|神祇《じんぎ》組という旗本|奴《やつこ》があった。その二百人をひっとらえ、十一人を処刑した。その相手側ともいえる町奴《まちやつこ》たちも、おとなしくさせられた。  放火をし、そのどさくさに盗みをはたらくという犯罪も多かった。だが、中山|勘解由《かげゆ》が火付盗賊改めになり、片っぱしからとらえ、五十人を火あぶりにした。凶悪犯ではないが、八百屋お七もそのなかにふくまれる。  しかし、恐怖政治というわけではなかった。各所に残る戦国のなごりを一掃し、儒教と仏教で世をおさめようというのが方針だった。町人の帯刀を禁じ、善行をおこなう庶民をほめ、子を捨てることを禁じ、行路病者の保護を命じ、これまであまりにもひどかった牢屋《ろうや》の状態を改善するよう指示した。  ぜいたくをやめるよう命じ、それには上に立つ者が範を示すべきだと、大名の吉原遊びを監視させた。身分をかくして遊ぶのならかまうまいと考える大名もあったが、それはかくし目付が調べあげ、処分がなされた。山田半兵衛もそれに働いたひとりだった。なお、目付とは監視係という意味だ。  薬の行商の五平が言った。 「将軍さまは、なかなかいいことをおやりになるじゃありませんか。旗本奴と町奴がいなくなっただけでも、ありがたい。名君ですな」 「いや、なんともいえませんな。すべて、大老の堀田正俊の助言によるものですよ。しかるに昨年、江戸城中で若年寄の稲葉|正休《まさやす》に刺し殺された。こんご将軍はお気に入りの者たちを側近に集め、ご自身で政治をなさってゆくおつもりらしい。真価が問われるのは、これからでしょう……」  山田半兵衛はしばらく口ごもっていたが、やがて住職に言った。 「……良玄さん、申しにくいことだが、いくらか金を貸してはくれぬか」 「ほかならぬあなたのこと。お貸ししたいところですが、なにしろ貧乏寺、吉蔵さんに屋根の修理代を払ってしまったとこで……」  大工の吉蔵が言う。 「わたしがお貸ししましょう。どうせ飲んじまう金です。山田さんにあずけておいたほうがいいかもしれない。もっとも、たいした額があるわけではありませんよ」 「すまぬ。これで年が越せる。必ず返済する。近いうちに、犬目付を命じられることになりそうなので……」  そうなると役職手当がつき、いくらか金回りがよくなるはずだと半兵衛は説明した。五平が口を出して聞く。 「なんです、その、犬目付というのは」 「犬をかわいがれというのが、将軍の意向らしいのだ……」  この年、すなわち貞享二年の七月、おふれが出た。将軍の通行の際、その行列先に犬やネコが出てきても苦しゅうないというもの。犬が行列を横切っても、飼主が罰せられないですむようになった。思いやりのある善政といえた。  八月になると、浅草観音の別当が寺の門前で犬を殺した。その事件が将軍の耳に入り、別当は職をうばわれた。寺の関係者がそんなことをするのは、いささか無茶だ。もっともな処理といえないこともなかった。  慈悲ぶかい将軍と、しもじもの者たちはもっぱらうわさしあっております。こうごきげんをとった側近がいたにちがいない。十一月になると、綱吉はこんなことを言いだした。 「江戸城内においては、公卿を接待する時以外、鳥肉、エビ、貝、魚の料理を出すのをやめるがいい。無益な殺生は好まぬのだ」  ふと思いついただけなのだが、将軍の発言となると、おろそかにはできない。それは指示となる。  生物をいたわること、とくに犬をかわいがること、それが将軍の好みであると周囲が推察した。将軍およびその母が戍《いぬ》どしうまれであり、そのことがこの推察をいっそう確実なものとした。犬をかわいがれば世つぎが誕生すると、将軍は思いこんでいるようだ。  犬を虐待しないよう注意してまわる役、犬目付をもうけたらどうだろう。そんな意見が早くもあらわれたりした。保身と出世のため上に迎合する点にかけては、人間はじつに敏感で、知恵もはたらく。  住職の良玄が言う。 「悪いことではないでしょうな。殺伐な空気がなくなるのはいいことです」  五平が言った。 「そのうえ景気がよくなれば、申しぶんなしだ。綱吉さまさまですよ。山田さん、耳よりな話があったら、早いとこ教えて下さいよ」 「そのつもりでいますが、犬の見張り役ではね。期待しないで下さい。職務とはいえ、武士にうまれてそんな役をやるとは……」  としがあけ、貞享三年となった。山田半兵衛は犬目付のひとりに任命された。  ていさいはよくないが、のんきな仕事だった。江戸の町を巡回し、犬をいじめている者をみつけたら注意する。それだけでよかった。時たま荷車が犬をひき殺したりしたが、その時は、きつくしかりおく。良玄から聞きかじった仏教の心についての訓示をやるぐらいで、処罰はしなかった。  江戸市中はおだやかだった。凶悪な事件はへり、かつて鬼と恐れられた火付盗賊改めの中山勘解由は大目付に昇進していた。  半兵衛は巡回の途中、安徳寺に立ち寄って、ひと休みしながら雑談をする。良玄を相手に、五平や吉蔵がいあわせればそれを相手に、碁を一局うち時間をつぶす。平穏なつとめだった。  江戸城内においては、将軍にこんなことを進言する者があった。 「馬に焼印《やきいん》を押す習慣がございますが、これは残酷なことのように思えてなりません。また、馬を去勢すること、しっぽの毛を巻くこと、いずれも不要な行為と……」 「焼印とは、ひどいことだな。わしは知らなかった。よく教えてくれた。ほめてとらす。さっそく、その禁令を出すように」  その者は大いに面目をほどこした。そのうわさはひろまり、みな大きくうなずく。なるほど、平穏な時代に昇進するには、このような方法をとるのがいいのかと。しかし、この禁令は、べつに世人の迷惑にならなかった。馬盗人など、江戸にはそういないのだ。  だれの進言によってか、犬目付が増員された。そのため、職にありつけた下級旗本たちは、これでひと息つけると喜んだ。  しかし、犬の死ぬ事故が、一時的な現象としてふえた。これまで、犬は荷車や牛車にあうと、本能的に身を避けていた。だが、犬の保護が励行されるようになり、とまってくれる荷車がふえ、車を恐れない犬もあらわれはじめた。一方、荷車のほうは、逃げてくれる犬もあるというわけで、そのまま進むこともある。したがって、犬をひいてしまう件数が増加した。  その対策として法令が出た。 〈荷車や牛車による犬の事故が、いっこうにへらない。車の主をしかることで防止できるかと思っていたが、効果があがらぬようだ。必要なのは犬の保護なのである。これからは、車の前にだれかを走らせ、犬たちに注意を与えるようにせよ。また、すみついたら困るからと、のら犬にえさを与えない者がいるらしいが、そういうのは生類あわれみの精神に反することである〉  将軍が市中のようすを知っているわけなどない。だれかが進言し、世間知らずの将軍との合議でできた法令だ。おかげで、車に余分な人間をひとりつけなくてはならなくなった。それでも、その年はこれぐらいのことですんでいた。  翌貞享四年の一月、こんな法令が出た。 〈病気になった奉公人を、給料おしさで、くびにして追い出す雇い主があるそうだが、それを禁止する。どうみても許しがたいことである。牛馬に対しても同様だ。使用にたえなくなったからといって、病気の牛馬を捨ててはいかん。厳重に禁止する〉  正面きっての反論のしようのない、妙な理屈が通っている。二月になると、江戸城内の台所頭が遠島になった。台所の井戸にネコが落ちて死んだためだ。そんな水で作られた料理は食う気になれぬ。職務怠慢で、処罰は当然だ。しかし、ネコ殺しの責任をとらされたような処分でもあった。  鷹狩《たかがり》が禁止され、鳥や魚を飼育して食料として売ることが禁止された。ただし、趣味として生物を飼うことはかまわなかった。  山田半兵衛が安徳寺にやってきて、住職、五平、吉蔵たちに話した。 「しだいに忙しくなってきた。江戸中、どこの町に、どんな犬が何匹いるか、それを正確に記録する台帳を作ることになった」 「えらいことをはじめますな。なぜです」 「つまりだな、役にありついた旗本たち、その地位を失いたくないからだ。仕事をこみいらせれば、それだけ身分が確実になる」 「役人というものは、ひでえことを考えつく。こちとら、いい迷惑だ。おっと、役人といっても、山田さんはべつですよ。あなたはいい人だ」 「おせじを言われなくても、わたしだって、おまえたちのことは心にかけている。そこでだ、吉蔵。おまえは大工だから、犬を入れる箱ぐらい作れるだろう。犬にとって、いかにもいごこちがよさそうで、箱からは出にくいというしかけのものだ。近く、子犬をそとへ出すと車にひかれるから、箱を作って入れよとの法令が出る。わたしが上役の犬奉行に話し、ご推奨の箱とみとめてもらう」 「なるほど、売れましょうな」  吉蔵は手をたたく。五平が口を出した。 「うらやましい話です」 「おまえにだって、いい仕事がある。犬の医者になれ。有望な仕事のようだぞ」 「しかし、まるで心得が……」 「心配するな。アズキの粉に、安い薬草をまぜればいいらしい。犬医者の看板をあげるやつがあらわれはじめたが、どこもそんな程度のことらしいぞ。重要なのは、熱心な手当てという演技のほうだ」 「演技なら、売込みでなれています。やってみますかな」 「一生に何度とないもうけ時だぞ……」  半兵衛は住職の良玄にも言う。 「……良玄さん、どうせひまなのでしょうから、このお寺の境内で、犬の訓練をやりなさいよ。強そうな犬がいい。合図によってうなり声をあげるのと、死んだふりと、その二つの芸ができるように仕上げておくといい。とりあえず五匹ぐらい。そのうち役に立つことがありますよ」 「やってみましょう。なんだか面白い世の中になりそうですな」  四月になると、犬に関しての処分第一号があらわれた。御殿番をつとめる武士の下男が犬を切り殺し、その下男は遠島、主人の武士は改易となった。改易とは武士であることをやめさせられる刑。幕府の禄をはむ者が、幕府の方針に反したとなると、みのがすわけにはいかない。  一方、犬の台帳の作成も進行した。どこの町内に何匹いて、毛色の特徴がどうと書きしるす。子犬がうまれた場合の届けの書式がきまり、そのたびに役人が確認にくる。迷い犬を連れてきて、この町内で飼ってやれと押しつけたりもする。また、病気にかかった犬はないか、あったら早く犬医者にみせよと注意してゆく。なにしろお役目大事なのだ。  おかげで、自信がなくびくびくしながら犬医者の看板をあげた五平は、むやみともうかった。あやしげな薬を与え、なおれば尊敬され、なおらなくてもおとがめはない。いや、なおらないほうが人びとから感謝される。どの家も、犬にいつかれると大変な出費。そこを察して、五平が手当てするふりをして、毒薬を飲ませ、犬を成仏させる。薬の知識が役に立ち、発覚しにくい毒を使う。町人は、悲しみの表情を示しながら、まとまった謝礼を出してくれるのだ。あの先生は名医だとの評判がひろがり、さらに依頼がふえるというしかけ。  しかし、五平という犬医者はなにかおかしいぞと、不審をいだく役人もあった。それへの対策はあるのだ。良玄の訓練している犬が役に立つ。合図によって道ばたで死んだふりをさせ、大変だと五平のところへかつぎこみ、そこで奇跡的ともいえる回復術を示すのだ。役人の前でそれをやってみせると、たちまち疑念が消える。  吉蔵の作る子犬箱も、またすごい売行きだった。手製の変な箱に押し込んで、役人にとがめられてはつまらぬ。公認のものを使っていたほうが無難なのだ。吉蔵は何人も人をやといいれ、大量生産にとりかかっている。しかし、作るのがまにあわないほどの売行き。  山田半兵衛は犬目付頭に昇進し、犬奉行のつぎの地位にのぼった。犬目付のなかでは古参であったし、五平や吉蔵からの賄賂《わいろ》を奉行にとりついだりし、重宝がられたためだ。なお、犬目付は犬の監視をおこなうが、人を処罰する権限は持たない。犬を虐待した者をつかまえ、町奉行にひきわたすまでが仕事。処罰は町奉行がおこなう。  犬にほえつかれ、反射的にけとばした者。子犬につきまとわれ、家に入られてはうるさいことになると、よその家にほうりこんだ者。材木を倒したら、その下に犬がいた。なんだかんだと、多くの町人がとっつかまって奉行所に送られた。そして、さまざまな処分を受けた。  ある日、山田半兵衛は犬奉行に進言した。 「どうも、死んだお犬さまの処理が不統一のように思えます。お犬さまの霊も気の毒と申すべきでしょう。上のかたと、ご相談なさってはいかがかと……」 「うむ、わしもなにか名案を提案しなければならぬと思っていたところだ。で、なにかいい方法があるか」 「はい。安徳寺という寺があります。そこの住職は、お犬さまの霊を成仏させる経文を知っているとか。死体をそこに集め、お犬さまの塚を作るようにしたら、上様のお心にかなうのでは……」  まもなく、犬奉行はその決定をもらってきた。 「いいことであるとほめられ、わしも面目をほどこした。寺社奉行と連絡し、そのようにせよとのことだ。おまえのおかげだ」 「いえ、お礼には及びません」  安徳寺も忙しくなった。無料というわけではない。いくらかの埋葬料がついてくる。大変な数だから、相当な額になる。大名屋敷から運ばれてくる犬の死体は、むきだしというわけにもいかない。大工の吉蔵は、犬用の棺の量産にも手をつけた。  そのうち、安徳寺はおふだ、すなわち護符を作って売りだした。犬の絵のついたやつで、なんの説明もしなかったのだが、驚異的に売れた。それを持っていると犬の難にあわないですむ、とのうわさがひろまったためだ。家の柱に張るやつもある。  吉蔵のとこも五平のとこも、大ぜいの使用人をやとうようになった。鳥屋、魚屋、釣舟屋などが成り立たなくなっており、人手はいくらでも集った。  江戸城内の料理の禁制が、しもじもまで及んできた。生物を食ってはいけないのだ。そもそも、生物を殺すのがいけないのだ。ハトに石をぶつけた者が処罰され、吹矢でツバメを殺した者が死罪となり、病気の馬を捨てた者二十五名が遠島となり、ニワトリを殺した農民がハリツケになった。武士の場合はその息子まで罪がおよぶ。むやみと罪人が出た。  この貞享四年の年末のある日、山田半兵衛、吉蔵、五平は安徳寺で顔をあわせた。年忘れの碁会を開いたのだ。住職の良玄が言う。 「この一年は、えらい変りようでしたな。あれよあれよというまに寺が立派になり、敷地もひろげていただいた。山田さんには、お礼の申しあげようもない」 「それはわたしたちも同様です」  吉蔵や五平も言い、それぞれ金包みを渡した。半兵衛はそれを受け取る。おたがい、持ちつ持たれつの仲なのだ。また、半兵衛にしても、要所要所につけとどけをしておく必要がある。半兵衛はみなに言った。 「どうだろう。このさい、もっともうけておくか」 「なにかいい商売がありますか」 「魚屋をやったらよさそうだぞ」 「なんですって。そんなことをやったら、首がとびますぜ。げんに魚屋たち、商売あがったりで、なにか仕事をやらせてくれと、毎日のようにやってくる」 「生きた魚を売ることは禁じられている。しかし、聞くところによると、将軍はなまぼしの鯛《たい》を臣下への下賜品に使っている。塩鮭《しおじやけ》の献上もなされている。これからみて、どうやら、海の魚は生類とみなされていないらしいのだ」 「理屈にあいませんな。エビや貝も海にいる生物でしょう。それは禁令にふくまれています」 「そもそも、このさわぎには理屈などないのだ。しかしだね、これはわたしの推測だが、将軍は海というものを、自分の統治の範囲外と考えているのではなかろうか。エビや貝のいる部分は、水底とはいえ陸の延長とみるべきで国内である。しかし、海は国外、法令は及ばないらしいのだ。もっとも、念のために、各方面に当ってみるがね……」  法令の盲点。鯛も生類となると、将軍みずから禁をおかしていることになりすべてが崩れてしまう。賄賂の効果もあり、上のほうから海の魚ならおかまいなしとの内意があった。  資金はあるのだ。五平と吉蔵とが指揮をして態勢を作り、ことをおこなった。大型の舟を作らせ、各地の漁港の網元と契約し、魚を江戸へ運びこむ。鯛、鮭、ブリ、タラ、イワシ、アナゴなどだ。生きたままだと問題になるから、それさえ注意すればいい。おかげで、魚屋たちもいくらか息をつけた。  そんな手があったのかと、まねをしようとしてもあとの祭り。どこの漁港も、この組合と契約をしてしまっている。独占だから、いくらでも値をあげることができた。吉原など、たくさん買ってくれた。  もっとも、幕府の要職にある者の屋敷には、定期的に鯛をとどけた。賄賂がわり。へたにつむじをまげられると、ろくなことはない。また、干しイワシはお犬さまのえさということで、安く売った。はたして町々の犬の口に入ったかどうかはわからない。いかにお犬さまでも、人間が食ってしまったと訴え出る能力はないのだ。  町でアナゴと称してウナギを売った者があったが、それは発覚し、処罰された。ウナギは海の魚だと弁解をしたが、それはみとめられなかった。  貞享五年が元禄元年。この年、江戸でちょっとしたことがおこった。むかしの勢いはないが、町奴の残党がいる。それらが町人たちの苦しみをみかね、集ってたんかをきった。 「なんでえ、犬がどうのこうのとさわぎやがって。おれたちは人間だ。畜生以下にあつかわれちゃあ、がまんできねえ。役人どもは、みなの困りかたを知ってるのか。かみつく犬があったら、ぶち殺すべきだ」  みなのかっさいをあびたが、たちまちその十一人がつかまり、二人は打首、他の九人は遠島となった。お犬さまは町奴より強力な存在だった。この実験により、殺さなくても犬をけなしただけで罰せられることが判明した。  犬を保護する努力はつづけられたが、犬どうしがかみあい、傷つくのには役人も困った。傷つけたほうを逮捕しようにも、それもお犬さまなのだ。この解決法として、各所に水が用意され、犬がけんかをはじめたら、ひしゃくで水をかけおとなしくさせるようにとの法令が出た。そのための番人が配置され、彼らは犬の紋のついた羽織を着用した。  紋といえば、ツルの紋の使用と、屋号にツルの名を使うことが禁止された。綱吉のひとり娘の名がツルで、その健康を祈るためといわれた。おべっかが目的の進言と、将軍の気まぐれとにより、理屈もなにもなく、つぎつぎに法令が作られてゆく。  犬たちは江戸城内をもうろついている。城外へおっぱらっては、しめしがつかない。どんな役所にも犬がはいってくる。評定所とは重大裁判をおこなうところだが、例外ではない。犬たちがやってきてかみあいをはじめ、それを傍観していたという罪で、閉門を命じられた役人があった。小細工奉行は、犬をいじめたとの理由で追放になった。門前の捨て犬を養わなかった旗本が、これまた追放された。使用人が車で犬をひいたというので、武士がひどくおこられた。  気にくわない他人をおとしいれるため、犬の禁令を利用しようとする傾向があらわれた。幕府の役人たちは、保身のために神経をすりへらした。家族たちに犬に気をつけるようくりかえし命じ、上役に賄賂をとどけ、さまざまな方法をとる。執務どころではなかった。  民間でも卑劣な犬の利用がはじまった。芝居小屋のなかに犬を追いこみ、混乱させるやつがでた。いやがらせ。困りきった座長が、犬医者の五平に相談にきた。 「なんとか知恵を貸して下さい」 「それは、お気の毒。おまかせ下さい」  安徳寺にいる訓練された犬を貸せばいいのだ。強そうな犬をえらんであるから、入口においてうならせれば、他の犬は入ってこない。人間には害を与えないよう教えこんであるので、お客も安心。この貸出しは、かなりの利益をあげた。  大きな商店主など、金に糸目をつけず借りにくる。外出の時、犬とへたにかかわりあって、遠島にでもされたら目もあてられない。遠島処分には、財産の没収がともなうのだ。用心棒の犬への需要は大きかった。 〈田畑を荒すイノシシ、シカのたぐいを殺してはいかん。空砲で追っぱらえ。どうしても殺さなければならぬ場合は、手続きをすませ、役人の立合いの上でやり、死体はその場に埋め、食用にするな〉  との法令も出た。埋めたのをあとで掘り出し、イノシシの足を食った農民が処刑された。  コウノトリの巣のある木を切ったというので、ひとつの寺がとりつぶされた。そんなことは知らなかったと弁解しても通用しない。これが判例だというのだ。  一方、トビやカラスの巣を木から取り除くようにとの法令も出た。他の生物に害をなす鳥だからというのがその理由。ただし、巣に卵があった場合はそのままにしておけと、くわしい補足がついていた。害鳥といえども、生あるものはあわれまねばならない。  かくして元禄三年、江戸の湯島に聖堂が完成した。孔子をまつる廟《びよう》のことで、将軍綱吉はそこへおもむき、儀式をおこない、臣下たちを集めて聖賢の道についての講義をした。政治の根本は仁と義であると。側近たちは、家康以来の名君とたたえ、綱吉はごきげんうるわしかった。やがては、江戸城内に諸大名を集め、論語や易経の講義を定期的におこなうようになる。  江戸の市中では、吉原で遊ぶ金のない連中がはけ口を求め、性犯罪が多くなった。一瞬でもいいから犬から逃避したいとなると、これぐらいしかない。しかし、罰せられる者はあまりいなかった。なにしろ、犬と生類の禁令のほうが優先していた。  ヘビ、犬、ネコ、ネズミなどに芸をやらせることが禁止された。娯楽もだんだんとへってゆく。  元禄四年、綱吉の側室が懐妊した。これで男子が誕生すれば、禁令もいくらかゆるむのではなかろうか。町人と将軍とが同一のことを期待したのは、これに関してだけだったかもしれない。  しかし、町人と将軍の祈りもむなしく、流産となった。綱吉は犬と生類への熱意をさらに高めることとなる。  すなわち元禄五年、密告者へ賞金を出すということがきまった。ひそかに訴えられ、犬を殺したことが発覚し、ある町人が死罪になった。密告者は二十両もらえる。これは大金だった。一般の者にとって、これだけまとまった金を手にすることは、一生のあいだありえないことだ。魅力的な誘惑だ。  しかし、その代償として、他人にうしろ指をさされながら一生を送らねばならぬ。ここを考えると、密告へふみきる決心もにぶる。だからこそ、幕府も二十両という巨額な賞金を出さざるをえなかった。良心の代金二十両、民衆の信義の念はかなり高かったというべきではなかろうか。  二十両をもらった訴人は、どこへともなく消えてしまった。江戸をはなれてどこかへ移り住んだのかもしれない。だれかに襲われ、殺されて金を奪われたのかもしれない。幕府の役人に連れ去られ、消され、回収された賞金が次回のに使われたのかもしれない。  浅草川の一帯に、殺生禁断の札が立てられた。子犬を道に出すな、かみつく犬はつないでおけとの法令が出た。すでに出ている法令と重複しているものだ。やることがくどくなってきた。  将軍の乗馬の尾の毛がつんであったため、担当者が改易となった。綱吉としては、そこまでする気はなかったかもしれない。しかし、自分が出した法令でもあり、家臣たちが熱心に法令に従っている手前、許してはしめしがつかない。儒教は原則が大切なのだ。以後、馬は手入れがなされぬまま、将軍用の馬も野生馬のごとくなってゆく。  綱吉がきびしさを示したため、役人たちもそれにならった。処理について手かげんをした武士たちが、つぎつぎに罰せられた。  鳥にえさをやろうとして、あやまって殺してしまった武士があった。それを調査に来た取締の役人ふたりが、同情して穏便にはからい、それが発覚してみな遠島となった。鳥の死体をほうりこまれ困っている者をとりつくろってやった役人が、これまた遠島となった。人間を助けてはいかんのだ。  いやおうなしに摘発し、奉行所に送りこまねばならぬ。奉行所は重い刑を科さねばならぬ。人情あふるる名判決などやっていたら、自分が罰せられる。また、のんびりしてはいられない。  牢屋は満員。島送りのための舟はひっきりなしに出港し、首を切られる者も多く、江戸から追放される者は列をなした。ただひとつの救いは、綱吉時代の初期に、牢屋の改善がなされていたこと。しかし、ぎゅうづめとなると、そのために死ぬ者もあり、とくにありがたくもなかった。  安徳寺で四人は、時たま顔をあわせる。情報の交換のためだ。住職の良玄が言う。 「山田さん、あなたは物わかりがいい。町人に対し、ひどいことをやっていない。しかし、そのために処罰される心配はないのですか」 「では、犬で不当にもうけている、あなたがたを逮捕しますかな」 「冗談じゃありませんよ」 「役人生活にはこつがあるのです。賄賂もありますが、わたしは上役へ、いろいろ知恵を貸してあげている。冬眠中のヘビやカエルを掘り出すなというのはどうでしょう。ネコに食われる鳥が多いから、ネコの首に鈴をつけるよう奨励したらどうでしょう、といったたぐいです。上役は自分の考えとして上申し、これこそ生類あわれみの精神だとほめられ、いい気分になっている。こういう実績を作っておけばいいのです。ひたすらむちゃをやり、おたがいに足をひっぱりあうなんてのは、頭の悪い役人のすることです。わたしの提案のなかに、町人に迷惑の及ぶのはないはずですよ。そんなことより、このお寺でも、ネコにつける小さな鈴を売る準備をしとくといいでしょう。またもうかりますよ」 「そうしますかね。わたしたち、おかげさまでもうかりすぎるくらいですが、なんとなくうしろめたい。これでいいんでしょうか。山田さんはどんな気分です」 「わたしは幕府の禄をはむ武士のひとり。この悪政の廃止に力をつくすべきかもしれません。しかし、それは理屈です。石川という旗本がいましてね、世人の苦しみをみかね、二十四条にもなる意見書を作り、上役を通じて将軍にさし出そうとした。すると、ばかなことをするな、おれまで巻きぞえにする気かと、上役ににぎりつぶされた」 「そうでしょうな」 「しかし、あきらめない。あちこち論じてまわり、このあいだ、意見書を老中にとどけることに成功した。どうなったと思う。評定所に呼び出され、さんざんおこられ、それで終りだ。さいわい妹が大奥につとめていたので、その方面からの口ぞえで、切腹にはならずにすんだがね。わたしが良心に従ってそれと同じことをやっても、なんの役にも立たないというわけだ。一種の天災と割り切るべきだろうな」 「老中もだらしないものですね」 「それにはわけがある。老中もそうだが、領地を持っている大名たちは、さほど苦しんでいない。領内の行政と処罰権は、領主である大名にある。幕府の力も及ばない。だからこの禁令でやられるのは、江戸など幕府の直轄地と、旗本の知行地に限られている。大名たちは高みの見物だ。この悪政に反対だという水戸光圀公だって、一昨年、隠居して領地にひっこんでしまった。ニワトリや川魚を食っているんじゃないかな。つまり、副将軍の手にもおえないわけさ」 「暗殺以外にありませんね」 「それができるのは側近以外にないが、そんな考えの主は側近になれない」 「いったい、なんでこんな世の中になってしまったのでしょう」 「わからんな。ずるずるとこうなってしまった。われわれ人間、むかしから戦乱つづきで、それには慣れていた。だが、泰平というやつには、どう処していいのかだれも知らない。そんなとこに原因があったような気もするがね」  五平が言う。 「まあ、考えてもどうにもならんことは、考えないことにしましょうや。こんな時世は早く終ってくれたほうがいい。しかし、つづいているうちは、われわれ金がもうかるな。どっちへころんでもありがたい」  元禄六年、七年と、生物尊重は依然としてつづけられた。飼っている生物は、なるべく野に放つよう奨励された。ウズラ、ハト、ニワトリなどが各地に放たれた。  ネコ、ネズミ、ヘビなども、江戸の近郊に放たれた。その地の住民にとってはたまったものではないが、文句もいえない。  江戸じゅうの金魚が集められ、藤沢にある池に放たれた。七千匹におよんだという。  巣をとり除く努力にもかかわらず、カラスの害が目立ってきた。だが、殺せとの命令は出せない。カラスをとらえるよう指令が出され、一万羽とまとまると、舟で伊豆の島に運び、そこで放った。カラスの遠島という形だった。これは何回もおこなわれた。人間なら島からの脱出逃亡はほとんど不可能だが、カラスには羽があり、飛べるのだ。  訴人の賞金は三十両に増額された。ある武士が弓でハトを殺したと、その家の下男が訴え出た。よほど金が欲しかったのだろう。裁判となり、武士は弁解した。 「祖先以来、幕府に忠勤をはげんできた家柄である。その法をおかす気など、あるわけがない。武士のたしなみとして弓の練習をしていたのだが、矢をはなった瞬間、そこへハトが飛んできた。荷車ならその前に人を走らせ、生物に注意を与えることができるが、矢の前に人を走らせることができようか」  それがみとめられ、下男のほうが処罰された。ここで武士を罰したら、弓矢の練習をする者がいなくなる。そのような判例を作るわけにはいかない。下男のほうがばかをみた。虚々実々の争いが、ほうぼうでおこなわれている。 〈のら犬をたたくのを禁ずる〉  との法令も出た。しかし、犬がニワトリを襲おうとしている。ほっとけばニワトリが食われるが、たたけば防げる。こうなると微妙だ。といって、たたくことをみとめると、のら犬のよりつくのを防ぐため、わざと鳥を飼う者がふえないとも限らない。どうすべきか。役人たちは相談を限りなくつづける。もともと気まぐれな法令なのだ。調整のしようがない。  いずれは出るだろうと思っていたが、昆虫を殺すなとの禁令も出た。これでは身動きもできぬといった感じだが、現実にはそれほどではなかった。どこに何匹の虫がいるなどという台帳は、できっこない。道でふみ殺したところで、すでに死んでいたのをふんだのだと言えば、区別のつけようがない。公然と殺すのでなければ、なんということもない。  道の砂ぼこりがはげしく、役人が水をまくように命じた。すると町人が言う。 「よろしいのでしょうか。水のなかには、ボウフラがおります。道にまくと、それが死んでしまいます。無益な殺生はしたくないのですがね。もしおとがめがあったら、お役人さまに引き受けていただきますよ」 「いや、待て。水をまかなくていい」  役人はあわてて打ち消した。  江戸っ子のささやかな反抗だったが、それ以上のことは不可能だった。  犬のあつかいが一段とやっかいになった。犬がけがをした場合、飼い主ばかりでなく、その町の共同責任で手当てをせよとの法令が出た。そのため、どこの犬医者も、連日かごでかけまわりつづけという忙しさだった。  五平の多忙はいうまでもない。往診をへらし、自宅診察をふやした。病犬を運ぶためのかごを作り、連れてこさせる。このほうが能率的なのだ。謝礼の額によっては、手当てのふりをして毒殺した。そして、安徳寺の塚に埋葬してしまう。手続きに手落ちがなければ、それですむ。はかない抵抗だったが、それ以上のことなど五平にできるわけがない。  犬をかわいがれとの方針がとられてから、もう十年ちかくになる。江戸における犬の数は、むやみとふえた。死なないようにと、できうる限りの保護が加えられている。どこの道も犬がうろつき、ほえる声は夜昼ぶっ通し、いたるところにふんをする。江戸は犬の牧場と化し、悪夢のような光景だった。  この実情を知れば、さすがの綱吉も、これはひどすぎると考えなおしたかもしれない。しかし、そんな報告はとどかなかった。慈悲の心は庶民のすみずみまで行きわたっております。そんなぐあいの報告ばかり。そもそも、だれが悪いのだ。  元禄八年のはじめ、江戸に火事があり、紀州侯の屋敷が焼け、男女四百人が焼死した。しかし、その者たちより、同時に焼け死んだ三匹の犬の扱いのほうが優先した。役人を通じて将軍に報告がなされたのだ。  それにしても、これだけの大きな屋敷に犬三匹とはひどい。庶民はもっと高い割合で、犬の世話を押しつけられているのだ。  下町の道ばたに、犬をはりつけにしてさらした者があった。将軍の威をかりて世を害するから、かくのごとく処刑するとの立札つき。大変な評判で、見物人が大ぜいやってきた。  しかし、まもなく犯人が判明した。旗本の二男で、切腹を命じられた。その家の下男が訴人したためで、三十両の賞金と住宅とが与えられた。だが、その下男もしばらくすると召しとられ、はりつけにされた。主人を密告するとは面白からずというわけだろう。主従の忠誠関係にひびが入りはじめたら、幕藩体制が根本から崩れかねない。生類あわれみの令とのかねあいで、為政者が最も扱いに困るところだ。お上を信用して訴人した下男は、いいつらの皮だった。  主人を訴人することは、いい結果にはならないようだ。そんなうわさがひろまり、密告がへった。役所のほうでは、これではならぬと、賞金を五十両に値上げした。とびきりの美女が吉原に身売りする相場の金額だ。  あまり美しくなかったためか、犬を殺した大工を密告し、五十両を手に入れた娘があった。金をもらうと、家へ帰らず、その足で男とかけおちをしたとかいう話だった。賞金をもらうにも技術がいる。なにしろ、強盗の取締りなど、二の次、三の次なのだ。あるいは男に巻きあげられたかもしれない。  山田半兵衛、良玄、五平、吉蔵の四人は、時どき料亭で豪遊もする。いかに豪遊したって、彼らにとってはたいした金ではない。半兵衛は言う。 「良玄さんは、いまや江戸名物となったお犬寺の主、五平さんはたくさんの助手を使うお犬医者、吉蔵さんはお犬箱つくりにかけては一流といわれる親方。また、おたがいの金ではじめた海魚の商売は、これまた順調。めでたいことだな」 「なにもかも山田さんのおかげです。こうも好運がつづくとは……」 「運ではない、われわれの知恵と努力のたまものだ。どうだ、もっとどえらい利益をあげてみないか」 「こうなったら、もう乗りかかった舟です。最初のうちはびくびくものでしたが、いまでは気が大きくなった。でかければ、でかいほどいい。やりますよ。で、どんなことです」 「江戸中の犬を一カ所に集め、そこで世話をするよう、幕府に働きかけるのだ」 「しかし、そんなことをしたら、われわれの商売のたねがなくなってしまいますよ」 「いやいやそうではないのだ。江戸で最も大金が動くのは、建築関係だ。湯島の聖堂をはじめ、寺院をたてたやつら、いくらもうけたかはかりしれない。もちろん各方面への賄賂に金がかかるが、その何倍もの利益は確実だ。吉蔵さんをお犬専門の建築業者に仕上げ、工事をうけおうのだ。わたしも上役たちを手なずけてきている。みんなで手わけして、金を惜しまず賄賂を使い、猛運動しよう。いままでの利益を、みんなつぎこもう」 「なるほど。どうせ、だめでもともとだ。やってみましょう」  半兵衛は、もっともらしい提案をするこつを知っている。上役に対しては、まとめたほうが犬の世話がやりやすくなると言い、巡回する役人たちには、犬は限りなく生れているのだから、決して仕事を失うことはないと、いままでの計算をもとに説明する。  良玄は寺社奉行のほうに働きかけ、五平と吉蔵も、半兵衛の指示で、各所に賄賂を運んだ。そのかいがあって、吉蔵にお犬屋敷の建築が命じられた。大久保にある三万五千坪の土地に、一万匹を収容できる建物を作るのだ。  普通の住宅や寺院の建築なら、もっとすぐれた信用のおける業者もいる。しかし、犬の建物となると前例がない。この道の専門家の吉蔵、五平、山田半兵衛の意見が尊重される。工事の見積書に対する文句も出ない。  材木業者からの売込みが、どっと来た。とことんまで値切る。だが、材木業者のほうも決して損はしなかった。木材の質を落したって、犬が怒るわけではない。天井を高くする必要がないから余り材木でもいいのだ。元禄八年の五月、急ぎの工事でそれが完成した。  江戸のなかから、犬がここに移される。ふとんを敷いたヒノキの箱を作り、それに入れて運ぶのだ。その設計の指示も吉蔵がやった。  さて、まずどこの犬から移すべきか。山田半兵衛は、すべて部下たちに一任した。こんないい役目はなかった。 「どうか、ここの町内の犬から連れていって下さい。お願いです」  と言われ、そでの下を取りほうだい。いくらか払っても、犬がへればずいぶん助かるのだ。係の役人たちはうるおい、半兵衛に感謝した。  変な話だが、だれもかれも、いいことずくめ。つぎの大計画もやりやすくなった。中野にさらに大きなお犬屋敷を建築することとなった。  敷地は十六万坪。二十五坪のお犬小屋が約三百棟、そのほか、何百棟という小屋が並ぶ。すべて板敷きで、住み心地よさそうな外観に仕上げた。犬の食事の調理所もある。そこの世話係の住居にだけいい材木を使っておけばよかった。工事の人夫は割当てによって大名家から提供され、その給料は不要だった。なんだかんだで、相当な利益をあげることができた。  十一月に完成。ここには五万匹ちかい犬が収容された。たちまち満員。とても人間によって統制のとれるものではない。犬がおたがいにかみつきあい、ほえ声はひびきつづけ、この世のものとも思えない光景。静かにしろと命じても通じるわけがなく、犬による自治制度も不可能。世話係のなかには、頭のおかしくなる者も出た。  そのほか病死などで、日に五十匹ぐらいの犬が死ぬ。定員にあきができると、江戸から運びこまれる。ここでの犬たちの食料、一日に米三百石、みそ十|樽《たる》、干しイワシ十俵、タキギ五十五束。年間の費用は九万八千両になった。吉蔵たちはこのイワシの供給を独占してうけおい、またも確実に利益をあげた。金のとりはぐれは、決してないのだ。  これだけのことをやっても、江戸の犬はさしてへっていない。それどころか、犬の繁殖はとどまるところをしらない。依然として犬を殺すと罰せられ、子犬は育てなくてはならない。犬役人の失業の心配はなかった。 〈このところ、町内にお犬さまがふえ、世話がゆきとどかず、困りはてております。お情けをもって、お犬さまをお移し下さるよう願いあげます〉  このたぐいの嘆願書がたえず提出され、役人たちはもったいをつけて、そでの下をとった。  大坂城番の同心が鳥を殺して食い、十一人が切腹、その子たちは遠島となった。幕府の直轄地においては、江戸ほどきびしくはないといっても、役人の公然たる殺生は許されないのだ。  江戸における処罰をいちいちあげていたらきりがない。それにしても、犬を殺す者がなぜあとをたたないのだろう。犬のなかに、いかにもにくにくしげで、みるからに切りつけたくなる種類があったのだろうか。  中野にお犬小屋ができてから六年後の元禄十四年、浅野内匠頭が江戸城中において吉良上野介に切りつけ、当人は切腹、お家は改易となった。赤穂《あこう》城は没収。その引渡しの時、目録に犬の数の記載があったという。犬が一匹もいなかったとなると、浅野家再興のさまたげになる。そこを考え、あわてて書き加え、ていさいをととのえたのかもしれない。  元禄十五年の暮、安徳寺に四人が集った。みな興奮している。 「赤穂の浪士たち、ついにやりましたなあ。みごとにかたきをうった」  五平が言うと、良玄が説明した。 「じつは、わたし、手を貸したのですよ。道で犬にほえつかれ、青くなっている者がいた。助けてやると、浅野家の浪人。いかに町人に変装したって、地方から出てきた者は、すぐわかる。犬のよけかたが身についていない。また、武士はすぐ身がまえてしまう。犬についての知識を、いろいろ教えてやりました。そして、討入りの夜、ここの強い犬を三匹ほど貸してやりました」 「そうでしたか。そうでしょうな。夜中に大ぜいが歩けば、犬がわんわんとほえかかり、すぐ気づかれてしまう。不意うちなど、できるわけがない」 「それにですよ、吉良邸内にだって犬はいるはずだ。はずみでそれを傷つけたら、その罪が優先してしまう。わたしの貸した犬が吉良邸の犬をおどし、おとなしくさせたのが成功のもとです。犬はすぐ返してもらいました」 「本懐をとげ、泉岳寺へ引きあげる途中、よく犬に飛びかかられなかったものですな。血のにおいがしたでしょうに。やはり、天の加護があったのでしょうな」 「いずれにせよ、ひさしぶりに胸のすく事件。江戸中、どこもかしこも、この話でもちきりですね」 「犬を殺して切腹になった武士は、これまでに数えきれぬほどいる。その子息が、父の無念を晴らすためだと、公儀のだれかを切る者が出てこないとも限りませんな」  山田半兵衛が口を出す。 「そこですよ。幕府として最も痛いところは。だから、いかに人気が高まっても、助命するわけにはいかない。上のほうのうわさですが、やはり浪士たちは切腹でしょう」 「そうでしょうね。ほめて助命したりしたら、犬の役人たち、何人もかたきとして討たれかねない」 「あの浪士たち、現在は大名家におあずけとなり、待遇はいいそうですが、なにを食っているのかな。どうせ切腹なら、その前に、ニワトリとか、白魚とか、ウナギとか、腹いっぱい食わせろと要求すればいいのに」 「それにしても、この犬と生類とのさわぎ、いつまでつづくんでしょう。いいかげんでやめればいいのに。もう犬を見るのもあきあきした。金もうけもあきあきした」  半兵衛は説明する。 「いまの将軍がつづく限り、むりでしょうな。儒学をはじめ学問好きな性格とくる。がらりと方針を変えることはできないのです」  依然として、禁令はつづいた。お犬屋敷は喜多見そのほかの地にも建てられた。各所に収容された犬の数は、三十万匹とも称された。もっとも、これは死んだり生れたり、新しく運びこまれたりの延べの合計であろう。  元禄十五年には、馬に重い荷をつけるなとの禁令が出された。重い荷は人間が汗水たらして運ばねばならない。元禄十六年にも、江戸では犬を切った武士が処罰されつづけている。元禄十七年、宝永元年と改元される。  宝永二年、これまでは鳥を飼ってかわいがることが許されていたが、それも禁止される。あらゆる鳥が放たれた。放たれたために早く死んだ鳥も多かった。宝永五年、人が馬に乗らなくなる。馬に負担をかけることがいけないのだ。  宝永六年の一月、やっと将軍綱吉が死去した。六十四歳。生類をあわれんだおかげで、この年まで生きられたのかもしれない。わが死後も生類あわれみの令はつづけよとの遺言を残したが、つぎの将軍の家宣《いえのぶ》はそれを無視した。綱吉にはついに男子がうまれず、家宣は綱吉の兄の子、それが養子となって跡をついだ。  お犬屋敷の犬は、申し出た者に二百文をつけて下げ渡すとのおふれが出た。江戸の者たちは、ぞくぞくと出かける。二百文をもらいその場で犬をぶち殺せばいいのだ。いままでの出費を、いくらかでも回収しなければならない。犬と人間はたちまち地位が逆転した。  そのころ、四人は舟に乗って、江戸をはなれた。海の魚を運ぶことで利益をあげたこの舟も、もはや利用価値がない。 「山田さん、お役ご免になったのですか」 「犬に関係した役は、すべて廃止です。わたしは親類の子を養子にし、あとをつがせ、仏門に入ると称して出てきたのです。そうでもしないと、旅に出る理屈が立たないのでね。で、良玄さんは……」 「わたしは、還俗《げんぞく》すると届けを出し、寺の住職をやめました」  五平は言う。 「いずれにしろ、おたがい、しばらく江戸をはなれたほうがいいでしょうな。人びとのために力になってやったとはいえ、犬でもうけたとなると、いやがらせをされるかもしれない。そうでしょう、吉蔵さん」  吉蔵は言う。 「まったくです。ずいぶんもうけましたものな。ずいぶん遊びもしました。みな、いまだに独身ですね。結婚するひまもなかった。犬さわぎがはじまってから、二十年あまり、おたがい、いいとしになってしまいましたな」 「関西にでも腰を落ち着け、遊び暮しましょう。いかに豪遊をつづけても、この金は死ぬまでに使いきれそうにない」 「豪遊をつづけながら、思い出話をしましょうや。思い出話のたねも、死ぬまでつきませんよ。こんな面白い時代を生きられたわれわれは、まったく運がよかった」 [#改ページ]   ああ吉良家の忠臣 「た、大変なことがおこったぞ。いま江戸から使いがまいった。それによると、ご隠居の殿さまのお命が奪われたらしい……」  その話を聞き、良吉は大声をあげた。 「まさか。信じられない。ご隠居さまが殺されるなんて。本当のことでしょうか……」  ここは海ぞいの地。その三千二百石を管理するための、お屋敷のなか。十数名の武士が、それぞれのつとめにはげむ役所である。年貢の取立て、治安の維持、もめごとの調停、貧困者の救済などである。  良吉はそのなかで、いちばんの軽輩。二十三歳、武士のはしくれなのだ。武士になりたてといってもいい。  海産物をあつかう、この地方の大きな商店の三男にうまれた良吉は、幼いころから武士になりたくて仕方がなかった。文武両道に熱心にはげんできた。もっとも、文は寺子屋にかよってであり、武は店の用心棒でもある浪人者に教えてもらった。  この時代、商人の子が武士になるなど、容易なことではなかった。しかし、父の経営する店、黒潮屋は景気がよく、金まわりも悪くなかった。だから、良吉は武士のはしくれになれたのだ。すなわち、領主である殿さまにまとまったものを献上し、この地の家臣たちにおくりものをした。その運動のかいがあって、良吉は名字帯刀を許された。黒潮良吉、年に十石のさむらいである。  名字帯刀を許されるというこのような場合、普通なら形式的な名誉職。役所につとめることなどない。しかし、良吉は毎日のように出勤し、こまめに働いた。なにしろ、あこがれていた武士になれたのだ。うれしくて、うれしくて、いそいそしている。まわりから重宝がられた。生活の心配はない。武士として働くことが楽しいのだ。 「残念ながら、本当のようだ。江戸からの使いの話によると、へたをするとお家断絶、領地没収になるかもしれぬとのことだ。幕府の役人たち、権力をふりまわすのが好きだからな……」 「ひどい……」 「そうなると、ここへかわりの武士が来て、われわれは失業となる。今後の生活を考えなければならぬ。どうだろう、黒潮屋で使ってくれるよう、そちの父にたのんでくれぬか。どんな仕事でもする」  青くなりながらこれからの生活を心配する武士たちに、良吉は言う。 「なんという、なさけないことをおっしゃる。あなたがた、それでも武士ですか」 「しかし、幕府のおえらがたがそうときめたら、従わざるをえないのだ」 「いったい、江戸のお屋敷で、どんなことがおこったのです」 「くわしくはわからない。むりやり押し入ってきた浪人者の一団に、お命を奪われてしまったということだ」 「どんなやつらにです」 「浅野家の浪人たちにだ。夜中の不意うち。防ぎきれず、ご隠居の義央《よしひさ》さまは殺され、殿の義周《よしちか》さまは、防戦し、傷をおいながら、やっと難をのがれられたとのことだ」 「徒党を組んでの、やみ討ちとは。まるで戦国の世だ。そんなことが、将軍さまのおいでになる、江戸のなかでおこるとは……」  良吉は、まだ信じられない気分だった。しかし、それは現実に発生した。  元禄十五年、十二月の中旬。寒い真夜中、江戸じゅうが静かに眠りについている時刻、大石を首領とする浅野家の残党ども四十数人が、予告もなしに侵入し、無抵抗にひとしい老人の吉良義央を殺害した。  義央は殿中での刃傷《にんじよう》事件のあと、当主であることをやめて隠居した。その必要はないのだが城内をさわがせた責任を感じてである。  なお、あとをついだ義周は養子。義央のひとりむすこは、あとつぎのない上杉家へ養子に入った。義周はそのむすこで、吉良家へ養子に来た。だから、義央と義周は、血のつながりでは実の孫ということになる。  吉良家は上野国《こうずけのくに》にも千石を領し、合計すると四千二百石。そのため上野介と称しているが、実質的にはここ三河の幡豆《はず》が主たる領地といえた。 「いいかたでしたのに……」  良吉は目をつぶり、ご隠居の殿の、ありし日の姿をしのんだ。義央は礼儀正しく、教養がある上に、ものわかりのいい笑いの好きな老人だった。  かつて、ここへおみえになったことがある。赤毛の馬にまたがり、領地内を視察してまわられた。その時、良吉は父とともに迎え、名字帯刀を許されたお礼を申しあげた。十石とはいえ、士分の格。直接にお話しすることができるのだ。義央はにこやかに声をかけてくれた。 「そちの名は、なんと申すのか」 「良吉でございます」 「なるほど。たのもしげな若者だな。どうじゃ、ちょっと逆立ちをしてみせてくれ」 「は……」 「遠慮などせず、やってみせよ」  とまどいながら、良吉はそれをやった。義央は手をたたいて笑った。 「みごとじゃ。そうやっておると、そちも殿さまじゃ」 「は……」  なんのことやら、その時はわからなかった。あとになって考え、良吉と吉良とを関連させたしゃれとわかった。よそのことはわからないが、あんなくだけた殿さまは、めったにおいでにならないのではなかろうか。忠節をつくさなければと、良吉は心から思った。  海ぞいのこの地で、塩を産業のひとつに仕上げ、きびしい年貢もなく、だれもが名君とたたえていた。領内に不満の声ひとつない。江戸では勅使の応対とか、東照宮の関係の仕事とか、高級なおつとめをなさっておいでだ。温厚な性格で、お側用人や老中たちの信用もある。そのため、各方面からいろいろと口ききをたのまれる。その謝礼のたぐいが入るせいか、ひどい年貢を課すことがない。大名からは取るが、領民からはあまり取らない。いい領主だった。 「あんないいかたが殺されるなんて、なぜ、そんなことが……」 「よくわからぬ。浅野の浪人たちは、なき主君の遺志をつぎ、うらみを晴らしたのだと言っているらしいが……」 「しかし、浅野内匠頭は殿中で乱心し、刀を抜いたわけでしょう。幕府はそうとみとめ、公的なおさばきの上で、切腹を命じた。死を命じ、首をはねたのは幕府でしょう。うらむのなら、そっちをうらむべきだ」 「そういえばそうだ」 「遺志だなんていうけど、それは乱心でしょう。だから、それを引きついだとなると、狂気のさた。気ちがいの行動となるわけでしょう」 「理屈の上ではそうだ」 「それなのに、なぜ吉良家が断絶になるのです。被害者が悪人にされるいわれはありません」 「しかし、そこがその、政治というものらしいのだ」 「むちゃだ。気ちがいの集りに侵入され、父を殺され、そのうえお家が断絶とは。責任は、江戸の治安をまもれなかった者にある。ひどすぎる。こんなご政道は、正さなければなりません」  などと、良吉はまじめきわまる口調で主張した。武士たちは困った顔。 「どうするつもりなのだ」 「すぐに江戸へ行くつもりです」 「行ってどうする」 「殿にお会いし、おけがのお見舞いを申しあげる。また、幕府に対して堂々とわたりあうよう、ご激励してさしあげます」 「むりだよ。おまえのような、十石の軽輩になにができる。軽々しいことをやって、われわれを巻きぞえにしないでくれ」 「そのお言葉は、なんです。武士の口にすべきことではありません。たとえ十石でも、禄《ろく》をいただいているからには、君臣の間柄です。お家の一大事に際し、忠節のなんたるかを示すべきです。なさりたくないのなら、わたしひとりでもやります。ああ、なんという武士道の堕落……」  あこがれてなっただけに、良吉は普通の武士以上に、武士らしかった。たちまち決心をかためた。生家へかけもどり、黒潮屋の金箱からまとまった金をつかみ出し、それをふところに入れ、ただちに江戸へ旅立った。  本所の吉良邸にたどりつく。  門の扉《とびら》は無残にもこわされ、屋敷の内外は片づけがすまず、まだ荒れはてたままだった。ふすまや障子はめちゃめちゃ。あたりに血のあとが残り、そのにおいもただよっている。  部屋のなかからは、うめき声が聞こえてくる。襲撃された時の負傷者たちのあげる声だろう。顔をしかめながらたたずんでいる良吉に、声がかけられた。 「おい、なにものだ。勝手に入ってきてはならぬ」 「なにものかはひどい。殿の家臣、黒潮良吉にございます。事件を聞き、三河のご領地からかけつけて参ったのです」 「わたしは殿のおそばにつかえる、山吉新八という者だが、そのような家臣の名に心当りは……」 「数年前にお取り立ていただいた者でございます」 「すると、そうか。黒潮屋のせがれであったな。よく来てくれた。しかし、なんのためにわざわざ……」 「殿のご安否が心配で、また、なにかお役に立ちたいと思って……」 「それは感心なことだ。殿は浪人どもと戦い、傷をおわれたが、わたしともども、なんとか脱出できた。重傷ではあるが、さいわいお命には別状ない。十七歳という若さだから、やがておなおりになるだろう。しかし、その養生と、精神的な衝撃もあり、当分はだれともお会いになれない」 「わたしになにかご命令を……」 「ちょうど、人手が不足で困っていたところだ。この屋敷の警備をたのむ……」  と山吉は言った。大石ら四十数名は、義央の首を持って泉岳寺へ行き、そこで自首したという。いまは細川家ほか三家に、おあずけになっている。  しかし、まだ残党がいるかもしれないとのうわさもある。そいつらが、ご隠居さまの首だけでは満足せず、殿の命をもねらってふたたび来襲するかもしれないのだと説明した。 「かしこまりました。良吉、いのちにかけてもおまもり申しあげます」  張り切って良吉が門のそばに立つと、そとに集っている町人たちが、からかった。 「やあい、いくじなし野郎……」 「なんだと、町人の分際で。それとも、浅野の浪人か。となると、たたき切るぞ」 「いまさら強がったって、手おくれじゃねえか。討ち入りの時には、逃げてたくせに」 「けしからん。覚悟しろ……」  刀に手をかけた良吉を、山吉はあわてて引きもどして言った。江戸では、軽々しく刀を抜いてはいけないことになっている。町人たちに切りつけると、ただではすまない。なにしろ、いまは微妙な時期なのだ。お家が存続するかどうかの、重大な場合だ。  良吉は不満げだった。 「すると、じっとがまんしていなければならないのですか。いかなる悪口雑言にも耐えて……」 「そこが武士たる者のつらいところだ。なにを言われても、決して手出しをするな」 「しかし、あんなことを町人に言わせておくなんて……」 「町人とは、口さがない者なのだ。口先だけで、責任はなしだ。やつらは、かせいだ金を好きなことに使う、その日ぐらし。金なしで楽しめるとなると、やじうまとなって集ってきて、わいわいさわぐ……」 「そういう低級なものですか。では、武士らしく忍耐に徹しましょう。それがご奉公ならば」  覚悟をきめ、良吉は警備の役にはげんだ。残党の再襲撃にそなえ、緊張の連続だった。いざとなれば討ち死にする決意。しかし、日がたつにつれ、その点の心配はしだいに薄れてきた。  やっかいなのは、壁の穴のほうだった。塀《へい》の内側にそって、家臣や若党たちの居住する長屋がある。道に面したその壁に、穴があいている。殿がそこから外部へ脱出したのだとのうわさがあった。 〈弱虫の逃げた穴〉  と塀に落書きをするやつがあった。何度も書かれ、そのたびに良吉は消した。まったく、町人どもはやることが卑劣だ。なにか不満があるのなら、江戸城の石垣にでも書けばいい。それをやらず、ここの若い殿の内心の苦悩に同情しようなど少しも考えず、残酷なからかいをやる。  そのうち、江戸の街に紙に書いた無署名の狂歌が、各所にはられた。落首というやつだ。こんなのもあった。 〈吉良《きら》れてののちの心にくらぶれば、むかしの傷は痛まざりけり〉  殺されてしまえば、殿中の刃傷で受けた傷など、どうでもいいだろうとの意味。はがしても、またはられる。よく見ると、木版で印刷したものらしい。なんということだと、良吉は腹を立てた。印刷して、被害者の死をからかい、笑いものにするとは。江戸の町人の軽薄さをまざまざと思い知らされた。  良吉は自分でも落首を作り、木版で刷り、夜の町をはりつけて歩いた。 〈宵越《よいご》しの銭《ぜに》は酒色に使い捨て、浅野《あさの》さわぎをただで見物〉  酒と女に金を使い、自分は無関係という責任のない立場にいて、勝手に事件をさわぎたてる町人たちめ。少しは反省しやがれ。  しかし、町人どもは反省するどころか、浪士たちをほめそやす一方。事件をとり入れた芝居がなされ、大ぜいつめかける。講談にもなる。  どこでも話題になっている。大石良雄たちをたたえ、まことしやかな作り話が加わり、浪士の美談がでっちあげられ、義士と呼ぶ者もあらわれ、それに比例して、吉良義央が一段と悪者にされてゆく。  良吉はまたも落首を作り、はってまわった。 〈吉良《きら》吉良《きら》の玉を無法にうち砕き、大きな石をおがむ江戸っ子〉  まったく、ぶちこわされたままの門の扉を見ていると、良吉はなさけなくなってくる。弱きを助けるのが江戸っ子と聞いていたのに。  山吉新八にうかがってみる。 「吉良家は安泰なのでしょうね」 「そうなるよう祈り、いろいろと運動している。しかし、幕府の役人のなかには、困ったやつがいる。こんな意見書を、連名で上のほうに提出したりしているそうだ。浅野の浪士たちの行為は賞賛すべきものである。処罰すべきではない。よろしくないのは吉良家のほう、断絶させるべきであると」 「どういうつもりなんでしょう」 「世の中の人気に便乗し、自分の存在を示したいのだろう。そういう役人がふえてきた。あるいは、上のほうの意中をそれとなく察し、上役の動きやすいようにとの準備工作かもしれない。どうやら、上のほうにも浪士たちをほめる意見が多いらしい」 「上役の顔いろをうかがって迎合し、少しでも出世の機会にありつこうというわけですね。信念もなにもない。なんという役人たちだ。おろかで無責任な町人たちならまだ許せるが、幕政に関与する武士がそんなとは……」  町のうわさによると、細川家ほかの大名家におあずけとなった浪士たちは、けっこういい待遇らしい。忠義の士だとほめられ、ちやほやされての毎日だという。最初は罪人あつかいをしていたところも、細川家につられ、ごちそう競争になってきたともいう。  それを聞き、良吉はかっとなった。こんなめちゃくちゃなことがあっていいのか。良吉は山吉新八にもだまって、独断で細川家へやってきた。門番に言う。 「こちらに大石がいるそうだが」 「なんだと。呼びすては無礼だ。大石殿は、たしかにここにおいでだ。これこそ、わが細川家の誇りである。で、なんの用だ。どうせ、おくり物でも持ってきたのだろう。あずかってやるから、おいてゆけ」 「大石に会わせてくれ」 「おまえはだれで、用件はなんだ」 「吉良家の家臣、黒潮良吉。なき義央のうらみを晴らさんがため、ひと太刀なりともあびせたいのだ」 「なんだと……」  門番は引っこみ、やがて、細川家の家臣たち数名があらわれた。 「おまえか、大石殿を討ちに来たというのは」 「さよう。さっさと、大石をここへ連れ出してくれ。ご当家にご迷惑をおかけしたくない」  それを聞き、みな大笑い。 「さすがに江戸だ。しゃれっけのあるやつもいる。こんな変ったお笑いを持ちこむやつがあらわれた。いい話のたねだ。退屈しておいでの義士のかたがたも面白がられるぞ」 「冗談ではない。本気でござるぞ」 「どうやら、頭がおかしいらしい。いいか、大石殿を渡すわけにはいかんのだ。上意により、ここにおあずかりしているのだ。将軍からの命令がなければ、だれにも渡せぬ。むりに入ろうとすると、細川の家臣は総動員で防がねばならぬ。これが天下の、法と秩序というものだ」 「なにいってやがる。法と秩序を口にしたいのは、こっちのほうだ……」  しかし、大ぜいを相手に勝目はない。めざすは大石。細川の家臣と戦っての犬死には意味がない。良吉はむなしく引きあげた。  学者を看板としている者たちは、それぞれ発言していた。なにしろ大事件。これについてなにか言っておくと、自己の存在が目立つのだ。名がひろまると、商売もしやすくなる。意見を求めての来客ぐらい、ありがたいものはない。 「先生、こんどの事件について、お説をひとつ拝聴したいと思い……」 「そうですなあ。これはまさしく、大変なことですねえ。軽々しい判断はつつしまねばなりませんが……」 「早くおっしゃって下さい。あっしは、かわら版を早く作って売りたいのです。お礼はここに……」 「あ、かわら版ですか。それならそうと。浅野の義士たちは、みごとなものです。これぞ忠義のあらわれ、後世に残すべき義挙。江戸っ子の誇り……」 「町人たちの話と大差ない。もう少し変った表現で……」 「わたしは町人の感情こそ、正しく尊重すべきだとの所説なのです。お礼はいただきますよ。しかしながら、みごととはいうものの、吉良家の当主を討ちもらしたのは、いささか残念です。もっともっと派手にやるべきだった。それにしても浪士たち、よく秘密を保ってきたものですな。巧言令色すくなし仁といいまして、不言実行の人が少ない時勢、そのなげかわしい世にあって……」  と、ぺらぺらしゃべりまくる。一方、幕府の上層部から質問されている学者もある。 「なにか意見はないか」 「あなたさまのお立場は……」 「変な前例になってはことだから、やはり処罰すべきだと思うのだが……」 「そ、その通りでございます。なにしろ、徒党を組んでの武力行動。これをみとめたりしたら、まねする者が続出しましょう。豊臣の残党が出たら、ことです。法的にも道義的にも、処罰が当然でございます。しかしながら、感情的には、浪士たちにもかすかに同情すべき点、なきにしも……」  べつな学者は、ある大名にこうたずねられている。 「浪士たちの数名を召し抱えたいのだが、学者として、そちの意見はどうだ」 「まことに、けっこうなお考え。わたくしもそう思っておりました。世をさわがせたのですから、責任はある。しかし、その罰は大石ひとりだけ受ければいい。ですから、大石は細川家へながのおあずけ。そのほかは許すべきが当然である……」 「みごとな学説だな。いずれにせよ、大石は細川家が手ばなしそうにない」 「さようでございます。大石のむすこに目をつけたほうが、お家の名をひろめるには適当でございましょう。手をまわすのなら、早いほうがいい。しかしながら、ことは将軍のご決定をまたねば……」  などと、学者たちは「しかしながら」をくっつけ、うまく話を合わせながら、この時とばかりしゃべりまわっている。  将軍の綱吉、お側用人の柳沢吉保、老中、どこに決定権があるのか不明だが、幕府の上層部が迷っているように、良吉には思えた。そこがもどかしかった。早いところ、浪士たちを処刑してしまえばいいのだ。ことがのびると、同情論が高まるばかりだ。  良吉はまた落首を、町にはってまわった。 〈大石に小石を四十余なげこまれ、義士《ぎし》義士《ぎし》ゆらぐ江戸の城中〉  これははがされることなく、何日間か残っていた。幕府をからかった点が、町人たちのお気にめしたのかもしれない。ばかなやつらだ。あるいは、無罪の決定促進の意味と受けとったのかもしれない。  いい気分になり、良吉はさらに印刷して、各所にはりつけた。そのせいばかりではないだろうが、切腹させるべきだとの意見が、幕府のなかで強くなってきた。どうせ、学者たちが方針に迎合し、こんな説ができあがったのだろう。 「切腹とは、まことに妥当な判定。わたくしも以前から、そう申しておりました。切腹は罰ではない。武士にとって名誉です。一方、町人に対しては、秩序を乱すなとの警告にもなる。最良の結論と存じます。しかしながら……」  方針が切腹に傾いてきたと聞き、良吉は、浪士たちをあずかっている大名家をまわり、門番たちに話しかけた。 「もうすぐ、みなさんのお許しが出るとの、もっぱらのうわさですよ。けっこうなことですね。江戸じゅう、お祝いのお祭をやるそうですよ。みなさんのお耳に、早くお知らせしておいたほうがいいでしょう……」  かたきを討てないとなると、少しでもつらい死に方をさせてやれ。喜ばせておいて、切腹の宣告という……。  翌元禄十六年の二月のはじめ、上意により、浪士たちに切腹が命じられた。大石良雄の辞世。 〈あら楽し思いは晴るる身は捨つる、浮世の月にかかる雲なし〉  しかし、良吉にとって、喜ばしいことではなかった。  その同じ日、吉良義周の屋敷にも、上意がとどいた。血のつながる祖父であり、名目上は義父でもある義央の首を奪われたのは、武門の恥である。おめおめ生き残ったのは見苦しい。お家は断絶、領地は没収。当人は信州|諏訪《すわ》へながのおあずけと命じられた。  たちまち厳重な護衛がつき、刀を取りあげられ、かごに押しこめられ、山吉新八ほか一名の家臣ともども連れ去られていった。  これで吉良家は、すべて終り。邸内にいる者は、みな追い出された。良吉は金があるので、裏長屋を借りて住むことができた。  江戸の町に落首がはられている。 〈忠孝の二字をば虫が食いにけり、世をさかさまにさばく世の中〉  浪士への切腹の処置を批判したものだが、この落首には良吉も同感だった。 「こんな決定はひどすぎる。いったい、吉良家が幕府や世の中に対して、どんな悪いことをしたというのだ。以前に浅野を切腹させた幕府の決定は、まちがいだったことになる。朝令暮改だ。このようなご政道を正さなければ、世の中は闇《やみ》だ」 「まったくだ」  その場にいあわせた、かつての吉良家での同輩が、あいづちを打つ。金のある良吉に同意していれば、なにかいいこともあるだろうと思ってだ。 「では、連判状を作ろう。殿のご無念をはらし、吉良家の再興のために、命をなげうって行動しよう」  あこがれてなっただけあって、良吉はまさしく武士だった。あわてたのは同輩。 「ま、まってくれ。そのような大事は、まず、殿のご意見をうかがってからでないと……」  あたふたと逃げ出し、それっきり来なくなってしまった。へたなさわぎに巻きこまれたら、ろくなことはない。地道な仕事をさがしたほうが賢明というものだ。  同志が集らず、良吉はひとりで信州へと出発した。殿にお会いし、おなぐさめし、今後の方針をきめるために。  良吉は諏訪へつき、そこの城へ行く。城門の係に言う。 「ここにおいでの吉良義周さまにお目通りさせて下さい」 「そんなことは知らぬぞ」  と、そっけない返事。  義周はこの城の南丸の一室にとじこめられ、だれとも面会を許されない状態だった。二名の家臣も同様。刀は取り上げられている。ひげをそるのも許されない。カミソリでの自殺を防ぐためだ。病気のための灸《きゆう》をすえたがっても、医師の立会いでないと許されない。火災を警戒してだ。  日夜、監視がつけられ、庭への外出もできない。外部へ対しての防備も厳重。浅野の浪士の残りが押しかけてきたら、さわぎが大きくなり、おとりつぶしにされかねない。だから、領内でのうわさも禁じられている。義周の居室の場所は、関係者以外は知らされていない。 「おいでのはずです。わたしは江戸でたしかめて来たのです」  と良吉が言うと、門の係は身がまえた。 「すると、浅野の浪人か」 「ちがいますよ。吉良家の家臣、しかも、忠実なる家臣です。危害を加えるどころか、おなぐさめのために来たのです。あわれと思って、とりついで下さい。あなただって、自分の主君が遠くへやられたら、なぐさめに出かけるでしょう」 「それはそうだ」 「では、武士のなさけで、ぜひ……」 「その手には乗らん。わが主君は、変な事件にかかわりあって、遠くへやられるようなことは決してなさらない。だめだ。なぜなら、吉良家はすでにおとりつぶし。家臣などありえないからだ」  ことなかれ主義に追い払われた。山吉新八にも会えない。むりに入ろうとしても、それは不可能。江戸への帰り、峠の上から良吉はながめる。 「あの城内の、どこにおいでなのかはわからないが、ご不自由にちがいない。おいたわしいことだ。殿のご無念は、わたくしがかならず……」  落涙しながら心にちかった。  良吉は江戸へ帰った。しかし、ご無念はかならず、と言ったものの、どうやったらいいのか、それがわからなかった。  江戸では相変らず、切腹してしまった浪士たちの人気が高い。討ち入りの前、義士のひとりがここで働いていたと称する商店がふえた。それで客が集り、景気がよくなる。そんなのが何十軒もあった。浪士の似顔絵が売れ、浪士の名をつけた菓子が売れた。軽薄な町人たちめ。  ますます良吉は立腹する。忠義をあらわし、武士道を発揮し、平和や繁栄より高度なものが存在することを、世に示したい。それには、どうすればいいのだ。  大石の遺族の首をはねてやるか。しかし、調べてみると、長男の主税は切腹しており、あとは女子供ばかり。  当時の規定で、武士の罪は家族におよぶ。事件に参加した浪士たちの遺族のうち、成人男子は、出家した者を除いて、みな遠島となっている。遠島では、手の出しようがない。  死をもって世間に抗議してやろうか。いや、それはだめだ。江戸の町人たちが、また落首で笑いものにするにちがいない。  ちらほらと、浅野家再興のうわさが聞こえてきた。浪士たちを義挙とみとめたからには、浅野内匠頭の弟、大学に家を再興させるべきだとの意見。大奥を通じての運動がなされているともいう。  良吉は、またも落首をはってまわった。 〈浅野《あさの》日が西からのぼりめんどりが、時をつげいて論語大学〉  論語、孟子、中庸、大学を四書と称し、儒教の根本となっている。その落首を、湯島の聖堂にべたべたとはった。儒学を好む将軍の綱吉がたてたもの。  ここで綱吉は、みずから論語を講じ、大名たちに政治は仁と義でおこなうべしと話した。聖堂の長は、綱吉の信用のある学者、林大学頭。 「この皮肉なら通じるだろう。吉良家をつぶしたうえ、浅野家の再興などさせてなるものか。よし、大学を討ちとろう」  大学は西のほう、芸州広島の浅野の本家におあずけとなっている。良吉はそこへむかった。途中、三河で生家の黒潮屋へ寄り、また金を借り出した。  長い道中、そのただならぬ表情を見てか、旅の武士が話しかけてきた。 「こんなことをお聞きしてはなんだが、なにか重大なお仕事のようで……」 「さよう、大望のある身なのです」 「さては、かたき討ち。ご成功を祈ります。それでこそ、武士。助太刀いたしてさしあげよう」 「ありがたいお言葉……」 「で、どなたのかたきを」 「わが主君のうらみを晴らさんがため……」 「それはそれは、ますますいい。こういう時期ですから、成功すると一挙に名があがりましょう。所在はわかっているのですか」 「はい。かたきのいる場所はあきらかです」 「その、貴殿のご主君の名は……」 「吉良上野介義央でござる。みどもはその浪士……」 「うむ、申しあげる言葉もない。めざすは芸州ですな。あいにく、身どもは山陰への旅なので……」  その武士は、気ちがいとの旅は困ると思ってか、はなれていった。  芸州の浅野の本家に、大学は妻子とともにおあずけとなっている。信州の吉良義周と同様、一室から出られない。保管を依頼された貴重品あつかい。万一だれかに殺されたら、一大事なのだ。厳重な警戒。大学は、兄のひきおこした刃傷《にんじよう》事件の四カ月後から、ここにとじこめられている。  城内の三の丸のなかなので、侵入は不可能だった。しかし、ここでは門番の係から、いくらかようすを聞くことができた。やはり身動きできない毎日。三十何歳かの大学は、こう言っているという。 「なんでわたしが、こんな目に会わねばならぬのか。どんな悪いことをしたというのだ。わけがわからん。だれか教えてくれ……」  そればかりくりかえし、頭がおかしくなりかけているとのうわさだ。そういうものかと、良吉もいささか気の毒になった。そんなのを殺して、どうなるというのだ。また、殺そうにも、突入はむりだ。  やむなく江戸に引きかえす。帰途、京や奈良の寺院や神社に参拝し、大願成就を念じた。  江戸での義士の人気は、依然として高い。ほかに話題がないせいもあった。  そのなかで、わけもなくひどい目に会っているのが、梶川|与惣兵衛《よそべえ》。吉良義央に切りかかる浅野内匠頭に飛びつき、とりおさえた旗本だ。  その功によって加増になったはいいが、討ち入りのあと、しだいに評判が悪くなってきた。あいつのおかげで、浅野の殿さまが、あんな目に会ったのだと。どこへ行っても、指をさされ、こそこそ言われる。ついに職を辞し、家にとじこもっての生活。  その梶川の家に、来客があった。退屈しのぎにと会ってみると、こう言われた。 「貴殿は、なんということをなさったのです」 「またか。もう、その話はやめてくれ。聞きあきた。いやな気分にさせないでくれ。あれは役目の上での、当然の行為。いいか、わたしが浅野殿をとめたから、こういうことになり、義士たちの名があがったのだぞ。いまや義士たちは、神さまあつかい。庶民の偶像、武士の手本。だれのおかげだ。たまには、ほめに来てくれる人がいてもいいのに」 「そこですよ。浅野をとめるべきじゃなかったのです。その場で、浅野を殺すべきだった。殿中だから刀を抜けないかもしれないが、奪った刀で刺すとか、首をしめるとかして……」 「これは、はじめて聞くご意見だ。黒潮さんとやら、あなたは事件のどんな関係者なのですか」 「吉良家の家臣でござる。家臣であったと言うべきか。討ち入りさわぎのおかげで、お家は断絶、みどもは浪士となった。これというのも、あなたがあの時、浅野の息の根をとめなかったからだ」 「珍説を通り越して、むちゃくちゃだ」 「ご隠居の殿は義士たちに殺された。主君の義周さまは、信州におあずけとなり、外出も許されないままご病気となり、先日、ついに死去された。ご無念にちがいない……」 「まったく、お気の毒……」 「そのうらみを晴らすため、お命をいただく。覚悟なされよ」 「ちょっと、待ってくれ。こっちまで頭がおかしくなってきた。お気持ちはわかるが、理屈がおかしい.よく考えていただきたい。あの時、わたしが浅野を殺していたとしても、吉良殿はやはりかたきとしてねらわれただろう」 「うむ」 「かりにだ、浅野をとめないでいたら、どうなっていた。吉良殿は殺されていたぞ。どこが悪い」 「うむ」 「おわかりか」 「いや、あの時に殿が殺されていたら、われわれ家臣が、浅野の屋敷へ堂々と討ち入り、みごとに首を切ったはずだ。歴史に残る美談となれた。あなたのおかげで、それがだめになった。筋が通っているだろう。さあ、お覚悟を……」 「結論を急ぐから、おかしくなる。浅野が吉良殿を殺していたら、文句なしに即日切腹、お家は断絶。浅野の屋敷へ討ち入ろうにも、そんなもの、どこにもない」 「そういうことになるな。うむ。いったい、だれをやればいいのか、知恵を貸していただけないか」  と、良吉に聞かれ、梶川は言う。 「知恵なら、こっちが借りたいくらいだ。あの時に制止しなかったら、役目の不始末で罰せられていただろう。制止してしまったおかげで、このありさま。事実上の閉門。外出もままならぬ。生けるしかばねだ。こんなばかげた話って、あるかね」 「ありませんな。いったい、だれがいけないんでしょう」 「ひとつたしかなことはだな、そこらじゅうの軽薄なやつらだろうな。どうだ、こうなったら、やけだ。二人で江戸の町に火をつけてまわるか。このばかげた江戸を、焼野原にしてやる。町人どもを、どいつもこいつも焼き殺してやる。無責任な発言へのむくいを、思い知らせてやろう。われら二人の名は、後世に語りつがれるぞ。なんだか、ぞくぞくしてきた……」 「いや、そこまでやることも……」  良吉は引きさがった。ていよく追いかえされた形だった。梶川は直参の旗本。幕政への批判は口にせず、町人へのぐちだけを口にした。  なににむかってどう行動したものか、良吉には、まったくわからなかった。いつかの落首の効果のおかげか、浅野家再興の件は進行していない。しかし、なにか決行をしなければならなかった。そして、良吉は梶川の言わなかった点に気づいた。  そうだ、悪いのは幕府そのものだ。その場その場で、一時しのぎのことをやり、方針が一貫していない。なにもかも、そのせいだ。幕府とはそういうもの。ご政道を正すどころではない。ご政道というもの自体が、そもそも、そういう実体なのだ。  ねらいはそこだ。良吉は文章を考え、それを高札に書き、江戸城の門の前に立てた。 〈吉良家の家臣として申し上げる。われらの主君、わけもわからずお家断絶、および領地を召し上げられ候。義央は殺害され、義周は病死。この無念の心底、家臣としてしのびがたく候。君父の仇《あだ》は、ともに天をいただかずとか。ただ、その遺志をつぐまででござる。わたくしの死後、これをごらんいただきたい。以上。吉良家の家臣、黒潮良吉〉  かつて、吉良家への討ち入りの時、大石たちが書いて門前に残した文章を、ちょっと変えただけのものだ。  良吉はこの高札の下にすわり、絶食して死ぬつもりだった。しかし、たちまち門番役の一隊がやってきた。良吉はとっつかまった。人だかりがし、大さわぎとなる。  良吉は町奉行所へ連行された。そこで奉行に抗議した。 「なぜ、こんなところでさばかれるのか」 「ご政道を公然と批判し、それを実行した浪人は、町奉行によってさばかれることになっている」 「不公平だ。それが法でござるか。浅野の浪人と同じ条件である。あいつらは、大名家へおあずけとなり、ちやほやされ、その上での切腹だ。なぜ人によってあつかいを変える。法の乱れは、天下のほろびるもとだ」 「やっかいなやつだな。どうしてくれというのだ」 「老中、若年寄、大目付たちの会議の上での評決をお願いしたい。そうしないと、お奉行、貴殿の手落ちとなり、後世へ悪名が残りますぞ」 「妙な話になってきたな。申しぶんはわかった。あらためて相談してみる」  町奉行は書類をもって上へうかがいをたてた。独断でやって、あとで問題にされるよりはいい。ことは公的なものとなったが、どの役も変な責任はとりたくないと、押しつけあう。しかし、いつまでもほっておけない。  やむをえず押しつけられた役の者が、結着をつけた。自分の屋敷へ良吉を連れてきて、処分を申し渡した。 「黒潮良吉とやら、そのほうの志、武士としてみあげたものである。しかしながら、江戸の城門をさわがせし罪、軽からず。よって、大名家へおあずけとする」 「切腹ではないのですか」 「だれかを殺害していれば切腹だが、それをしていない。よって、罪一等を減じたのだ。ありがたく思え」 「どこの大名家へですか」 「知らんでもいいことだ。おあずけとなれば、どこでも同じことだ。これは上意でござるぞ」 「ははあ……」  良吉は平伏した。そこに上意の文書があったのかどうか、見そこなってしまった。たちまち、かごへ押しこめられ、外を見ることもできず、どこかへ運ばれた。  だれかの大きな屋敷につく。一室にほうりこまれた。そこは座敷|牢《ろう》。格子がはまっていて、出ようにも出られぬ。なかでの食事と排便だけが許された行動。風呂へも入れない。 「なんというあつかいだ。本でも読ませろ。なにかやらせろ。浅野の浪人たちと、だいぶ待遇がちがうようだぞ」  と食事を運ぶ係に文句を言った。 「浅野の浪人たちは、切腹でしたから、ああしたのです。あなたはちがう。これが正式なのです」 「まるで気ちがいあつかいだ」 「そんなとこです。なんとでもおっしゃい。しゃべるのは自由です」  ひどいものだった。これが正式の、大名家へのおあずけか。吉良義周や浅野大学の苦痛がよくわかった。なにしろ、なにもできないのだ。できるものなら眠りつづけていたかったが、そうもいかない。  なにもかも幕府がいけないのだ。将軍の綱吉がいけないのだ。このうらみ、はらさずにおくべきか。ひたすらそう念じつづけることで、なんとか狂気におちいるのを防ぐ毎日だった。  どれぐらいの月日がたったろう。最初のうちは日を数えていたが、ばかばかしくなってやめてしまい、年月がわからなくなった。  ある日、武士があらわれて言った。 「そとへ出たいであろう」 「当たり前ですよ、生かさず殺さずとは、このことだ」 「出してやるぞ」 「からかわないで下さい」 「本当だ。おまえは許されたのだ。さあ、ここから出ろ」  ふたたびかごに乗せられ、どこをどう運ばれたのか、江戸の町へほうり出された。取りあげられたままになっていた刀も、かえしてくれた。  いままで、どこに閉じこめられていたのだろう。いつか処分を言い渡された人の屋敷、そとを一巡して、またあのなかへ連れ込まれたようでもある。ちがうかもしれない。もはや、調べようがなかった。  通行人を呼びとめて聞く。 「いったい、いまは何年何月でござるか」 「身なりがきたない上に、気が変な人のようだな。宝永六年の六月だよ」 「すると、二年間とじこめられてたことになるな。そうだ、綱吉をやっつけなくては……」 「ますます変だ。将軍の綱吉さまは、一月になくなられた。いまは家宣さまが将軍になっておいでだ。知らないのか」 「知らなかった」  良吉ののろいの効果だろうか。綱吉は死に、実子がないため、兄の子の家宣が将軍職をついだ。  お側用人の柳沢はお役ご免、前将軍の政策はすべてご破算。犬をかわいがれとの、生類あわれみの令も廃止。不評なことのすべては、前将軍に押しつけられた。なにもかもうやむや。  人心一新のための恩赦がおこなわれた。良吉もそれで釈放になったらしい。島流しにされていた、浅野の浪士の遺族たちも、許されて戻ってきたという。  うやむやになり、ますます焦点がぼけた。もはや良吉は、なにをする気にもなれない。郷里へ帰って、家の仕事を手伝い、魚のひものの数でもかぞえて生活するとしよう。帰るべき場所があるということは、しあわせといっていい。  刀を売り払い、その金で三河へと旅をする。途中、武士の行列とすれちがった。良吉は茶店の主人に聞く。 「いまのは、だれです」 「もう忘れられかけた人ですよ。浅野大学というかたです。このたび許され、五百石でお家再興とか。芸州から江戸へむかうところです。江戸の人たち、歓迎しますかな。しないでしょうな。忘れっぽい人が多いそうですからね。新将軍の家宣さまが、だれを老中にし、どんな政治をやるか、関心はもっぱらそっちのほうでしょう」 「ふうん……」  良吉は無感動につぶやく。かつては、乗りこんで切りつけようと考えた相手だ。しかし、いまやその気もなく、第一、刀すらない。この、うやむや恩赦で許されるまで、大学は七年ほど一室にとじこめられていたことになる。よくがまんしたものだ。  良吉が江戸へ飛び出してから、ほぼ六年の年月がたっていることになる。もう三十歳に近い。 「おお、よく帰ってきた。江戸でなにかひと働きしたか」  家業をついでいる兄が迎えてくれた。 「まあね……」  それ以上のことを、良吉は言わなかった。そのご、結婚もせず、だまったまま単調な仕事をし、あとの人生をすごした。時どき、逆立ちをするのが、ただひとつの趣味だった。はたから見ると、まことに奇妙なものだった。 [#改ページ]   かたきの首  江戸のはずれにある品川の宿。東海道における第一番目の宿場。江戸から西へ旅立ってゆく人びと、西からやってくる人びと、それらの往来でにぎわっている。その道ばたにたたずみ、ひとりの男が旅人たちをながめている。ほかにすることがなくてそうしているのではなかった。江戸へ入ってくる者たちに視線をむけていた。そのなかから、ある人物をさがし出そうとしているようだった。  やがて男は、一組の旅人に目をつけた。少年の武士と、いくらか年長の女性。女は少年の姉らしく見えた。二人の歩き方は緊張しきっているし、思いつめた目つきは、前方にだけそそがれている。その二人に歩みより、男は声をかけた。 「もしもし……」 「なにかご用ですか」  十六歳ぐらいの武士は、ふりかえって言った。かたく身がまえている。 「こんなことを申し上げてはなんですが、おみうけしたところ、だれかを追い求めておいでのごようすで……」 「いかにも。わたしたちの父が同輩によって殺害された。そのかたきを討つべく、姉とともにかたきをさがしてここまで来たところです。しかし、よくそれがおわかりで」 「それはわかりますよ。決意が動作にあらわれ、こちこちになっていらっしゃる。お国から出てきたばかりなのでしょう」 「それだから、どうだというのです。あなたはだれです」 「仙太という者です。あなたのようなかたを見ると、胸がつまって、だまって見すごせないのです。いろいろとご相談に乗ってさしあげようかと思いまして」  少年と姉とは、小声で話しあった。その仙太という男は、四十五歳ぐらいか。しかし、それよりはるかにふけている外見だった。表情には、さまざまなものが複雑にまざりあっている。親切さ、虚無的なもの、いきどおり、あきらめ、やさしさ、皮肉めいたもの、そのほかいろいろな感情が。どうしたものかきめかねている二人に、仙太が言った。 「油断をすると、江戸ではひどい目にあう。その心配をなさっておいでなのでしょう。むりもありません。しかし、それはご無用。わたしの話をお聞きになった上で、どうなさるかおきめになればいいのです。住所不定のいかがわしい者ではありません。あそこにお寺がございましょう。わたしはそこで寺男をしています。墓地の掃除や植木の手入れなど、いろいろとね。あなたがた、今晩はこの宿におとまりになり、お気がむきましたら、あしたでもおいで下さい。お役に立って助言となるかもしれません」  そう言って仙太はその場をはなれる。あしたになれば、きっとたずねてくる。かたきへの手がかりになりそうな話、それを聞かずに行ってしまうわけがない。はたして、つぎの日の朝、二人は寺のなかへやってきた。仙太は境内の離れに住んでいる。寺男にしてはぜいたくな暮しだな、そんな顔つきで、姉とともにやってきた少年はあいさつした。 「仙太さんとやら、どのようなお話を聞かせていただけるのですか」 「あなたがた、かたき討ちがどんなに大変なことか、ご存知なのですか。容易なことじゃありませんぜ」 「なにをおっしゃる。困難は承知の上です。かたきを討たねば、国へ帰りません。石にかじりついても、やりとげます」 「さあ、その決意がいつまでつづくものやら」  仙太のつぶやきに、少年は怒った。 「なにをおっしゃる。寺男などに武士の心がわかってたまるか」 「ご立腹なさりたい気持ちはわかります。まあ、話をお聞き下さい。わたしもかつては仙之助という武士でした。かたきを追って全国をさまよったものでした」  相手が経験者とわかり、少年は口調をあらためた。 「そうとは存じませんでした。で、かたきをお討ちになったのですか」 「いちおうお話ししましょう……」  仙太、すなわち、かつての仙之助は話しはじめた。  仙之助は、北陸のある藩の、武士の三男にうまれた。武士というものは、家督をついではじめて一人前となる。家をつぐことによって、収入である禄《ろく》が保証され、お城づとめという就職の資格が発生する。  しかし、三男では、自分の家をつげる可能性はまずない。二人の兄がつぎつぎと病死するなど、まあ期待できない。となると、他家に養子に行く以外にない。それをめざし、仙之助は学問と武芸にせいを出した。あいつはみどころがあると、どこからか養子の口のかかるのを待たねばならない。養子に行けなかったら、一生を自分の家で、気がねしながら居候の形ですごさねばならない。  努力したかいがあって、仙之助はみとめられ、養子の話がもたらされた。飛びつくように承諾した。条件をつけることなど、できるものではない。たとえ相手の家がどんなにひどくても。  まったく、その家はひどかった。五十石という禄高は仕方のないことだ。問題は五十歳であるそこの当主の、酒ぐせの悪さだった。酔っぱらうと仙之助にむかって、養子にしてやったことを恩着せがましくくりかえし話す。むこ養子でなく、家督相続のための養子。その家には娘もいず、妻は早く死に、つまり仙之助は、養子というえさに釣られて働かされる下男のような状態だった。  しかし、仙之助はその立場にがまんした。将来、当主が隠居するか死亡するかすれば、自分はあとをついで武士になれ、藩に奉公できるのだ。その期待がすべてに優先した。といって、養父の死を夢想したりなどしなかった。そんなことを考えるのは、武士の道にはずれている。武士とはそういう社会なのだ。  やがて、その養父が死んだ。病死ではなかった。酒に酔ったあげく、同じ藩の若い武士にしつっこくからみ、切り殺されたのだった。普通ならじっとがまんするところだが、その武士は若さのため逆上し、かっとなって凶行におよんだ。そして、その武士は結婚したばかりの妻を残し、その場から藩外に逃亡してしまった。  いずれにせよ、養父は死んだのだ。十七歳になっていた仙之助は、家督相続を願い出た。しかし、お城のその担当の家老は言った。 「すぐに相続させることはできぬ。かたきを討ってこい」 「しかし、相手にもそれなりの理由があり、わたしの養父にも悪い点があったのでしょう。聞くところによると、逃亡した武士の家は断絶だとか。二度とここへ戻ってこれない。その妻は実家におあずけとなり、あとの人生を人目をさけながらの、あわれな幽閉の形ですごさねばならない。このうえ本人を殺すまでもないと思いますが」  仙之助には、養父を殺されたうらみの実感がなかった。養子にしてもらった恩は、これまで下男同様に働いたことで返した気分になっている。しかし、家老は首を振った。 「おまえは大変な考えちがいをしている。武士にあるまじきことだ。これは理屈や人情でどうこうなることではないのだ。逃亡した武士がけしからんのは、おまえの父を殺したからではない。勝手に藩から逃走した点だ。世の中はずっと平穏だが、藩の本質はあくまで戦闘集団なのだ。そこから無断で脱走した。この軍規違反を許しておくことはできない。あくまで追いつめ、断罪しなければならぬのだ」 「そういうものかもしれませんね」 「しかし、藩士を動員してそれをやるわけにはいかない。むれをなして動かれては、幕府も他藩も不安を持つからな。だからこそ、かたき討ちが慣習化されているのだ。脱走者を処罰する責任者は殺された者の相続者ということにもなっている。うらみに燃え、最も適任者だからだ。おまえがいま、どう思っているかは別問題。かたきを討ってこなければならぬのだ。すなわち君命である。それがすむまで相続は許されない」 「わかりました。これがわたしの藩に対する最初のおつとめと思い、必ずやりとげます」 「よし。そうでなくてはいかん。さあ、これが旅費だ」  まとまった金をもらい、みなから盛大な激励を受け、仙之助は出発した。いい気分だった。十七歳の彼にとって、不可能など考えられなかった。すぐ家をついだら、気ままな旅行はできなくなる。ちょうどいい機会だという気さえした。  かたきは西へ逃げたらしいとのうわさで、仙之助も西国方面へむかった。酒ぐせの悪い養父が死んだ自由の味わい、ふところの金、若さ、はじめて見る他国の風景。なにもかも楽しかった。しかし、それがつづくものではない。金がとぼしくなりかける寸前に、かたきを討ちとることができれば理想的なのだが、そううまくはいってくれない。かたきのゆくえは、まったくわからない。  やがては乞食《こじき》におちぶれるのかと、仙之助は心配した。しかし、刀を差していては乞食になれず、刀を捨てては、かたきをみつけても討てない。そこで、行商をやることにした。薬草や婦人の化粧用品など、かさばらない高価に売れるものを仕入れ、それを持って旅をした。  武士としての学問をしてきたので、最初のうちは内心の抵抗もあった。しかし、背に腹はかえられず、やってみるとなんとかなった。あどけなさの残る若さ、それに、みにくい容貌《ようぼう》でもない。かたき討ちの旅だというと、女たちは同情して買ってくれた。その地方の方言でおせじのひとつも言うと、さらに売上げのふえることも知った。一カ所にいついたら周囲の男から嫉妬もされようが、そうではないのだから、まあまあの商売だった。  もし自分が若くなく、ぶきりょうで、武骨さだけがとりえの男だったら、どうだったろう。そんな人物は、かたきを求めての旅を、どうやってしているのだろう。そんな想像はしないことにした。したって、なんの役にも立たない。いまは生きることが先決だ。  五年ほど西国をまわったが、かたきを見つけることはできなかった。精神の緊張のしつづけで、仙之助の目つきは鋭くなり、表情からあどけなさが消えた。それをおぎなうため、商売の時は、おせじに一段とくふうをこらさなければならなかった。こうなるものと予想できたら、学問なんかより商売のやり方を学んでいたのに。  歯の浮くようなおせじをしゃべり、お客の同情心を巧妙にかき立てて商売をしながら、かたきをさがしつづける。そういう毎日が、仙之助の心を変えていった。これでいいのだと。彼は東海道をまわり、江戸へ入った。そして、かたきについてなにか情報はないものかと、藩の江戸屋敷にあいさつに行く。 「現在かたきを追跡中です。わたしは健在であると、中間報告かたがたお寄りしました。かたきに関して、なにかうわさをご存知ありませんか」  応対に出た江戸づめの家臣は渋い顔をした。 「なにもないな。国もとの藩内にあらわれたらすぐつかまえるようにはなっているが、やつもそんなばかなまねはしないだろう。いいか、そもそも、これはおまえの使命なのだぞ。助力を求めたりするな。なしとげるまで中間報告などしなくていい」 「申し訳ありません。で、話はべつですが、精力のつく薬草はいかがでしょう。また、おじょうさまの化粧品は……」 「こんなとこで店開きをするな。困ったやつだ。少ないがこの金をやる。早くかたきを討ってこい。さあ、さあ……」  追い出されてしまった。まだ家督をついでいないので、藩士としての待遇を受けられない。しゃくし定規のあつかいだった。  仙之助は一年ほど江戸の裏長屋で暮した。江戸は人口が多いだけに、なんとか食うことはできた。彼は金のある後家さんの用心棒兼情夫といったものになり、食いぶちを確保した。武士にあるまじきことだが、かたき討ちという大望の前には、方便として許されていいことだろう。いいも悪いもない。ほかにどんな方法で生きてゆけというのだ。  ひまをみて江戸中を歩きまわったが、かたきにはめぐりあえなかった。動くより一カ所で待つほうがいいかもしれぬと、易学の本を買い、易者の店を出した。よく当るというより、おせじがうまいとの評判で、いくらかのお客がついた。しかし、かたきが前を通ってはくれなかった。彼は時どき、こんな中途半端なことで一生を終るのかと、いてもたってもいられなくなる。  仙之助はまた旅に出た。東北をまわり、さらに関西へ出かけ、くまなく歩いた。怪しげな占いをやり、的中しているあいだはそこに腰をすえて、おどし半分いいかげんな薬を売り、ぼろが出はじめると、とたんに姿を消して次の地に移る。詐欺すれすれだが、これも大望のためと自己をなっとくさせた。藩を出てから十年以上の年月がたち、彼も三十歳に近かった。  街道や城下町で、まともな武士を見ると、わが身の不運を痛切に感じる。あんなことさえなければ、いまごろは妻帯し、のんきなお城づとめをやっていられたのに。一日も早く、そうならなければならない。本懐をとげ帰国する日のことだけを夢みながら、彼は旅をつづけた。  仙之助が関八州をしらみつぶしに調べようと歩きまわっている時、声をかけられた。 「もし、お武家さま。失礼ながら、ご浪人とお見うけしますが……」  ふりかえると、そいつは土地のやくざらしい。仙之助は旅で苦労しており、応対にもなれていた。 「必ずしも浪人ではないが、大差ない。で、なにかご用か」 「お急ぎの旅でなければ、腕をお借りしたい。宿舎、食事、お礼、すべて保証します」 「ははあ、出入りの助太刀だな」 「これはお察しがいい。さようで……」 「金になることなら、なんでもするぜ」 「では、こちらへ……」  案内されて親分の家に行くと、やはりやとわれたらしい年配の浪人者が、酒を飲んでいた。仙之助に声をかける。 「まあ、一杯いこう。浪人どうしで……」 「必ずしも浪人ではないが……」 「ははあ、わかった。かたき討ちだな。つまらんことを聞くようだが、届けはしてあるのだろうな」 「知らないぞ。なんのことだ。かたきを討ちさえすれば、いいのではないのか」 「自分の姓名、殺された者との続柄、かたきの姓名。それらを幕府に届け出ておかなければならない。まあ、藩からその手続きがなされているとは思うが、念のためということもある。この近くに代官所がある。重複になるかもしれないが、やっておいたほうがいいぞ。それは代官所から勘定奉行経由で幕府にとどく。届けは二通作ったほうがいい。一通は提出用、一通は同文のものを受理したとの証明をつけてかえしてもらうのだ。書式はこうだ」  浪人者はふところから大事そうに出して見せた。 「あなたも同様でしたか。いろいろとご教示かたじけない。さっそくその手続きをしてきましょう。酒はそれからにします」  仙之助はそれをやり、代官所から戻ってきて浪人者にあらためて聞く。 「あの手続きをしてないと、どうなるのですか」 「かたきを討っても、ただの人殺しあつかいされ、処刑されかねない。藩に問い合せてくれ、その事実がはっきりすれば釈放となるが、面倒くさがる役人も多いしね。幕府への届けが登録されているかどうかを調べるだけで、やめてしまう。処刑の時間かせぎに、かたき討ちだと犯罪者がそれぞれ申し立てたら、きりがない。いつだったか、気の毒なのを見たぜ。かたきを討ったはいいが、藩から幕府へ届けの手続きがなされていなかった。そのため、罪人にされ首をはねられた。なんともなぐさめる言葉がないね。念のためと言ったのは、その心配さ。かりに藩がなまけてた場合、あんたが今までかたきにめぐりあわなかったのは、大変な幸運ということになるわけだ」  それを聞き、あまりのことに仙之助は恐怖でふるえた。信じがたいことである。 「なんということ。しかし、藩が手続きをなまけるなど、ほんの例外なのでは……」 「さあ、どうかな。あまりにその届けが多いと、藩内の取締り不行きとどき、あるいはお家騒動の芽がある。そんな印象を幕府に与えることになるぜ。江戸づめの家老は、適当に調節したくなるんじゃないかな。それに、かたき討ちなんて成功しないものと思いこんでいる。成功するのは、百人に一人あるかないかだものな」 「しかし、脱走藩士を討つのは主君のためであり、子が親のあだを討つのは孝のあらわれでしょう。わたしはそのために、今日まであらゆる屈辱をしのんで……」  久しぶりにありついた酒の酔いもあり、仙之助はこれまでの苦心を話した。だれかに聞いてもらいたい気分だった。浪人者はうなずきをくりかえし、そのあとで言う。 「なんと運のいい人。あんたは若く才能があり、要領よくやってきたな。普通はそんなものじゃない。意気高らかに藩を出るが、たちまち金はなくなり、刀を売り、乞食に落ちぶれる。乞食に徹底できればいいが、変に誇りがあるから、食にありつけない。畑荒しで食いつなぐ。そのあげく、のたれ死にだ。金もうけだけだって容易でないのに、かたきを追うのだから、うまくゆくわけがない。二兎を追う者は一兎も得ずだな。藩も親類も、そうそう金はくれないしな。逃げるかたきのほうも必死だから、金銭の援助をつづけたらきりがない。いいかげんで打ち切り、ていのいい見殺しさ」 「ああ、あんまりだ」 「そう、ひでえもんさ。親を殺されただけでも被害者なのに、そのうえ自分までのたれ死にと、二重の被害を受ける。こんな残酷な人生はないだろうさ」 「しかし、だれもこれが自分の使命と信じて、必死にかたきを追いつづけているわけでしょう」 「だから、なお悲惨さ。忠孝の美名のもとに、そんな人生にあまんじている。裏で喜んでいるのは藩の上層部。かたきと、それを討つほうと、二つの家が断絶になるんだからな。かたきも、殺されたほうも、どうせくだらん人物の家柄さ。短慮と不覚という点でね。人べらしになり、支給する禄が浮く。藩の財政がそれだけ楽になるし、新しく優秀な人材を召抱えることもできるしな」 「ひどすぎる。信じられない」 「こんなことで腹を立てるんじゃ、あんたも甘いよ。おれはこの方面について、けっこうくわしいんだ。はなばなしい成功の話だけが伝えられてるから、みなその幻にとりつかれてるが、うまくいった実例はほとんどないぜ」 「ううん……」  仙之助は反論できなかった。自分の立っている地面が崩れてゆく思いがした。その二日後、やくざたちの出入りがあった。やとわれた義理で、彼と浪人者は手助けをした。その日の仙之助の働きはすごかった。浪人者から聞かされた話の衝撃で、なかばやけになっていたためでもある。  その働きをみとめられ、いつまでもご滞在くださいということになった。浪人者と酒を飲んで日をすごし、たまに出入りの手伝いをすればいい。正式に武芸を習ったおかげで、やくざに負けることはなかった。また、真剣で人とわたりあう練習にもなった。  いごこちがいいなかで、何年かがたった。そのうち、相棒の浪人者が病気になり、寝床のなかから仙之助に言った。 「おれはもうだめらしい。しかし、のたれ死にすることなく、これまで生きてこられた」 「あなた、口では投げやりなことを言っていたが、内心では本懐をとげられず、残念なのではありませんか。もし故郷の親類に伝えたいことがあったら、わたしがやってあげますよ」 「あんたは、まだまだ甘いぜ。おれは今まで、だましてきた。じつは、おれはかたきのほうだった。逃げ方を研究したあげく、最もいい手段を思いついた。うわさを流し、討つ側をおびき寄せ、やみ討ちにし、相手の書類をとりあげてしまう。それをやってのけた。書類を持っていたのは、そのためさ。それに、他人に見せると、ていさいもいいしな」 「あなたは悪人だ」 「かたきとしてねらわれる者は、みな悪人さ。しかも、身の安全のために、卑怯だろうがなんだろうが、必死で知恵をしぼる。どうせ藩に戻れるものじゃなし、生きることが唯一だ。おれの想像だが、本懐をとげた例より、かえり討ちにされた例のほうが、何倍にもなるんじゃないかな。そんな話は伝わらないから、だれも知らないだけのことさ」 「まるで救いがない」 「おれの体験による、あんたへの忠告だ。いつ、やみ討ちにあうかわからんよ。一方、討つほうは、卑怯な手段でやったのでは、帰参がかなわない。どうみても損だよ」  浪人者は言うだけ言って死んでしまった。仙之助の性格は、さらにすさんだものとなった。殺される不安におののかなくてはならぬのは、かたきより自分のほうだとは。これでは、理屈もなにもあったものじゃない。  彼は江戸へ戻り、よからぬ一味に入った。ばくち場の用心棒をやったり、金の取立てをうけおったり、恐喝《きようかつ》同様のことまでやるようになった。かたきを討つ身というのが他人への弁解、自分の良心はなきにひとしかった。金が手に入ると、ばくちや酒色に使う。  ある日の夕方、ばくちの負けがこんで金がなくなり、仙之助はついに強盗をおこなった。ある商店が、現金を定期的に運ぶことを彼は知っていた。それを道ばたで待ちかまえていて、不意におそった。商人は金をほうり出して逃げ、供をしていた男は、こざかしくも短刀を抜いてむかってきた。護衛にやとわれた男だろう。仙之助は切りつけたが、相手はしぶとく抵抗してくる。  そのうち、だれかが知らせたのか、呼子が鳴り、町奉行の配下の者たちがかけつけてきた。こう人数が多くては、どうしようもない。これでわが人生もおしまいか。仙之助はなわをかけられた。与力は傷ついている男に言う。 「まちがいないだろうが、おまえに切りつけてきたのは、たしかにこいつか」  灯が近づけられた。その明るさで相手の顔を見た仙之助は、思わず叫ぶ。 「こいつだ、こいつにちがいない」  与力は制止する。 「きさまは、だまっとれ。ふとどき者め」 「いえ、そうじゃないのです。こいつこそ、わが父のかたき。二十年にわたり、さがし求めつづけた相手。いま、やっとめぐりあえ……」  仙之助に言われ、与力は男をふりかえる。青ざめ、返答はしどろもどろ。さっき逃げた商人を呼びかえして聞くと、やとった時期が一致している。仙之助は届けてある書類の控えを見せる。条件はすべてそろった。与力は仙之助のなわをほどいて言う。 「かたき討ちとは知らず、まことに失礼いたした。さあ、この場で本懐をとげられよ」  すでに手傷はおわせてあり、やくざ相手に切りあいの経験もつんでいる。首をあげるのは容易だった。仙之助はそれを、藩の江戸屋敷に持ちこむ。 「やりとげましたぜ。これです」  すでに二十年の歳月がたっており、若い家臣たちには確認できなかった。年配の家老が出てきて、やっとたしかめた。 「しかし、よくやったな」 「たぶんだめだろうと、お思いになってたのじゃありませんかね」 「そんなことはない。必ずやりとげると期待していた。さっそく帰参の手続きをとり、相続できるよう、国もとに手紙を書こう。それを持って帰るがいい」  仙之助は藩に帰り、正式に五十石の武士となれた。もちろん大変な話題になったが、それもやがておさまってしまう。彼はお城づとめをしたが、ほかの者たちとのずれがあり、どうもしっくりしない。  少年時代にはげんだ学問は、かたきを求めての旅で、すっかり忘れてしまった。旅の年月で身につけたことは、いま、なんの役にも立たない。言葉づかいや動作も、武士らしくなくなっている。いまさら武士に戻る修業をしようにも、四十歳ちかくなっては無理というものだ。長い荒れた生活で、そんな意欲もなくなっている。まともなつとめは苦痛だった。かたきを討てば討ったで、またしても被害者の立場に追いやられるとは。青春を浪費してしまい、とりかえしはつかない。  さすらいの旅のことが、なつかしくさえあった。苦労はあったが、自由もあった。ここには、お家安泰、わが身大事のなまぬるい毎日しかない。  ほかの、ずっと平穏にすごしてきた家臣を見ると、この不公平さへの不満で腹が立つ。つい皮肉のひとつも言いたくなる。目つきだって、他人にいやな印象を与えているようだ。言いあいになったら、だれかがかっとなって切りつけてくるかもしれない。そうなると、こっちも刀を抜くかもしれない。またもかたき討ちが発生する。  仙之助は城内で異分子のような存在だった。彼は苦心談や手柄話をあまりしなかった。まともに話せるしろものではないし、話したところでだれも理解してはくれまい。いまさら武士の娘と結婚する気もしなかった。かたくるしく、うまくゆくわけがない。彼はいろいろと考え、それを実行に移した。  兄の三男を養子に迎えた。しばらくして、家督を養子にゆずり隠居したいと申し出る。二十年間の疲れのためというのが理由だった。ほかならぬ仙之助のことであり、異分子がいると周囲も気がねしなくてはならず、ちょうどいいとそれはみとめられた。  やっと手に入れたといえる武士の地位だが、それを持ちつづける気も今やない。養父から養子へ橋わたししただけのことだ。それからさらに時期をみて、仙之助は出家して仏門に入ると申し出た。かたきとはいえ、同藩の武士を殺した。その気持ちの整理をしたいというのが理由。それもみとめられた。  僧となると、修行のためにという名目で、藩から出てゆくことができる。武士であることをやめてしまったのだ。 「……というわけで、ここにいることになったのですよ」  仙之助すなわち仙太は話しおえた。姉といっしょの少年の武士は、こう言った。 「大変なご苦心でしたね。実情はそういうものかもしれませんね。わたしたちの今の考えは、楽観的かもしれません。しかし、手ぶらで藩に帰ることは許されません。使命を捨てて江戸で商人になろうにも、その自信はない。かたきを求めて旅をつづける以外にはないでしょう」 「しかし、わたしの場合、偶然とはいえかたきを討てただけ、まだいいほうです。それでさえ、このばかばかしさ。あなたがたはどうなりましょうか。やみ討ちにあうか、のたれ死にか。あなたはいいでしょうが、姉上のことを思うと、胸が痛みますな」 「ご意見はよくわかりましたが、なんだか遠まわしのようです。問題点をはっきりとおっしゃって下さいませんか」  少年に聞かれ、仙太は身を乗り出した。 「そこですよ。もしお望みならばですが、すべてをうまく取りはからい、帰参できるよう形をととのえてさしあげます。わたしの商売というわけでして、いくらかお金をいただきますがね。しかし、わたしの自己満足のためでもあるので、決して法外な額は要求しませんよ」 「商売といいますと……」 「出家して藩を出る時には、ぼんやりした構想しかなかった。しかし、この寺で働くようになってから、ある日、ひとつの事件があった。五十歳ぐらいの武士。身なりは乞食《こじき》以下でしたがね。それが小さな墓をなぐりながら、大声でくやし泣きしている。わけを聞いてみると、かたきを討つため十五年も全国をまわったという。わたしの二十年よりは短いが、としがとしだけに、さぞ苦しいものだったでしょう。国もとに妻子を残してですよ。風のたよりにかたきの所在を知り、やっとつきとめてみると、相手はすでにこの墓の下……」 「そんな場合はどうなるのです」 「どうにもなりませんよ。自分の手で討ちとったのでないから、使命をはたしたことにならず、国へ帰るのは許されない。旅をつづけようにも、かたきはもうこの世にいない。国では妻子が待っている。死ぬに死ねず、生きる目標はなにもない。妻子を江戸に呼ぼうとしても、藩では任務を放棄するつもりかもしれぬと、それも許されない」  仙太の話に、はじめて姉が口を出した。 「なぐさめようもありませんわね」 「かたきの死亡を知らないほうが、まだ救いがありますな。こんな例がまた多いんですよ。わたしはこれを現実に見て、同情を通り越して、いきどおりをおぼえました。そこで、その年配の武士のお手伝いをしてあげる気になったのです」 「どうやって……」 「この近くに刑場がある。処刑された罪人は墓を立てることが許されない。死体はここに運ばれ、寺の片すみに埋められるだけです。そのあわれな武士をひきとめておき、似たような首を選ばせてやったわけです。似てないところは加工した。切りあいのあげくのように、耳を切ったり歯を折ったりです。その首を壺《つぼ》のなかに入れ、焼酎《しようちゆう》をそそぎこみ、ロウで封をした。当人にも少し傷あとを作り、刃こぼれのある刀を持たせ、国へ帰してやりました。くわしい武勇伝も作ってね。何回も話しているうちに、つじつまがあわなくなったりしないようにです。わたしの経験で知ったことですが、人間というものは、作り話でもいいから、もっともらしくはなばなしく、聞いた人が他人に伝えやすい形のものを好むようです」 「それでは藩をあざむくことに……」 「現実にかたきは死んでいるのですよ。だれが傷つくわけでもない。みな無事におさまるのです。このお礼の手紙をごらんなさい……」  仙太は手紙を見せて読んだ。 「……おかげさまで帰参ができ、いまは妻子とともにやすらかに日をすごしている。すぎし日が悪夢だったのか、いまが夢なのか。この夢がさめないよう祈るばかりです。禄高の一割をお送りします。武士の収入は確実ですから、わたしの生きている限りはお送りできましょう。同じ境遇のあわれな人たちを助けるお役に立てて下さい。こんな内容です。差出人の名は秘密ですがね」 「そういうことでしたか」 「それから、ずいぶん助けましたよ。ばかげた苦労など、短いほうがいい。ここで似た首を手に入れ、品川の宿からすぐ帰国していった人もいます」 「かたきの生死をたしかめずにですか。もし、かたきがのこのこ出現したら、どうなるのです。すぐばれてしまうでしょう」 「かたきがそんなばかなことするわけ、ないでしょう。そのような心配はいりません」 「つまり、あなたはわたしたちに、それをすすめるわけですか」  少年の問いに、仙太は床下をのぞかせ、そこに並んでいるたくさんの壺を指さした。 「これだけ首の用意があります。特徴はフタに書いてあります。年齢、丸顔か角顔か鼻の形などをね。処刑された悪人ですから、みな人相がよくなく、かたきにふさわしい首ばかりです。少し加工すれば、お望みの人相にすぐなおせます。ここにこれだけそろっていることを頭に入れておいて下さればいいのです。ご自分の手で討ちたいというのを、おとめはいたしません。しかし、のたれ死によりはとお思いになったら、いつでもお待ちしております」 「ううん。考えさせられるな」 「かたき討ちという慣習には、いい面もたしかにあります。しかし、理屈にならぬ不合理な面もある。そのひずみをなおす役に立ちたいだけです。表には裏があるものです。きびしい武士のおきてにも、裏が必要でしょう。形式さえととのっていれば、帰参はすぐ許されるのです。念のために、粗末な小さな墓石を作り、かたきの名を刻んで立ててあります。かりに藩の人がやってきても、その日付を見せてわたしがうまく証言してあげるから、ばれることはない。あなたがたも、江戸の町奉行所を通じて、幕府にかたき討ちの届けをまずなさって下さい。そして、このかたき討ちの仙太を心にとめておいて下さい」 「わかりました。相談の上、いずれあらためて……」  少年と姉は帰っていった。遠からず戻ってくることを仙太は知っている。いままでだれもがそうだった。真実と体験による説得にまさるものはない。  東海道ばかりでなく、江戸からはほかの街道ものびている。そこの宿場には、仙太の子分が各所で網を張っている。そして、うしろをふりむきながらそわそわした態度で歩いてくる武士に話しかける。 「もし、お武家さま……」 「なにか用か、急いでいるのだ」 「ご事情があることは、一目でわかりますよ。わたしもかつて、そうでした。武士の意地で同じ藩の者を殺し、逃亡し、急ぎ足で江戸へ逃げてきたものですから。おっと、刀なんか抜いちゃいけませんぜ。目立ってしまいますよ。まあ、歩きながら、わたしの話を聞いて下さい。いつ殺されるのかとおびえながらの、終りのない逃亡の旅。いやなものですなあ。その努力をいいほうにむけたら、どんなに世の役に立つことか。わたしは、その恐怖から救われたのです。かたき討ちの仙太という人によってです。品川のお寺のなかですよ。もしお気がむきましたら。え、すぐ連れてってくれですって。承知しました」  そして、仙太のところへ連れてくる。仙太は床下の壺のひとつをあけ、焼酎につけた首を見せる。 「これの、目のあたりを加工すれば、あなたそっくりになりますな。ちょうどいい。おそらく、近いうちにあなたを追って江戸へやってくるわけでしょう。どんな人が来るか、特徴をうかがっておきましょう。その人を説得して、これを押しつけるのです。その自信はあります。いかがでしょう」 「ぜひ、たのむ。同輩を殺した瞬間から、反省のしつづけだ。といって、討たれてやる決心もつかない。かたきとなってから、気の休まるひまがない。命以外のことですむのなら、いかなるつぐないもする。なんとか話をつけてくれ」 「おまかせ下さい。しかし、あなたは人を殺しているのです。この反省を忘れてはいけませんよ。オランダ医学を勉強なさい。死んだ気になれば、できないことはない。そして、病人の命を救ってあげるのです。時には、この首の加工も手伝ってもらいますよ」 「いろいろとご指導、かたじけない。あなたは命の恩人、死ぬまで指示に従います」  かたきからは命の恩人と感謝され、討つほうからは人生の恩人と思われ、仙太の仕事は順調だった。  ある日、寺社奉行がやってきて、仙太に言った。 「おい、仙太とやら。うわさによると、かたき討ちに関係して、なにやら首の仲介をしているとか……」  こういう役人を相手に理屈をこねてもむだなことを仙太は知っている。芝居もどきの口調で言う。 「かたき討ち仙太は男でござる。他人に迷惑のかかることは、死んでも口を割りません。いや、ひとつだけ申し上げましょうか。わたしの三代前の、初代の仙太のやったことです。ほら、あの吉良《きら》上野介《こうずけのすけ》さまの首。討入りの寸前、大石|内蔵助《くらのすけ》さまへ、そっくりに作りあげておとどけしたと聞いております。あれだけの壮挙、最後にかたきの首を取れなかったら、国じゅうの笑いものです。それに、赤穂浪士のなかに、吉良さまの顔を知っている者がいたでしょうか。さすがは大石さま、万一の場合にそなえて、慎重な準備をなさった。吉良家のほうでも、それですむならというものです……」  寺社奉行はけむに巻かれた。 「なにを言う。そんな話がひろまったら、幕府の威信がめちゃめちゃになる。おまえは頭がどうかしておるようだな」 「はい。そうしておいて下さい。そんな話、わたしの口からはしゃべりはしませんよ。そのかわり、わたしをしょっぴいたりもしないで下さいよ。そんなことになったら、あなたもただではすまない。あなたをだれかのかたきに仕立ててやる。逃げまわるのがどんなにつらいか、お考えになってみませんか……」 「おどかすな。いよいよ、頭がどうかしている」  寺社奉行はそのまま帰っていった。よく考えた上なのか、気ちがいと判定したのか、保身を考えてか、そこまではわからない。仙太は仕事をつづけることができた。  仙太はやがて死去したが、その仕事をうけつぐ者があり、やはり仙太と名乗って多くの人の人生を助けた。幕末になると、京へ赴任する幕府の役人は、どこから聞いてくるのか、ここに立ち寄り、自分に似た首の入った壺を買いとる者が多かった。「天誅《てんちゆう》を加えるもの也」との書とともに、京の町にさらされた首もかなりあったそうだが、本当に殺されたものやら、自分でそうやって姿をくらまし要領よく生きのびたものやら……。 [#改ページ]   厄よけ吉兵衛  あけがた、吉兵衛は夢を見た。  ミカンを食べながら歩いている夢だ。そのミカンは酒を含んでいて、食べるにつれて酔ってくる。いい気分だった。きれいな虹《にじ》が空にかかっている。それをながめながら、ふらふらと歩いている。その時、うしろから声をかけられた。 「やい、町人。あり金を残らず渡せ」  ふりむくと、覆面をした武士。まずしい身なり。浪人らしい。どう答えたものかと迷っていると、相手は刀を抜き切りつけてきた。肩のところにぐさり。身をかわそうとしたが、酔っている。足がもつれ、吉兵衛はそばの川のなかに落ちた。つめたい水……。  そこで目がさめたのだった。ふとんのなかで、いまの夢をしばらく頭のなかでいじくりまわした。そとはいくらか明るい。近所のかすかなざわめきが聞こえてくる。  七つ半、すなわち朝の五時。街のめざめる時刻だ。江戸は早寝早起き。七つ立ちといって、大名行列などは四時に出発する習慣だ。勘定奉行は、六時には役所に出勤している。  吉兵衛が寝床から出ると、妻がふとんをしまった。しかし、枕《まくら》だけは吉兵衛が自分でしまう。眠っているあいだに魂を託す大切な品だ。ていねいにあつかわなければならない。 「おはようございます」  子供たちがあいさつする。娘は十六歳。むすこは十歳だ。みそ汁とナットウで食事をする。食事中はほとんど会話をしない。おしゃべりははしたないことなのだ。それでも吉兵衛は、ひとことだけむすこに言う。 「おまえは十歳。重要な年だ。どの方角も凶。災厄にあわぬよう、よく注意するのだぞ。この一年、むりなことは決してするな」 「はい」  毎朝のことで、日課のひとつになってしまっている。それも、むすこのことを思えばこそだ。いまのところ、唯一のあととり。あらゆる厄よけの秘法をおこなっているとはいうものの、この子にもしものことがあったら、娘に養子を迎えねばならぬ。といって、ぐずぐずしていると、娘の婚期を逸しかねない。養子を迎えるとなると、良縁の願《がん》のかけかたがちがうのだ。だからこそ、むすこがこの十歳をぶじに乗り越えてくれるよう、心から願っている。  食事のあと、お茶を飲みながら、吉兵衛は夢占いの本を開く。いつなにが起るかわからない世にあって、これはたよりになるもののひとつなのだ。 〈盗人に切られた夢を見れば、思わぬ方角より吉報きたる〉 〈ミカンの夢を見ることあれば、難あり。警戒が大切、油断すべからず〉 〈虹の夢を見たら、何事も急ぎ片づけるべし。ぐずぐずすれば、こと成りがたし〉 〈酔うて水中に落ちるを見れば、ごたごたに巻きこまる〉  などと似たような項目はあったが、さっきの夢そのものに相当するのはない。吉なのか凶なのか、さっぱりわからない。どちらかといえば凶と考えておいたほうがいいのかもしれぬ。近所の稲荷さまに参詣しておくとするか。何事も急ぎ片づけるべし。 「ちょっと出かけてくる」  そそくさと吉兵衛は出て、近くの小さな稲荷に参詣した。ほぼ三日に一度は参詣している。おかげで、きょうまでなんとか大過なくすごしてこれた。霊験あらたかなのだ。  六時ちょっとすぎ。商店が戸をあけはじめている。営業は八時からだが、それにはいまから準備しておかねばならない。  トウフ屋の前で吉兵衛は足をとめ、なかをのぞきこんであいさつをする。 「おはよう」 「おや、吉兵衛の旦那。お早いことで」 「アブラアゲを一枚くれ」 「どうぞどうぞ。お持ち下さい。お代はいいですよ。朝の一番のお客には、相手の言い値で売ることにしてるんです。それをやっているおかげで、ずっと商売がつづいている。しかも、こんなに早く、吉兵衛さんとなると、お金はとれない」 「そうかい、すまないな。じゃあ、もらってゆくよ。このところお稲荷さまに供え物をしてないことを思い出したというわけさ。ついでに、この店の繁盛も祈ってきてあげるよ」 「よろしくお願いしますよ」  吉兵衛はまた鳥居をくぐり、アブラアゲを供え、トウフ屋のことも祈った。うそをついてはいけないのだ。稲荷のお使いであるおキツネさまは、なんでもお見とおしだ。  弁天さまはヘビ、八幡さまはハト、熊野権現はカラス、帝釈天《たいしやくてん》はサル、大黒さまはネズミ。神さまにはそれぞれ動物が所属しているのだ。ここのおキツネさまも、この供え物で喜んで下さるにちがいない。少なくとも、きょう一日は、いくらかすがすがしい気分になる。  戻る道で、仕事に出かける行商人や職人たちに会う。七時はその時刻。吉兵衛は長屋を持っている大家《おおや》なのだ。そこの住人たちの姿を見ると、声をかけてやる。 「きょうも、けがをしないようにな」 「わかっておりますとも。いってまいります」  自宅の門口に立って、吉兵衛はながめる。元三大師の魔よけのふだがはってある。つののある人物の絵のふだで、悪魔をはらうききめがあるのだ。サザエの貝殻もつるしてある。このとげで、やってきた鬼は退散することになっている。さらに、三峰神社のオオカミのおふだ。これは盗難よけのためのもの。  不幸の侵入にそなえ、警戒は厳重にしておいたほうがいい。門口を入った内側にも、おふだが並べてはられている。水難を防ぐ水天宮、火災よけの秋葉神社、盗難を防ぐ仁王尊。盗難にはとくに注意せねばならぬ。それらのおふだを点検し、吉兵衛は満足する。  四つに折って、のりで軽くとめてあるのは、赤で描いた為朝《ためとも》の絵だ。これはホウソウを防ぐ役に立つ。いつもはっておきたい気分だが、そとへはると「さては流行か」と近所が大さわぎになる。だから、このようにすぐはり出せるよう用意しておくのが一番いい。むすこが感染したら一大事。  座敷にすわると、長屋に住んでいる若い男がやってきて、庭へまわった。旅姿をしている。 「これから出かけてまいります」  まだ独身の、よく働く歯みがき売り。そのうち一軒の店を持ちたいと、金比羅《こんぴら》さまに願をかけて、仕事にはげんでいた。そのおかげだろう。道で大金の入った財布を拾った。吉兵衛は大家として、それを奉行所にとどける手続きをとってやった。落し主がみつかり、謝礼が出た。それを若者に渡す時、吉兵衛はすすめた。 「おまえは金比羅さまに願をかけたそうだな。あの神さまは強い霊験があるかわり、へたをするとたたりもある。この機会に、お伊勢まいりをしてくるがいい。ついでに、よその土地での見聞をひろめてこい」  それできまったのだ。吉兵衛は暦を調べ、旅立ちにふさわしい日を選んでやった。それが、きょう。若者は言う。 「おかげさまで、天気のいい日に出発できることになりました。えんぎがいい」 「道中手形をなくすなよ。それはわたしの責任で発行したものなのだから。おまえが旅先でなにかやらかすと、保証人であるわたしも巻きぞえになる」 「よくわかっております」 「道中、キツネやタヌキにまどわされるなよ。馬フンを食わされたり、旅館と思って竹の林に寝かされたりする。変だなと気がついたら、足をとめて深く呼吸するといい。それから、ワラジのうしろに牛のフンをつけておくと、マムシ、毒虫が近づかない。カラタチの葉を寝床の下に入れれば、ノミにたかられないですむ。足の裏が痛くなったら、ミミズを泥のついたまますりつぶしてぬればいい」  あれこれ旅の注意をする。若者が聞く。 「いったんわかした水であれば、飲んでも腹をこわさないと言う人がいますが」 「そんな話、読んだことも聞いたこともない。だめだ。ききめはないぞ。水にあたるのを防ぐには、タニシをショウユで煮て、乾かしたものを口にするほうがいい。熊胆《くまのい》と反魂丹をあげよう。腹痛の時に使うといい」 「ありがとうございます。では……」  若者は出発していった。吉兵衛のむすこは、寺子屋へと出かけていった。それにもくどいほど注意の言葉をかけた。 「さて、わたしはうちの長屋を見まわってくるか」  これが吉兵衛の日課だった。先祖代々、長屋を所有し、それを家業としている。長屋とは、同じ型の住居をいくつもつなげ、連続させて一棟とした建物のこと。独立家屋である吉兵衛の住居から一町ほどはなれたところに、それがある。  表通りには商店が軒《のき》をつらねている。その切れ目の横町を入る。そういう裏の土地に、長屋は建てられているのだ。  入口に木戸がある。そこを入ると、両側に一棟ずつ、むかいあうように並んでいる。中央に下水のみぞが掘られ、そのむこうに井戸がある。少しはなれて、共同の便所とゴミ捨て場があり、もちろん鬼門の方角は避けてある。住居はそれぞれ九尺二間。せまいものだが、これが一般庶民の住居なのだ。  居住者は二十世帯。そこからの家賃が、吉兵衛の収入となる。しかし、決してのんきな商売ではなかった。居住者のなかから、よからぬことをした者が出ると、それは大家の責任でもある。けんかで人を傷つけたりするやつがあると、吉兵衛も奉行所に呼び出され「きつくしかりおく」と申し渡される。長屋内でばくちをやった場合も同様だ。  それがたび重なったり、盗賊と知っていて届け出なかったり、放火犯が出たりしたら、大家も江戸追放や遠島になる。まったく、そのことを考えると気が気でない。毎日をびくびくしながらすごしている。とても割りのあう商売ではないが、祖先以来の家業なのだ。  長屋の数をふやせば、それだけ収入もふえるが、神経もまたすりへらさなければならない。だから、そんなこと考えもしない。太っ腹をよそおう大家もいるが、そんな人だって内心は同じこと。  吉兵衛は毎日、ようすを見てまわらないと気がすまない。  まず、左の棟の手前の家をのぞき、声をかける。そこは野菜売りの家。朝、市場へ行って仕入れ、かついであちこち売り歩くという商売。亭主はその仕事に出て、女房が留守番をしていた。ちょっとした美人で、四カ月の身重のからだ。 「どうだね、ぐあいは」 「あ、大家さん。まあ、なんとか……」 「つけているかい、品川の仁王さまのお祓《はら》いを受けた腹帯を……」 「はい」 「それならいい。この調子だと、うまく安産月に生まれそうだな。母か子か、どちらかが死ぬ月の出産となると、ことだ。そのための祈祷《きとう》だなんだで、ぶじにすんだところで、金がかかることになる」 「いろいろお教えいただいて……」 「どうやら、すべてうまくいっているようだな」  この女、かつて近くの菓子屋の店の男といい仲になったことがあった。どんなことがあっても、いっしょになるというさわぎ。その仲をさくよう菓子屋の主人にたのまれ、吉兵衛も力を貸したことがあった。  なぜなら、その組合せだと相性が悪いのだ。家に病気がたえず、できそこないの子ばかり生まれることになる。不幸になるとわかっている結婚を、そのまま見すごすことは、良心が許さない。  板橋の縁切り榎《えのき》に出かけていって祈り、それから説得。冷静になりなさい。いまは熱病にかかっているようなものだ。あの男がイモリの黒焼きを菓子にまぜ、それを食わされた。その、ほれ薬のききめは、すぐにさめる。そもそも、男女には相性というものがあって……。  好意と信念と理屈とがそろっている。ついに女はあきらめた。そこで、すぐここの野菜売りとの縁談を進め、いっしょにさせたのだ。この女は水性、亭主は木性、うまくゆかないはずがない。しかも、商売が野菜売りとくる。水、木、野菜だ。よろず吉、大福あり、長命うたがいなく、よい子がうまれる。長屋のため、ひいては世のためでもある。  よいことをしてやったと、吉兵衛は心のなかで満足している。この女だって、きっと感謝しているにちがいない。 「ご亭主の仕事は順調だろうね」 「もう少しかせいでくれるといいんですけど」 「それでいいんだ。やがて景気がよくなるよ。末広がりの運勢の人なのだから」 「でも、食べるものは、売れ残りの野菜ばかりですの」 「妊娠中は野菜のような淡白な食事のほうがいいんだ。けがれが少ない」 「このあいだなんか、ナスの夢にうなされましたわ」 「それはえんぎがいい。鏡や杯の夢と同じく、いい子が生まれる前兆だよ」 「そうだといいんですけど」 「安心しなさい。では、また……」  どうやら、この家はぶじなようだ。亭主の金使いが急に荒くなったら、いちおう疑ってみなければならないところだが。これも、相性で二人を結びつけたからだ。  どこの家の戸口にも、盗難と火災よけのおふだがはってある。いいことだ。各人それぞれが用心するに越したことはない。  そのとなりはカゴかきを業とする家だが、女房から、子供が百日ぜきで困るとこぼされた。吉兵衛は教えてやる。こういうことも大家のつとめなのだ。 「オモチャの犬張子があるだろう。それにミソコシのザルをかぶせ、神棚にそなえるのだ。さらに念を入れ、近所の橋に行って、祈願をしておくといい。ただし、なおった時、その橋の欄干を紙で包み、水引をかけて、お礼の意を示すのを忘れないようにな。おこたると大変なことになる」 「なぜ、そんなことで病気が……」 「ご主人が酔っぱらって、お稲荷さんの鳥居に小便をしようとしたら、やりたいようにさせておくかね」 「とんでもない。やめさせますわ」 「それと同じだよ。自然や人間界を支配する原理とは、そんなふうに、どこでつながっているか、きわめて微妙なものなのだ。神を疑ったり、不吉なことを口にしては困るよ。この長屋の和を乱す。出ていってもらうことになるよ」 「いいえ、そんな。あたしだって、ばちが当るのはいやですわ」 「それだったら、どこかの神社にお百度まいりをするとか、厄はらいをしてもらうとか、誠意を示しておくほうがいい。一家のためだけでなく、みなのためでもあるんだ」 「といいますと……」 「たとえばだな、まだまだ幼児の死亡が多い。おとといも、むこうの横町の子が死んだ。幼児を埋葬する時、人形をいっしょに入れてやればいいんだが、それをしないと、死んだ子の魂が遊び相手をほしがり、よその子をあの世へさそう。こういうことをちゃんとしない人がいるから、不幸がたえないんだ。考えれば考えるほど、気の毒でならない。困ったことだ」 「ほんとにそうですわね。それから、あの、もうひとつうかがってもいいでしょうか」 「なんだね」 「大家さんは生活にゆとりがある。なぜなんでしょう」 「毎日を気楽にすごしているわけではないよ。節約が大事、まあ暮しはなんとかなっている。それに、まじないのおかげだろう。一生、金銭に不自由しないというやつだ。うちでは、代々それをやっている」 「ぜひ、お教え下さい、それを」 「六月の十六日に、永楽銭十六枚で食べ物を買い、よその十六歳の子供に、それとなくおごってやる。それだけのことだ」 「そんな方法があったんですか。じゃあ、さっそく、うちの人に……」  女は急に目を輝かせた。 「そうしなさい。しかし、信心をつづけなければ、ききめはあらわれないよ。また、ひまがあるのだったら、なにか内職でもしなさい。ぼんやりしていては、神さまのほうも助けようがない」 「わかりましたわ」 「わかってくれればいいんだよ」  吉兵衛はその家を出る。百日ぜきの治療法を疑ったりし、危険な考えの持ち主かと一時はひやりとさせられたが、これからは、この女も心がけがよくなるだろう。それは亭主にも影響する。そうなれば事件をおこすこともない。すべてにいいことだ。  長屋の住人の職業は、そのほか、牛車ひき、紙くず買い、行商、職人など。店をかまえないでやれる職業の者ばかり。  子供たちは、そのへんや通りで遊んでいる。女房たちは井戸端に集って、洗濯をしながらなにやら雑談にふけっている。しかし、きょうはいつもとちがい、笑い声がなく、どこかようすがおかしい。変なことが発生したのでなければいいが。吉兵衛はそばへ行ってあいさつをする。 「みなさん、こんにちは」 「あら、大家さん……」 「どなたもお元気なようで、けっこうですね。お変りもなく……」  少しだけ語尾を強めると、女のひとりがこんなことを言った。大工の職人の女房だった。 「それがね、大家さん。困ったことがおきてしまいまして」 「なんです」 「あたしの亭主の財布がなくなったんですの。昨夜、眠っているあいだに」 「おいおい、軽々しく、そんなことを口にするなよ。重大な問題だぞ」 「でも、寝る前には、たしかにあったんです。それが、起きてみると……」 「すると、盗難だな……」  吉兵衛は腕組みをする。どうやら盗難にまちがいないようだ。長屋の入口には木戸がある。夜になると閉じることになっているが、形式的なもの。夜おそくまでソバ売りをしている者もいる。いちばんおそく帰った者がしめることになっているが、必ずしも守られていない。また、その気になれば乗り越えることもできる。  だから外部からの賊とも考えられるのだが、吉兵衛にはこの長屋の内部の者のしわざのように思えた。ただの賊なら、この家が大工職でかせぎがいいと知っているわけがない。となると、やっかいな事件である。  しかし、そんな推測を口にしたら、疑心暗鬼、住人たちの和が乱れてしまう。また、その犯人がわかってもことだ。監督不行き届きということで、当人の処罰ばかりでなく、吉兵衛も奉行所からしかられることになる。被害者の女はぼやいている。 「なぜ、盗難なんかに。ちゃんと、おふだがはってあるのに」 「日が悪かったのかもしれませんな。それに、あなたのご亭主は、酒を飲みすぎるよ」 「お酒がなぜいけないんですの」 「自分ばかり飲んで、神棚に供えるのをおこたってたのでは……」 「ちゃんと供えてますわ。お酒でたたられるなんて、変ですわ。財布のなかみはしれてますけど、盗まれるっていい気分じゃない。大家さん、なんとかして下さいよ」  女にたのまれ、吉兵衛は言う。 「よろしい。わたしが行ってこよう。しばられ地蔵に祈ってくる。知っての通り、その地蔵さまをしばり、願をかけると、盗品がとり戻せるのだ。地蔵さまがかわって、賊を苦しめてくれるからだ」 「うまくいくといいですわね」 「ききめはある。だからこそ、しばられ地蔵が評判なんだ」 「だけど、ぐずぐずしていると、お地蔵さまの力の及ばないところへ逃げてしまうかも」 「そう心配することはない。だれか、わたしの家へ行って、下野《しもつけ》日光山の、走り大黒さまのおふだを持ってきてくれ……」  やがて、それがとどく。かすれたような印刷で、立った人物が描かれている。ふつう大黒といえばすわっているが、これはその立った姿らしい。吉兵衛は言う。 「これを壁に、こういうぐあいに、さかさまにはる。そして、この足の部分にだ……」  と針を突きさした。このまじないによって、犯人は逃げられなくなるのだ。女は聞く。 「これで大丈夫なんですか」 「そうだ。ききめがなければ、お上がこんなものの発行を許しているはずがない。さて、わたしは本所のしばられ地蔵まで行ってくるよ」 「お手数をおかけします」 「なに、長屋のことは、わたしの問題でもあるのだ」  吉兵衛は散歩がてらと、ぶらぶら歩く。途中、はっと気がつく。悪い方角にむかっている。わたしとしたことが。時間はかかるが、まわり道をしなければならない。きょうは、このことでつぶれそうだ。もっとも、ほかに急ぎの用もなく、あわてることはなかった。  いったい、世の中になぜごたごたが絶えないのだろう。時の流れによって、三元九星が循環する。それによって、善悪吉凶が発生している。そう本に書いてある。立派な本に書いてあるのだ。だから、真理にちがいない。  わたしはその指示にさからわない。家屋の修理、着物の着ぞめ、病気の全快祝い、みな吉日を選んでいる。おかげで、まあ大過なく今日まですごせてきた。  しかし、世の中には、まだ悪がつきない。九星にさからう連中が多いからだろうか。さっきもだれかが言いかけたが、走り大黒の足に針をさすことで逃亡をとめられるのなら、悪人はみなつかまってしかるべきだ。火災防止のおふだも、多くの家にはってある。それなのに、依然として火事は絶えない。  なぜだろう。吉兵衛もふと疑問をいだいた。みなの信心のたりないせいだろうか。あるいは、九星の理屈だけでは律しきれないためかもしれない。世の中、しだいに複雑になってきてるからな。  それをおぎなうためだろう。昔のえらい人たちの知恵によって、さまざまなご神体が作られ、信仰がなされている。  だが、まだなにか不足のようだ。もっとずっと強く的確な、お寺なり神社なりが作られていいはずだ。何十年か何百年あとには、そんなことになるのだろうな。みながそこに祈れば、犯罪や火事や不幸が、この世からなくなってしまうといった……。  早くそんな時代になってほしい。しかし、それまでは、いまの信心を守るしかない。手をこまねいていたのでは、事態は少しもよくならない。現状のなかで、せい一杯の努力をする。それが、まともな生き方というのではなかろうか……。  地蔵さまにつく。そばに小さな店があり、ナワと札とを売っていた。それを買い、吉兵衛は札に自分の名前を書く。その石の地蔵は、ナワで何重にもしばられていた。いろんな人が願をかけにくるようだ。吉兵衛もナワをかけ、ねがいをとなえた。本心からだ。長屋の秩序が乱れては困る。  どこかの商店主らしい男がいて、地蔵のナワをほどいている。吉兵衛は声をかけた。 「うまく盗難品が戻ったのですか」 「ええ。なかばあきらめていたのですが、岡っ引が犯人をつかまえ、取り戻してくれました。ほんとに、この地蔵さまの力はすばらしい」 「大黒さまのおふだは使いましたか」 「いや、わたしの店は京橋でして、近くに釣船神社があります。そこへ絵馬《えま》を寄進しました。賊を釣りあげる。盗難にはききめがありますよ」 「そうでしたか。わたしもさっそくと言いたいところですが、不意に来られては、神さまも迷惑でしょう。あまり勝手すぎますものね。そのうち、心がけて参拝するようにいたしましょう」  かなり歩いたので、吉兵衛は腹がすいてきた。茶店に入り、団子を注文する。お茶がつがれた。茶柱が立っている。 「これはえんぎがいい。釣船神社に対して遠慮を示したことがよかったのかもしれないな。おまえは感心だ、助けてやるぞとのお告げにちがいない。なにかいいことが……」  なんとなく立ち去りがたい感じがし、団子を食べたあと、もう一回お地蔵さまをおがみに行く。そして、そこで見た。  さっきしばったナワを、ほどこうとしている女がいる。吉兵衛はかけつけ、つかまえた。 「まて、そんなことはさせない……」 「あら、大家さん……」  吉兵衛の長屋に住む老婆だった。亭主に死なれ、ひとりむすこは左官の職人。しかし、不器用であまり収入がよくない。ちかごろは目が悪いとかで、よく壁のぬりそこないをやってしまい、親方におこられてるという。 「なんだ、おまえか。なぜこんな……」 「申しわけありません。悪いとは知りつつ、お金に困り、あの家なら、どうせ飲んでしまう金と思って、つい……」  夜中にそっと盗みだした。しかし、地蔵の話を耳にし、気にしてやってきたというわけだった。老婆は泣きはじめた。周囲の人たちが興味を持ちはじめる。 「まあ、こんなとこでは落ち着いて話もできない。あっちのほうで……」  吉兵衛は木のかげに連れていって話す。 「……おまえがやったとはね」 「その財布はここに持っています。おかえしします。なかは一文も手をつけてありません。どうかお許しを。お奉行所へは連れてかないで下さい。わたしがいなくなると、むすこが……」 「それにしても、とんでもないことをしてくれたね。長屋のなかでそんなことをされると……」 「長屋から追い出されると、行くところが……」 「本来なら追い出すところだが、わたしにだって人情はある。ことを荒立てたくない。この財布は、わたしからかえすことにする。しかし、そんなにお金に困っているとは知らなかった。今月の家賃はまけてあげよう。しかし、だれにも言うなよ。それをまねするやつが出ないとも限らぬ」 「もちろん、決してしゃべりません。ありがとうございます。なんとお礼を……」 「しかし、むすこさんの眼病には弱ったね。井戸のそばにザルをつるすという、まじないをやってみなさい。それから、毎朝、神棚に水をあげ、その前で宙に指で字を書く。目という字をたくさんだ。そのあと、その水で目を洗う。ききめがあるよ。目という字はこう書くんだ……」  吉兵衛は教えた。 「……そして、なにより信心だよ。もっと神を恐れなければならない。またこんなことをしたら、それこそ、むすこさんの目がつぶれるよ」  いろいろと老婆に教えさとし、地蔵にあやまらせた。吉兵衛は地蔵のナワをほどき、さいせんを供えた。いずれにせよ、ききめはあったのだ。老婆はさきに帰す。  帰り道、吉兵衛は弘法大師と清正公とに参詣した。いつなんでお世話になるかわからない。おがんでおくに越したことはない。江戸には神社が約四百、寺は千以上もある。稲荷や地蔵は数しれない。人びとにとって、それほど親しい必要物なのだった。  犬がほえかかってきた。吉兵衛は手のひらに虎の字を書き、犬にむける。ききめはあり、犬は退散していった。  吉兵衛は長屋に戻り、大工職人の女房に財布を渡す。 「霊験たちどころだ。ほら、この通り」 「ほんと。まあ、すごいこと。いったい、どこにあったんですの」 「それはだな、しばられ地蔵からの帰り道、犬にであった。なんと、その犬がこの財布をくわえていたではないか」  吉兵衛は老婆をかばい、適当な作り話を口にした。 「だけど、犬はこの家に入ってこれなかったはずですわ」 「近所のネコがしのびこんで、くわえて持ち出したのかもしれない。あるいは、ネズミが引っぱり、それをネコが、さらに、それを犬がとりあげたのかもしれない」 「きっと、ネズミのせいですわ」 「ネズミは悪い動物ではないが、こういういたずらは困る。家の下の土を水でこねて、ネズミの穴をふさぎなさい。すると、三カ月は出てこないはずだ」 「そういたしましょう。ちゃんと財布が戻った。お礼の申しようもありません」  この話は、たちまち長屋じゅうにひろまる。地蔵さまの力、大黒のおふだのききめ、それが現実に示されたのだ。すばらしい。そういう方面にくわしい大家さんもえらい人だ。  吉兵衛はみなに言う。 「これで、みなさんも信心の力がわかったでしょう。目に見えぬ力は存在するのです。日々のおこないに気をつけるのが第一です」 「あの、大黒さまのおふだはどうしましょう。ご用ずみになりましたが」 「二またの大根を供えなさい。野菜売りの売れ残りにあるはずだ。そのあと、火で焼くのがきまりだ」 「おっしゃる通りにいたします」  四時をすぎた時刻。そろそろ職人たちが仕事をおえて帰ってくるころだ。夕食の仕度などで、長屋もいそがしくなる。  吉兵衛も自宅に帰る。 「やれやれ。一件解決のため、きょうはしばられ地蔵まで行ってきたよ」 「お疲れになったでしょう……」  妻が迎えて言う。 「……さきほどから、お客さまがお待ちです」  座敷で浪人者が待っていた。吉兵衛が聞く。 「どんなご用で……」 「こちらの長屋に、あいた家があるそうだが、入れてはもらえないか」  浪人ぐらしが長いらしく、かたくるしさが少なかった。たしかに一軒あいている。職人として腕をみがき、修業し、独立して棟梁《とうりよう》となって出ていったのがいる。人を使う身分になると、長屋ずまいはできないのだ。あとにだれかを入れないと、家賃がとれない。このあいだから気になっていたことだ。  しかし、浪人者とは。かたきとねらわれているやつだと、ことだ。また、武士をやめさせられたのだから、なにか欠陥があったとも考えられる。どうしたものだろう。 「なぜ、お引っ越しに……」 「易者に見てもらったら、こちらの方角に越すといいことがあると言われ……」 「それはいいお心がけで。出世して出ていった、えんぎのいい家があいてはおりますが……」  吉兵衛は相手をながめ、あれこれ考える。信心ずきの性格のようだ。あつかいやすいかもしれない。浪人者がひとりいると、なにかと力強いし、長屋の子供たちに字を教えてくれるかもしれない。しかし、それはうわべだけで、へたをすると、逆にぶっそうな存在にもなりかねない。それを察してか、浪人は言った。 「生計はどうしてるのか、ご心配なのでしょう。うちわ作りをやっています。うまいものですよ。それに絵と字を描く。町人風でないというので、武家屋敷に好評だと、注文が多いのです。なぜ浪人になったのかも、ご不審のようですな。わたしは六男、家はつげず、養子の口にもありつけなかった。占ってみると、武士をやめたほうがいいと出て……」 「なるほど……」  まともに信用していいものかどうか。調子がよすぎて気がかりな点もある。けさ、妙な夢を見た。これと関連があるのだろうか。どうにも判断のしようがない。 「二日ほど考えさせて下さい。お名前と生年月日とをうかがっておきます。そこの紙にお書きになって下さい……」  それを持って、信用できる易者に意見を聞くことにしよう。それ以外に方法はないではないか。いままでの大家に問い合わせても、持てあまし者だったら、これさいわいと適当なほめ言葉がかえってくるだけだ。浪人はしゃべっている。 「最初は傘《かさ》はりをやっていたのですが、ためしに作ったうちわの出来がよく……」  そんなことはどうでもいいのだ。吉兵衛はキセルで火鉢を三度たたく。これは合図なのだ。長っ尻《ちり》の客を帰すために、妻がホウキをさかさに立て、下駄の裏に灸《きゆう》をすえてくれる。 「では、二日後にまた……」  ききめはあらわれ、浪人は帰っていった。  妻子とともに夕食をとる。そとでカラスの鳴き声がした。 「夕ぐれにカラスが鳴いた。あしたは晴れだぞ。そうそう、節分の時にまいた豆はどこにしまってあったかな。あれを口に入れると、雷にうたれない。外出の時には少し持ち歩くことにしよう。なにごとも用心。おまえもそうしろ。十歳は気をつけなければならない年なのだから」  と、またもむすこに注意する。  食事がすめば、もうすることがない。爪《つめ》切り、障子のはりかえ、夜はしてはいけないことが多いのだ。眠るのが一番。江戸の住民たち、朝も早いが、夜も早いのだ。灯火の費用もばかにならない。吉兵衛は家賃の計算でもしようかと思ったが、あしたの昼にのばすことにした。  吉兵衛は寝床の枕をおがみ、となえる。 「小夜《さよ》ふけてもし訪れるものあらば引き驚かせわが枕神」  これをしておけば、火難や盗難の時に、すぐ目がさめるのだ。それに頭をのせ、横たわり、眠くなるのを待つ。  きょう旅立った若者、どこまで行ったかな。お伊勢さまのおみくじを引いてきてもらうよう、たのんである。豊作かどうかを早く知らねばならぬ。凶作とあったら、長屋の者たちに、米を早目に買いこんでおくよう、教えなければならぬ。大家はそんな面倒まで見なければならないのだ。  人生とは気疲れの多いものだ。なんだかんだで、わたしも四十歳。来年は前厄だ。厄はらいをしなければならない。最も霊験のあるのはどこだろう。  しだいに眠くなる。やれやれ、きょうもぶじに終った。あしたもぶじであるといい。そのために、あらゆる努力をしているのだ。目に見えぬ力が、わたしを見まもっていて下さる。  今夜の夢がいいとありがたいのだが。 [#改ページ]   島からの三人  すみきった空、遠くまでひろがる海。いずれも青く美しい。潮のかおりや波の音さえも、すがすがしい青さをおびているようだ。ここは江戸の南、伊豆七島と呼ばれる島のひとつ。温暖な気候で、ながめはよかった。  しかし、島に住む者たちのすべてが、楽しく毎日をすごしているというわけではなかった。もとからの島の住人たちは、まだよかった。田畑を持ち、家を持ち、船で漁業に出かけることもでき、生活に困ることはなかった。精神的にもゆとりがあった。  それにくらべ、あわれなのは流人《るにん》たちだった。江戸で犯罪をはたらいたやつら。死罪で首をはねられても仕方のないところ。しかし、特別の慈悲をもって、罪一等を減じられた。おさばきのあと、町奉行が言う。 「遠島を申しつける」  その一瞬は、心の底からほっとする。判決があってから船の出航までの期間は、牢《ろう》内にとどめられる。準備がととのうと、手をしばられたまま、船底に押しこめられる。人数も多い。そして、ゆれつづける何日かの航海。分散させられて、島々に上陸させられる。ここで、やっとナワがほどかれるのだ。  といって、自由の身になったとはいえない。逃げようにも、周囲は海。生きるため、すなわち食を得るための、つらい努力の日々がはじまるのだ。いっそ死罪になっていたほうがよかったのではとさえ思う……。  流人たちは上陸の時、ひたいに字を書かれる。島の各村からやってきた名主たちは、その字を見て、何人かずつ自分のところへ引きとってゆく。物品のようなあつかいだった。もっとも、流人の多くは字が読めない。だから、おまえはどこの村への配属だといった札《ふだ》を渡すなど、無意味といえた。  彼らはまず、前からいる流人たちの小屋にとめてもらう。それぞれ、島送りの時、奉行所からいくらかの米や銭をもらってはいる。しかし、そんなものはたちまち使いはたしてしまう。もっとも、親類や知人からもらった、まとまった量の米や金を持ってくることはみとめられている。だが、みな犯罪者たち。そんな余裕のある流人は、現実問題として、めったにいなかった。  島において、労働を強制させられることはなかった。しかし、なにもしないでいることは死につながる。食物が手に入らない。働かざるをえないのだった。  大工とか左官とかの腕に職のある者は、それをいかして仕事をする。読み書きのできる者は、名主の事務の手伝いをする。そして、わずかな食料をもらう。島に米はとぼしい。麦のぞうすいが主食。サツマイモの収穫期になると、それで飢えをしのぐ。空腹感はつねにつきまとっている。  手に職のない者は、もっとあわれだった。畑仕事や漁業の手伝いをする。島には小作農もいるが、流人はその下という地位だった。自分で作物を育てても、それを存分に口にすることができない。  また、漁業の手伝いといっても、海藻や貝の採取、魚を船から運ぶ、そんなたぐいの仕事だった。決して船に乗せてもらえない。かつて船上であばれ、船を奪って島から逃げようとした者があった。それ以来、警戒がきびしくなっている。  なにかの仕事をする体力のない連中は、さらに悲惨だった。村人や流人たちのあいだを、ものごいしてまわる。泣きつきながら食をねだり、それで一日一日を生きのびるのだ。凶作になると、流人へのほどこしは、まっさきにへらされる。不安の連続だった。  一方、あたりの風景は明るく、気候はいい。それが皮肉な対照を示していた。 「遠島を申しつける」  奉行は、それだけしか言い渡さない。何年間という期限もつかない。神妙にしていれば早く帰れるともつけ加えない。原則はあくまで終身刑なのだ。  完全な終身刑なら、それなりのあきらめや覚悟もつく。しかし、実際はそうでない。将軍家の慶事などがあると、何人かに赦免状がくる。また、ある年月をすごすと、奉行の裁量によるのだろう、許されて島から出てゆく者もある。すなわち、すべてお上《かみ》のおぼしめし、気まぐれ。許される日のめどがつかないのだ。  一般の流人で四年、武士の流人で二十年、ほぼそんな見当なのだが、必ずしも確実ではない。流人たちはだれも、島へついてからの年月をかぞえつづけている。そんなことは意味がないのだ。しかし、そうは知りつつも、やはり、かぞえなければいられない。  忘れようとしても、江戸の町のにぎやかさが、頭のなかにあざやかに浮びあがってくる。思わず、つぶやきももれる。 「おれよりもっと悪いことをしたやつが、つかまることなく、江戸にはたくさんいるはずなのに……」  まったく、精神的に残酷な刑罰だった。それにたえかね、三年に一回ぐらいの割で、どこかの島で脱走さわぎがおこる。夜にまぎれ、船を奪って沖へこぎ出すのだ。しかし、ほとんど成功しない。島からの船に追われ、銃で殺される。黒潮を乗り切れなくて難破。幸運にも本土へたどりつけたとしても、そこでつかまって死罪。みずから死を選ぶ行為ともいえた。  そんな流人たちのなかで、良白だけはいくらかちがっていた。比較的、優雅な生活だった。彼は医師。島にとって貴重な存在で、治療の謝礼により、食物に困ることがなかった。また、いちおうの尊敬も受けていた。  良白はかつて、江戸でそれなりの腕をみとめられていた医師だった。気を静める作用のある薬草を知っており、それを秘法として、多くの患者をなおした。  その薬草をせんじて飲ませ、病人の心がやわらいだ時、やさしく話しかける。 「これで、あなたは楽になる。眠くなる。痛みを忘れる。苦しみは去ってゆく……」  それでなおるのが、けっこういた。 「あなたは、わたしの言う通りになる」 「はい……」 「あなたはこれから、元気になる……」  当時の医師たちは、それぞれ技術を秘伝としていた。だから、この療法は彼だけのものだった。  ある日、ある商店から呼ばれた。そこの嫁が、たびたび胃痛をおこす。それをなおしてくれとたのまれた。例の手当をやる。 「あなたは眠くなる。気が楽になる。わたしの言うことに従うようになる……」 「はい……」  医師への信頼感で、嫁はすなおな返事をした。 「あなたの胸のなかでつかえているものが、口から出てゆく。そのあと、さっぱりする。さあ、口から出してしまいなさい……」  そのとたん、嫁はしゃべりはじめた。 「もう、がまんできないんですの……」  亭主の女遊び、しゅうとめへの不満のあれこれ。それらについて、とめどなくはきだした。なにもかも話し終ると、ぐっすり眠り、やがて目がさめる。自分がなにを口にしたのかはおぼえていず、すっきりした気分だけが残る。  もはや胃痛は再発しない。良白は面目をほどこした、と言いたいところだが、不運というか、悪い結果になった。治療中の会話を、となりの部屋の家人に聞かれてしまったのだ。病人をキツネツキのような状態にさせた。一家の恥をなにもかもしゃべらせた。あやしげな医者だ。世をまどわす……。  そんな評判がいつしかひろがる。お上の耳にも入る。幕府は、世をまどわす行為とか新奇なものに対して、最も警戒する。捨ててはおけない。奉行所へ呼び出され、良白は言われた。 「遠島を申しつける」  危険人物であるというのが、その理由だった。島へ流してしまうことが、最良の解決。異議の申し立てなど許されない。  かくして、島へ送られてきた。ほかの流人たちと同様、最初の数カ月は、内心の苦悩との戦いのうちに過ぎていった。江戸での生活が忘れられない。夢に見る。しかし、目ざめての現実は、いつ帰れるのかわからない流人なのだ。  気をまぎらすために、食うために、医師の仕事をはじめた。島へ送られる時、彼はそれまでにかせいだいくらかの金と、薬草とを持ってきた。小屋をたて、そこで患者をみた。江戸での失敗にこり、治療中はだれも近づけないようにした。なおる患者が多く、生活はなんとかなった。  薬草をとかすために必要だと、酒を持ってこさせることもできた。しかし、酒の酔いも、いらだつ心をやわらげる役には立たなかった。  島へ送られてから八カ月ぐらいたったある日、良白のところへとどけ物があった。流人にむけて、江戸の者が食料や衣類などを送ることはみとめられている。なかみは、かなりの量のアズキだった。食べてもいいし、島の住人との交換品に使ってもいい。とにかくありがたかった。  しかし、その送り主の名に心当りがない。かつてなおした患者からかとも思ったが、その名は浮んでこなかった。ふしぎがりながら良白がアズキを容器へ移していると、なかから手紙が出てきた。 〈これは内密だが、おまえは遠からずご赦免になる。仕事にはげむように。島抜けをたくらんだり、水くみ女と深い仲になったりせぬように。だれにも話すな。返信は無用〉  そんな内容のものだった。どこまで信じていいのだろうか。そんなに早く許された前例など、聞いたことがない。しかし、文面にはそうある。こんな手のこんだいたずらをする者がいるとは思えない。だれからか不明だが、それだけになにか説得力もあった。彼はその指示をすなおに受け取ることにした。希望というものは、ないよりあったほうがいい。たとえ幻でも。  なお、水くみ女とは、島の住人の娘のこと。水がとぼしく、山からわき水をくんでくる仕事をやる。そのなかには、流人と仲よくなり、世帯を持つ者もあり、それは黙認されていた。流人の気持ちはいくらか、それでやわらげられるが、一方、許されて島から出る時、別離の悲痛を味わわなくてはならない。  良白はそれを避けるよう注意した。そのくせ、脱島の話には耳も貸さない。 「あいつは、この島に腰をすえるつもりなのだろうか。それなら、なぜ女と暮さない。まったく、医師には変り者が多い」  そんな評判をよそに、良白は仕事にはげんだ。島の住人ばかりでなく、流人の患者もみてやる。謝礼の払えそうにない者まで、親切にあつかってやった。 「あなたは楽になる。わたしを信用する」 「はい……」 「やまいは心の疲れからくる。言いたいことを口に出してしまいなさい。がまんするのはよくありません」  この療法しかできないのだった。 「おれなんかより悪いやつが、江戸にたくさんいる。そいつらは島に流されることなく、のうのう暮している。面白くない……」 「そうでしょう、そうでしょう。その気持ちはよくわかります。もっとお話しに……」 「このまま島でくちはてるのは、くやしい。おれは江戸で大金を盗んだ。あるところにかくしてある。取調べの時、おれは決してしゃべらなかった。十両ぬすめば首がとぶきまりだからな」 「それが、なぜ遠島に……」 「その金をひとりじめしようと、仲間がおれを密告しやがった。しかし、おれもそんな場合を考えて、そいつと打ち合せたのとちがう場所へかくしたというわけさ。江戸へ帰れたら、なんとかしかえしをし、豪遊もしたいが、こうからだが弱っては、その望みもむりなようだ」 「きっと戻れますよ、わたしより早く。ところで、そのかくし場所はどこです……」  病人は、夢うつつの状態でそれをしゃべった。めざめれば、その記憶はない。そして、まもなく死んでしまった。いままでは執念で生きてきた。しかし、内心のもやもやを口にしてしまうと、気力も消えた。治療が逆効果を示したといえるかもしれない。良白はその話を自分の胸にしまいこんだ。  やがて、船が島をおとずれた。江戸と島とをめぐる船は、約四カ月おきにやってくる。新しい流人たちを連れてくるし、また、島の特産品の江戸への出荷もやるのである。そして、許された流人を乗せて帰りもする。  良白は村の名主のところへ呼び出された。 「おまえに対し、ご赦免のしらせが来た。こんなに早いのは異例のことだが、文書にそうある。読みなおしてもまちがいはない」 「はあ……」  やはり、あの手紙の通りだった。良白はひとりうなずく。 「いやに平然としているな。夢ではないかと飛びあがって喜ぶかと思っていたのに。おまえは変り者だな」  当然のことながら、ほかの流人たちは、うらやましがり、くやしがった。 「なんだ、あいつ。このあいだ島に来たばかりだというのに、もう帰れる。どういうことだ。不公平だ」  やむをえず、名主は理屈をこじつけた。 「不平を言うな。お上のなさることに、まちがいはない。いいか、医師の良白は、島に来てから、まじめな生活をした。みなの病気をなおすために、損得ぬきでつくしてきた。わたしはそのことを、島奉行への報告書にしるした。そのためだ。だから、おまえたち、早く江戸へ戻りたいのなら、島抜けなど考えず、おとなしく働くのだ」  良白はみなに別れを告げ、船に乗る。  江戸へのその船のなかには、ご赦免になった男が、ほかに二人のっていた。よその島から戻されるところだった。話がかわされる。三十歳ぐらいの男に、良白は話しかけてみた。 「おたがいに、帰れてけっこうですな。わたしは医者でしたが、つまらんことで島へ流されましてね。で、あなたのご職業は……」 「わたしの名は菊次郎、役者でした。うまれつき、その方面にむいていたのでしょう。いろんな役を器用にこなしましたよ」 「それがなんで遠島に……」 「面白半分に、役人に変装してみた。つまり、武士になりすましてみたのです。いい気分でしたよ。大きな商店を順におとずれ、いかにも役人らしく尊大なあいさつをしてまわった。すると、下へもおかぬもてなし。そのうえ、金までくれた」 「役所に対し、なにかうしろ暗いところのある連中ですな」 「でしょうね。世の中には発覚しないでいる悪人が多い」 「やつらはあなたにおどされ、穏便にとそでの下をさし出した」 「とんでもない。おどしたりしませんよ。意味ありげにだまっていると、むこうが気をまわし、勝手に金を出したというわけです。こっちは、それをいただいただけ。役人だと名乗り、おどしたりしてたら、ふとどききわまると打首だったでしょう」 「軽くすんだわけは……」 「芝居の服装のまま買物に寄ったのだと申しひらきをしたからです。また、商店のほうも、大目に見てほしいからそでの下を出したとは言えない。金額がうやむや。世間をさわがせたとの理由で、遠島となったのです。それにしても、こんなに早く帰れるとは。少なくとも三年の島暮しは覚悟してたのに。すると、あの手紙は、やはり本物だったのだな……」  低い声のつぶやきとなるのを耳にし、良白は言った。 「なんのことですか。ここまでくれば、もう大丈夫。話して下さいよ。わたしにも思い当ることがあるのです」 「じつは、島にいる時、江戸からとどけ物があった。心当りのない人からです。手紙が入っていた。遠からずご赦免になるから、じたばたするなといった文面の。それをたよりに、なんとか生きてきたというわけです」 「食べ物はどうして手に入れました」 「芝居のまねごと、いや、身ぶりつきの物語といったものを考え出しました。ひとり何役でいそがしかった。物まねもやりましたよ。島ではだれもかれも、娯楽に飢えている。そんなわけで、なんとか食物にありつけましたよ。しかし、それにしても、あの手紙だけはふしぎでならない」 「それだったら、わたしも同様です。それと同じ手紙をもらいましたよ。他言するなと書いてありましたが、もうしゃべってもいいでしょう」  良白もそのことを告げた。すると、そばでだまっていた武士が口を出した。 「あなたがたもそうでしたか。じつは、わたしもそうなのです。そんな手紙の入ったとどけ物があった。しかし、武士の遠島は、そう簡単にご赦免にはならない。半信半疑ながらも、それに望みをつないで生きてきた。文字が書けるので、名主のところで文書を作る手伝いをし、また、寺子屋のようなものを開いて、子供たちを教えた。信用され、弓を作ることを許されたので、それで鳥をとり、食べたり売ったりしてすごしてきた。しかし、こう早く帰れるとはな……」 「おさむらいさんは、どんな罪で遠島になったのですか」 「わたしの名は、尾形忠三郎。ある譜代《ふだい》大名の江戸屋敷につかえる者だった。若殿のお守役。武芸の指南などをしていた。街を見物なさる時などには、そのお供をした。つまり護衛係。ところがある日、ばくちをしてみたいと若殿が言い出した……」 「それはそれは」 「そこで、出入りの町人にたのんで、ある夜、案内してもらって出かけたのだ。そう面白い遊びではないな、あれは。まだ碁のほうがよろしい。若殿もそんなお気持ちのようだった。不自由なく育った若殿には、金を賭《か》けて熱中する気分がおわかりにならぬ。今夜の一回だけでやめようと言われた。ところが、その時、不運なことに……」 「なにが起ったのです」 「町役人の手入れがあった。岡っ引たちがふみこんできた。表ざたになったら、お家の一大事。わたしは若殿に、早くお逃げ下さいと言い、灯を吹き消し、大乱闘をやった。しかし、相手は大ぜい。奉行所の与力も配下を連れて乗り込んできた。わたしは若殿の逃げたのを見きわめ、おとなしくつかまえられたというわけだ」 「お武家さんだったら、そんな時には切腹するんじゃ……」 「切腹とは、主君のためにするものなのだ。そこでそれをやったら、かえって主家に迷惑がおよぶ。あくまで、わたしひとりの行動だと主張しなければならない場面だ。もちろん、若殿のことはしゃべらなかった。お家のほうもあわてたらしい。日付をさかのぼらせて、わたしにひまを出したという形にした。つまり、ただの浪人のしわざ。岡っ引を投げ飛ばしはしたが、傷つけたわけじゃない。それと、ばくちの罪。で、遠島を申しわたされた」 「お家のために、罪をしょいこんだのですな。お武家さまとはつらいものですね」 「仕方ない。そういうものなのだ。まずはお家安泰だったが、この件の報告が上のほうに伝わったらしい。家臣への監督不行き届き。おかげで、殿は奏者番に任命されることに内定していたのだが、それがとりやめになってしまった」 「なんです、奏者番とは……」 「江戸城内で、儀式の時に各大名の世話をする重要な職だ。これをうまくつとめると、寺社奉行、さらに上の職へと昇進する。早くいえば、殿は幕府のいい役職につく道をとざされたというわけだ。お気の毒でならぬ」 「若殿のわがままのために……」 「いや、わたしがおとめしなかったのがいけなかったのだ」 「主家から島へのとどけものは……」 「なにもなかった。内心で同情はしても、公儀をはばかったのだろう。そのかわり、まったく名も知らぬ人から、ふしぎな手紙が来たというわけだ。あなたがたのように」 「いずれにせよ、われわれ、運よくご赦免になったのです。なにかの縁でしょう。江戸に帰ってからも、三人おたがいに助けあうことにいたしましょう」 「もちろん異議はない」 「手紙のなぞも、そのうちわかるでしょう」  船はぶじに江戸へつく。海から街をながめた時、三人はうれしさのあまり、涙ぐんだほどだった。なつかしい江戸に、いま、やっと帰れたのだ。 「おい、こっちへ来い。お奉行さまが、おまえらにお会いになるとのおおせだ」  町奉行所の一室に連れてゆかれた。取調べではないので、そばに書記役のたぐいはだれもいない。奉行はにこやかに言った。 「どのような気分か」 「申しあげるまでもありません。このように早く帰れたとは。まだ信じられません」  だれも同じ答えだった。 「あの手紙を見て、どう思ったか」 「半信半疑でございましたが、こうなってみて、本当だったとわかりました。しかし、お奉行さまが、なぜそれをご存知なので……」 「じつは、わたしが送ったのだ」 「ああ、なんという、ありがたいおなさけ。それは本当でございましょうね」 「そうだ。流人のご赦免の決定は、わたし以外にできない。その気になれば、いまここで、その取消しをすることだってできるのだぞ」 「なにとぞ、それだけはお許しを。もう、二度と島へ行きたくはありません。島の住人の同情にすがり、食いつないで生きる毎日。いいことはなにもない。思い出したくもない。どんな言いつけにも従いますから……」 「そうであろう。これからは、まじめに人生をすごすことだな」 「それは、よくわかっております。しかし、それだけではございませんでしょう。わたしたちだけに、これだけ特別のおはからいをなさったからには……」 「その通りだ」  うなずく町奉行に、三人は聞く。 「では、なにをしろと……」 「その前に聞くが、島の流人たちは、どんな気分で毎日をすごしておるのか」 「ご赦免の日を待ちつづけでございます。それと、自分たちよりもっと悪いことをしているやつがいるのに、そいつらは発覚せず、江戸でいい気になって暮している。そのことへのくやしさでございます」 「そうであろうな。世に悪人のたねはつきない。巧妙なやつもいる。奉行所もなんとかしようとつとめているが、網にかからぬのがいるのは、どうしようもない。そのことについては、わたしも悩んでいる」 「悪人はかならずつかまる。そんな世の中が一日も早く来るといい。島での生活で、それを痛感させられました」 「そこなのだ。そういう心境だと、話がしやすい。おまえらはそう悪事をはたらいたわけでない。また、どこかみどころがある。取調べの時から、わたしは目をつけていた。島でむだな人生をすごさせるのは惜しい。そこで、あのような手紙を出したのだ」 「お礼の申しようもございません。で、いったい、どのようなことをしろと……」 「つまり、巧みに法の網をのがれている連中を、あばいてほしいのだ。ひそかに役所の手先をつとめるということは、いやかもしれない。それならそれでいい。おまえたちを島へ戻し、かわりの者を作ることにする」 「やります、やります。ぜひ、やらせて下さい。江戸にいられるのでしたら、どんな苦労もいといません」  それは実感だった。島には生きがいがなく、変化がなく、まさに半分死んだも同様の日々。みな進んで引き受けた。 「では、よろしくたのむ。定期的に報告に来てくれ。しかし、この役所では人目もあることだし、さしさわりがある。わたしも小さいながら下屋敷を持っている。そっちのほうに来てくれ」  町奉行は連絡法を指示した。なお、下屋敷とは別宅のこと。江戸のはずれにあり、非番の日にはそこへ行って休養したり、友人を招いたりする。ある身分以上の者は、それを持っていた。  医師の良白、役者の菊次郎、もと武士の尾形忠三郎。その三人は長屋のひとつを借り、共同で生活をすることにした。とりあえず酒を買ってきて、祝杯をあげ、飲みながら話しあう。 「さて、これからどうしたものだろう。良白さんは、また医者をやりますか。食うための金はかせがなくてはならない」 「医者をやりたいが、わたしにできる療法はひとつしかない。薬草を飲ませて、内心のつかえをはき出させることだ。しかし、それをやると、また世をまどわすと訴えられかねない」 「困ったことですね」 「いや、待て。思い出した。島で、ある病人の手当をした。死んでしまったがね。そいつから、盗んだ金のかくし場所を聞いておいた。仲間に裏切られ密告され、それを使うことなく死ぬのが残念だと、くやしがっていた。そいつを出して使うとするか」  尾形忠三郎が口をはさむ。 「いや、それはよろしくない。その死者の身になってみろ。また、流人たちすべてのうらみがこもっている。もっと悪いやつらが、江戸でのうのうと暮していることについての。もし、われわれがその金を使ったら、いいむくいはないぞ」  菊次郎も賛成する。 「そういえば、そうです。また第一、これまでにして下さったお奉行さまの心にそむくことにもなる。金は奉行所に渡し、そのひどい相棒とやらを罰すべきです」  奉行所にそっと連絡すると、三日後に下屋敷へ来いとの返事があった。三人が出かけると、奉行が迎えた。くつろいだ平服姿。 「なにか報告があるとか……」 「はい。金のかくしてある場所をお知らせいたします。また、それを盗んだ犯人のひとりの名前も……」  良白は知っていることを話した。どこからどうやって盗まれた金かを。  町奉行はすぐに手配をする。金はちゃんと、そこにあった。また、犯人もとっつかまった。そいつは一時、江戸から逃げていたのだが、相棒が島で死んだと風のたよりに聞き、安心して舞い戻っていた。あっけなく逮捕された。  そいつは町奉行からこまかい点まで指摘されると、たちまち恐れ入った。処刑される。そして、三人にはほうびの金が渡された。それはかなりの額だった。思いがけない収入。またも祝杯をあげることになる。 「いい気分だな。これで、あの島で死んだやつの魂も救われるというものだ」  と良白が言い、ほかの二人もうなずく。 「それに、あのお奉行さまの話のわかること。やはり、信頼にはこたえるべきだな。ほうびもいただけたし」 「世のため、正義のためになにかをするというのは、すがすがしいものだな」  三人はめざめた。かつての流人とは思えないような変化。奉行のねらいも、みごとな効果をあげた。そもそも、この三人、根っからの悪人ではない。それが、わずかの期間だが島の生活によって、世の不公平を知り、いきどおりをいだいている。それがうまく軌道に乗ったのだ。  しばらくたった、ある日。菊次郎は美しい女がカゴで街を行くのを見た。あか抜けした女。なにかありそうだと感じ、あとをつけた。一軒の小さな家のなかに入っていった。商店の主人の別宅のような家。しかし、なんとなく不審さが残る。  それが発端となって、三人の調査により、かげの商売の存在のひとつが浮び上ってきた。注文に応じて、お好みの女性を妾宅《しようたく》に配達する組織。こうなると妾《めかけ》とはいえない。売春と称すべきだ。  幕府は売春を、遊廓内に限って許していた。街の風紀を守るためであり、また、遊廓からは巨額な金を定期的に召し上げている。そのため、他の売春行為は取締りの対象になっていた。  しかし、妾をかこうことは禁じられていない。禁止したら、将軍や大名の側室まで問題となる。この盲点をついた、一日だけの妾という巧妙な商売だった。幕府におさめなくてすむ金だけが、余分なもうけとなる。  こんなのがいるから、まともな人びとが損をしているのだ。三人はひそかに追及した。その元締めがどこにあり、どう注文をとり、どう女を連れてゆくかを……。  そして、また町奉行へ報告した。どのような処罰がなされたかまではわからない。しかし、奉行は三人の働きをねぎらい、今度も多額のほうびを渡してくれた。  これで、三人はさらに勢いづいた。悪をこらしめることが有利な商売だとも知る。しばらくのあいだは、一味からしかえしされるのではないかと心配だったが、そんなこともなかった。お奉行さまは報告者の氏名を秘密にしてくれたらしい。それは彼らを一段と力づけた。なにしろ、われわれのうしろには、お奉行さまがついているのだ。  さて、つぎはなにをやろう。  にぎやかな街なかで、三人はけんかを演出した。良白、菊次郎の二人が、尾形忠三郎となぐりあったのだ。やじうまが集り、やがて岡っ引があらわれ、三人を物かげに連れていって……。  そのあと、三人はそれぞれ各所をぼやいてまわった。 「派手なけんかをやらかしましてね。なに、たいしたことはなかったんですがね。その時のことですよ。岡っ引がやってきて、仲裁してくれた。そこまではいいんですよ。帰ろうとすると、ちょっと待てときた。おさめてやったのだから、礼金を出せという。十手にはかないません。なにしろ、出さなければ、しょっぴくと……」  ほうぼうで話すと、岡っ引にゆすられたという人の話を、いくつか聞き出せた。岡っ引とは、幕府につかえる者ではない。町奉行所配下の与力が、私的にやとった連中のことだ。なかには、たちの悪いのもいる。  たんねんに聞きまわっているうちに、悪質な岡っ引の人名表ができあがった。三人はそれを町奉行に報告する。おこられるのではないかと、いくらか不安だった。奉行所に対する批難でもある。  しかし、町奉行は喜んでくれた。 「よく調べてくれた。岡っ引に対して、庶民は泣き寝入りをしていたわけだな。いい参考になった。与力たちにさっそく注意することにする。わたしの威信も高まるというわけだ」  ほうびの金をもらうこともできた。  世の中には悪の種類が多い。三人は島の流人たちのことを思い、彼らの無念さをはらしてやろうと、かくれた悪を根絶させる仕事にはげむのだった。  散歩の途中、良白はある若い娘を見かけ、なにか心にひっかかるものを感じた。毎日、近所の神社へ参詣にくる女だ。育ちがよさそうなのに、貧しげな身なり、悲しげな表情。いわくありげだった。思い切って声をかけてみる。 「なにか悩みをお持ちのようですね。話してみませんか。気がはれるかもしれない」 「お聞きいただけますか」  娘は、せきを切ったように話しはじめた。がまんしきれない気分だったのだろう。  その娘の父は回船問屋だった。かなり手びろく商売をやり、利益もあがり、なにもかもうまくいっていた。しかし、とつぜん不幸な日がおとずれてきた。  禁制品の抜け荷、すなわち密輸が発覚したのだ。営業は停止され、財産は没収。父は遠島となったという。 「……それで、ご赦免の一日も早いことを、神さまに祈っているんですの。島に流された人の生活って、どんなんでしょう」  良白は胸がつまった。その父の名に覚えはなかった。たぶん別な島へ送られたのだろう。しかし、いずれにせよ、いい生活ではない。それに、抜け荷となると、かなりの罪だ。そう早くはご赦免になるまい。奉行が特別にはからってくれればべつだが、それについての進言は許されないだろう。 「気候のいいところだそうだから、ぶじに毎日をすごしておいででしょうよ。だが、それにしても、つまらんことが発覚したねえ」 「抜け荷はどこの回船問屋も、大なり小なりやっていることですの。そのため、係のお役人さまには、つけとどけをしていました。ある程度なら、黙認ということが普通だったんですの。しかし、表ざたになってしまい、なにもかも終りになってしまいましたわ」  娘は涙ながらに話した。係の役人も職を免ぜられたという。良白は聞いた。 「で、いまは……」 「母といっしょに、親類の家に居候しておりますの。気がねしながら……」 「お金は残ってないんですか」 「なにもかも没収。残ったのはわたしの鏡台ぐらい。でも、そのなかに、ある大名家へ貸した金の証文が残っていました。たいへんな額。全部とはいわないまでも、いくらか返していただけるといい。そう思って出かけたんですが……」 「どうでした」 「けんもほろろに追いかえされました。おとりつぶしになった商店へ、金を払うことはないと」 「ひどい目に会いましたねえ。わたしにも、すぐどうこうしてあげるという案はない。しかし、住所をお教えしておきます。なぐさめのお話し相手にはなってあげられましょう」  良白は娘と別れ、長屋に帰って、菊次郎と尾形忠三郎に話す。 「というわけなんだ」 「気の毒ではあるが、悪は悪。やむをえないんじゃないかな。無実というのなら話はべつだが……」  そんな結論だったが、数日後、娘がたずねてきた。良白は言う。 「さっきもあなたに同情し、話しあっていたところですよ。しかし、妙なそのお顔。どうなさいました」 「いま、植木屋さんを見かけたのです。あとをつけましたら、ある大名家のなかに入って行きました。そこの庭の手入れをするためでしょう」 「そのことが、なぜ……」 「その植木屋、まえにうちの店の番頭のひとりだったんです。よく働くので父も信用し、なにもかもまかせていた。あの時に処罰され、江戸追放になったとばかり思っていました。それが大名家お出入りの植木屋になっているなんて、考えてみると、変でしょうがないんですの」 「そういえば、おかしなことですな。似ているけど、別人ということも……」 「しかし、あまりに似ているので……」 「なんとか調べてみましょう」  良白は娘をなだめて帰した。三人は相談する。いまの話には真実味があった。調べてみる価値があるのではなかろうか。  菊次郎がそれらしき着物を借りてきて、金持ちの商店の主人に変装した。役者だけあって、みごとなものだった。そして、問題の植木屋が仕事をすませて帰ってくるのを呼びとめる。 「もしもし、植木屋さん」 「は、なんでございましょう」 「わたしの別宅の庭の手入れをたのみたいのだ。お金ならいくらでも払いますよ。一流の庭に仕上げたいのだ」 「いまの仕事がすんでからでないと……」 「決して急ぐことはありません。ま、きょうは、ひとつ打ち合せということで一杯……」  と料理屋へ案内する。座敷は予約しておいた。そのとなりの部屋には、良白と尾形忠三郎とが待ちかまえている。 「さあ、遠慮なく飲んで下さい……」  酒をすすめる。そのなかには、良白の例の薬草が入っているのだ。それがきいてくるのをみはからって、良白があらわれて話しかける。 「そろそろ、あなたは眠くなりますよ。気分が楽になってゆきます……」 「はい……」 「あなたは、わたしを信用する。胸のつかえを話してしまう。すると、あとで気持ちがすっきりする……」 「はい……」  ききめがあらわれてきた。屋形忠三郎は、他人に聞かれぬよう、廊下を見張っている。良白は植木屋に質問した。 「あなたは、まえに回船問屋の番頭をやっていましたね……」 「はい……」  娘の言ったことは、やはり事実だった。菊次郎と顔をみあわせ、良白はさらに聞く。 「それなのに、いまは植木屋。いったい、あなたの本職はなんなのです」 「お庭番、つまり公儀の隠密《おんみつ》です……」  まさに意外な答え。良白がつぎの質問を思いつくまで、しばらくの時間を必要とした。 「それは大変なお役目ですね。ごくろうさまなことです。さぞ、気疲れも多いことでしょう。しかし、なぜ、そんなことをなさったのです」 「理由は知りません。わたしは、命じられたことをしただけです。あの回船問屋に入りこみ、抜け荷をあばくようにと……」  名前など、ほかにもいくつか聞いたが、それ以上のことは判明しなかった。植木屋をそこで眠らせて、三人は長屋に戻る。 「どうやら、本当に隠密のようですね。しかし、こんなことに、なぜ隠密が。抜け荷なら、勘定奉行か町奉行の管轄でしょう。畑ちがいだ。尾形さん、どう考えます」 「わからん。隠密とは将軍、老中、御側用人からの指示で働くものだ。考えられることはだな、あの回船問屋から大金を借りていた大名家が、上のほうに運動し、店をつぶすようにしむけたと……」 「しかし、まさか、そんなことが」 「これは、わたしの推理にすぎない。しゃべった内容が正しければのことだ。良白さんの薬の力はどうなんです」 「あの薬のききめは、まちがいありません。だから、いつかの盗んだ金のかくし場所だって、その通りだったでしょう」  菊次郎が口をはさむ。 「事実としたら、こんななげかわしいことはない。ひどいもんだ。こんな行為が許されるのなら、島の流人たちのほうが、はるかに罪が軽いといえる。十両ぬすんで首が飛ぶのに、大金のふみ倒しは平然とまかり通る」 「ひとつ、隠密の動きについて、よく調べてみようじゃありませんか」 「どこからとりかかろう……」  隠密は、上の指示を受けると、そのままある呉服店に直行し、身なりを変え、ただちに目的地へむかう。途中、代官所に寄り、命令書を示して、費用の支給を受ける。命令書はそこにあずけ、帰りに受け取ることになっている。持ったままだと、隠密の身分がばれるからだ。これらのことを、薬を飲ませた時、植木屋から聞き出していた。 「その呉服店のそばで、ひそかに見張っている以外にないな」  それは根気のいる仕事だったが、そのうち、やっと発見できた。下級武士が店に入っていったが、しばらくすると、行商人の姿になって出てきた。三人はそのあとを追う。  交代であとをつけた。ひとりでやると、感づかれる。なにしろ相手は隠密なのだ。そいつは、江戸からそう遠くない、ある領内に入っていった。仕事を終えて出てくるのを待たなければならない。  これも気の長い話だった。しかし、ことの重大さへの好奇心が、三人の退屈さを防いでくれた。この裏には必ずなにかあるはずだという期待。  しかし、予想したより早く隠密は戻ってきた。菊次郎がそれとなく近づく。やはり行商人に変装しているので、同業のよしみといった会話を発展させることができた。そして、旅館にとまり、酒をすすめる。  いうまでもなく、それには薬が入っている。良白に交代し、質問がはじめられる。 「あなたは隠密、お庭番ですね……」 「はい……」 「どんな仕事をしてきたのですか」 「あの藩のなかで、百姓|一揆《いつき》があったらしい。それをよく調べるようにとの命を受けました。たいしたこともなくおさまっていましたが、あったのは事実。それを報告に帰るところです……」 「しかし、隠密の仕事は、外様《とざま》大名の動静をさぐるのが主でしょう。あの藩は、幕府に忠実な譜代の大名。小さな百姓一揆なんかについて、わざわざ調べることもないはず……」 「それが命令だったのです。老中筆頭からの命令となると、やらなければなりません」 「あなたは、いま眠いでしょう」 「はい……」 「はりつめた気分で仕事をしたので、疲れたのです。ぐっすり眠って目ざめると、いまの話はすっかり忘れ、すがすがしさがよみがえります」  三人は江戸の屋敷に戻る。なぞめいた隠密の動き。なにがどうなっているのだろう。みな、考えつづけだった。  そのうち、屋形忠三郎が幕府の人事についてのうわさを聞いてきた。 「しばらくぶりで、むかしの同僚に会って、話をしてきた。このあいだ隠密の入りこんだ藩のことを聞いてみた。あの藩主は、五万石の譜代大名。殿さまは大坂城代の地位にあったそうだ。それが、このあいだ不意にお役ご免になったという。領内の取締り不行き届きが理由だ。それを指摘されると、お受けする以外になかったとか……」 「どういうことなのです、それは」 「幕府のなかで昇進するのには、それなりの順序があるのだ。最初はさまざまな役につくが、才能をみとめられると、奏者番になる。それから寺社奉行。つぎに、若年寄、大坂城代、京都所司代などをやる。それらの任をうまくはたすと、老中に進める。これがきまりなのだ」 「すると、あの藩主は、老中になれずじまいというわけですね。さぞ残念でしょうな」 「そりゃあ、そうだ。老中といえば、幕府のなかで最も権力ある地位。譜代のものなら、だれでもなりたがる。みなに恐れられ、うやまわれ、とどけ物も多いし、こんないごこちのいい地位はない。それをめぐっての争いは、はげしいものだ」 「そういえば、尾形さんのかつての主君、奏者番になりそこないましたね」 「そうだった。うむ。なるほど。もしかしたら……」  ただならぬ表情になる。 「なにを思いついたのです」 「あの時、ばくち場へ案内してくれた町人のことだ。気になっていた。あまりにもつごうよく、奉行所の手入れがあった。密告されたのだろう。やつが隠密の手先、あるいは隠密そのものだったかもしれぬ……」 「それをたねに、殿さま、出世の道からはずされてしまった。逃げたとはいうものの、若殿がそこにいたことを知られたのでしょう」  ついに尾形忠三郎は、こぶしを振りあげ、大声でわめいた。 「なんということだ。老中筆頭が隠密を使って、気に入らぬ将来の競争相手を芽のうちにつみ取り、自分の地位の安泰をはかっているとは。人物や才能が評価されかける前に、つまらぬことを表ざたにし、いやおうなしに退かせてしまう。将軍がなさるのならまだいいが、隠密を使えるということで、老中筆頭がそれをやるとは……」 「すると、あの回船問屋の件も……」 「きっと、つけとどけを受けていた担当の者を、おとしいれるためだろう。気にくわぬやつなので、その昇進運動費のもとを絶とうと。そして、自分の意中の者を後任にし、べつな回船問屋から金を巻き上げさせる……」 「なんと大がかりで巧妙な……」 「外様大名はどの藩も、隠密にはきわめて気を使い、警戒おこたりない。へたをすれば、おとりつぶし、お国替えになるからな。それに、いまの世では幕府にそむきようがない。そんなのに隠密を使っても意味がない。老中筆頭にすれば、むしろ自分の地位をおびやかす、競争相手の出現のほうが気がかり……」 「譜代大名や回船問屋となると、まさか隠密に調べられるとは考えてもみない。その油断につけこまれる。そんな大きな陰謀が進行しているとは、夢にも知らず……」 「えらいことだ。どえらいことだ。こんな行為がなされていては、江戸の庶民ばかりでなく、国じゅうの問題だ。ご政道の根本がゆらいでしまう」 「これこそ、早くお奉行さまに知らせなければならないことでしょう」 「まさにそうだ」  知りえたすべてのことを、尾形忠三郎が書きしるした。調べた隠密の名前と行動。ひとつの結論が浮びあがってくる。自分が島流しにされたのも、もとはといえば、そのせいなのだ。文に怒りがこもる。  三人はそれを持ち、町奉行の下屋敷に出かけてゆく。大変な報告だ。こんどはどうほめられるだろう。  町奉行はそれを読み、顔色を変えた。 「うむ。驚くべきことをつきとめたものだな。まさしく天下の一大事。だれかに話したか」 「いいえ、まず、まっさきにお奉行さまにお知らせしなければと……」 「よくやってくれた。しばらく、ここで待っておれ」  奉行は座敷から出ていった。そのとたん、座敷の三方で、がたんと音がした。見まわすと、木の格子でふさがれていた。上から落ちるしかけになっていたのだろう。一方は壁、そとへ出られない。大声をたてたが、応答はない。  やがて、奉行が戻ってきた。年配の人物を連れてきた。それにこう説明している。 「この者たちが、このような報告書を作ってまいりました。いかがお考えです」 「いうまでもなく、重大きわまる」  たまりかねて尾形忠三郎が声をかける。 「お奉行さま。これはどういうことです。早く出して下さい。いったい、その人はだれなんです」  奉行は言う。 「このかたは、ご老中筆頭。ここは、その下屋敷の裏に当る。あまりにも大問題なので、おいでいただいたというわけだ。ご意見をどうぞ、ご老中……」 「ううむ。わしの計画、すべてぬかりないと思っていたが、このような者たちに知られたとは。泰平がつづき、隠密の質が落ちたのかもしれぬ。今後よく注意しよう」 「さいわい、発見者がわたくしで、よかったと申すべきでしょう。もし、この報告書が目安箱へでも入れられていたら……」 「将軍の目にふれてしまう。なにもかも終りになるところだった。よくやってくれた。そちについては、前から目をかけていた。近く昇進するようはからってやる」 「ありがとう存じます。なにとぞ、よろしく。わたくしの忠実さは、これでおわかりいただけましたでしょう」 「いうまでもない」  と老中は答え、奉行はさらに聞いた。 「ところで、この三人の者たち、どう処置いたしましょう」 「適当に始末してしまうがいい。町奉行所からのその報告を、わしがみとめれば、それですむ。そもそも、こいつら、島帰りだそうではないか」 [#改ページ]   道中すごろく  ある、わりと大きな藩。  しかし、徳川時代において、大藩かならずしも、経済的に余裕のある藩とはいえなかった。米作による収入も多いかわりに、支出もまた多い。大藩となると、家臣の数もそれだけ多いし、参勤交代、江戸屋敷の運営費、みなそれに応じて、かなりの費用を必要とする。  とくにやっかいな問題は、だれもの気のゆるみだった。小藩だと藩の経営の苦しさをじかに知ることができるので、それぞれ節約につとめる気になる。それに反し、うちは大藩なんだからと思う者ばかりとなると、引きしめがむずかしい。  殿さまも、大藩という体面を考えて、おうように金を使う。なんとかなるはずだ。周囲からそんな目で見られ、おだてられ使わせられてしまうといった状態だった。率先して節約にはげむというわけにはいかない。  というわけで、財政のやりくりは大変だった。ぼろを出さず、まあまあ運営できているのは、千二百石の禄高の勘定奉行、赤松修左衛門のおかげといえた。すでにかなりの年輩だった。なかなかの手腕家で、経理にくわしかった。彼の頭のなかには、収入と支出の予算表が、整理されておさまっている。  つねに支出のほうが多かった。それをなんとか処理しているのは、大藩という信用と、修左衛門の才能だった。商人とのかけひきもうまく、借入金についての交渉も巧妙だった。ほかの者に、とてもこの仕事はつとまらぬ。そのため、年配になっても職をはなれることができないというわけだった。  といって、後継者がなければ先行きが心配だが、その点に関しては大丈夫だった。いちおうの準備はできていた。  修左衛門には娘がひとりあった。あまりできはよくなく美人でもなかったが、養子のきてならいくらでもある。武士の息子といっても、家をつげなければ一生ずっと日かげの身。なんの役にもつけない。一方、勘定奉行の家をつげるとなると、それは重要な地位。天と地の差がある。  赤松修左衛門は時間をかけ、家臣の二男三男のなかから、適当な人物をえらび出した。勘定奉行だけあって、人を見る目はある。それをむこ養子にした。  その青年は養子となるとともに、修吾と名が変った。やがて、赤松家の家督を相続すれば、その代々の名、修左衛門を襲名することになる。そして、勘定奉行の職をつげることも確実だった。  家老とちがって、勘定奉行は世襲の地位ではない。しかし、修左衛門は気に入った養子のため、その対策をおこたらなかった。修吾を補佐役である勘定頭のひとりとして出仕できるように工作し、実現した。普通だと、家督をつがない限りお城への出勤はできないのだが、そこが修左衛門の実力だった。  これは、わが娘のためであり、赤松家のためであり、ひいては藩のためでもある。  修吾はともにお城へ出仕し、公的な仕事の見習いをした。また帰宅すると、公用の席では口にできない裏面の秘訣《ひけつ》も教えられた。城下の大商人が、ごきげんうかがいに屋敷へやってくると、修左衛門は彼を同席させ、紹介した。 「これがわたしのあととりです。いろいろと教育しているところだ。よろしくたのむ」 「こちらこそ、なにぶんよろしく。お奉行さまのように物わかりのいいかたになっていただけると、ありがたいのですが……」  意味ありげに笑う商人に、修左衛門は言う。 「そう仕上げるよう修業させている。なかなかみどころのあるやつだよ。おまえたちも、なんとか手伝ってくれ」 「わかっておりますとも。そうときまったら、いかがでしょう。これから一杯……」  商人に案内され、料理屋へ出かけて豪遊することにもなるのだった。商人は武士にとって別人種といっていいほどのちがいがあるが、その操縦術をしだいに身につけ、修吾もなかなかのやり手に成長していった。  藩政の責任者である城代家老が、勘定奉行の部屋に来て、こんな話をすることもある。 「江戸の殿から、またも金がいるとの使いがあった」 「なんとかいたしましょう」 「いつもの報告だと、やりくりが大変だということだが、どうなのだ」 「必要な経費とあらば、それを調達するのが勘定奉行の仕事でございます」  修左衛門は家老たちに、この仕事が容易ならざるものだと、それとなく毎回ふきこんでいるのだ。城代家老はうなずく。 「そうであろう。わたしなど、数字を聞くだけで頭がおかしくなってくる。これだけの藩だ。財政は複雑きわまるものであろう。それが、なんとか運営できているというのも、修左衛門がいるからこそだ」 「おそれ入ります」 「しかし、気になってならぬ点がある。貴殿もかなりの年齢になってきた。出仕できなくなったら、あとはどうなるのだ」 「そのことはご心配なく。修吾をみっちり仕込んでおります。やがては、いくらかお役に立つようになりましょう」 「それを聞いて安心した。武芸の達人は多いが、財政の達人はえがたいからな。しかし、いまのところ貴殿にかわりうる人物はいないのだ。からだに注意し、できるだけいまの仕事をつづけてくれ」 「はい。おっしゃるまでもなく……」  上からの信用はあった。城代家老に言われるまでもなく、修左衛門もやめるつもりはなかった。この仕事が面白く楽しくてならなかったのだ。もっとも、下のほうでは彼に対して、いくらかの悪評もあった。しかし、そんなことを気にしていたら、この職はつとまらぬ。  勘定奉行をやれる人物など、ほかにいない。大坂の米問屋、両替店をはじめ、商人たちとの交渉。こういったことは、武芸や学問だけしか知らぬ人物にはできっこない。  修左衛門にとって、すべて順調に進展しながら、年月が流れていくように見えた。  修吾は三十五歳になった。ある日、凶事が発生した。夜、屋敷の中間《ちゆうげん》が駆け戻ってきて叫んだのだ。 「大変です、大変です……」 「いったい、なにがおこったのだ」  修吾が聞くと、中間は修左衛門の死を告げた。 「ご主人さまが殺された……」 「だれにだ。落ち着いてよく話せ」 「勘定頭のひとり、駒山久三郎にです。料理屋からの帰りのことです。道でたまたまお会いになった。なにかお話をおはじめになった。聞いては悪いと、わたくしは少しはなれて待っておりました。そのうち、駒山さまの声がしだいに激しくなったかと思うと、たちまち刀を抜いて切りかかり、ご主人さまは身をかわすひまもなく……」 「そういえば、駒山はまだ若く、かっとなりやすい性格だったな。それにしても、むちゃだ」  そばで聞いていた妻は、実の父というわけで、声をふるわせながら言った。 「お父上が殺されるなんて、あんまりでございます。早く、なんとか……」 「わかっている。すぐ行って、しとめてくれる。だれか、三人ほどついてまいれ。やつはそれほどの腕前ではないぞ。それから、ひとりはお城へ知らせに行け……」  修吾は三名の若党を連れ、駒山の屋敷へかけつけた。また、お城からも応援がきた。しかし、もはや駒山の姿はなかった。凶事のあと、馬に乗って藩外へ逃亡してしまったらしい。国境に関所はあるが、家臣が通るのをとめるわけにはいかなかった。  つぎの日、修吾はお城へ出て、城代家老のところへ行った。城代は言う。 「修左衛門は、まことに気の毒なことであったな。当藩にとって、かけがえのない人物であったが……」 「さっそくですが、わたくしは、かたき討ちをいたさねばなりません」 「よく言った。武士はそうあらねばならない……」  城代は大きくうなずき、そのあと、声を低くしてつづけた。 「……まさしく、おもてむきはそうだ。しかし、藩の財政となると、これまた重要。さっき、勘定頭たちの意見を聞いたのだが、修左衛門の後任として勘定奉行をつとめられるのは、そちのほかにいないようだ。金銭関係となると複雑で、普通のものには、なかなかやりこなせないものらしい……」  だれも勘定奉行に昇進はしたいが、へたをすると失敗し、あれこれ責任をしょいこむことになる。そこを考え、みな無難な説をのべたらしかった。 「……勘定奉行は欠かせない存在だ。修左衛門はそちにとって、実の父ではない。また、駒山の行為は、私的な犯行でなく、藩に対する反抗とみることもできる。そこでだ、江戸の殿に連絡し、特別なはからいにしたいと思う。すなわち、腕の立つ家臣に上意討ちを命じ、駒山のあとを追わせることにする。そちはここにいて、勘定奉行をつとめてくれ。わたしも話のわからぬ男ではないのだ」 「ありがたいおぼしめし。しかし、そうはまいりません。親のかたき討ちを他人にまかせたとあっては、武士の名誉にかかわります。非は駒山にあるにせよ、殺されたというのは修左衛門の不覚。わが赤松家の名折れでもあります。わたくしが自分でやります」  修吾ははっきりと言う。城代は困った顔。 「しかし、財政をゆるがせにしておくことはできないのだ。そちにいなくなられては、藩として不便だ」 「長くて一年、早ければ半年。その日時を下さい。かならずやりとげます」 「そんなことを言うが、かたき討ちとは大変なことなのだぞ。当藩にだって前例がないわけではない。五年か十年で討てればいいほう。大部分は、かたきを追いつづけて一生を終ることになる」 「そんなことにはなりません」 「また、えらい自信だな。かりに、駒山を追いつめたとする。しかし、むこうも必死だ。勝てるとは限らぬぞ」 「負けるかもしれないなど考えていたら、かたき討ちはできません。これは武士の意地にかかわることなのでございます。やつを討ちはたす。わたくしの心にあるのは、それだけです」 「そちが、それほどまでに激しく武士の道に徹しているとは思わなかった」  城代は意外そうな表情だった。 「かたき討ちに出るのを、ぜひ、お許し下さい」  修吾は熱心に主張した。もっとも、これにはわけがあった。修左衛門の死を知った時は、彼もかたき討ちなど気が進まなかった。成功率が一割にもみたず、のたれ死にが多いことなど、もちろん知っていた。  困ったことになったなと思いながら、昨夜、一段落したあと、修左衛門の部屋へ入り、手文庫のなかを調べてみた。要領のいい人だったから、なにか万一の際のためにと書き残したものがあるのではないかと思って。そのたぐいはなんにもなかったが、ひとつの鍵《かぎ》が出てきた。  なんの鍵だろう、それはすぐにわかった。かたい材質の木で作られた、部屋のすみの押入れ。そこの錠にぴたりと合った。それをあけてみる。そして、発見したのだ。  いくつもの千両箱。からではなく、いずれも小判がつまっている。  ははあ、商人たちからのつけとどけを、ためこんだというわけだな。修吾にはすぐにわかった。賄賂《わいろ》を取るこつを、それとなく教えられていたからだ。  修左衛門について、一部に悪評があったのは、このためだな。しかし、それを一掃するのに、これはまたとない機会だ。赤穂浪士の義挙は、武士たちのあいだで、いまも敬服の念をもって語られている。先日、それをあつかった芝居をする一座が、この藩にも来て、いやに好評だった。  ここで親のかたきを討てば、修左衛門の悪評は消える。また、自分の名はいっぺんに高まり、武士のかがみという威信がつく。しかるのちに勘定奉行の地位につけば、どこからも文句が出なくなる。名実ともに藩の重要人物ということになる。しかし、他人にたのんで討ってもらったのでは、そうはいかないのだ。  修吾は修左衛門の教育により、いまや金の力をよく知っている。金さえあれば、不可能なことはないのだ。たとえ、かたき討ちでも……。  そんな事情を知らない城代家老は、首をかしげ腕組みをする。 「どうたのんでも決心は変らぬようだな。しかし、それにしても、そちの留守中の財政のことが心配でならぬ」 「出発は四日後にいたします。そのあいだに、数カ月間の金のやりくりについて、指示を与えておきます。また、商人たちにも会い、よろしくたのんでおきます。途中でなにか思いついたら、手紙で対策を命じます」 「それはありがたい。ところで、正式にかたき討ちに出るとなると、家督相続、奉行への就任はそのあとということになる。そちの留守中、わたしが勘定奉行を兼任することにしよう。だれかを任命し、あとで格下げでは当人に気の毒だ」 「大変なお心づかい……」 「勘定奉行の地位は、保証しておく。そればかりではない。帰国のあかつきには、加増は確実だぞ。藩としてもめでたいことだし、殿もお喜びになる。そうだ。旅費がいるだろう。好きなだけ持って行くがいい。なにかと金がかかるものだぞ」 「ありがたいお話ですが、武士のたしなみ、いくらかのたくわえはございます。それに、勘定方をつとめる者が、かたき討ちという私的なことに金を持ち出したとあっては、ひと聞きがよくございません。よくない前例を作ることにもなります」 「それもそうだな。なにからなにまで、みごとな心がけ。感心のほかはない。そちは修左衛門にまさる人物のようだな」 「おそれ入ります。お願いは、あだ討ちの免許状のことだけです」 「わかっておる。江戸屋敷を通じ、すぐ幕府へとどけさせる。その控えと、事情を書いてわたしの印を押した書類とを作って渡す。それがあれば、どこからも文句は出ない。どこの関所も通れる」 「ありがとうございます」 「かたきにめぐり会えぬようだったら、途中で帰国してもいいぞ。上意討ちに切り換えるようにする。藩の財政のほうが重要なのだ」  いたれりつくせりの条件だった。普通だと、わずかのせんべつだけで追い立てられ、目的をとげるまで帰国は許されないのだ。  この修吾の場合は、もっともっと条件がよかった。留守中の注意を勘定頭たちに指示して帰宅すると、毎晩のように、城下の大商人たちがやってくる。 「修左衛門さまには、ひとかたならぬお世話になり、もうけさせていただきました。惜しいかたです。これは少しですが、香典として供えさせて……」 「かたじけない。じつは、わたしは、そのあだ討ちに出かけなくてはならない」 「そのうわさは、もっぱらでございますよ。なんという勇ましいこと。めでたく本懐をとげて帰国なされば、勘定奉行とか。そうなったら、先代さま同様、よろしくお引き立てのほどを……」 「承知しているよ」 「その日が一日も早いようにと、ちょっとした品を持ってまいりました。きっとお役に立ちましょう」  ずしりとした手ごたえで、小判の包みとすぐわかる。 「かたじけない。かならず期待にこたえてごらんに入れます」  かなりの金が集ったのだった。戸棚にためこんであった修左衛門の金と合計したら、ひと財産。一生遊んで暮せるほどになる。  商人のなかには、こんなのもあった。 「かたき討ちとか。ご成功を祈ります」 「うまくやりとげるつもりだ」 「なにか、せんべつの品をと思いましたが、重くてお荷物になってはと思い、こんなものを持ってまいりました。どうぞ……」 「書状のようですな」 「はい。各地の同業者への、わたくしからの紹介状です。お金にお困りになりましたら、これをお示しになって下さい。いくらでも用立ててくれるはずです。あとは、わたくしが始末しますから、ご遠慮なく借用証をお書き下さい。これは、全国の地図に、同業者の店の所在地をしるしたものです」 「それはそれは、便利なものを、ありがたくいただいておく」 「そのかわり、勘定奉行にご就任のあとは、よろしくお願いしますよ」 「わかっているよ」  もっとすごいせんべつをくれた商人もあった。 「かたきの駒山久三郎の似顔絵を、各地の同業者にくばってあります。姿を見かけたらすぐ連絡がとれるように手配しております。大きな町にお寄りの時は、わたくしの同業者をおたずね下さい」 「それこそ、なによりのご好意、利用させていただくよ」 「その似顔絵を少し余分に刷りましたので、持参いたしました。旅のお荷物にお加え下さい。必要になる場合もございましょう」 「かさねがさね、かたじけない」  商人たちは、話のわかる勘定奉行をなんとか早く実現させたいと、みな、わがことのように熱心だった。  赤松家は千二百石。使用人として若党十二人、中間八人、下女六人がおり、それに馬四頭をそなえていた。中間とは荷物を運んだり、馬のせわなどをする雑用係。刀を差すことは許されていない。若党はそれより少し格が上、大小を差すことができ、武士なみの服装。邸内にあって、取次ぎ、身辺のせわなど、秘書のような仕事をしている。  修吾はそのなかから、若党三人、中間四人を連れてゆくことにした。いずれも健康な若いやつ。馬は二頭、一頭は乗用、一頭は荷物用。資金は充分。途中で不足すれば、手紙を屋敷に出し、若党に持ってくるように命じればいい。また、商人の紹介状を利用してもいい。  まったく、かたき討ちとして、たぐいまれな好条件の出発だった。  修吾は馬にまたがり、供をひきつれ、ゆるゆる街道を進みながら言った。 「まず、かねてからあこがれていた江戸へ出ることにしよう。こういう機会でもなければ、江戸見物もできぬ。考えてみれば、十九歳で養子となり、二十歳からお城づとめ、いま三十五歳。十五年間、働きどおしだった」 「さようでございますな」 「かたき討ちが終れば、勘定奉行。そうなったら、江戸づめの仕事になることもなく、藩で人生をすごすことになる。心おきなく遊ぶのは、いましかないわけだ」  江戸に入り、いちおう藩の江戸屋敷にあいさつ。それから一流の旅館に滞在することにした。さしあたり、各所を見物。さすがは花のお江戸。にぎやかであり、なにを見ても珍しかった。半年はたちまちのうちに過ぎる。 「江戸には、吉原とかいう面白いところがあるそうだ。ひとつ、出かけてみよう」  そこには、たくさんの美女がいた。修吾はけっこうもてた。だが、ばかではない。それは金があればこそだぐらい、自分でもわかっている。それがわかって遊んでいると、とめどもなくおぼれることもない。毎日かよいつづけのせいもあったが、半月もすると、いいかげんにあきてきた。 「女遊びも悪くないが、おなじことのくりかえしのような気がしてきた。なにか、もっと変ったことはないものかな」  すると、店の者が言った。 「では、たいこもちでもお呼びになったら。芸ができ、話し相手のうまい男のことです」 「そんなのがいるのか。たのむ……」  やがて、たいこもちがやってきた。 「おや、殿さま。昼間からお遊びとは、さすがけっこうなご身分で……」  いやになれなれしかった。しかし、うまれてはじめて殿さまと呼ばれ、これはなかなか刺激的なことだった。 「いやいや、殿さまというほどのものではない。ただの、いなかざむらいだ」 「これはまた、なんと奥ゆかしいこと。それでこそ殿さまですよ。江戸には、殿さまなんて、はいて捨てるほどいる。下っぱの旗本なんか、直参であるというだけで、殿さまと呼ばないと怒るとくる。あっしはね、そんなやつらは、決して殿さまなんて呼びやしませんよ。たいこもちだって江戸っ子だ。殿さまらしい風格をそなえた人しか、そう呼ばないんです」 「なかなかいいことを言うな。面白い。金をつかわそう」 「や、拝領品をいただけるとは。殿さま、ありがたきしあわせ……」 「なんだかんだ言っても、おまえは金にさえなれば、だれでも殿さまと呼ぶんだろう。旗本だろうが商人だろうが……」 「ま、そんなとこで。さすがは殿さま。頭が鋭い。うわさにたがわぬ名君……」 「調子のいいやつだな」  その時、たいこもちは急にまじめそうな口調になった。 「しかしねえ、殿さま。あなたには、なにか普通の人とちがったところがございますな。人生のかげといいますか、悲しみといいますか、暗い情熱といいますか、なにかを内心に秘めておいでだ。そこが魅力的だ。なぞめいている。江戸の軽薄な連中とはちがいます。なぜでしょうなあ。考えさせられますな」 「じつはな、父のかたきを追って、藩から出てきたのだ」 「え、えっ。それは本当ですか。まさか……」  たいこもちは、びっくりした。本心から驚いた。きまり文句のおせじを言ったら、こんな答えが出てくるとは。吉原で豪遊しているかたき討ちなど、聞いたことがない。二の句がつげなかった。 「ふしぎかね」 「いえいえ、もしかしたらそうじゃないかなとの予想が当って、われながら感心したというわけですよ。こちこちに意気ごんだりせず、まず英気を養う。余裕があります。大石内蔵助も敵の目をあざむくため、京都で豪遊をなさったとか。その作戦でもあるわけですな。遠大にして大がかりな計画……」  修吾は気がつき、頭をかく。 「つい、つり込まれ、よけいなことをしゃべってしまったようだな。こいつ、よそへ行ってぺらぺら話しそうだな。どうしたものだろう」 「そんなお疑いは、ひどいですよ。殿さま、あっしも男だ。口は固い。決して他言はいたしません。といっても、信じちゃいただけないでしょうな。こうしましょう」 「どうしようというのだ」 「本懐をとげるまで、あっしは殿さまのそばをはなれない。それならご安心でしょう。きょうからは同志となります。血判を押しましょうか。あたしゃ、殿さまにほれこみました。それに気前がいい。かたき討ちとは、武士道の花。お手伝いさせて下さい。人生の語りぐさになる。で、討入りは、いつ、どこなのですか」 「相手がどこにいるのか、まだわからんのだ。これから旅をしてさがすのだ」 「おやおや、そうでしたか。じゃあ、そのお供をさせて下さい。旅のあいだ、決して殿さまを退屈させませんよ。いえ、お金なんか、どうでもいい。宿泊費さえ出していただければ。じつは、打ちあけたところ、旅をしてみたいと思ってたとこなんですよ」 「面白いやつだ。おまえには妙に正直なところがある。気に入った。少しは旅も楽しくなるだろう。連れていってやる」  たいこもちは、ひたいをたたいて大喜び。 「しめた。ありがたい。きびだんごをいただいて、桃太郎のお供になれた動物の気分がわかりますな。で、べつなお供、女はいかがです。きれいなのをひとり、お連れになりませんか」 「女なら、各地にいるだろう」 「各地の名産をお楽しみになるってわけですな。それもよろしゅうございましょう。じゃあ、商売女じゃない、よく働くまじめなのをひとりどうです。洗濯、ほころびなおし、食事のお給仕など、なにかと便利ですよ」 「そういわれてみると、いたほうがいいかもしれぬな。適当なのを手配してくれ」 「だんだん具体的になってきましたな。そうときまったら、きょう限り吉原遊びはおやめ下さい。お金がもったいない。うまくいってから、また大いに遊びましょう。その時には、ご祝儀をいただきますよ。本懐をとげたあとの祝杯。いいもんでしょうなあ」  たいこもちのほうが熱心になってきた。そして、旅じたくをし、いかにも働きものらしい女をみつけて、修吾の旅館に移ってきた。せかすように言う。 「では、出発といきますか。殿さま」 「そうだな。けっこう江戸で遊んだし」 「かんじんな点。かたきに会った時、勝つみこみはあるんですか」 「そうだ、そのことを忘れていた」 「おうようすぎますよ、殿さま。用心棒をおやといになりなさい。江戸には、金に困っている浪人者がたくさんいる。よりどりみどりです」  江戸には道場がいくつもあった。修吾はそれをまわり、推薦をたのんだ。用心棒と聞いて、そんなくだらぬ仕事はいやだとの反応もあったが、かたき討ちの助太刀と知ると、だれもまじめな表情になり、あとで仕官できるかもしれないとにおわすと、志願者の数はふくれあがった。浪人にとって、こんなうまい話はめったにないのだ。  修吾は彼らに試合をさせ、強いのをえらび出した。また、かたきとつながりがあってはと、身もとを調べ、保証人をつけさせた。かくして、剣術と柔術の達人を、それぞれ一名ずつやとうことができた。  準備がととのった。 「そろそろ出かけるとするか。まず、東海道をゆっくりと西へだ……」 「けっこうですな、殿さま。弥次喜多道中以上に楽しくやりましょう」 「楽しむのはいいが、かたきらしい人物に注意してくれ。それから、旅行中は殿さまと言うのをやめろ。関所の役人に変に思われたら、やっかいだぞ」 「ごもっともで……」  のんきな旅だった。若党や中間が荷物を持ってくれる。用心棒がいるので身は安全。たいこもちのおしゃべりがつき、金は充分にあるのだ。連れてきた女はよく働き、遊ぶ相手の美女はどの宿場にもいる。  かたきの人相書をくばりながら進んだ。 「この人物を見かけたら、大坂へ知らせてくれ。飛脚代は当方で出す。あとで必ずお礼をするから」  途中、すりに金を取られ、困りきっている老人の旅人を見かけた。修吾は金をめぐんでやり、老人は伏しおがむ。 「なんと情けぶかいかた。もしかしたら、水戸の黄門さまでは……」 「そんなにえらくはない。だいいち、時代がちがうよ」 「すると、黄門さまのご子孫で……」 「おじいさん、黄門さまの信者かい。それとも、本の読みすぎかな……」  あれこれ話題にはことかかなかった。  ある宿場に着くと、国もとの藩からの使いが待っていた。修吾は聞く。 「なにか起ったのか」 「大坂の両替店から、藩に対する貸金の、さいそくの話があった。その金を返済すると、お蔵の小判がほとんどなくなってしまう。どうしたものか、だれもいい知恵が浮かばず、貴殿のご意見を聞きたいと思い……」 「まかしておきなさい。そのうち大坂へ行くから、その時に相手に話して、期限をのばしてもらうことにする」 「よろしくお願いします。かたき討ちという重要なお役目の途中、お手数をかけて申しわけありません。あ、それから城代家老が、がんばるようにと申しておりました」 「まもなく目的をとげて帰国するとお伝え下さい」  修吾は伊勢まいりをし、京をまわって大坂へ入る。藩からたのまれた仕事は簡単だった。利息を払い、そのうち景気がよくなるという話をしておけばすむことだ。元金について安心でき、利息さえとれれば、貸し主は承知するものなのだ。  それを片づけ、修吾たちは大坂で遊ぶ。また、藩内の商人からもらった書面を持ち、かたきさがしの手伝いをしてくれるという同業者を訪れてみた。歓迎してくれた。 「よくいらっしゃいました。万事はうけたまわっております。いつおいでかと、お待ち申しておりました」 「で、かたきについての手がかりはわかったか。そろそろ、討ちはたさねばならない」 「少々お待ちを……」  さすがに全国的なつながりを持つ同業者の組織。いろいろな情報が集っていた。かたきの駒山久三郎は、まず長崎へ逃げたとわかった。それから大坂へ戻ってきたが、いつのまにか姿を消してしまったと。それを聞いて、修吾はがっかり。 「すると、消息不明か……」 「ずっと監視はつけてあったのですがね。いっそのこと、しびれ薬でも酒にまぜて飲ませ、とっつかまえてしばりあげ、倉庫にでも閉じこめておいたほうがよかったかも……」 「いや、そんなことをしては、あとで評判が悪くなる。やはり堂々と討たねばならぬ。しかし、これからどうしたものか……」 「そうご心配なさることはありません。大坂からの各街道の要所要所に、似顔絵をくばって手配してあります。いずれ、報告が入りますよ。まあ、のんびりとお待ち下さい。料理屋へでも、ご案内いたしましょう。前祝いという意味で……」  と宴会になるのだった。すべては時間の問題なのだ。金銭による網からのがれきれるものではない。まったく、駒山久三郎としては、とんでもない相手を殺してしまったものだ。  一月ほどがすぎた。商人が修吾の旅館にやってきて言う。 「あれ以来、どの街道からも見かけたという連絡が入らず、変に思っていたわけですが、やっと報告がありました」 「どこへ逃げたのだ」 「海路です。船に乗りこんで大坂を逃げたのです。しかし、当方だって、その点ぬかりはない。各地の港へ懸賞金をつけて手配をしておいたのです」 「すまんな、そこまで手数をかけて」 「いいえ、これぐらいのこと。しかし、勘定奉行になられたら、よろしくお願いしますよ。まず、山林の材木の件を。その実現の早いことを期待すればこそです」 「わかっておる。それより、かたきのゆくえはどうなのだ」 「江戸から飛脚で知らせがありました。船で江戸へ着いたというわけです」 「そうだったのか」 「吉原でさかんに遊んでいるとのことですよ。とまっている旅館もわかっています。見張りもつけてありますから、今度は大丈夫です。しかし、逃げそうなようすもないとのこと。だいぶいい気になっているらしい。油断しているようですよ」 「いろいろと、世話になった。このお礼はきっとする。では、江戸に出かけて討ちとるとするか。みな、出かけるぞ……」  大編成の一行は、ふたたび江戸へ。しかし、また東海道を戻るのはつまらないと、木曾のほうをまわり、山々を見物しながら、江戸へむかう。  万全の準備と、順調な進行。あとは、かたきを討つばかり。供の若党のひとりが言う。 「もっとゆっくり歩きましょうよ。討ってしまえば、それで終り。こんなふうな、期待にみちた旅ぐらい楽しいものはない」  修吾だって同じ思いだった。すべては確実なのだ。こっちには腕の立つ用心棒がいる。失敗はありえない。そして、討ちはたして帰藩すれば、栄達が待っている。  そうなれば、自分に対して、そろばんと口先だけの人間だというかげ口など、だれも口にしなくなるだろう。武勇にひいでたさむらいだとの名声、人気があがる。勘定奉行という地位、加増もある。まさに藩内随一の実力者。なにもかも思いのままにできるのだ。  その内心を察するかのように江戸へ着くとたいこもちが言った。 「どうせ勝つんですから、はなばなしくやりましょう。あっしが行って、うまいこと相手を日本橋まで連れ出してきます。そこでお討ちなさい。評判になりますよ。かわら版にもなるでしょう。大げさに、うまいぐあいに書いてくれるにきまっています。少しは金をつかませておいたほうがいいかもしれない。それを何枚も持って帰国すれば、こんないいおみやげはありませんよ」 「そうかもしれぬな」 「助太刀のお二人がおいでなんですから、負ける心配はない。ね、そうでしょう」 「よろしくたのむ」 「お祝いの会は、盛大にやりましょう。楽しみですな。まだお金はあるんでしょう。残ったお金は、ぱあっと使ってしまいましょうよ」  打合せはすみ、かたきの駒山久三郎は日本橋へとおびき出されてきた。べつに用心棒も連れていない。待ちかまえていた修吾は声をかける。 「やあやあ、なんじは駒山久三郎だな。半年前、わが父、赤松修左衛門を殺害して逃走。ここで会ったからには、逃がしはせぬ。覚悟しろ……」  その大声で、人だかりができた。助太刀の二人は、すぐにでも飛びかかれるようにと、そばにいる。しかし、なんということ、相手の駒山は平然としていた。 「わかっているよ。覚悟はできていた。だからこそ、長崎へ見物にも行ったのだし、思い残すことのないようにと、吉原で遊んだのだ。ついに金がなくなり、つけがかなりたまってしまった。ちょうどいいところへ来てくれた。もう、どうもこうもならないのだ」 「えらくあきらめがいいな。なんとなく、張り合いがなくなる。しかし、武士の意地、討たねばならぬのだ。覚悟しろ……」 「覚悟のことなら、それ以上はくどいよ。しかし、なぜわたしが赤松修左衛門を切ったのか、知っているか」 「そんな理由、いまさらどうでもいいことだが、聞くだけは聞いてやろう。しおらしさに免じて……」 「なにも知らぬようだな。商人からの賄賂の分け前をめぐっての争いのあげくだ。わたしがまとめた商談だった。だから、半分ずつという約束だったのに、三分の一しかくれなかった。そこで、かっとなって……」 「そうとは知らなかった」 「考えてみれば、乱脈をきわめた話さね」  修吾には事情がわかってきた。この豪勢なかたき討ちに出られた、あの千両箱の山の意味が。そういえば、修左衛門は勘定奉行をなかなかやめたがらなかった。金をためる面白さにとりつかれてしまったのだろう。ありうることだ。自分だって、藩に帰ったらそれをやるつもりなのだ。修吾は言う。 「そういう藩の秘事を知られていては、なおさらためにならぬ。ここで見のがすことはできない。覚悟しろ……」 「またか。くどいね。わかっているよ、わかりすぎている。金にものをいわせて、貴殿がかたき討ちにやってくることもね」 「だから、どうだというのだ」 「覚悟はできているが、なにも死にたくはない。つまり、文書を作ってあるというわけさ。藩の内情についてだ。それを読まれると、藩内の取締り不行き届きということで、お家はとりつぶしになりかねない。殿さまはじめ家臣一同、みな困ることになるぜ」 「いったい、なにを書いたんだ。教えろ」 「知りたいだろうな。それは簡単なことだ。わたしを殺してみるんだな。わたしが死ぬと、それが幕府の評定所にとどくしかけになっている。そこで表ざたになり、知れわたるというわけさ。さあ、どうぞ、ご遠慮なくお切り下さい。それとも……」 [#改ページ]   藩医三代記  海ぞいの地方に、小さな藩があった。とくに問題をかかえこんではいない。江戸の幕府からにらまれてもいず、まあまあといった状態でおさまっていた。  そこの藩医に平山宗白というのがいた。禄高《ろくだか》は五十石。医師であっても身分は家臣で、その点ほかの武士と変りはない。苗字《みようじ》もあり腰に大小をさしている。もっとも、頭はちょんまげでなく、くわい頭という、なでつけたような髪形にしている。彼は下級武士むけの医師だった。  藩医は、あと二人いた。いずれも百石で、おめみえ以上、すなわち殿にお目通りできる資格を持っている。そして、坊主頭。殿の側室や侍女たちの住居、奥御殿にも出入りするので、情事に発展するのを防ぐため、こんな習慣となっているのだろう。  ひとりは殿の専属。定期的に殿の健康診断をやり、参勤交代の時は、いっしょに江戸へ行く。もうひとりは、上級家臣たちの担当だった。  この三人、いずれもそう忙しい仕事でなく、のんびりした毎日だった。藩医は世襲であり、他の家臣たちのように、お城づとめをして各種の役目を歴任することはない。  藩内の医師は、この三人だけ。領民むけの医師などいなかった。町医者がいるのは、よほどの大きな町だけで、そこにおいても数はしれている。そういう時代だったのだ。  宗白のむすこに、元服を二年ほど前にすませた、宗之助という少年がいた。彼の不満は三つあった。  元服の時を境に、それまでやっていた剣術の稽古《けいこ》をやめさせられてしまったこと。剣術ぐらい面白い遊びはないのに。仲間たちからばかにされているように思えてならない。  第二に、勉強ばかりやらされること。藩校にかよって本を読み、帰宅すると、父に与えられる本を読まされる。これはなかなかつらいことだった。  第三に、父の頭がちょんまげでないこと。わが家だけがなにかのけ者あつかいされているようで、みっともない気がする。  宗之助がこれらを父に言うと、宗白は答えた。 「いいか、おまえはやがて、わたしのあとをつがねばならぬ。患者の脈をみなければならない。木刀を握ったふしくれだった手では、ありがたみがない。また、皮膚が厚くなっていては、脈の微妙な変化を判定しにくいのだ」 「そういうものですか」 「勉強をしなければならないのは、患者に文句を言わせないためだ。相手の読めないような字を読み、相手の理解できないような理屈をしゃべれば、みな恐れ入ってくれる。それから頭のまげのことだが、これはこういう習慣なので、どうしようもないことなのだ」 「わかりました」  宗之助は、なっとくせざるをえなかった。いかに不満であっても、勝手に人生を選べない時代だ。商人や坊主になれるわけでもない。他の家臣の養子になることはできるが、長男ではそれも許されない。宗之助はこれらを知っており、父の仕事をみならうべく努力した。  時どき、父から薬草の調合をやらされる。薬研《やげん》という舟の形をした金属製の器具を使い、粉砕と混合をやる。さまざまな妙なにおいがたちのぼるが、幼少のころからなれていることで、さほどには感じない。  しかし、このにおいはわたしの衣服にしみこんでおり、すれちがう他人の注意はひくだろうな。しかし、くわい頭で医師だとはっきりさせておけば、ああそのためかと、妙な目つきで見られなくてすむ。そのための髪形なのだろうな。宗之助はこう考え、ひとりうなずく。  宗白父子の住居には、ひきだしのたくさんついた棚がある。各種の薬草が分類されてしまわれているのだ。また、さまざまな呪文《じゆもん》を書いた紙片も用意されている。他の人には、なにやら怪しげなものを感じさせるかもしれない。  宗白はむすこの宗之助に、学問のほか、骨つぎ、ハリ、キュウ、あんまをも教えこんだ。そして、ひまがあると、宗之助に自分の肩をもませた。 「これで、おまえに大体のことは教えた。あと二年もしたら、家督をゆずって隠居する。そのつもりで、しっかりやってくれ」 「しかし、まだ自信がありません。薬草の使用法はなんとかおぼえましたが、呪文の紙の使いかたがよくわかりません」 「本を読んでおぼえこむことだな。天地は木火土金水の五行と、六つの季節すなわち六気の運行で成り立っている。それが五臓六腑に影響をおよぼし、病気となるのだ。これが原則だが、呪文は病気に応じ、いろいろある。まあ、わたしのやっているのを見ていれば、そのうち身につくだろう」 「しかし、手当てのかいなく患者が死んでしまった時のことを考えると、心配でなりません」 「それを気にすることはない。いまだかつて、病人が死んだ場合、治療法が悪かったせいだと、おとがめを受けた医師はいないのだ。将軍が死んだって、医師に責任はおよんでこない。なにかのたたりで発病した時など、その原因はつかみにくく、助けようがない。その責任まで押しつけられては、医師のなりてがない」 「その点は気を楽にしていいわけですね」 「まあ、その点だけだな。あとは、あんまりいいことはない。禄高は低いし、普通の武士にくらべて、軽く見られている。しかし、これが祖先からわが家が代々やってきたつとめなのだ。この仕事をはげまなければならない」  藩医は、いまでいう軍医。上からの命令の「だれそれを診察してやれ」との指示に従って、それをおこなう。もちろん無料。もっとも、そのために使用する薬草類の費用として、禄高のほかにいくらかをもらっているのだ。このたぐいの患者の数は、そう多いものではなかった。  大部分は非公式の患者。上役に申し出る手続きをうるさがり、藩士が直接に宗白の家をたずねてきて、実費を払って手当てしてもらう。 「手にとげをさしてしまった。上役に言うと、気のゆるみだとかなんとか、あれこれ意見される。なんとかなおしてくれ」 「いいですとも。薬草の汁をつけておきましょう。その上から、このおふだをはる。これはですな。江戸のとげ抜き地蔵からとりよせた、非常にききめのあるものです」 「これはありがたい」  江戸からとりよせたのは一枚だけで、それに似せて版木を作り、複製をたくさん印刷して用意してあるのだ。複製でもいくらかきくだろうと宗白は信じていたし、また、たしかに効果はあるようだった。  藩士ばかりでなく、その家族についての相談もうける。 「じつは、五歳になるむすこのことだが、いまだに寝小便をするので困っている。武士の子としてみっともない。きびしくしかるのだが、いっこうになおらない」 「それはそれは、さぞお悩みでしょう。しかし、どなるだけではだめです。それなりの手当てをしなければ。まず、寝小便を半紙にしませ、それを黒焼きにし、甘草を加え、それに湯をかけて飲ませるのです。はい、これが甘草。それと同時に、この字を寝る前に筆で腹に書くことです」  宗白は紙に書いて渡す。 「妙な字でござるな。なんと読むのか」 「読み方などありません。これは、まじないの記号なのです」  べつな藩士は、こんな相談をもちこむ。 「このたび海上警備の役をおおせつかったが、わたしは船酔いするたちで、うまくつとまるかどうか心配でならない」 「それはですな、へその穴に塩を入れ、その上にこの紙をはりつけなさい。それで大丈夫です。よほどの大波の時には、ヘイコクコウボウと呪文をとなえなさい」 「お教えいただき、かたじけない」  そのほか、子供の虫封じとか、乳の出の少ない女性とか、それぞれ病気に応じた治療法を教えてやる。いずれも、まじないと薬草との併用だった。  宗白は性格がまじめであり、それが巧まざる演出となっていた。親切と自信にあふれた口調。患者たちはみな、それなりに満足していた。けっこうなおったし、なおらない場合も、それは宗白が悪いのでなく、自分の病気のほうが悪いのだろうと思う。  時には急病で呼ばれることもある。 「宗白どの。すぐ来てくれぬか。隠居している父のようすがおかしい」 「食あたりか……」 「いや、そうではないようだ。胸が苦しいと言っている。早くたのむ」 「よろしい。参りましょう。おい、宗之助、薬箱を持ってついてきなさい」  宗白はかけつけ、横たわっている病人を見て、首をかしげながら言う。 「いささか手おくれのようだが、できるだけの手当てをしましょう。宗之助、これとこれの薬草を調合しなさい……」  それを飲ませてから、患者の耳もとで大声で告げる。 「……しっかりして、この呪文をおぼえなさい。オンハラダハントメイウン。如意輪《によいりん》観音のまじないで、悪事災難を防ぎます。しかし、声に出すことなく、口のなかでとなえるのですよ」  と指示を与えて帰宅する。つぎの日、薬石効なく死亡したとのしらせがあるが、宗白はあわてない。 「ずいぶんとご高齢でしたからな。気力がつづかず、呪文をとなえつづけられなかったのでしょう。お気の毒に……」 「そうでしょうね。これも天寿でしょう。いたしかたありません。お手当て、ありがとう存じました」  遺族はお礼をおいて帰る。金は受取らなければならない。使用した薬草を補充しておかないと、たちまち品切れになってしまう。  宗之助は父に質問する。 「急病人の時の心得はなんでしょう」 「食あたりかどうかを、まずみきわめる。それだったら薬草によって、はかせるか下痢させるか、なにしろ早く体外に出すことだ」 「食あたりでなかったら……」 「むずかしい。正直なところ、運を天にまかせる以外にない。そもそもだな、前もって相談を受けていれば、薬草によって体調をととのえることができなくはない。しかし、急に飛びこまれたのは、どうしようもないのだ」 「あの呪文、なぜ声に出してとなえてはいけないのです」 「声に出していながら、みるみる悪化したのでは、効果について怪しまれる。声に出していなければ、口のなかでとなえるのをやめたから死んだのだろうと、遺族もあきらめてくれるのだ」 「本当に呪文はきくのですか」 「本にも書いてあるし、どの医師もやっていることだ。となえないよりはききめがあるはずだ」 「そうかもしれませんね」 「そのため、助かるかどうかをみきわめることが、なによりも先決だ。これは経験をつむとわかるようになってくる。それによって、力強くはげますか、本人をやすらかに死なせ遺族に悔いを残させないようにするか、方針がわかれるのだ。ここが医師の才能であり、存在価値だろうな」  こういうことを、宗白は無責任で言っているのではなかった。これが当時の医術。腎虚《じんきよ》なる言葉があり、腎臓と性的なものの関連が常識となっていた。その腎臓がどこにあるのかさえ、多くの医師は知らなかった。  江戸城の将軍も、大奥の女性も、なにかからだに異常があると、すぐに加持祈祷《かじきとう》をおこなった。医師よりも神仏が優先。だから、寺社へ寄進する金額のほうが、医師への支出よりはるかに大きかった。  これは地方の藩においても同じこと。寺社奉行となると大変な重職だが、医師はせいぜい百石ぐらいの格しかない。  そもそも、人体がどうなっているのか、だれも知っていない。かりに知ってたとしても、細菌性の病気への薬がなかった時代。すなわち、肺炎、赤痢、伝染病など、なおしようがない。天然痘《てんねんとう》が流行すれば、赤い色の布を身にまとって防ぐ以外にない。肺病になれば、黒ネコを飼い、背中に四角い紙をはり、その四すみにキュウをすえるという手当てを受ける以外にない。  いかに全国最高級の将軍専属の医師でも、さらに的確な治療法を知っていたわけではないのだ。将軍が他の者にくらべ特に長寿をたもってもいない。なおらぬ病気にかかったら、それが運命であり、だれもやむをえないとあきらめる。 「文句なくきくという薬があるといいでしょうにね」  宗之助が言うと、父の宗白は答える。 「わたしもそう思うな。しかし、そんなものはほとんどない。みごとにきくのは、毒の薬草しかない」 「そんなのがあるのですか」 「毒殺用の毒などは、みな、てきめんにきく。人を殺すのは命を助けるより、はるかに簡単だ。しかし、わたしが言いかけたのは、そのたぐいではない」 「なんのことでしょう」 「わたしがむかし、山の森のなかである薬草を発見した。そこのひきだしに入れてあるやつだ。これを飲ませると、たちまち熱が出て頭痛がおこる。まあ、一種の毒草だ」 「なおるのですか」 「いまのは葉っぱのほうだが、根の部分をせんじて飲むと、それがおさまる。まず、ネズミに飲ませて調べ、わしも少しずつ飲んでたしかめてみた」 「ふしぎな作用ですね」 「そこでだ、それならばと、発熱頭痛の病気にも、この草の根の部分が解毒剤としてきくかなとやってみたが、まるでだめだ。皮肉なものだな。新しい薬の発見とは、かくのごとくむずかしい」  宗之助が二十一歳になった時、父の宗白は隠居を願い出て許され、宗之助が家督をついだ。生活にたいした変化はない。髪をくわい頭にし、父のやっていたことを彼がつづけるだけのことだ。薬箱を運んだり、薬を調合したりする役は、下男がやった。  なにかぱっとしたことをやって、みなに腕前を見せたいものだな。若い宗之助は、そう考えたが、こればかりはどうしようもない。  しかし、ある日、お城から急ぎの呼び出しがあった。 「すぐにお出かけ下さい。城下で切りあいがあった。旅の他藩の武士と、わが家臣とが、酒を飲んだあげくお国じまんをはじめ、たがいにゆずらず……」 「わかりました」  宗之助は出かける。父の宗白もついてきてくれた。傷ついているのは、他藩の武士。民家のなかに運ばれ、腕から血を流して横たわっている。  いざとなると身ぶるいがしたが、宗之助はかねて習った通りをやった。傷にやきごてを当て、焼酎《しようちゆう》をぶっかけ、おふだをはり、布を巻きつけて血をとめた。麻酔薬などない時代。大変な痛みだろうが、手当てする宗之助には関係ない。  そばで見ていた宗白は、終ってからうなずいて言う。 「いいだろう。うめいたり血が流れたりですさまじいが、手足の傷なら、たいていなおる。胸や腹も浅い傷ならなおる。おふだのききめで、化膿しなければだがね」 「おふだ、焼酎、やきごて、どれがきくのでしょう」 「まるでわからん。戦場での必要と体験から、この方法ができあがったのだ……」  鎌倉時代には主従が義によって結ばれており、だれも死をいとわなかった。しかし、戦国時代になると、やとわれ武士が多くなり、傷をなおせる医者がいないと、部下が逃げてしまう。そのために外科がいくらか発達した。  細菌の存在など、だれも知っていない。熱やアルコールに消毒作用があるなど、知らないでやっていたのだ。  宗之助は父に言う。 「しかし、江戸幕府ができてから、ほとんど戦乱はない。進歩もとまったままですね。負傷者が続出すれば、あれこれ、こころみられるのに」 「それ以上は言うな。不穏な言動だとおこられることになるぞ」  その他藩の武士は、温泉で休養し、なんとか全快した。宗之助はいちおう仕事を片づけることができた形だった。しかし、これが職務なので、とくにほめられることもなかった。もっとも、死んだとしても、責任を問われるわけでもない。このへんを考えると、自己の役割りがぼやけ、宗之助はちょっと面白くなかった。  しばらくして、またお城から呼び出しがあった。出かけると、上役がこう言う。 「じつは、内密で相談がある。先日の刃傷《にんじよう》事件のことについてだが……」 「あれはなおったはずですが」 「それがよかったのかどうか、わからなくなったのだ。あの武士、帰国して、ここでひどい目にあったと報告したらしい。そこの領主から、わが藩に厳重な抗議があった」 「はあ……」 「むこうは大藩、こっちは小藩、無理とわかっていても頭を下げざるをえない。ほっとくわけにいかず、切りつけたわが藩の者に切腹させて、ことをおさめることにした」 「ひどい話だ。それなら、助けるのじゃなかった。しかし、わたしの責任じゃありませんよ。やつが勝手になおってしまったのです」 「わかっておる。しかし、切腹を命ぜられた者、わが藩の無事のためであり、あとの家族の面倒はみると話しても、うけつけない。不平をこぼしている。このままだと、みぐるしい切腹にならぬとも限らぬ。他藩の使者の前で、恥をさらしかねない」 「困りましたな」 「なんとかならぬか。堂々と切腹する気になる薬草か呪文はないか」 「医師としての仕事からはみ出ますが、やってみましょう」  宗之助は酒を持って出かける。その家臣は刀を取りあげられ、上役の家に閉じこめられていた。宗之助は酒をすすめた。 「ご同情にたえません。こうと知ってたら、他藩のやつの手当てをしなければよかった」 「わたしも、こんなことで切腹とは、くやしくてならぬ」  よほど不満なのか、やけ酒のごとく、あっというまに飲んでしまった。 「しかし、ここはわが藩のために、覚悟をきめるべきではないでしょうか。どっちにしろ、あなたは助からないんですよ」 「なんのことだ」 「これは内密ですが、いまの酒に毒を入れておいた。一日たつと、頭が痛み熱が出てくる。しだいにひどくなり、そして終りです。いっそのこと、はなばなしく腹を切って、後世に語りつがれたほうがいいでしょう」 「なんだと、卑怯な」 「まあ、落ち着いて、落ち着いて。ここのところをよくお考えに……」  宗之助は逃げ帰る。  しかし、数日たって、その家臣がみごとに切腹したと聞かされた。発熱し頭痛がおこり、どうやら本当に毒を飲まされたらしいと知り、どうせ助からないのならと、思い切りがついたのだろう。内心、家老たちをあざ笑いたい気分だったかもしれない。微笑を浮べ立派な最期だったという。その家臣の家は形式の上で断絶となったが、むすこは新規召し抱えとして藩士となった。丸くおさまったといえる。  宗之助は、父の発見した薬草のききめをみなおした。頭痛と発熱をひきおこす作用があるらしい。毒も使いようで役に立つぞ。  そのうち、またもそれを使う機会にめぐまれた。  宗之助が城下を散歩していると、みすぼらしい少年武士にであった。空腹らしい。めしを食わせて事情を聞くと、父のかたきを追ってここまで来たという。 「それで、かたきをみつけたのか」 「はい。このさきの旅館にとまっています。しかし、相手は強い武士。わたしには討てそうになく、困っているのです」 「なるほど。しかし、安心しなさい。わたしは当藩の医師。かたきを討てる薬をあげよう。これを飲んで三日目にやりなさい。かならず勝てる」  そして、にがいだけの、ただの薬を少年武士に飲ませた。一方、かたきのとまっている旅館に行き、女中にたのんで、例の毒草を飲ませる。翌日、近くをうろついていると、かたきの武士から声をかけられる。 「医師とおみうけする。みていただきたい」  宗之助、あれこれもっともらしく診断し、そっと言う。 「これは、わたしの手におえない。のろいです。あなたに殺された人の霊がとりついている。頭が痛く、熱っぽいでしょう。だんだんひどくなり、しまいには狂い死にをする。なにか原因に心当りは……」 「ないこともない。同僚の武士をやみ討ちにし、逃げまわっているのだ。それかもしれぬ。で、なおらぬというのか」 「むずかしいでしょうな。これは、あの世に行ってもなおらず、成仏できません。霊魂ののろいが消えれば、あなたの死後の魂は救われるでしょうが」  おどかして帰ると、ころあいをみはからって、少年武士が乗りこむ。 「やい、父のかたき、尋常に勝負しろ」  かたきのほう、こうなると、ここで討たれて、せめて死後の成仏だけはしたいという気になっている。かえり討ちにしてもいいが、死後まで狂い死にがつづいてはかなわん。勝敗はあきらか。  少年の感激といったらなかった。宗之助にお礼を言って、故郷へと帰っていった。その帰途、ほうぼうでこの話をしたにちがいない。  何カ月かすると、宗之助の家に武士の訪問客があり、こんなことをたのむ。 「うわさによると、こちらに秘伝のかたきうち薬があるとか。大変なききめだそうで。ぜひ、おゆずりいただきたい。かたきを討たぬと帰参できない身の上なのです」 「ははあ、あのにがい薬のことですな。よろしい、おゆずりしましょう。かたきにめぐりあった時に、お飲み下さい。それから三日後に、たちあうのです。代金はけっこうですよ。みごと本懐をとげられたあとで、おこころざしだけお送り下さい」 「かたじけない」  相手は大喜び。にがいだけの薬だが、あるいは、いくらか気力を高める役に立つかもしれない。立たなかったとしても、あとで文句をつけられる心配はない。  宗之助は、だんだん要領を身につけてきた。毒とハサミは使いようだ。  しかし、平凡な毎日。家臣の家族たちの、せきがとまらぬとか、犬にかまれたとかの手当てをし、まじないをくりかえす。実費はもらう。しかし、そう大金を請求するわけにいかず、金額はしれていた。  もっと派手なことをやりたいものだ。宗之助は武芸をやらず、内心のもやもやの発散することがなく、それは妙な空想となる。  そもそも、医師のありがたみなるものを、みなが知らないのがよくない。ありがたみを示さなければならない。戦乱の世となればいいのだが、それは期待できない。医師への信用と需要とをかきたてる、なにかいい方法はないものか。  考えてたどりついたのは、例の毒の薬草。  宗之助が目をつけたのは、藩内の大波屋という商人。海運業をやっており、金まわりは悪くなく、藩にも金を貸している。その見返りとして、苗字帯刀を許されている。  宗之助は茶店の主人にたのみ、お茶にまぜて大波屋に飲ませることに成功した。あの人は病気のようだ、これを飲ませてあげなさいと言うことは、医師として不自然でない。  二日ほどし、大波屋を訪れ、薬草の注文を江戸へとりついでくれないかと言う。応対に出た番頭が言う。 「じつは、主人が病気になりまして、苦しんでおります。みていただけるとありがたいのですが」 「いいですとも。こちらのご主人は、苗字帯刀を許されている。家臣と同格です。手当てしてさしあげましょう……」  部屋に通り、横たわっている主人に言う。 「……ははあ、頭が痛く熱っぽいのでしょう」 「はい。よくおわかりですね。驚きました。なおるものでしょうか」 「金まわりがいいと、木火土金水の五行のつりあいが狂い、からだにそれがあらわれるのです。火、すなわち熱が出る。むずかしいですが、できるだけのことをやってあげましょう。土の精の産物である薬草を、水にとき、木製の容器で飲まねばならぬ」 「ぜひ、お助け下さい。お礼はいくらでもお払いします。むずかしい理屈より、早く手当てを……」 「わかっています」  宗之助は父から教わった例の薬草の根の部分をせんじ、もっともらしく飲ませる。翌日、当然のことながら、症状は消える。  あまりのあざやかさに、大波屋の主人は感嘆する。宗之助をまねいて、全快祝いのごちそうをした上、多額の金銭をさし出す。 「これを受けとっていただきたい」 「ずいぶんありますな。しかし、わたしはお城から禄をいただいており、生活はなんとかなる。そこでです、じつはわたしに、ひとつの計画がある。この金は、それに使っていただきたい」 「どんなご計画で……」 「お城にはわたしのほかに、あと二人の医師がいるだけ。わが藩に三名というわけです。しかし、家臣はまだいい。領民たちは、医師にかかることができないでいる。小さな診察所を作り、わたしがひまな時には、そこで手当てしてあげようというのです」 「それはご立派なことです」  宗之助は、藩の上役に許可を求めた。これができれば、殿さまへの尊敬も高まる。他藩に移ろうなどと考える領民もいなくなる。金は大波屋が出すので、藩の出費はふえない。もちろん、家臣の手当てが優先で、そのひまな時を利用してやるのであると。  その計画は許可になった。小さな建物が作られ、江戸からとりよせた各種の薬草がそろい、使用人がひとりつけられ、なんとか体裁がととのった。  かくして、領民たちははじめて医療の恩恵を受けられることとなった。これまでは町医者がいなかったのだし、かりにいたとしてもそれに金を払える余裕などなく、まじないのほうを医師より信用している者が大部分だった。なんという進歩。貧しさゆえの悲劇はなくなったのだ。  もっとも、金を湯水のごとく使える将軍だって、たいした治療を受けていたわけではない。この程度の医療なら、受けても受けなくても大差なく、うらやむことなどなにもないのだが。  しかし、ことは気分の問題。これは、すべてにいい結果をもたらした。領民たちは、信じられないような喜びよう。殿さまへの感謝も高まる。金を出した大波屋の人気もあがる。そして、いうまでもないことだが、宗之助は神さまあつかいされた。依然として禄高は五十石だが。  こういう仕事があるのは、退屈しているよりいいことだ。宗之助はひまがあると、診察所へ出かけて仕事をした。領民たちはありがたがっており、どんな手当てでも喜んでくれる。おふだ一枚と安い薬草をやれば、だいたいなおる。やまいは気からなのだ。  なおらなくても、文句は出なかった。手当てを受けられたのだからと、感謝しながらあきらめてくれる。それをいいことに、宗之助は各種の薬草をこころみた。飲ませるとからだがぐったりし、飲用を中止するともとへもどる薬のあることを知った。煙にして吸わせるとおかしくなる薬の存在も知った。  宗之助は、大波屋の娘を見そめた。主人を病気に仕上げ、熱心に看病してなおし、そこにつけこんで申し出る。 「娘さんを嫁にいただきたい」 「そちらさえよろしければ、どうぞ。なにしろ命の恩人なのですから」  商人ではあるが苗字帯刀を許されていて、家臣の格だ。身分上の問題はなく、許可になり、その婚礼がおこなわれた。  宗之助は経済的にゆとりができた。金のある商人たちからの、診察の依頼がふえたのだ。請求しなくても、かなりのお礼を持ってくる。  やがて、父の宗白が死んだ。海へ釣りに出て、舟がひっくりかえったためだ。葬式のあと、宗之助は襲名して宗白となった。これは代々の習慣なのだ。  そのあと長男が出生した。宗太郎と名づけ、注意して育てた。当時の幼児死亡率はきわめて高く、注意も意味ないわけだが、宗太郎は無事に成長した。幸運のおかげというべきだろう。  宗白、すなわち襲名した宗之助は、まじめな父がいなくなって、さらに欲が出てきた。これだけ才能があるのに、下級武士相手の医師とは。殿や家老を診察できる地位につきたいものだ。彼はその計画にとりかかった。  しかし、殿に毒の薬草を飲ませるのはむずかしい。そばに毒見役がいて、殿の口に入るものを調べているからだ。  宗白は薬草をとかしこんだロウソクを作った。外側を美しくいろどり、大波屋を通じ殿へ献上させた。  殿は夕刻、机にむかって読書をすると聞いている。つまり、殿は灯のそばにあり、側近の小姓ははなれている。薬草の煙を吸うのは、殿だけとなるはずだ。  待ちかまえていると、城から呼び出しがあった。お側用人が言う。 「じつは、殿がご病気だ。いまの医師の手当てではなおらぬ。知恵を貸してくれ」 「しかし、診察をいたさぬと、なんとも申しあげられません。わたしはおめみえ以下、殿のおそばに出る資格がございません」 「では、その手続きをする」  宗白は昇進し、禄高は百石となった。坊主頭となり、診察をする。責任重大だが、なおすのは簡単。きく解毒剤はわかっている。まず自分で飲んでみせ、殿にすすめる。たちまち全快、お言葉をたまわる。 「宗白、そちの腕はみごとだ。これからは、わしのそばにいてくれ」 「しかし、いままでのかたの役を奪っては申し訳ありません。必要に応じて、お呼び下さるということで……」 「遠慮ぶかくて感心であるな。そのうち、医学についての講義を聞かせてくれ」 「はい……」  数日後、宗白は講義をした。 「そもそも、天地人と申すごとく、人間は天地のあいだにあって、その霊気の影響を受けている。人体は、空気が出入し、水が通過し、血液が循環している。空気は天に感応し、水は地に感応す。血液は当人の運勢にかかわっている。お脈をみるのは、そのためでございます。これをととのえ健康にするため、まじないで天の霊気を助け、薬草で地の霊気をおぎなう。その微妙なるつりあいをきめるのが、医学なのでございます。これについて、ご不審な点はございましょうか」 「よくわからぬが、立派な説のようだな。ほめてとらすぞ」  宗白は面目をほどこした。この信用をさらに確実なものとしなくてはならぬ。彼は昇進の御礼として、霊験あらたかな線香なるものを献上した。そのなかの一本に、毒の薬草がしませてある。いつかはそれが使われるだろう。  待っていると、またも殿は発病。宗白が呼ばれ、手ぎわのいい治療。ますます殿はごきげんがいい。そのうち、こんな相談を持ちかけられた。 「なかなか世つぎがうまれぬ。わしのからだがいけないのであろうか」 「殿はご健康です。しかし、子孫の問題となると、天地陰陽、相性がからんで……」 「どうすればいいというのか」 「新しいご側室を迎えられては……」 「だれか適当な女性がおるか」  うまくいけばもうけものと、宗白は妻の妹を推薦した。 「大波屋の娘などよろしいかと……」 「ふむ。そういうものか。では、わしから家老に話してみよう」  その件がきまった。世つぎの誕生を望むのは、どこの藩でも同じ。大名が正夫人をきめる時は、格式や幕府の許可で大変だが、側室だといとも簡単。  宗白は、こんどは真剣に殿への薬を調合した。祈祷もおこなった。やがて、これこそ偶然の幸運だろうが、その側室が懐妊し、男子の誕生となった。殿も大いに満足なさる。 「宗白、そちのおかげであるぞ」 「いえ、殿のお力であり、神仏のお加護のおかげでございます。寺社への寄進をなさるとよろしいかと……」 「そうであったな」  藩内の寺社が、少し不景気になっている。病気の領民たちが、宗白の診察所へ行ってしまうからだ。さいせんのあがりがへっている。このさい、その不満をやわらげておいたほうがいい。  寄進がなされ、寺社の関係者たちが宗白の意見と知って、お礼に来た。彼の人気はここでもあがった。  宗白は世つぎや側室の診察もやった。すなわち、奥御殿のどこへも出入りが自由。だれだって病気で死にたくはないのだ。  宗白は殿のお気に入りとなった。なにかにつけて呼び出され、話し相手をさせられる。普通の家臣だとこうはいかないが、医師なので文句のつけようがない。  これをこころよく思わない者も、もちろんあった。しかし、宗白の腕はあきらか、病気になった時に手を抜かれたらと思うと、表だって意見もできない。  宗白にしても、他人の反感を買いたくはない。家臣たちの欠点はしゃべらなかった。  宗白は、重臣たちの家から、診察をたのまれるようになった。医師なら堂々と呼べるし、金も渡せる。殿の前でよけいなことを言わないでくれとの、つけとどけの意味もある。  現実に、その家族たちを診察することもあった。気を静める薬草を大量に飲ませると、内心のことをしゃべりだしたりする。なかなか面白かったし、参考にもなった。いずれ、なにかの時に役に立つだろう。  年月がたち、むすこの宗太郎が少年になった。宗白は彼を長崎に留学させることにした。その費用は充分にある。また、西洋医学がすぐれているとのうわさを、耳にしてもいた。自分の代のうちは、いまのやりかたでなんとかなるだろう。しかし、そのあとの準備をしておいたほうがいい。宗太郎は出発していった。  宗白は殿から、人事についての相談を受けるようになった。彼は各家臣の家庭の事情にまで通じており、だれが有能かを知っている。しかし、あからさまに言っては波乱のもとだ。健康状態にことよせたり、相性や占いにことよせたりして、それとなく進言する。それは採用され、藩政の向上に役立った。  一方、そのあとしまつもやる。人事で格下げになった者は、病人に仕上げ、こんなふうになぐさめるのだ。 「あなたは運がいい。いままでのような激職にいたら、疲労で助からなかったでしょう。いまなら、わたしの手当てで、一命をとりとめます」 「そうだったか。よろしくたのむ」  また、新しく家老となった者の子息を病人にし、高額の治療費を請求する。 「入手しにくい高価薬を使ったのです。お支払いの金がないとは、困りましたな。では、こうしましょう。城下のある商店が、営業の許可を求めています。それをなんとかしてあげて下されば……」 「うむ、努力してみよう」  そして、商店のほうから金をもらう。  かくして、宗白は藩内で隠然たる勢力を持つに至った。殿から領民に至るまでの信用をえている。商人たちという資金源もある。  ある時、家臣のひとりが、宗白に陰謀を持ちかけてきた。二人で組めば、お家のっとりも可能だ、それをやろうと言う。  宗白はその相談に乗るふりをし、油断させて薬を飲ませ、治療の手を抜き、死なせてしまった。藩の害虫とは、こういうやつのことだ。生かしておいて、ろくなことはない。  それに、なにもあんなやつと組まなくたって、その気になれば自分ひとりで……。  ところで、と宗白は考えた。いつのまにか、これだけの実力が身についた。なにをやったものだろうか。  しかし、なにも思いつかない。殿になれるわけでもなく、家老にもなれない。また、その必要もなく、いますべてが意のままだ。  この勢力をとなりの藩に及ぼすこともできない。もっと大きな藩に仕官しなおすこともできない。  考えられるでかい計画といえば、参勤交代の殿にくっついて江戸にあがり、殿を幕府の要職につけるよう、運動してみることだ。薬を使い、殿を老中にのしあげ、それに進言して国政を動かすか。しかし、江戸には頭のいい連中もいるだろうし、発覚したらみもふたもない。それに、国政を動かしたって、あまり面白いことではあるまい。  平穏第一で幕藩体制がかたまっており、やれる限界は目に見えている。そういう時代なのだ。江戸時代になってからの大事件といえば、せいぜい由井正雪《ゆいしようせつ》、忠臣蔵《ちゆうしんぐら》、天一坊《てんいちぼう》ぐらいのもの。いずれも最後は悲劇的な幕だ。幕府にたちむかっても勝てないのだ。  将軍のお気に入りとなって、出世して実権をにぎった者もある。しかし、やはりそれも長つづきしない。たいしたことのできる時世ではないのだ。  宗白は自分の実力を持てあましながら、日をすごした。いや、こういうのを実力とはいえない。ひずみをうまく利用できただけのことなのだ。  なにもたくらまなかったのは、賢明といえよう。藩内での宗白の人望は低下せず、失脚もしなかった。  また年月がたち、長崎へ留学していたむすこの宗太郎が帰ってきた。知識を頭につめこんできましたといった表情。宗白はたのもしく思いながら迎えた。 「どうだった。うるところはあったか」 「大いにありました。わたしは目が開けたような思いです」 「それはよかった。どんなふうにだ」 「父上の医学はまちがっております。これは絶対に改革しなければなりません。それがわたしの使命です」  宗太郎はまだ若く、頭がよかった。西洋医学に熱中し、外国人に激励され、のぼせあがって理想主義になってしまった。子供の時から甘やかされて育ち、不自由なく金が使え、金のありがたみを知らない。理想主義にでもなる以外に、人生の興味を発見できなかったのだろう。  宗太郎は長崎で購入してきた、西洋医学の本、医療器具、薬品などを並べ、あれこれ熱っぽくしゃべった。宗白にはなんのことやらわからなかった。しかし、変ったことが見物できるかもしれぬと、自分は隠居し、家督をゆずった。  宗太郎の代となる。いわゆる科学的にすべてが切り換えられた。彼はおせじを言わず、なおるなおらないをはっきり言い、人事に口を出さず、賄賂《わいろ》もとらなかった。  藩内はなんとなく、ぎこちなくなった。あいそのいい会話がなくなり、だれもうまい汁にありつけなくなり、領民たちへの救いがなくなり、新医学がきくのかどうか見当がつかず、迷いの空気がみちてきた。宗太郎がはりきればはりきるほど、それがひどくなる。  しかし、父の宗白への遠慮もあり、すぐには表面化しなかった。しかし、やがて宗白が死んだ。腹が痛くなったのに対し、宗太郎は手術の必要があると主張し、むりやりおこなった。外国人から、西洋ではわが子を実験台にした医師があると聞かされ、それにあやかろうと先駆者をきどったのだろう。その結果、症状は悪化し、死んでしまったのだ。  西洋医学といっても、当時のものはたかがしれている。まともなのは解剖学だけで、これは治療の役には立たない。ききめのあるのは、ジェンナーが偶然に発見した種痘法ぐらい。石炭酸消毒がイギリスで発見されたのは明治維新のころ、コッホによって細菌がはじめて発見されたのが明治十一年。現代的な薬品のたぐいは、なにもなかった。  たちまち宗太郎の信用は落ちた。宗白が死んだため、風あたりもひどくなる。人気はなくなる一方。つまらない失敗をたねに、禄を下げられ、もとの五十石にされてしまった。患者はだれもよりつかなくなる。宗太郎がいかに叫べど、ひとりも相手にしない。残りの人生を、むなしくすごした。 [#改ページ]   紙の城 「おい、平十郎。大名が領内において土木工事をした。その結果、川の流れが変り、となりの藩に水害がおこった。かつてそんな事件があったかね。あったら、どう処理したか書類を見たいとの、老中からの依頼なのだ。どうだ……」  上役から聞かれ、平十郎は言う。 「はあ、三回ぐらいあったようです。何回目の書類がご入用で……」 「わからん。すまんが、みんな持ってきてくれ」 「はあ……」  平十郎は上役の前をさがり、書物蔵のなかに入ってゆく。いたるところにつみあげられている書類、書類、書類。そのなかから命じられたものをさがし出し、持ってゆくのが仕事だった。  平十郎は三十五歳。江戸城へ出勤するのが日課だった。書物方同心の職にある。書物方とは、書物の管理や資料の編集整理をおもに分担している部門だ。なんといっても天下の実権をにぎっている幕府、さまざまな珍しい古書を、大量に収集している。数万冊、いや、もっとあるかもしれない。それに、書画のたぐいもある。  火災にあってはいけないというので、城内のもみじ山に何棟もの土蔵を作り、それにしまってある。ここの管理者が書物奉行で、七人ほどいる。学問や文章にすぐれた頭のいい旗本たちだ。就任して数年間その職にいるが、やがて昇進して、もっといい地位へ移ってゆく。彼らにとって書物奉行という地位は、出世の途中の一段階にすぎない。  その下に同心が、約二十人いる。同心とは下級職員のことで、禄高の低い武士がなる軽い役。つまり、手伝いだ。世襲が慣例ということになっている。  十七歳の時から、平十郎は父にともなわれてここに出勤し、仕事の見習いをさせられた。それ以前の幼年のころ、彼は子供らしい望みを持っていた。努力をすれば出世できるにちがいないという期待。そのため習字の勉強をやった。それが栄達の条件のひとつだろうと思ったのだ。けっこう上達した。器用すぎると、父親が顔をしかめるほどの才能だった。  父のそばで仕事をおぼえるのも早かった。どこになにがあるのか、それを頭におさめるのは大変なことだったが、彼には若さと熱心さがあり、苦しむことなく身につけた。  二十五歳のとき父が死亡し、平十郎は家督を相続し、正式に書物方の同心となった。さて、実力によって昇進の夢をはたそうと考えたが、あらためてあたりを見まわすと、それはむずかしいようだった。同僚の同心に言う。 「わたしたち、書物奉行にはなれないのか」 「つまらんことを考えるなよ。そんな前例はない。いい地位につけるのは、家柄や親類の立派な旗本たち。われわれ下っぱは、親代々この同心さ。しかし、気楽じゃないか。出世もしないかわり、へまをしなければ、子供にこの職をうけつがせることができる。無難なものさ」 「すると、同じ毎日をくりかえす一生か」 「だから平穏に生活できるのさ」  同僚は平然としていたが、平十郎は現実を知ってがっかりした。せっかくの字を書く才能も発揮できなかった。書物奉行たちは、自分で文章を考え、自分で報告書や意見書を作りたがる。同心の入り込む余地はない。  幕政に関する書類作成は、奥|右筆《ゆうひつ》と表右筆とがおこなっている。表右筆は機密にかかわらない調査、記録、法令などの文書を作る。奥右筆はもっと重大で微妙な、請願受付け、事件調査、人事決定などをやる。この奥右筆の権威と実力はかなりのもので、ことを早く進めてもらうよう、自己に不利な決定にならぬよう、各所から進物や賄賂がとどけられる。あの一員になりたいものだと平十郎も思うが、できるものではない。  そんなことはともかく、作られる書類の量は、幕府ぜんたいで大変なものだった。数年間は各部門で保管されているが、置き場がなくなるにつれ、古いのから順に書物奉行のほうへ回ってくる。 「資料として保存しておいていただきたい。必要があったら、見せてもらいに来る」 「よろしい、ひきうけた」  書物奉行は気軽に答える。ことわって相手の感情を害したくないのだ。当人はいずれ昇進するつもりでいるし、それに、同心にそのまま命じればいいのだ。いつごろからこんな慣例になったのかわからないが、これが現状だった。  ほかの同心たちもそうだが、平十郎はまさに紙くず屋だった。ほうぼうの役所から、書類の束がとどく。どれもご用ずみのものばかりで、秘密のものなどあるわけがない。また、興味ある秘密はないものかと考え、読みふけったりしていたら、仕事は片づかない。  同心たちは、なれたもの。ぱっぱっとよりわけ、重ね、油紙に包み、目印として簡単な見出しの文字をつけ、蔵に運んでつみあげる。親代々うけつがれてきた仕事だけあって、みな手ぎわがよかった。  そして、時どき、前例を知りたいと、書類さがしを依頼される。平十郎はとくに重宝がられた。同心たち、それぞれ癖のある字で見出しを書いているわけだが、彼には文字への感覚があるので、それを読みわけることができるのだった。また、いかに達筆な文書でも、さっと内容を読みとれるのだ。同僚は同情してくれる。 「すまんなあ。いつも、おまえばかり命じられているようだ」 「まあ、これが仕事ですから」 「適当にやってればいいんだよ。そんな文書はありませんと答えればいい。自分でやろうとしても、上役にはできっこないんだ」 「そうしたいんですが、なにがどこにあるのか、すぐ頭に浮んできてしまう」  というわけで、平十郎は蔵のなかに出たり入ったりして、毎日をすごしていた。古びた紙のにおいにも、いつしかなれてしまった。夏はいくらかすずしかった。冬も、風の当る戸外の仕事よりましだろう。  しかし、これといった役得は、まるでなかった。この文書を早くさがしてくれと、つけとどけを受けることなど、年に一回あるかないかだ。  値うちのある書画を持ち出せないことはないが、発覚したら自分ばかりでなく、同僚たちまで処罰されるだろう。定期的に虫干しがあり、その時に点検がなされるのだ。蔵のなかで、そっとながめることは可能だが、それ以上のことは無理だ。  そして、平十郎はいつのまにか三十五歳になってしまった。  十歳とししたの妻がいる。まだ子供はなかった。妻は内職として印判を彫る仕事をやり、それがいくらか家計のたしになっていた。最初は趣味として、小さな木彫りの人形を作っていたのだが、やがてその人形を売るようになった。だが器用さをみとめられ、印判を作るほうが金になるとすすめられ、印判屋からその仕事が回ってくるようになったのだ。  こういう地味な部門の同心のくらしは、ささやかなものだった。  平十郎の気ばらしは、つとめの帰りに、時たま酒を飲むことぐらいだった。行きつけの店は、梅の屋という小料理屋。ほぼ同年配のそこの主人とは、なぜか気があい、冗談を話しあったりすることもある。  その日、ひとりで飲んでいると、平十郎は店の給仕女から、こんなことをたのまれた。 「郷里の父母にたよりを出したいんですけど、手紙を書いていただけないかしら。あたし、字が書けないんです。元気でいると知らせ、お金を送りたいの」 「感心だな。書いてあげるよ。紙と筆を持っておいで」  平十郎は代筆をしてやった。それをのぞきこんでいた主人は、感嘆の声をもらした。 「うまいもんですな。じつに、みごとです。この字だけ見ていると……」 「同心とは思えないと言いたいんだろう」 「まあ、そんなところで」 「奉行や老中にだって、ずいぶんへたな字のやつがいる。将軍だって……」  いつも扱っている古い書類の署名を思いだしながら言い、苦笑いしてつづけた。 「……しかし、いかに字が巧妙でも、出世の役に立たぬことがわかってきた。字なんかより、そろばんを習っておくべきだった。勘定方だと、そろばんの腕でかなりの地位までゆけるらしい。だが、いまさらどうにもならぬ。十日に一回、ここへ来て酒を飲むだけが生きがいだ」 「いかがでしょう。ここの座敷に飾る字を、なにか書いていただけませんか。酔ったお客によごされたり、持ってかれたりで、困っているのです。なにか、もっともらしい感じのを書いて下さい。表具師にたのんで、安い掛物に仕上げる。どうされても惜しくないものがほしいのです」 「ばかにされてるような気分だぞ」 「これは失礼。しかし、お礼として、お酒を一回だけ飲みほうだいにしますから」  主人のこの提案を、平十郎は承知した。これは悪くない取引きかもしれない。  だが、武士だけあって、平十郎はまじめだった。いいかげんなものを作る気にはなれない。つとめのひまを見て、書物蔵に入り、一休和尚の書を出してながめ、特徴を研究した。そして、帰宅して書きあげた。われながら、うまいできだった。  日光にさらしたり、天井裏のほこりをこすりつけたりして、古びた感じをつけ、梅の屋に持ってゆく。 「こんなのでどうだ」 「いいでしょう。ようするに、なんでもいいんですから。いただきます。では、お酒のほうをどうぞ……」  平十郎は支払いの心配なしに、いい気分になれた。  十日後、平十郎はまた梅の屋に寄った。掛物になっているのを見たい気もしたのだ。すると、主人がまじめな表情と声で言った。 「じつは、このあいだの書ですが、座敷に飾っておいたら、お客のひとりが、ぜひゆずってくれと持っていってしまいました。かなりのお金をおいて……」 「おまえも、わたしを見なおすべきだな」 「どうやら、本物の一休さんの書と思ったようですよ。掘出し物だなんて、つぶやいていた。どうなんです、まさか、お城から持ち出してきたのじゃ……」 「とんでもない。本物を持ち出したのだったら、だれがこんなけちな小料理屋に……」 「でしょうな。ほっとしました。ひとつ、きょうはおごりますから、そのことについていろいろとご相談を……」  主人は、さらに何枚かあれを書いてくれと言った。売れた代金は山分けということでと。平十郎はまんざらでもない。 「才能をみとめられたということは、悪くない気分だ。しかし、同じのをすぐに飾っては、そのお客だって変に思うだろう。べつな人の書を作るとしよう」  平十郎の副業も、しだいに本格的になっていった。お城づとめにいくらはげんでも、出世の見込みはないのだ。この副業のほうに力がはいってしまう。紙や筆や墨に資本をつぎこむ。材料がよくなくてはならない。書物蔵のなかで故人の筆跡を研究し、帰宅してから製作する。  有名な高僧、歌人、公卿、武将などの書ができあがっていった。印の必要なのもあるが、それは妻が製作した。妻もなかなか器用、すぐにこつをのみこんだ。できあがると、つぎつぎに梅の屋に持ちこむ。  主人も、その販売先を開拓していった。うまいぐあいに金にかわる。梅の屋は店を大きく美しく改装した。平十郎も金まわりがよくなった。彼は金の一部を、上役へのつけとどけに使った。そんな必要はないのだが、このところ筆跡の研究で、仕事の能率が落ちている。そのことでおこられるのを防ぐためだ。  また、同僚たちを梅の屋に招待した。ただし、本当のことは説明できない。 「先日、ここの主人が酔った浪人者にからまれて困っていたのを、助けてあげた。お礼にごちそうをしたいと言うが、わたしひとりで飲んでもつまらない。みなさんといっしょに楽しくやろうというわけです」  仲間たちのごきげんも、とっておいたほうがいいというものだ。  ある日、平十郎は作りあげた実朝の書を持って、梅の屋に行った。金はもらえるし、飲みほうだい。すべて順調で、楽しくてならなかった。すると、主人がある商店主を紹介した。このかたが非常にお困りなので、相談にのってあげて下さいという。商店主は言った。 「じつは、五年ほど前に、ある大名家に金を貸しました。近くその返済にくるとの連絡がありましたが、その証文を、わたくしども火事で焼いてしまっている。商人どうしなら、信用にかかわることなので、払ってくれるでしょう。しかし、大名となると、証文がないと知ったら、これさいわいと金を払わないかも……」 「ありうることですな」 「そうなったら、店はつぶれます。この梅の屋のご主人に打ちあけると、あなたさまならお力を貸してくれるかもしれないとか。お助け下さい。お礼はいくらでも……」  と泣かんばかり。そばで梅の屋の主人も口ぞえをする。平十郎は質問した。 「しかし、見本がないとね。なにか参考になるものはないのですか」 「そのあと、二年前にも金を貸しました。文面は前のと同じ、それを書いた人も同じ。しかし、署名人の城代家老が交代している。五年前の城代家老は、独特な字で署名なさったかたでしたが、すでになくなられました。ですから、お目にかけられないのです」 「なるほど。話はわかりました。なんとかやってみましょう。いまある証文をお貸し下さい。十日ばかりかかりますよ」  平十郎は引き受けた。書物蔵に入り、見当をつけて書類をさがす。その藩にむけての幕府からの問いあわせに答えた、その城代家老の文書がでてきた。 「あった、あった。なるほど、ふしぎな字を書くやつだな。このまねはちょっとむずかしいぞ」  それをふところに入れて持ち帰った。書物や書画のほうの蔵からの持ち出しはうるさいが、古書類の蔵のほうはさほどでもない。平十郎はそっくりの印を妻に彫らせ、たぶんこうであったはずだという証文を作りあげた。それを商店主に渡す。 「まあ、こんなところで大丈夫と思います。しかし、持ち帰られると面倒だ。あなたは返済金の受取りを渡し、これはその場で焼き捨てるようになさったほうがいい。それから、お礼の件を忘れないように願いますよ」  何日かたつと、商店主はかなりの金を持って報告に来た。 「おかげさまで、すべてうまくゆきました。金を持ってきたお使者は、なくなられた家老の署名を見て、なつかしがっておりました。作っていただいた証文は焼いてしまいました」  現実に貸借関係はあったわけだし、使者もまさか証文がにせとは思わなかったのだろう。証文あらためは、形式的なことですんだらしい。商店主はさらに別な包みを出した。 「これは先日、ある骨董《こつとう》商から入手した、珍しい品です。よろしかったら、さしあげます」  あけてみると、一休さんの書。なんと平十郎の作ったものだった。 「これはこれは。こんな貴重な品はいただけません。家宝になさって、大事にしまっておくべきです。お気がすまないのでしたら、そのぶんをお金で下さい」  そのようにしてもらった。  平十郎は時どき、同僚たちにおごった。家の大掃除をしたら、古い刀が出てきた。これがなんと名刀で、高く売れた。いまや泰平の世、刀より友人が大切な時代だと思う。理屈はなんとでもついたし、おごられるほうは、理屈なんかさほど気にしない。仲間うちでの評判は一段とよくなり、蔵のなかでなにをしようと自由だった。また、酔って夜道を歩いてるところを見られても、名刀の金がまだ残ってるようだなと声をかけられるだけですんだ。  新しく書物奉行が就任してくると、そこへもつけとどけをする。どの奉行も、自分の昇進にばかり熱心で、平十郎の昇進など考えてくれなかったが、むしろそのほうがいいのだ。いまのように面白く、自分の才能の生かせる地位は、ほかにないだろう。  昼間はお城で、下級職員としてぱっとしない存在だが、夜はどんな豪遊もできた。  気がむいて、武芸の免許皆伝書を作ってみたこともあった。将軍の子息にだれかが献上したものだろう。蔵のなかでみつけたそれを見本に、そっくりなものを作ったのだ。梅の屋の主人に見せる。 「こんなのはどうだ。当人の名前さえ書き加えれば、一流の武芸者ができあがるぞ。売れないかね」 「売れますとも。腕がありながら、浪人している人が多い。だが、これさえあれば、武術指南役として、仕官できましょう。実力より証明書の時代ですからな。しかし、試合で負けてぼろを出しますかな」 「そんなことはあるまい。実力より権威の時代ならだ、それがあるというだけで、相手のほうがびくついてくれるだろうよ」 「それにしても、平十郎さまは万能ですなあ。こつはなんですか」 「字をまねるのは、芝居の役者のようなものさ。その役になりきらなければならない。だから、気分の切りかえが大変だな。坊さんになったり、歌人になったり、家老になったり、武芸者になったりだ。ところで、にせものだとの文句をつけられたことはあったかい」 「ありませんな。この道にかけては、平十郎さまは天才です」 「もっとも、見る人が見れば、にせものとわかるはずだ。字には巧妙さではまねられない風格というものがあるのだから。しかし、いまの世には、字そのものを虚心にながめる人がいなくなったということなのだろうな」  うまく進行しつづけていると、なんとなくものたりなくもなってくる。しかし、梅の屋の主人が、口ごもりながらこんなことを言いだした。 「平十郎さま、とてつもない大仕事がありますよ。手を出さないほうがいいように思いますがね」 「どうせなら、でかいことをやってみたい気分になっている。いちおう聞かせてくれ」 「ある大名家なんですがね。なにかやらかしたらしく、おとりつぶしになるらしい。そこの江戸家老、なんとかくいとめようと、必死になって各方面に運動しているが、楽観できない情勢です。このままだと、あのご家老、腹を切りかねません。うちの店をよくご利用になり、実朝の書も買っていただき、いいかたなんですが」 「なるほど。うむ。以前からやってみたかったことだ。ひとつ、このさい……」 「どんな方法で助けるのですか」 「家康公のお墨付きを作って、その家老に売りつけるのだ」 「なんですって。へたしたら首がいくつあってもたりませんよ。いままでのとは、わけがちがう。仲介はいたしますが、あとはお二人だけでやって下さい」 「おまえに迷惑はかけない。ここのところが、武士と町人のちがいだろうな……」  平十郎は帰宅して妻に相談する。彼女もすっかり、この仕事が好きになってしまっている。身分が低いとはいえ、あたしも武士の妻、いつでも覚悟はできていると言う。  やがて、その大名家の江戸家老と平十郎は、梅の屋の一室でひそかに会った。その時には、家康公のお墨付きなるものは、すでに完成していた。それを見せる。 〈そちのみごとな働きと忠実さ、ほめてとらす。子々孫々の代にいたるまで、徳川家につくせ……〉  家康の署名と花押《かおう》があり、あて名はその大名家の初代の名。平十郎がこれまでになく苦心して作ったものだ。家康公の気分になるのは、下っぱ役人の彼にとって、けっこうむずかしかったのだ。 「どうです。これがあれば、おとりつぶしは防げるでしょう。ほかに手はありませんよ」 「しかし、あまりにも大それたことだ」  江戸家老は青くなっている。それをはげまして言う。 「大それたことだから、効果があるのですよ。盲点というやつです。殿の祖先の手柄を自慢したくないから、いままで内部だけの秘密にしておいたが、これにおすがりする以外になくなったと言って、提出するのです。表ざたになれば、幕府も手かげんせざるをえない。家康公のお墨付きが無価値となれば、ほかの大名にも不安がおよぶ。幕府の根本がぐらつくから、そうはできない」 「うまくゆくでしょうか」 「武士らしく、思い切ってやってみたらどうです。ほっとけばどうせだめで、あなたがた浪人になるんですよ。ためらっている場合じゃない。それに、いいかげんな賭《か》けとはちがいます。わたしだって、そのための万全の手は打っているんです。それなりのお礼をいただきたいと思ってね」 「おおせの通りにいたしましょう」  その江戸家老は、やけぎみなのか奔走で疲れはてているためか、こころみてみる気になった。ほかにいい知恵はないのだ。  二十日ほどして、上役の書物奉行に平十郎は呼び出された。 「老中からの依頼だ。家康公がある大名に与えたお墨付きの真偽について、急いで調べよとのことだ。記録には残っていない。念のために書物蔵をさがしてみてくれと……」 「はい。しかし、時間がかかりましょう」 「ぐずぐずしていられないのだ。全員でとりかかってくれ」  書物方の同心の全員が、古い書類の山を調べはじめた。いつもは命令するだけの奉行たちも、そばへやってきてのぞきこんでいる。平十郎が蔵の内部を指さして言う。 「時期から考えて、だいたいこの見当だ。手分けしてやろう」  そのうち、ひとりの同心が大声をあげた。 「あったぞ……」  家康公の当時の側近の書いた、お墨付きと同文の控えがでてきた。さらに、その前後の文書をさがすと、その大名家の初代の書いた、お墨付きへの礼状と献上品の目録も出てきた。すべて、平十郎が作りあげ、あらかじめ巧みにまぜておいたものだ。筆跡も署名も、完全ににせてある。古びた紙を入手するのに、ちょっと金がかかったが。  奉行たちもざわめいた。平十郎はひそかに喜んだ。大さわぎにならないと困るのだ。これらの文書を老中がにぎりつぶすことも考えられるからだ。しかし、まあ大丈夫だろう。書物奉行は、文書発見の経過について、誇らしげな報告書を作りはじめている。  平十郎は、その江戸家老を呼び出して会い、このことを報告する。 「というわけです。格下げになるかもしれませんが、おとりつぶしだけはまぬかれましょう。ご安心を。公式に解決してからでけっこうですから、それなりのお礼を。おっと、お礼を惜しんだり、秘密を知るわたしを消そうなど、つまらない気をおこしてはいけません。大変なことになりますよ」 「もちろん、謝礼はする。しかし、参考のために、その大変なこととはなにかを聞かせてくれぬか」 「わたしの才能はおわかりでしょう。また、あなたをはじめ、そちらの藩の重臣たちの署名を見ることのできる立場にいることも。それをもとに、幕府に対する反乱の連判状を作った。わたしを殺せば、それがおもてに出ます。そうなったら、おとりつぶしどころか全員が死罪です」 「そんな連判状を信用する人がいるかね」 「家康公のお墨付きについて、あなたも最初はそうお考えじゃありませんでしたかね」 「そうだな。わかった。お礼は必ず……」 「それから、書類さがしに、書物方の同心たち、さんざん働かされました。少しずつでけっこうですから、みなに酒代をとどけてくれませんか。おいやなら、連判状を……」 「承知した。同心への酒代を惜しんで、そんな危険をおかす気はないよ」  その結果、同心たちは思いがけぬ収入に大喜びした。もちろん、平十郎のもとにはとてつもない大金が入った。  書物奉行のところへ運びこまれる書類の量は、相当なもの。とぎれることもない。どこの役人も、自分の業績を後世へ記録として残したいものらしい。書物奉行が大英断で、大はばに焼き捨てればよさそうなものだが、その責任をしょいたくないのか、だれもやらない。  平十郎が呼ばれて命じられた。 「蔵がいっぱいになったようだな。増築が必要となった。その手続きはどうすればいいのか」 「ご依頼の文書を、作事奉行にお出し下さい。前回の書式の控えがそのへんにあります」  作事奉行とは建築関係を担当する役職。平十郎はその事務を押しつけられた。やっかいな仕事だが、ある興味を持って見ていると、ずいぶんと参考になった。  作事奉行が支出要求書を作り、勘定吟味役にまわり、その監査の印が押されると、つぎは勘定奉行で、この印が押されて決定となる。しかし、簡単に進行するわけではない。何回も作事奉行や書物奉行に戻され、設計変更、金額訂正など、多くの担当者の署名や印が加わり、書類らしくなってゆく。  最終的に勘定奉行の印があればいいのだ。それを御金蔵に持ってゆくと、建築材料の購入費が渡される。信用されるのは人間より書類であり、この段階はあっさりしたものだ。  平十郎は、心のなかでむずむずしたものを感じた。やってみたくてならなくなった。これができるかどうかで、自分の才能の評価がきまる。その思いは彼を実行にかりたてた。  書物蔵のなかに、参考になる書類はいくらでもある。勘定奉行や勘定吟味役の印のついたものもある。そこの部分を切り取って家に持ち帰り、妻に作らせた。また、現在の奉行たちの筆跡も調べた。平十郎はこのことに熱中した。  江戸城の庭のすみに、幕府のためにつくして職務上たおれた人たちの霊をまつる、小さな堂をたてる。その架空の計画書を作りあげた。図面があり、予算表があり、べたべたと小さな印が各所に押され、形式がととのっていった。寺社奉行にも関連することなので、その署名と印も加えた。  それを持って御金蔵へ行く。そこの係は、ぱらぱらとめくり、勘定奉行の印を確認し、すぐ平十郎に支出してくれた。偽造への努力が、あっけないほどだった。係としては、こんなことがなされるなど、想像もしていなかったわけだろう。  彼はそれを、いったん書物蔵に運びこみ、そこから毎日、少しずつ家に運んだ。一度に大金を持ち出すと、城門で怪しまれる。そう巨額というわけではなかったが、いずれにせよ、みごとに公金を出させたのだ。たぶんうやむやになるはずだし、だれが犯人か、わかるわけがない。書物方の同心がやったなどとは……。  幕府の役人にも悪いのがいる。利権とひきかえに賄賂を取ったり、商人にたかってうまい汁を吸ったりしている。しかし、平十郎はそんなまわりくどいことをせず、さっと金を手にしたのだ。  この成功によって、彼は気が大きくなった。ものものしく登城してくる大名を見ても、うらやましさや恐れを感じなくなった。 〈そのほう、おこない不届きにつき、切腹を申しつける……〉  という文書だって本物そのままに書けるし、そのあとに老中、若年寄、大目付の署名を並べることもできる。つまり、上意の文書を作りあげることが、自分にはできるのだ。  もっとも、ひとりではだめだ。芝居気のある浪人者をやとい、それにふさわしい服装をさせ、きめられた人数をそろえる必要はあるが。  その上意の文書を持って、地方のお城へ乗りこめば、そこの領主はすぐ切腹するだろう。抗議をしたという話は聞いたことがないし、本物かどうか署名をたしかめさせろと要求したなんてのも前例がないはずだ。かりに調べられても、にせと気づかないだけの自信もある。  関八州取締役の辞令だって作れる。いばりちらしながら旅ができるのだ。また、大商人に対して、金をさし出せとの命令書をつきつけることもできる。その気になって怪文書を作り、うまく使えば老中を失脚させることだってできるだろう。人物評価、人事異動についての意見書をだれかの名で作り、廊下に落しておけば、城中での刃傷事件が発生するかもしれない。さらには、身分の高い人のご落胤《らくいん》を作りあげることも……。  こんな空想を楽しんでいるうちに、満足感を通り越して、平十郎はなんだかむなしくなってきた。幕府の強大な権力といっても、紙きれだ。幕政の中心、この広い江戸城も、早くいえば紙の城だ。武士だといばっていても、紙きれにあやつられているにすぎない。こんなところで働いているのが、ばからしくなってきた。  金はけっこうたまったのだし、長崎へ行って、珍しいものの見聞でもしたほうがましかもしれない。それを話すと、妻もいっしょに行きたいという。  長崎には、外国製の性能のいい短銃とやらがあるそうだ。護身用にいくつか欲しいものだな。その購入書類を作りあげた。これさえあれば、堂々と買えるし、持っていてもとがめられない。  また、どこの関所も通過できる書類を作りあげた。大名の領地へはいりこむ書類も作った。領内に不審な点あり、ひそかに調査するという、大目付の署名入りの文書だ。そのほか、さまざまな辞令や身分証明書も。  旅行の用意はできた。梅の屋の主人にだけ、別れのあいさつをした。 「しばらく旅に出るよ。上役にも同僚にもだまって、夜逃げのごとく、ひそかに出発するつもりだ。元気でな」 「どちらへ、なにをなさりに……」 「まだ、よく考えていない。失敗して帰ってきたら、また一休さんの書などを作るから、うまく売ってくれな」 「はい。では、楽しんでいらっしゃい」 「そのつもりだ」  これまでためた金を大坂へ送りたいと思い、両替店へも寄った。すると、振出手形というものをくれた。これは為替ともいい、大坂の本店でお出しになれば、金にかえてもらえますとのことだった。  東海道を西へむかって歩きながら、平十郎は妻に言う。 「大坂は米問屋をはじめ、各種の問屋が集っていて、活気のあるところらしい。長崎を見たあと、大坂で商売でもやってみるか。江戸でかせいだこの金をもとに……」  彼は振出手形を出してながめる。 「……それにしても、これで金が送れるとは、便利なものだ。わたしは、そろばんはできないが、これそっくりの字なら書けるぞ」  妻も笑いながら言う。 「あたくしも、それそっくりの印なら作れますわ」 この作品は昭和四十七年十一月新潮社より刊行され、昭和五十年九月、収録作品を加えて新潮社「星新一の作品集16」に収録、昭和五十八年十月作品集版をもとに新潮文庫版が刊行された。